二羽 有毅

 有毅が神隠しにあったのは、七歳になったばかりの秋だった。

 隼を交えた三人でこの月乃浦神社の境内で遊んでいる最中に、飛ばしてしまった靴を拾いに森の藪へ入って、そのまま消えてしまった。

 始めは、すぐに見つかるだろうと思った。けれど隼と二人で手分けして探しても見つからず、仕方なく親たちにも手伝ってもらった。しかし親たちも見つけることができず、やがて警察による捜索がされる事件にまで発展したが、有毅の行方はようとして知れなかった。行方をくらませた神社と結びつけて、神隠しに違いないと誰かが言っていた。神様に気に入られて連れ去られてしまったのだと。


 唐突に半身をむしりとられてしまったような日々を、有理沙は今でもまざまざと思い出すことができる。離れることなど考えたこともなかった片割れの喪失に、有理沙は正気ではいられなかった。

 夜は赤ん坊のように泣き通し、昼間も寝不足で思考がぼんやりしたまま気づけば泣いていた。隼は毎日の登下校時に顔を見せにきたが、有理沙は彼が持ってきてくれたプリントを積み上げるばかりで、会話もままなっていなかった気がする。

 今にして思えば、有毅の失踪でただでさえ憔悴していた両親に、さらなる心配と負担をかけてしまっていたことだろう。失踪現場となってしまった隼の家もさぞ大変だったに違いない。けれどあの時の有理沙は、自身の中の不安や恐怖と戦うのに精いっぱいで、周りに目をやる余裕などなかった。


 有理沙たち家族がそんな日々を過ごしていた中だった。ついに捜索が打ち切られてしまい、絶望に打ちひしがれた翌日――有毅が帰ってきた。

 有理沙は、有毅が帰ってきたことを真っ先に母に報告した。母は、もう有毅はいないのだと怒り、初めて有理沙に手を上げた。そして、泣き崩れた。有理沙の隣に、有毅がいるというのに。

 母のヒステリーを見て、有理沙は有毅の話をしてはいけないのだと、幼いながらに悟った。以来、有毅の存在は有理沙だけの秘密になった。


 有毅が高校の制服を着ているのは、有理沙と通学するのが楽しいから、というのが本人の言い分だ。生徒でもないし、他の人には見えないのだからわざわざ制服である必要はないと有理沙は思うのだが、妙なこだわりを持っているようなのだった。


「有理沙、帰らないの?」


 鼻の奥で土の匂いを感じながら藪を泳ぎ回る有理沙を、有毅は不思議そうに眺めて言った。


「帰るところだったの。なのに隼にボールをぶつけられて、ほんと最悪」


 有理沙は会話に応じつつも、クマザサの根元近くまで顔をうずめて、どこかにボールが見えないかと目を凝らした。


「早く帰った方がいい」


 降ってきた声が硬質さを帯びた気がして、有理沙は不審に思って体を起こした。有毅は相変わらず、かたわらで直立したまま有理沙を見ていた。


「有理沙は、早く帰った方がいい」


 有毅が繰り返すので、有理沙は怪訝に眉をひそめた。


「もちろん帰るよ。ボールを見つけたらすぐに帰る。そうやって言うなら、探すの手伝ってよ」


 有理沙が再びクマザサに身を沈めてボール捜索を開始すると、有毅が小さくため息をつくのが聞こえた。手を貸す気がないらしいことが分かり、ついむっとする。ボールを見つけるまで絶対に帰るものかと、少々意地になって有理沙は捜索を続けた。


「気をつけて、有理沙。近くまできてる」

「はあ?」


 急に有毅が固い声で言う。わけが分からず、有理沙は今度は顔だけを上げたが、有毅はこちらを見ていなかった。

 遠くをにらむような眼差しに誘われ、有理沙は身をひねって彼の視線の先を見やった。

 今いる場所よりなお暗い、鎮守の森の奥。クマザサの藪が途切れた先は、幹をうねらせるシイの木が互い違いに立ち並んでいた。その奥には翡翠色の屏風を広げたように竹林が茂り、静謐な陽光にその身を透かして、木々の輪郭を照らし出している。やはりここは神域なのだと思い出させるその光景は、しかし有理沙にとっては見慣れたものだった。


「なにもないじゃない。一体なにがいたの?」


 苦情を添えながら有理沙は視線を戻した。けれどそこに有毅の姿はなく、白い縁どりのあるクマザサの葉が揺れているだけだった。


「もう、勝手なんだから」


 現れた時と同じに、葉擦れの音ひとつさせず消えてしまった。本人の意思だけで自在に現れたり消えたりできるのだから、ずいぶんと都合いい体質になったものである。消えたといっても、近くにはいるのだろうが。

 不満を腹に溜めつつも、有理沙は気をとり直して藪に体を沈めた。

 もう一度身を低くして、改めて目を凝らす。注意深く視線を巡らせ、影の中に無数の筋を描くクマザサの茎の隙間にようやく、白い球を見つけた。


「あった!」


 うっかり見失わないよう身を屈めたまま、有理沙は一目散に藪を駆けた。クマザサの葉を振り払うように薙ぐと、独特の青臭さが顔を打つ。しなる枝葉をよけながら突き進めば、ボールに手の届く距離まではあっという間だった。

 ボールを拾い上げようと、有理沙は両手を伸ばして最後の茎を掻き分け――真っ黒なつぶらな瞳と目が合った。

 それは、三角形の口元から生える髭と、真っ直ぐ伸びる長い耳をそよがせ、丸い尻にぽっちりとだけついた小さな尾を震わせていた。そして、黒い毛並みの両前脚で、サッカーボールを重そうに抱えていた。


「……ウサギ?」

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