第7話 行商人とフィルジア同盟
「ふぅ。今日の稼ぎはどれくらいになることやら……。足りない分はバルーに掘らせて補えばいいか」
エドナを運んだ荷馬車は、日が沈む前に町に到着していた。
穏やかなポルトル海峡に面した断崖をくり抜いて築かれた港町フィルジアは、様々な種族、職業の者が集う賑やかな町でもあり、隣国アルボルドの同盟でもある。
ここでは近年、荒れ果てた海岸沿いに出来た鉱山洞穴の鉱脈資源を使って金策取引が行われており、行商人がひっきりなしに訪れていた。
夕暮れに差し掛かろうとしていたそんな時、荷馬車の荷を降ろしていた男は白いローブに包まれた少女が眠っている姿に驚く。
「お嬢ちゃん! お嬢ちゃん!! 参ったな、いつから乗っていたんだ? まさかバルーが連れてきたんじゃないよな?」
「わふぅ?」
「……いや、待てよ。白いバルーを捕まえた時に重さを感じたが、間違ってどこかのお嬢ちゃんをオレが連れてきたんじゃ……?」
自分の相棒である犬のバルーではなく、どこから連れてきたのか分からない謎の少女の寝姿を見て、男は誰にも気づかれないように静かに起こすことにした。
「あ~……お嬢ちゃん? 頼むから起きてくれ~……」
「…………んん」
「起きそうにないくらい気持ちよさそうにしているな……。よし、バルー。顔を舐めて起こしてやってくれ」
「くぅん」
男の指示を素直に聞き、バルーはエドナの顔を舌でペロペロと舐めている。
何だろう?
何かがわたしの顔をくすぐっているような。
わたしっていまどこにいるんだったっけ?
「えっ? あ、あれっ?」
「わぅ!」
「ワンちゃん!? お、起こしてくれたの? あっ……」
白い犬に顔を舐められ起きたエドナだったが、犬が戻って行く先に見知らぬ人が立っていることに気づいてしまう。
「あ……こ、こんにちは」
「こ、こんにちは」
「……」
「…………え~と、参ったな」
「わふぅ?」
目を覚ましたエドナの気づきに男はとっさのことで言葉が出て来ず、固まっている。
「可愛い~!」
「だろ? バルーはオレの唯一の相棒なんだ」
しかし白い犬の首かしげが場を一気に和やかにさせ、急に打ち解けた。
「あのっ、ごめんなさいです! 勝手に荷馬車に……」
話を続ける前にエドナは男に対し、すぐに頭を下げた。
「……あ、あぁ。お嬢ちゃんの様子だと、オレが悪いみたいだな。バルー……こいつはオレの相棒なんだが、どうもバルーを捕まえたつもりがお嬢ちゃんを捕まえてしまったみたいなんだ」
お嬢ちゃんなんて言われるのは前世ぶりくらいだろうか、とエドナは思ってしまった。
「ううん、可愛いワンちゃんを抱っこしていたわたしが悪いんです」
可愛い犬を相棒に連れているという時点で、悪い人じゃないよね。荷馬車に色々置いてあったし、この人はきっと行商人だろうし。
「お嬢ちゃんはしっかりしてる子なんだな。オレは行商人をしているエラスムス。こいつは相棒のバルー」
「わんわんっ!」
「バルーちゃんと、エラスムスさん。わたし、エドナ……エドナ・ランバートです」
さっきまでの静寂が嘘のように、お互いに頭を軽く下げて笑顔を見せた。
「ランバート! 精霊村か。そんなに遠くないが、エドナちゃんは一人……で?」
「えっと、冒険者のみなさんと途中ではぐれちゃって、気づいたらエラスムスさんの荷馬車に乗せられてたんです」
「そりゃあ……すまないことをした。どの辺りではぐれたのか分かるかい?」
バルーを見つけたのはシェルの森だったけど、奥に進みまくった先が街道だったから詳しくは答えられないよね。
「わたしがシェルの森を勝手に抜けたから分からないんです」
「そうか。あの街道はランバートに戻るか、フィルジアに来るかの二択だから恐らくここに向かってくるはず。だから心配しなくていいと思う」
エラスムスの考えは当たっていた。エドナが知らぬ間にフィルジアに到着していた頃、彼女たちは慌てずにフィルジアに向かっていたからだ。
「フィルジアってここのことなんですか?」
エドナが改めて周りを見回すと、行商人が行き交う光景や獣人らしき種族も見えていて、ここが活気のある賑やかな町だということが見てとれた。
目の前のエラスムスも風貌こそ伸ばしっぱなしの無精ひげ、ぼさぼさな長い茶色い髪が目立つが、行商人だけあって上級な革でなめした服と革のベルト、トラウザを履いていて身なりはきちんとしているのが分かる。
「ああ。ここは港町フィルジア同盟。同盟ってのは隣国にあるアルボルドのって意味でな、そこと良好な関係って意味なんだ。見ての通り、オレみたいな行商人には最高の町さ!」
そう言うとエラスムスは自分を指して勝ち誇った顔を見せた。
「バルーちゃんを相棒っていうのはどういう意味なの?」
「あぁ、それは――っと、もうすぐ暗くなるし、連れてきてしまった責任もあることだ、良ければオレが泊まってる宿に移動しないか?」
「うん、いいよ」
眠っていたらフィルジアに着いていたことをエドナは、特に慌てることもなければ泣くこともなく、エラスムスの言葉に素直に返事をしてみせた。
「……エドナちゃんはいくつなんだ?」
宿に向かう途中、エラスムスは首をかしげながらエドナを見ながら難しそうな顔を見せる。
「九歳だよ。どうして?」
「オレに娘なんてもんはいないが、子供にしてはいやに落ち着いているなと思ってな。精霊村から来たってことが関係してるかもしれないが……」
ランバート村にはそもそもわたし以外に子どもがいなかったし、話をしていたのがおじいちゃんとかだったから幼い子どもって感じにはならないかも。
「よく分からないけど、バルーちゃんがいるからじゃないかなぁ」
「はははっ、そうかもな」
エラスムスは笑いながらエドナ、バルーを引き連れて宿のあるいくつもの小さな店が連なった小路へと足を進めた。
「戻ったよ、
「エラスムスさん、その女の子は?」
やっぱりそう言われちゃうよね。どうすればいいんだろ。
「あぁ、その子はエドナ。オレの相棒さ!」
え?
