第170話松井、頑張る

「この仕事はもう教える事が無いね。理解した?」


神崎の言葉に松井は答えた。


「覚えました」


「よし、じゃあ次の業務に進むよ」


「はい、お願いします」


総務部は他の部署と比べて覚えるべき業務は多い。三洋商事を支える縁の下の力持ちである。


「主任、松井君はどうだい」


浩一郎は俊哉に聞いた。


「あの小さな体で頑張っていますね」


長身の神崎と背の低い松井はまるで親子のようである。


「歓迎会をしてあげないといけないな」


「それはちょっと仕事が落ち着いてからが良いですね」


「そうだな」


三洋商事では歓迎会や送別会は各部署の裁量に任されているが、三ツ谷会長は無駄を嫌うので推奨はしていない。


「松井君は試練の時だな」


「はい、半年は大変ですね」


「主任、フォローするように」


「承知しました」


俊哉と浩一郎はデスクに戻った。


昼休憩後、松井は自分のデスクで業務の振り返りをしている。俊哉は神崎を呼びだした。


「神崎、松井君はどうだい」


「簡単に言えば仕事できますね」


覚えるのが早いと言う。


「無理に詰め込んで業務を覚えさせない事。それはわかるな」


「はい、わかっております」


「なら松井君を呼んでほしい」


「はい、わかりました」


神崎が去り、松井が俊哉のデスクに来た。


「松井さん、総務部に来て2週間だね。仕事はどうだい」


「はい、覚える事が沢山あって大変です」


「神崎には指導してある。ゆっくり時間を掛けて覚えてくれたらいいよ」


「あの、神崎さんの教育係って誰でしたか」


「私よ」


「主任だったんですか」


「あの時はまだ平社員だったからね。神崎は私の教え方を踏襲とうしゅうしていると思う」


「そうだったんですね」


「なにか無理があれば主任の私に報告するように」


「はい、わかりました」


松井はデスクに戻った。顔色も良い、問題は無さそうだ。俊哉は少し安心した。


「潰れなかったら良いんだが」


俊哉は心配していた。コピー機に向かう姿は小学生のようだ。俊哉よりさらに背は低い。


「松井さん、ちょっと仕事終わりにお茶でもしようか」


「主任、わかりました」


2人は仕事終わりに近くのカフェに寄った。夕方は比較的客が少ない。2人は窓際の席に座った。


「仕事の疲れは甘い物を食べるのが1番だよ」


俊哉はパンケーキにカフェオレ、松井はガトーショコラにコーヒーを注文した。


「今日はどうだった?」


「はい、定型業務を教えてもらいました」


「総務部は業務が多いが多くは定型業務だよ。覚えてしまうと後は楽だから心配しないで良いよ」


「励ましありがとうございます」


「松井さんの趣味は囲碁もするって書いてあったね」


「はい、趣味で打っています」


「娘がプロ入りしてね。良かったら指導碁をしてもらうと良いよ」


「ニュースで見ました。史上最年少プロだと知りました。主任と同姓だったのでもしかしてとは思っていたんですが驚きです」


松井は驚いていた。


「いや、母親の私も驚いているんだよ。まさか娘がプロになるなんてね」


それから俊哉と松井はとりとめのないお喋りをした。松井も思い詰めている所があったらしくてそれも俊哉に伝えてくれた。良く有る話だ。仕事はそういうものだ。


「松井さん、仕事は勉強だよ。勉強させてもらってお金も貰えるんだからね。大変だと思うけど松井さんなら大丈夫。頑張ってね」


「今日は帰りが遅いな」


浩一郎は俊哉の帰りが遅くなるとは聞いていたがそれにしても帰りが遅い。きっと松井のために聞き役に徹しているのだろう。


「俊哉は優しいな」


浩一郎は呟いた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る