16話 明かされる真相

「待っていたよ、クラーラ。さあ、お兄さまのもとへおいで」




 王城に着くなり、満面の笑顔で兄ベンジャミンに出迎えられたクラーラは、その広げられた両腕が何を意味するのか分からず戸惑う。


 ただベンジャミンの金色の髪と青い瞳は、亡くなった父を彷彿とさせ、クラーラは胸が熱くなった。


 立ち尽くして動けないクラーラを救ったのは、ベンジャミンの隣にいた王妃ファミーだった。




「ベン、いきなりそれはないわ。10年以上も離れて暮らしていたのだし、クラーラさんはもう少女ではないのよ」


「しかし、久しぶりの再会だ。この溢れる喜びを押さえられないよ」


 


 ベンジャミンは、クラーラが飛び込んでこなかった両腕を、自分に巻きつけて悶えている。


 どうやら歓迎されているのだけは、クラーラにも伝わった。


 


「クラーラさん、立ち話も何ですから一緒にお茶でも飲みましょう。そこですべての疑問に、お答えするわ」




 ファミーに奥へと案内されて、クラーラはそれについて行く。


 実はファミーとは、ほぼ初対面と言ってもいい。


 クラーラがベンジャミンと疎遠になっている間に、かなり年下の公爵令嬢と婚約が決まったとは聞いていた。




(お兄さまと、8つ年が離れているはず。ということは今、ファミーさまは30歳だわ。とても優美で気品があって、素敵な方……まるで院長先生みたい)


 


 改めて見てみると、ファミーが普通の高貴な女性とは異なっているのが分かる。


 ベンジャミンに並び立つ長身のファミーは、オルコット王国の女性ならば下ろしているはずの、美しい栗色の髪を結いあげていた。


 


「気になるかしら? 大した理由はないのよ。執務をするのに、いちいち落ちてきて邪魔だったから」




 クラーラの目線を辿って、気がついたファミーが先回りして教えてくれた。


 


「執務の最中だったのですか? それはお手数をおかけして、申し訳ありませんでした」




 クラーラの出迎えのために、中断させてしまったようだ。


 詫びるのにクラーラが頭を下げると、さらりと頬に銀髪がかかる。




「クラーラさんみたいに短ければ、そこまで邪魔にはならないのね。私も長い髪を切ってしまおうかしら」


「え……?」




 ファミーの発言に驚いているクラーラを余所に、笑顔のベンジャミンが賛成する。




「いいね、短い髪もファミーには似合うと思うよ。クラーラもとても可愛いからね!」




 クラーラが離れている間に、王城での常識が変わってしまったのだろうか。


 目を白黒させていると、どうやら私室らしい部屋へ辿り着いた。


 


「応接室だと完全に人払いができないから、ここで話そうか。クラーラは僕の膝の上に座ってもいいんだよ」


「ベン、だからそれは駄目だと言ったでしょう」




 ベンジャミンはファミーに引きずられて、二人掛けのソファへと誘導された。


 クラーラは、その対面に設置されたソファを選んで座る。




「ここは、もしかして国王夫妻の部屋ですか?」




 ぐるりと見渡す限り、調度品のグレードが他とは違う。


 だが、設置してあるのは、必要最小限のようだ。


 すっきりして過ごしやすそうな佇まいに、クラーラは緊張が解けていく。




「僕とファミーが、心から寛げる空間というのは少なくてね。ここはその内のひとつなんだ」


「私たちがいる間は、使用人が入って来られないようになっているの」




 ファミーはクラーラの前に、ティーカップの乗ったソーサーを差し出す。


 お茶を淹れ慣れている仕種から察するに、日頃からしているのだろう。


 クラーラはありがたく受け取り、乾いていた喉を潤した。


 温かいお茶が体に染みわたると、心もホッとする。


 クラーラがひと息をついた時点で、ベンジャミンが話を始めた。




「いきなり修道院に迎えの馬車が来て、驚いただろう? ……長い話になるが、これまであったことをクラーラに聞いてもらいたい」




 クラーラは神妙に頷く。


 王城から長く離れていたから、クラーラには情報がない。


 ベンジャミンの説明はありがたかった。




「最も疑問に思っているだろうことに、まずは答えよう。どうしてクラーラが今、王城へいるのか。それは……僕の母である王太后ダイアナが、逝去したからだ。もう、クラーラは怯えなくていい」


「っ……!」


「この事は、まだ隠されている。それにも理由があって……」




 ベンジャミンが俯いた。


 その肩に、ファミーがそっと手を置く。


 ファミーに励まされるように、ベンジャミンは続きを語り始めた。


 


「母が死んだことで、明るみに出た真実がいくつかある。その内のひとつが、側妃コリーンの毒殺への関与だった。クラーラの母を殺すよう命じたのは……僕の母だった。本当に申し訳ない」




