第146話紫苑に会いたい人々

「紫苑ちゃん、見に行こうよ」


昼食後、加奈子が紫苑に会いたいと言ったのが事の始まりだった。三洋商事の託児所は親がいつでも会えるように配慮されている。いつもの四人は紫苑に会いに行く事にした。託児所で紫苑は碁盤を目の前にしている。


「紫苑ちゃん、可愛いじゃない」


加奈子はそう言って


「でも碁盤から動かないわね」


俊哉達はこっそり様子を見ている。紫苑は気が付いていない。仕事を終えて俊哉と浩一郎は紫苑を迎えに行くのが日課だ。そこで普段の様子を聞いてみると朝から帰るまで熱心に囲碁の勉強をしていると言う。浩一郎さんの教え方が上手かったのか、紫苑はすっかり囲碁に夢中になってしまった。仕事を終え、帰宅した高坂親子は夕食を済ませると紫苑は浩一郎さんを捕まえて囲碁の手ほどきを請うのだった。


「紫苑は囲碁が大好きらしい」


俊哉に浩一郎さんはそう言った。


「でもね、女の子らしくないのよ」


俊哉は3人にそう言うと


「まだ6歳だからね、興味の有る事をやらせると良いと思うよ」


彩はそう言ってくれた。


「まあおかしな事にハマっている訳じゃないから良いんじゃない」


加奈子も言った。みんな紫苑の事を褒めてくれている。紫苑はこちらには気が付かない。碁盤に集中している。


「でもね、欲しいものを聞くと碁の本って言うのよ」


「よっぽど楽しいんだろうね。良いじゃない、買ってあげなよ」


涼子もそう言う。実際、本棚は囲碁の本で埋め尽くされている。普段から浩一郎さんも買って来るし、紫苑も新しく発刊されたものを欲しがる。すでに家にある碁の本は紫苑が読み尽くしているのだ。


「まあそれは置いておいて、紫苑ちゃん、器量良しね」


「高坂家の娘さんにぴったりじゃない」


3人は好きな事を言って解散した。最後に俊哉はそっともう1度紫苑を見た。やはり碁盤を見つめている。


「高坂主任の娘さん、可愛いですね」


いきなり望月が言い出した。


「なんで知っているの」


「仲良く親子で帰っているじゃないですか」


そうか、帰るところを見られていたか。


「みんな知っていますよ」


親子は総務部でも話題になっていると言う。別に構わないが何か噂話をされやしないか俊哉は心配だった。俊哉の実の娘ではない事を皆知っている。


「言わせておけば良いさ」


浩一郎さんは動じない。こう言った時は浩一郎さんも頼もしい存在だ。


「俺達にとってなんら恥ずべきところはない」


頑として動じない浩一郎さんだ。電車通勤をせずに車通勤に変えた。帰りの車内は楽しい会話で過ごす。浩一郎さんと紫苑のやりとりは聞いていて楽しい。


「あ、お母さん、寝ちゃった」


紫苑が助手席の俊哉を見て言った。


「お母さんも仕事で疲れているんだそっとしてあげろ」


眠り込んだ俊哉を紫苑はそっと見ている。そうだ、お母さんも仕事を頑張っている。眠くなるのも当然だ。


「ところで紫苑。話が有る」


「何のお話?」


「囲碁教室に通って師匠を見つけなさい」


「ししょうって何?」


「先生の事だよ。紫苑は囲碁が好きかい」


「うん、大好き」


紫苑は俊哉と浩一郎に表裏を持たない。紫苑にとって信頼のおける人間だからだ。それは施設で面会している時からそう思っていた。だから2人を大切にしたい。


「じゃあ、週末、囲碁教室に見学に行こう」


「お母さん、ぐっすり寝ているね」


「そっとしておこう」


冬の寒さは厳しくなるばかりだった。

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