第十話 魔工少女と癒しの幼女
そうだ、魔道具ならマンレオタにはロダ・バクミンという凄腕の魔工技師が居るじゃない。工房は館のすぐ側、タークの格納庫の裏。話が聞けるかな。
カーサ母様におねだりすると、しばらく考えて
「いいわ、連れて行ってあげる。邪魔にならないようにね」おー、快諾。
「はーい」良い子のお返事をする。
「えー、シャニ、居なくなっちゃうの?」側に居たイッティ姉様が頬を膨らませる。
「うーん、母様、イッティ姉様も一緒じゃダメ?」
ちょっとかわいそうになったので、追加のおねだり。
「そうね、クリル、付いてきてくれる?ニキはロコを見ていて」
「はい、奥様」二人の侍女が声を揃える。
それから
大通りの交差点を右に曲がってしばらく行くと、大きな建物が建ち並ぶ。高さは三階建てくらいあるかな。屋敷やタークの格納庫と違って屋根は樹木の皮葺き。工房と言うより、大きな工場と言った方が良い。窓は壁の上の方にずらりと並んでるけど、下の方は窓がない。中からカンカンと槌音が響いてくる。やっぱり工場だよ。
端の方の小さな扉から入ると、そこは事務室みたいだった。中央に大きな机。壁際の棚には丸めた書類(多分、図面)がずらりと積み上げてある。
一人が
「これはカーサイレ奥様、今日は何用で?」
「娘がロダ師匠に話を聞きたいらしくてね」
「えーっと、親方は今、手が離せなくて、申し訳ないですが……」
ちょっと微妙な間が開いた。
「良かったら、あたしが相手しようか?」後から少女の声が聞こえた。
振り返ると、女の子がにこにこしてあたし達を見てる。見た目小学生くらい。ミトラ兄様と同じか少し上に見える。赤茶の髪を両サイドに結び、前髪を目の上ぎりぎりまで垂らしてる。着ている物は袖無しのシャツに紐で吊ったズボン。この格好は初めて見る。
「あたしはニニ・バクミン。お爺さまの後継者よ。何でも聴いて」ちょっと胸を反らす。
「ほんと?あたしの事はシャニって呼んで。タークの術式の刻印が見たいの」
ニニがえーっ、と言うような顔をしてカーサ母様を見上げる。まあ、無理ないか。四才の幼女の言う事じゃないもんね。
「この子は大丈夫よ、ニニちゃん」カーサ母様が言ってくれる。
「ふうん?じゃ、これが何か分かる?」ニニが棚から一枚の用紙を取って
書庫にあった本に載ってた術式に似てる。なんかアレンジが入ってるみたい。
「えーっと、光魔法の術式かな。ランプか何かに使うやつ?」
「へえ、ほんとに分かるんだ。じゃこれは?」別の一枚を見せる。
これも見覚えがある。でも、何か組み合わせてるな。
「風魔法だと思う。方向を揃える術式も入ってるかな。何に使うかは分からないわ」
「やるじゃん!これは作業の後、隙間のゴミを吹き飛ばすのに使ってるんだ。あたしが考えたんだよ!」
それからニニはイッティ姉様の方をじっと見つめる。
「ほえ?」イッティ姉様はぽかんと見つめ返す。
「ほら、イッティ、ちゃんとご挨拶して」カーサ母様が促す。
「あ、あたしイッティ。よろしくね」そしてふわっと笑う。可愛いぞ、この天然め。
「この子もそうなのか?」ニニがあたしに聞く。
「いや、イッティ姉様は付いてきただけ」
「そうだよな。あんたみたいのがゴロゴロ居ちゃたまんないよ」ニニがぶるぶる頭を振る。
カーサ母様はうっすら微笑みを浮かべ、
ニニが勢いよく事務所の扉を開くと、広大な空間に作りかけのタークが架台に乗って、ずらりと並んでいるのが目に入った。大勢の作業員が忙しそうに架台の周りや上下で動き回ってる。天井からのチェーンがいくつもの機材をぶら下げて移動する。喧噪が辺りに響き渡る。何て活気!
