23話 心強い味方がいる

 ドリスと別れて修道院から帰ってきても、クラーラはずっと恋と愛について考えていた。


 


(私がエアハルトさんを想っているのは、恋? それとも、愛?)




 エアハルトがスープの香りに引き寄せられて修道院を訪ねて来た当初に、クラーラが感じていたふわふわする気持ちは、単なる淡い憧れで恋に近かったと思う。


 


(それならば、今はどうなんだろう?)




 そもそも見返りは、最初から求めていなかった。


 こっそりと慕うだけで、幸せだったからだ。


 それが思いがけずエアハルトから告白されて、クラーラは天にも昇る心地になった。




(院長先生に背中を押してもらって、エアハルトさんに相応しくなりたくて、一歩ずつ前へ進んでいたら今の私になったのよ。もしかしたら私は、恋から愛への、発展途上にいるのかもしれない)




 きっと、そうだ。


 クラーラの瞳に、希望の灯がともる。




「これからもエアハルトさんを想って、この気持ちを愛へ育てればいいんだわ」




 でも、どうやって?


 クラーラの出した恋文は、ようやく船便に乗ったばかりだ。


 


「もっと私は、違う行動をするべきなのかしら?」




 ジッとしていても物事が動かないのは、すでに学んだ。


 そしてエアハルトの隣に立ちたい今のクラーラには、一歩を踏み出す勇気がある。




「こんなときは、相談よ。私には、心強い味方がいるんだから!」




 ◇◆◇◆




「それで? 私が呼ばれたの?」




 侍女の差し出す香り高いお茶を受け取りながら、イライザはぽかんと口を開けた。


 


「レッスンの日でもないのに、何事かと思ったじゃない。恋の相談だなんて、クラーラもまだまだね!」




 ふふん、と鼻で笑ったイライザに、クラーラの期待は高まる。


 この様子なら、イライザは恋の百戦錬磨かもしれない。


 身を乗り出しているクラーラへ、いつものイライザ節が炸裂した。




「遠く離れた相手を想う気持ちを、ちまちま愛に育てたいなんて、まどろっこしいのよ!」




 クラーラの後ろでは、侍女たちもイライザの回答に耳を澄ませている。


 


「さっさと会いに行けばいいじゃない! 男女が離れていると、熱が冷めることもあるんだからね!」


「熱が、冷める!?」


「人間なんだから、そこは仕方がないわよ。誰だって新しいものに目を奪われたり、心がソワソワしたり、魔が差したりするでしょう?」


「……エアハルトさんは、そんな方ではないと思います!」




 エアハルトの気持ちの変化を、疑ったことは一度もない。


 音信不通にさえならなければ、クラーラは何年でもエアハルトの帰りを待っただろう。




「でも今のままじゃ、足踏みしてるみたいで不安だから相談したんじゃないの? 会いに行きたいって、お義兄さまにお願いしてみたらどう?」


「海を渡って、私がキースリング国へ?」


「クラーラが勝手に次の船便に忍び込むよりも、お義兄さまはよっぽど許してくれるわよ?」


「し、忍び込むなんて……」




 そんなことしません、と慌てふためくクラーラへ、イライザが意地悪く笑う。




「本当に? この間クラーラが出した恋文に、なんの返信もなかったらどうする? 思い余ってやってしまわないと、断言できるの?」


「っ……!」




 絶対に大丈夫だと思っていた道が塞がっていたとき、人はパニックを起こさずにいられるだろうか。


 悩みだしたクラーラを、イライザが笑う。




「すでにクラーラは、私が用意した鬼のような課題もやり遂げて、私財を寄付しまくる孤児院の慰問も終えて、あとはパーティを待つばかりなんだから。自由に動ける今を、利用するといいわ」


「でも……お兄さまに迷惑がかかるのでは?」


「何を言っているのよ! 兄というのは、妹の我がままを常に待ち構えているのよ? 定期的に甘えてあげないと、ションボリする存在なんだから!」




 クラーラが不在の間、いかにしてイライザがベンジャミンを元気づけたか、レクチャーが始まった。


 


