祝福の前夜祭

 eisという未知の病が世界中に蔓延し始め2年という月日が流れた。

 世界は緩やかに終焉へと向かっていた。

 まず、この感染症は特異遺伝的な病であり確認されうる人類の全てが感染していることがわかった。 というのも、この病による主な症状は二つあり、

一つ目は際限ない怠惰と不安に襲われ続けるというもの。前時代の言葉を借りるのであればまさに『ダメ人間』という言葉が適切であろう。

 これは比喩などでは一切なく本当にダメになってしまうのだ。

 

朝が起きれない、ご飯を食べるのも気だるい、欲もない、嫌悪感と不安が只々溢れてくる……。

 

 もちろん個体差があり、多少の責任感や自発性を持つものも多くいるがこの人間社会が緩やかに終焉に向かっているのは間違いないだろう。

 そして二つ目、それは『自殺に抑制』死ぬことが今以上の苦しみになると思い込まされている、これは全感染症者共通である。

 一見すると大したものに見えないがこの二つを組み合わせることにより自殺に抑制が真価を発揮する。

 まず、際限ない怠惰と不安に襲われてしまえばまともな生活がおくれなくなることは言うまでもないだろう。

 なにせ前時代での彼らは『要介護』対象であったからだ、しかし今の現状を見るとその介護者ですら『要介護』対象である。

 つまり、生活ができない状態であれば行き着く先は『死』しかない。

 そして、前まで几帳面な人間だった、丁寧な人間だった。そんな人間が今のこんな『ダメ人間』になっていることでそのギャップが自身のプライドに耐えられず死にたいと考えるようになってしまう。

しかし、死ねない、死ぬことだけは許されないと体が、心が否定している。

 だからこそ、目立った死傷者が出てはいないものの世界で回っていた歯車の9割はパージされてしまっていた。

 死にたい、死ねないその繰り返しが私たちの生になってしまっていた。


そして今日、この世界に異端が生まれた。それは新興宗教『獅子舞』

 昔、神社などでは獅子舞という生物がいてそいつに噛まれると疫病や飢饉から解放される。すなわち『幸福』になるになるのだ。

 そしてこの宗教の信者は獅子舞の被り物を着た何かに噛み殺される、というものだ。意味がわからないだろう、私も一切意味がわからない。

 でも、なぜかみんながあいつに噛まれたがっているんだ……。


 幸せになれるとかみんな言うんだ、噛み殺されることが幸せ、そんなわけないっ……。


 だから、私が示すんだ、生きていることが、生きていることこそが幸せだってことを。


これは、唯一の非感染者である『悠木 千尋』の叛逆の物語である。


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