でも道の途中で拾ったとか言えないよね。
エラスムスの言葉を聞いた宿の女将はエドナを見ながら、少しも怪しむ表情を見せずに笑顔を見せている。
「相棒ってことなら構わないよ! フィルジアじゃ珍しくないからね」
「そ、そうなの?」
「あぁ! 犬を相棒にしてるんだ、子供だって立派に相棒になるだろうからね」
女将が言っていることにいまいち理解が出来なかったものの、正直に言っても仕方が無いと思ったエドナはそのまま素直に返事をすることにした。
「……っと、今回は長くいるつもりだ。お代はこれくらいで足りるよな?」
行きつけの宿のようで、エラスムスは宿の女将に数十枚の銀貨を払っている。
「はいはい、頂いておくよ。いつもの場所に行くつもりかい?」
「そうだな。稼ぎとして最高だからな」
「行くなら早朝にしときなよ」
「何故だ? ……おっと、エドナは先に部屋で眠っていていいぞ」
エドナに聞かせたくない話なのか、エラスムスはエドナに部屋へ行くように言いつけた。本来なら出会ったばかりのエラスムスに厳しくされるはずがないのだが、前世の記憶を持つエドナは素直に頷いて部屋へ向かうことにした。
「うん、そうする~」
何の話かはよく分からないけど、このまま一緒に行動することになりそうだし明日になれば分かることだよね。
エドナとエラスムスが宿に着いてからしばらく経った夜半過ぎ――。
ライラたち冒険者パーティーもフィルジアの町へたどり着いていた。夜半過ぎではあるが、港町なだけあって行き交う人や発着する船は休まることがない。
「ふぅ……すっかり暗くなったね」
「すでに夕方だった。だから仕方ない」
「この町にエドナちゃんがいるのかしら? 一人で泣いてないかしら?」
「あの子は泣かないんじゃないか?」
「泣いてもこの町は面倒を見ない。だから泣いていない」
街道をひたすら道なりに歩いて来たライラたちは、深夜でも人の往来がある町の光景を見ながらエドナのことを気にかける。
……とはいえ、セリア以外の二人は全く心配する必要が無いと判断してるようだ。
「疲れたし、どこかの宿を探して休もう!」
「賛成」
「エドナちゃんは?」
セリアだけがエドナを気にしているが、ライラとリズは周りを見回している。
「深夜に探したって見つからないだろ。この時間に探す方が危ないし」
「そう」
「そ、そういうことでしたらそうするしかありませんわね」
「そういうことだよ」
明るくなってから探せばいい――そんな気持ちを持ってライラたちはフィルジアの宿を探すことにした。
「エドナちゃん、起きてもらえるか?」
「う……んん」
早朝――まだ星が見えて薄っすらと暗さが残っている時間になって、エドナはエラスムスに起こされた。
「ふわぁぁ……なぁに?」
「この時間ならひと気も少ない。だから途中まで送ろうと思っている」
「え? それってランバート村の方にってこと?」
てっきりわたしに聞かせたくなかった何かに連れて行くと思っていたのに。
「ああ、そうだ。冒険者たちがフィルジアに来ていれば一番良かったかもしれないが、この町がいくら小さくても歩いて探し回るのは厳しい。もしかすれば途中の街道で待っている可能性もあるからその方がいいと思ってな」
エラスムスにとって、犬のバルーと勘違いしてエドナを荷馬車に乗せてしまったことが誤算だった。もし冒険者が街道にいるのであれば、冒険者に任せた方がいいと判断したようだ。
「エラスムスさんはバルーちゃんを連れてどこかに行く予定なんだよね?」
「あぁ……だが決して安全な場所じゃない。さすがに昨日出会ったエドナちゃんをそこに連れて行くわけにはいかないだろ」
エラスムスとしても、やはり子供であるエドナをそのまま連れ回すのは良くないと思っていた。それならば早朝の内に途中まで送る方がいいと考えていたのである。
「ううん、どんな場所か分からないけど、わたしは平気だよ」
「……なぜそう言い切れる?」
「だってわたし、賢者だもん!」
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