 深く頭を下げるベンジャミンの隣で、ファミーも頭を下げていた。


 クラーラの中では、事の真相について、やっぱりという気持ちしかない。


 それと共に、ベンジャミンやファミーに謝ってもらうのも違うと感じた。


 


「どうぞ頭を上げてください。おふたりが手を下した訳ではないのですから」


「しかし、今の今まで母を野放しにしてしまった。その罪は重いと思っている」


「もっと私たちに力があれば、お義母さまを矯正できたかもしれない。生きている内に、クラーラさんへ謝罪させることだって……」


 


 ダイアナの派閥は巨大だった。


 現国王陛下と王妃を凌ぐほどの力、それがクラーラの命を虎視眈々と狙い続けていたのだ。


 改めて、護り通してくれた院長のドリスに、感謝の念が湧く。


 頭を上げたベンジャミンが、懺悔を続ける。




「側妃コリーンの葬儀の日、クラーラが目を赤くして泣いていたのを覚えている。僕は、もうクラーラには近づかないと決めていたのに、駆け寄って抱き締めてあげたかった」


「お兄さま……」


「それなのに、その悲しみをもたらしたのが、僕の母だったなんて……」




 両手で顔を覆ったベンジャミンの声が震える。




「クラーラが生まれたとき、父上に言われたんだ。『これからお前は、兄になるのだぞ』って。僕はそれまで一人っ子だったから、初めてできた妹のクラーラが可愛くて可愛くて……ずっと大切にしたかった」




 傷つけてしまった後悔が、ベンジャミンを襲っているのだろう。


 


「母が側妃コリーンの髪を切り裂いた日から、クラーラとは疎遠になったけど……僕はクラーラが好きなままだったよ。だから、急に離宮からいなくなってしまって、本当に驚いた」


「お父さまは、お兄さまにも私のことを内緒にしていたんですか?」


「父上は死ぬ間際まで、クラーラについて一言も話さなかった。倒れてから息を引き取るまでに、かろうじて僕に『クラーラの肖像画を……』という言葉を残しただけだよ」


「私の肖像画?」




 描かれた覚えのないクラーラは、首を傾げる。




「クラーラは覚えていないだろうけど、幼少期に描いてもらったんだよ。はしゃぐクラーラをじっとさせるのが難しくて、側妃コリーンと一緒になって、僕は犬の縫いぐるみを使って君を宥めた」


「犬の縫いぐるみ……」




 クラーラの記憶の底に、ぼんやりと浮かぶものがある。


 真っ黒な毛と真っ黒な瞳、赤い首輪をした犬の縫いぐるみ――それは王城を抜け出した夜に、連れてくることができなかった宝物だった。


 


「お母さまに初めて買ってもらった、あの縫いぐるみですね。……今もどこかに、あるのでしょうか?」


「それが……クラーラが出て行ってすぐに、離宮は燃えてしまったんだ。母の仕業だと思う。側妃コリーンに関するすべてを、この世から排除しようという、並々ならぬ執念がそうさせたんだろう」


「あの大きな離宮が、燃えてしまったんですか?」




 クラーラは思わず、口元を押さえる。


 遠い国から嫁いでくる姫のために、心尽くして建てられた美しい離宮だった。


 


「僕はクラーラの肖像画も、その時に燃えたと思っていた。だが、父上の言葉を聞いて、どこかにあるのだと考え直した。きっとクラーラを見つけるヒントが隠されているのだと信じて、父上の国葬が終わってから僕はあちこちを探したよ」


「でもそこへ、お義母さまの横やりが入ったの。ベンがクラーラさんを先に探し出して、保護してしまわないように、最悪の手段を使われてしまったわ」




 国王が崩御してベンジャミンが戴冠するまでに、短い間だがダイアナが執権を握った。


 その折に、ダイアナが何をしたのかと言えば――。


 


「もしかして、民に課せられたあの重税は……?」


「国の経済を混迷させ、僕の手がそちらに掛かり切りになるように仕向けられた。何を犠牲にしても構わないぐらい、側妃コリーンへの母の怨恨はすさまじかったんだ」


「私もベンの補佐に入らざるを得ないほど、収拾のつかない事態に発展したわ。そのせいで、クラーラさんの肖像画を探すのが遅れてしまって……」




 とんでもない話を聞いて、クラーラは青ざめた。


 城下町に失業者があふれた原因が、まさか自分に関係していたなんて。


 クラーラは院長のドリスが奔走していた姿を思い出す。




(私のせいだった――孤児院の子どもたちが、親と離れ離れになったのも)




 クラーラの指が震えるのに合わせて、持っていたカップとソーサーがカチャカチャと音を立てた。


 慌ててそれらをテーブルに戻し、クラーラは指をぎゅっと握りしめる。


 それでもまだ、戦慄は止まなかった。

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