18話 三者三様の思惑

「ヨゼフィーネはベルンシュタイン家の倅と、うまくやっておるか?」


「私はあれの世話係ではありません。父上が気になるようでしたら、あれの侍女長を呼んでください」




 キースリング国の頂点に立つ国王の質問を軽くあしらうのは、第一王子のシュテファンだ。


 ヨゼフィーネとは兄妹の関係にあたるが、顔形は似ても似つかない。


 頬骨や目尻には鋭さが目立ち、薄い唇は冷酷さを表す。


 いずれこの国を背負う者としての、厳格さがそこにはあった。




「ははっ、正直に教えてやればいいじゃないか、兄上。日がな一日、エアハルトが鍛錬している姿を覗き見しては、ニヤニヤ悦に入ってるってな」


 


 シュテファンより少し角が丸い第二王子のマルセルが、笑い声をあげた。


 しかしその手元では的確に書類をさばき、確実にシュテファンの右腕としての役を担っている。


 国王と二人の王子が集う執務室には、気の置けない会話が飛び交った。




「なんだ、まだ落とせていないのか。ベルンシュタイン家に婿入りしたローラントから、せっつくように『義弟を解放しろ』と催促が来ておるんじゃが、誰か宥めてくれんか? 儂は怖くて敵わんわい」


「父上があれの我がままを、丸呑みするからでしょう? これ以上、私の仕事を増やさないでください」




 シュテファンがわざとらしい溜め息をついた。


 気まずそうに肩をすくめた国王は、チラリとマルセルに流し目を送る。


 だが、マルセルからも首を横に振られた。




「なんじゃ、なんじゃ、頼りがいのない息子たちじゃのう。たった一人の娘を可愛がって、何が悪いんじゃい!」




 唇を突き出して拗ねる国王もまた、書類をさばく速さは目を見張るものがある。




「国王陛下として父上を尊敬していますが、あれに対する教育だけは、見直したほうがいいと諫言します」


「甘やかしすぎだよなあ。軟禁されてるエアハルトが、籠の中の鳥みたいで可哀そうだぜ」




 マルセルの口から呆れたように、先日は庭園でおままごとみたいなお茶会をしていた、と報告される。




「よく見ているじゃないか。そんなにマルセルはあれに関心があったのか?」


「勘違いしないでくれよ、兄上。ヨゼフィーネのやつ、裏で変なことをしているみたいなんだ。何かは分からないが……」


「……すべて父上に処理してもらいますからね。あれを野放しにするなんて、どうかしている」




 チッと舌打ちをして、シュテファンは決裁の印をバンと叩きつけるように押した。




「高潔さの欠片もないあれを、まともな男が好きになるとは思えません。外見か身分か、そのどちらかを餌に嫁がせようとしていたのに――」




 成人のお披露目の日、ヨゼフィーネをこれでもかと着飾らせたシュテファンの腹積もりは、あえなく瓦解した。


 エアハルトに夢中になったヨゼフィーネが、多少は難があっても受け入れるという、シュテファンに都合のいい申し出を勝手に蹴ってしまったのだ。


 


「ベルンシュタイン辺境伯家のエアハルトは、私の眼から見ても、真っすぐで立派な男です。あれが陥落させるのは難しいでしょう」




 シュテファンは断言するが、娘が可愛い国王は情けをかける。




「きっかけがあれば、男女の仲など、どう転ぶか分からんじゃろう?」




 ヨゼフィーネのためにパーティのひとつも開催してやるかのう、などと宣う国王へマルセルが白い目を向ける。




「父上の私財でやってくれよ。ヨゼフィーネはすでに、今年度の予算を使い切ってるからな。パーティとなれば、ドレスだの靴だの、また新しく仕立てるってうるさいぞ」


「あれが臣下へ嫁げば、王族並みに金は使えないのだということを、父上は早く学ばせるべきですよ」


 


 王子たちの厳しい忠告を余所に、ウキウキと国王は予定表を確認する。


 


「無理に嫁がせんでも、いいじゃないか。可愛いヨゼフィーネがいつまでも王城におっても、儂は全然かまわんがなあ」


「私が国王になったら、即刻追い出しますからね。……それよりも若いうちに、望まれて嫁ぐのがあれにとっては幸せだと思いますよ」




 うんざりした声でシュテファンが国王へ宣告する。


 まだヨゼフィーネが、権力を使ってエアハルトの手紙を奪っているとは、誰も気づいていなかった。




 ◇◆◇◆




 クラーラが気を失った日から数日が経った。


 起きてすぐは、さすがに事態の大きさに頭が痛かったが、それも次第に自分の中で昇華していった。


 クラーラがここで立ち止まり、思い悩んだところで何も解決はしない。


 物事をいい方へ進めたいのならば、一歩を踏み出すしかないのだ。


 今はそう考えて、前向きに行動しようと決めた。


 