ニニがどうだ、と言う風に平たい胸を張る。
「タークの刻印が見たいと言ってたね。ちょうど良いのがあるよ」
ニニが
彼女が架台のひとつに飛び乗る。そこには半分ほど組み上がったタークが乗っかてる。ニニは
すぐ目に入ったのは、床から側壁一面に施された魔法術式。
もの凄く複雑で精緻な幾何学模様が、びっしりと織りなすように刻まれている。圧倒的で美しい。
「どうよ。凄いだろ?」ニニがにたっと笑う。
「……こんなの、初めて。見た事無い術式がいっぱい」ため息しか出ないよ。
「そりゃそうさ、これは『引っ張りの術式』。あたしの曾爺様が初めて作ったんだ」
「『引っ張りの術式』?」
「うん。物は地面に向かって落ちるだろ?曾爺様は地面が物を引っ張る力を持ってるって考えたんだ。この術式はその力に介入するんだ」
それって万有引力でしょ?じゃあ、重力魔法って事か。ニニの曾祖父は万有引力に気づき、それを操作する術式を編み出したんだ。異世界のニュートン+エジソンってとこね。
「……凄い……」
「あっ!触っちゃダメ!それ腐食液だから危ないよ」
「腐食液?」
「魔晶石に術式を刻むのに使うんだ。これは爺様が考え出したんだよ。針でけがいていくより正確で早く刻める。この方法はマンレオタでしか使ってないんだ」
酸で腐食するというのは、魔晶石って金属なのかな。
「タークの筐体は魔鉱石を精錬した物で、その内側に魔晶石を貼り付けてるんだ。術式の刻印が終わったら、この上から金属板で覆う。むき出しだと、刻印がすり減ったり傷ついたりするからね」
「この術式は魔力ゲートかな?」
「お、よく分かるね。操縦バーに流された魔力に応じて、筐体に溜まった魔素を活性化して、引っ張る力に干渉するんだ」
そんなふうに、
突然、ドーンという大きな音と共に、床が揺れた。
土煙が上がってる。作業員達が口々に喚きながら、その方向へ駆け集まってくる。
「チェーンが切れたのか。やばいな」ニニが舌打ちする。
大きな塊が変な角度で土に埋まり、周りに破片が散らばっている。
二人ほどが横たわってもがいている。血だ。
「誰かイワーニャを呼んできなさい」カーサ母様が鋭く指示を出す。
一人はそれほど大きな怪我は無いが、もう一人が重傷みたいだ。苦痛でうめき声を漏らす。
イッティ姉様がとことこっとその男の側へ寄る。余りに自然で、止める暇も無かった。
「おじさん、痛いの?」首を傾げてそんな事を言う。決まってるでしょ?
男は顔をしかめて、またうめく。骨が折れてるのかな。
「じゃあ、痛くないお呪いしてあげる。『痛いの痛いの飛んでけ!』」
イッティが傷口に手を掲げてさっと振り上げる。
これは何だ?多分誰にも見えてない。
男の表情が和らぐ。ぐったりと体を緩めて目を閉じ、床に横たわる。
「あはは、痛いの飛んでったね?」イッティ姉様が無邪気に笑う。
でも、
あんなふざけた詠唱なんて無いわよ。それともあれはただの言葉で、無詠唱魔法?
イッティ姉様が?
そうだとすると、本当の天才はイッティ姉様で、
そしてニニ。彼女も天才だ。あの年で術式を理解し、刻印が出来て、自分なりの術式も編み出してる。二人には勝てる気がしない。
呼ばれていたイワーニャ母様が駆けつけてきた。
そこで何かおかしな雰囲気に途惑う。その中心に居るイッティ姉様。
「まさか……イッティに何か?」顔色が変わるイワーニャ母様。
「いえ……イッティお嬢様に治癒して頂いて……その、驚きました。このお年で」
「はあ?」イワーニャ母様、完全に固まる。
「イッティ、痛いの痛いの飛んでけしたの。そしたら飛んでったの」
イッティ姉様、天使の微笑みでイワーニャ母様を見つめる。
あれ、褒めて、褒めてって目線よね?
「イッティ、それ、この人だけにしたの?」イワーニャ母様の声が低い。
「あ……こっちの人忘れてた。ごめんね」姉様、しまったって顔。
それからもう一人のけが人に手をかざす。
「痛いの痛いの、飛んでけ-」
イワーニャ母様が目を見開いてイッティ姉様を見つめる。
「飛んでったね?母様」にこっと笑ってイワーニャ母様を振り返る。
くっそー、可愛いな、もう。この天然め!
イワーニャ母様がふわりとイッティ姉様を包み込む。
「ええ、ええ、イッティ。素晴らしいわ」
「あは。あはははははは」イッティ姉様の笑顔がくしゃりと崩れた。
涙がぽろりと零れて、その後は止まらなかった。
イワーニャ母様にしがみついて、顔を埋めて。声を殺して。
イワーニャ母様はイッティ姉様の背中を何度も静かに優しく撫でる。
そっか。
イッティ姉様も認めて欲しかったんだ。母様に。
いつもふわふわして何を思ってるのか分からないイッティ姉様。
心底思っている事をうまく伝えられないとても不器用な人だったんだ。
工房の人たちも、
他にどうしようっていうのよ?
「我がマンレオタに二人の天才!こりゃ祝うしか無いね!」
サラダン父様は滅茶苦茶ご満悦だ。
「何度確かめても、無詠唱の治癒魔法だわ」
イワーニャ母様、口調は落ち着いてるけど、顔はゆるゆるだよ。
ミトラ兄様は半分固まってる。うーん、確かに妹二人が天才認定で、自分はタダの人。気持ち、分からないでも無いわよ。でも、あたしが言うと傷口に塩すり込むようなもんだ。
「良かったね、イワーニャ。私の気持ち、分かるでしょ?」
「あー、はいはい」
「そこでそれ言う?」
で、顔を見合わせて、ぷっと吹き出す。
この二人、謎だわ。
でもシャニとしてニニを見つけたのは僥倖だ。
彼女はホントに天才だ。
毎日工房に行きたいって言ったら、カーサ母様に叱られた。なんで?
領主なんだから呼びつければ良いんだって。
うーん、その感覚馴染まないな。
だから、ニニにはマンレオタの書庫に来ない?って誘いの形を取った。
いやいやいや、ニニの食いつき凄いって。
もの凄い勢いで屋敷に突進してきた。
それから毎日、刺激的な日々をおくっている。
カーサ母様がちょっと機嫌悪いような……
今のところ、マンレオタは順風満帆。望月の欠けたる事も無しと思えば。
でもこの世界、月が二つあるんだよねー。
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