第16話 汚れる時は一緒

 明日乃の姿をした明日乃。


 紛れもない彼女がいる病室で、俺は膝枕をしてあげながら、明日乃の頭を撫でてあげていた。


 もう、何が現実で、何が幻なのか、嘘も真実も明らかにしたくない、壊れたような気持ちをギリギリのところで繋ぎ止めている状態だ。


 どうして明日乃の頭を撫でられているのかもよくわからない。


 でも、そんな中で彼女は確かに俺へ言った。


「一人で死のうとしてた。トラックに轢かれた時、死ぬことができなかったから」


 と。


 消え入りそうなほど弱り切った声音で。


「………………え?」


 ドク、と心臓が気を吹き返したかのように大きく跳ねる。


 聞き返さずにはいられなかった。


 どういうことなのか。


 何を言ってるのか。


「ど……どういう……こと? 明日乃……それは……?」


 声をなんとか絞り出してみるが、それは明日乃以上に弱々しいもので、震え切っていた。


 体もわかりやすく震えている。


「私にとって……一番大切なのは結賀。それは……絶対に変わらないことなの……」


「っ……」


「小さい時から……そう。いつだって……結賀は頼りになって……私を引っ張ってくれて……そんなあなたの傍に……ずっと……ずっといたいと思ってた……」


「あ……明日乃……」


「だから……紅葉の後だとしても……恋人になれた時は……涙が出るほど嬉しかったんだ……。私……がさつで……男っぽいところあるし……女の子として認識されてないんだろうなって……思ってたから……」


「そ、そんなこと……」


「うん……。それを……結賀は証明……してくれた。私と付き合うことで」


 明日乃のことを男のように思ったことなんて一度もない。


 俺にとっては一番古くから仲の良かった幼馴染の女の子で、いつも励ましてくれた大切な人だ。


「私ね……結賀とだけしたかった。……そういうこと」


「っ……!」


「好きな人とだけ……好きだよって想いを伝え合う……。それだけでよかったの…………・それが……よかったの……」


 ……だけど。


 ……だけど……ね?


 明日乃の声が途切れ途切れに鼓膜へ伝わる。


 それは深い悲しみを帯びたもので、徐々に嗚咽交じりのものになっていく。


 ベッドの上。白いシーツに、ぽたぽたと彼女の涙が落ちて行き、シミを作り出していた。


「わたし……むりやり……やられた………………あきらに……」


「……は?」


「よる……そとによびだされて……なんにんかのひとにおさえつけられて……あきらが……あきらがぁ……!」


 止まらない震えと訴え。それから涙。


 明日乃は、自分の瞳から流れるそれを俺のズボンの上に落とすまいと、何度何度も拭う。


 それでも、そんなことは無意味だった。


 既に俺のズボンは彼女の涙に濡れ、ズタズタにされた俺の心も、徐々に鋭利なものへ変わっていく。


 疑いなどしなかった。


 明日乃がここに来て保身のために嘘をついているなんてこと。


 そんなこと、そもそも明日乃はするような性格じゃない。


 誰かを裏切るなんてことも、絶対にしない子だった。


 それなのに、俺は……。


「……明日乃……」


「結賀……! 結賀ぁ……!」


 ブルブルと震える彼女の体を起こして上げ、優しく抱き締める。


「こわい……こわいよぉ……! わたし……わたし……! やだ……! やだぁ……!」


 きっとこの震えは、明日乃に植え付けられた数多もの恐怖によって起こってる。


 大勢の男に取り押さえられて、そこで晶にやられた。


 怖かったに決まってる。


 いくら明日乃が強くたって、そんなものは彼女の表面だけだ。


「しないで……わたしを……ひとりに……しないで……おねがい……」


 心の臓を貫きかねないその行為は、計り知れないダメージをその人に与える。






 ……許せない。






 絶対に……。






 絶対に。






「……明日乃。ごめん。一つだけ言っとく」


「………………?」


「大丈夫だから。明日乃を一人にはしないよ」


「…………ほん……と……?」


 俺は頷いた。


 涙に濡れる彼女を慰めるように、笑顔を浮かべて。


「どんな姿になっても、俺は明日乃を大切に想い続ける。そこに嘘偽りはない」


「…………結賀…………」


「だって、明日乃は昔と変わらないままだもんな。俺を大切に想い続けてくれる」


 そう。


 何があっても揺らがない。


 それが式凪明日乃だから。


「だからさ、安心していい。安心して、ゆっくり眠っててくれ」


「結賀……?」


「俺は、ちょっと野暮用で出掛けてくる。すぐ戻るよ」


「ほんと……!? 私、結賀がいないと――」


「ほんと」


 ほんとだ。ほんとに決まってるよ、明日乃。


「汚れてくるだけだから」


 俺は、変わらず笑顔のまま言うのだった。


 戻ったら、また一緒に二人で過ごそう。


 平穏に。


 誰にも邪魔されないよう、ゆっくりと。


 そのためにはしないといけないことがある。


 しないといけないことが。

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