 その日から、ベンジャミンが用意してくれた愛らしい部屋で、クラーラは寝起きをしている。


 そして多くの侍女が、かいがいしくクラーラの世話を焼くのだが、まだそれには慣れない。




「クラーラさま、本日のお召し物は、どれにいたしましょう?」




 色とりどりのドレスを持ってこられて、クラーラは頭を悩ませる。


 これまでは、どんなときも修道服を着ていればよかった。


 初めてエアハルトとデートに出かけるときに、困ったのを思い出す。


 


「私にはよく分からないので、選んでくれますか?」




 クラーラが頼むと、侍女たちは喜んで今日の予定と合わせたコーディネイトを提案してくれる。


 とても助かっているが、いつまでもこれでは駄目だとクラーラは思っていた。




(王族として扱われるのならば、王族としての振る舞いを覚えなくては。お兄さまにお願いして、学習の機会を設けてもらえないかしら)




 その日の晩餐で、クラーラは思い切って胸の内を明かした。


 テーブルについているのは、ベンジャミンとファミー、そして二人の息子であるオーウェンだ。


 ファミーによく似たオーウェンだが、瞳の色は青く、夜になれば虹彩に橙色の星が輝くのだろう。




「必要な立ち居振る舞いを、学ばせて欲しいのです」


「まだクラーラは、王城に来たばかりじゃないか。そういうのは、もっと慣れてからでもいいんだよ?」


 


 過保護なベンジャミンが心配する。


 


「私の王族としての暮らしは、10歳で止まっています。7歳のオーウェンと一緒に習うくらいで、ちょうどいいかもしれません」




 スプーンを口に入れた状態で、きょとんとしたオーウェンがこちらを向く。


 クラーラに名前を呼ばれたのがなぜなのか、分かっていない顔だ。




「オーウェン並みというのは謙遜しすぎよ。さすがドリス院長のもとで育っただけあって、クラーラさんの所作は美しいわ。ただ……知識はあっても損はしないし、いざというときの自信にもなるわね」




 ファミーはクラーラに理解を示す。


 もしかしたらファミーには、クラーラが毎日の服装選びにも難儀しているのが、伝わっているのかもしれない。


 


「私は王族として未熟です。恥ずかしくないだけの礼儀や作法を、身につけたいのです」


「クラーラはなんて殊勝なんだろう! 僕は感動したよ!」




 うるうると瞳を潤ませるベンジャミンに、クラーラはおずおずと申し出る。




「あの……もうひとつだけ、お願いがあるんです。王城に来て早々、こんなことを頼むのは筋違いかもしれませんが……」


「なんだって頼んでいいよ! クラーラのためなら、お兄さまはどんなことでも叶えて――」


「ちなみに、どういった類のお願いなのかしら?」




 ベンジャミンが安請け合いをしてしまう前に、ファミーがその口を塞いだ。


 ファミーはしっかりとベンジャミンの手綱を握っているようだ。


 


「キースリング国へ、私的な手紙を出したいのです」


「そんなこと? お願いするまでもないような……」




 疑問符を飛ばすファミーへ、これまで何度出しても、返事がこなかった経緯を説明する。


 


「一時的にキースリング国へ帰国された方との連絡が、長いこと途絶えてしまって……私だけでなく、オルコット王国に残ったご友人も心配しています。何が原因なのかは分かりませんが、王族として出した手紙ならば途中で紛失したりせずに、相手まで届くのではないかと思うんです」


「ふむ、クラーラの手紙だけでなく、友人の出す手紙も届いていないのか」


「こちらの手紙が届いていないのか、あちらからの手紙が届かないのか……それも分からないのですが」


「キースリング国はうちと違って、配達業が発展していたはずだが?」




 おかしいな、とベンジャミンも不思議がる。




「その方の力添えで、オルコット王国でも城下町に限って、配達業が始まりました。身をやつしていた多くの失業者を雇用しているのです。将来は、成人した孤児たちの就職先にもなるでしょう」


「そう言えば、聞いたことがあるぞ。うら若き青年実業家の目覚ましい活躍を」


「私にとっても、大切な方なのです。せめて息災かどうかだけでも、知りたくて……」




 ベンジャミンの視線がクラーラにまじまじと注がれる。


 わずかにクラーラの頬が赤らんだのを、ファミーも見逃さない。




「クラーラさんとその青年実業家には、どういった繋がりがあるのかしら?」




 興味を隠せない夫婦の質問攻めに、クラーラは洗いざらいしゃべらされてしまうのだった。

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