「ここで注意が必要なのは、お姉さまよ! お姉さまは尊敬に値するほど、融通が利かないわ!」


「つまり、反対されるってことですか?」


「要求が理にかなっていて、納得すれば大丈夫なんだけどね。姉というのは兄に比べて、難関不落なのよ」


「難関不落……」




 クラーラがごくりと喉を鳴らす。




「とにかく駄目もとで、お願いしてみてもいいと思うわ。だけど用意できるのなら、説得材料を準備しておくのね!」


「ありがとうございます! 策を練ってみます!」




 イライザに相談したことで、八方ふさがりだったクラーラの展望は開けた。




(船便が帰ってくるまでに、もう少し時間がある。エアハルトさんからの返信がなかった場合を想定して、どうしたら渡航を許してもらえるか考えてみよう)




 クラーラの味方はイライザだけではない。


 さっそくその夜、フリッツへ手紙を書いた。




 ◇◆◇◆




 同じ頃、キースリング国では――。




「クラーラからの手紙が途絶えた」




 掃き出し窓からバルコニーへ出て、エアハルトは青空へ続く水平線の向こうに眼をこらす。


 方角的には、その先にオルコット王国があるのだが、遠くて今は影も形も見えない。


 


「いつまでも帰らない俺に、クラーラが愛想をつかしたのならばいい。だが、そうでないとしたら……」




 エアハルトは、暗がりで橙色に輝いていたクラーラの瞳を思い出す。


 王家の星――クラーラはその体に流れる高貴な血を隠し、見習いシスターとして修道院に匿われていた。


 


「クラーラの性格上、別れの挨拶もなしに、俺を切り捨てるとは思えない。ということは、クラーラの身に異変が起きて、手紙が出せない現状にあるということだ」


 


 相変わらず、フリッツからの報告書も届かない。


 配達事業がどう転ぼうが、包み隠さず連絡を入れると約束していたのに。




「オルコット王国で、一体なにが起きている?」




 ぐっと、手すりを握る手に力がこもる。




「こんなところで、大人しくしている訳にはいかない。俺はクラーラを護ると決めたんだ」




 すうっと息を吸うと、エアハルトは海の向こうへ届けとばかりに吠えた。




「クラーラ! 愛している!」




 どこかで、カシャンと繊細な物が落ちて、壊れた音がした。


 エアハルトはそれに気づかず、クラーラへ思いの丈を叫ぶ。




「クラーラ! 必ず助けに行くから!」




 バルコニーの下を通っていた使用人たちが、驚いてエアハルトを見上げていた。




「もう一度、クラーラに愛を請いたい! 待っていてくれ!」




 吐き出してスッキリした顔つきになったエアハルトは、くるりと踵を返す。


 そしてあてがわれていた客室の扉を、思い切りよく開けた。




「ひっ!?」




 部屋の外には、警備の騎士が立っていたが、エアハルトはその横を堂々と通り抜ける。




「エアハルトさま、どちらへ……?」




 その騎士はヨゼフィーネの命令で、エアハルトが王城から出て行かないよう、監視する役目を任されていた。


 どんどん歩いていくエアハルトを止めようと手を伸ばしたが、それよりも早くエアハルトが走り出してしまう。




「話をつけに行ってくる!」




 辺境伯領で鍛えられたエアハルトの筋肉は、並大抵ではない。


 王城の現役の騎士だって、その脚力には追い付けなかった。


 


「お待ちください! 部屋にお戻りください!」


 


 縋る騎士を残し、エアハルトは廊下を全力で駆けた。




(ヨゼフィーネさまから申し込まれた婚約だったから、断りを入れるのもヨゼフィーネさまへするのが礼儀だと思っていたが、もう呑気にしてはいられない。この婚約に対して条件をつけた、国王陛下に直談判だ)




 これまでエアハルトは、何度も婚約の申し出を断ろうと試みた。


 そのたびに、ヨゼフィーネつきの侍女長から、話を遮られていた。


 一度、侍女長の隙をついて、二人きりの時に話を持ち出したが、急にヨゼフィーネが胸を押さえて苦しみだしてしまった。


 慌ててヨゼフィーネを寝台へつれていったが、その後、カンカンに怒った侍女長からしこたま叱られた。




「姫さまの体の負担になる話をしないでくださいと、言った意味が分からなかったんですか!?」




 それ以来、エアハルトはまんじりともせずに過ごしていた。


 なるべく騒動は起こさないよう振る舞っていたが、もう我慢の限界だ。


 エアハルトの心はクラーラを求めて止まない。




「城なんてのは、上に行くほど偉い人がいるものだ」




 疲れを知らないエアハルトは、翼のように広がる階段を見つけて駆け上がる。


 オペラグラスを投げ捨てたヨゼフィーネが、クラーラへの愛の告白を聞いて、怒り狂っているとも知らずに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る