第10話 紹介するね~
「キットクル子さんは、もっとこう、首や肩をカクカクさせながら歩いてたっけ・・・」
閉園となった夜──。
この日も客がまったく訪れなかった
一歩
そんな挙動
「いい感じにキモいわね」
ドキッとして反射的にふりかえったお菊の顔がカッと赤くなる。
「ジ、ジーナさんッ・・・一時間、ずっと見てたんですか?」
「一時間もそんなことしてたの?」
「へ?」
「あたし、今きたばっかだけど」
「うぅ・・・」
みずから
「恥ずかしがることないよ、お菊」
ジーナが
「キットクル子を演じる上でキモさは重要な要素でしょ?」
「そうでしょうか・・・」
キットクル子のことを気味悪いとは
キットクル子は井戸をこよなく愛する純粋な女性である。彼女が
このことをお菊が熱心に語ると、ジーナがあきれたような
「井戸トモとしてキットクル子に親近感をいだくのは勝手だけど、お客をこわがらせるという本来の目的はわすれないでよ? キットクル子に同情するあまりキモくならなかったら
「そ、そうですね・・・」
これには納得するしかなく、お菊はしぶしぶとうなずいた。キットクル子を演じるのは人々をこわがらせて皿屋敷を救うためなのだと、心のなかであらためて自分に言い聞かせる。
「てなわけで──」
ジーナの声が楽しげに
「みんなでコスプレした姿を、衣装チェックもかねて見せあわない?」
「あ、賛成です!」
白いワンピースをまとうことで、より一層、キットクル子に近づけると思うとワクワクしてくるお菊だった。それに、アヤメのシスター姿やジーナのナキソン姿も見てみたかったので、お菊はパチリと両手をあわせて賛同した。
ジーナがキョロキョロとあたりを見まわす。
「白のワンピは?」
「今、
「あの子にまかせて大丈夫?」
「大丈夫ですよ」
ジーナが不安そうに
「ワンピ、
「そんなまさかぁ」
笑顔のままそう答えたものの、ジーナの真面目くさった表情を見ているとお菊はだんだん不安になっていき、やがて笑みを
「・・・すぐとってきますッ」
助六の姿を求めて走りだしたお菊の背中にジーナの声が重なる。
「じゃあ、アヤメの部屋に集合ね!」
「は~い!」
ふりかえらずに返事だけを残して、お菊は助六のもとへ急いだ。
頭によぎる、助六にペロペロと舐めまわされている白いワンピースの映像を必死にふり払いながら・・・。
助六とは皿屋敷の廊下で会えた。
助六のほうでもお菊をさがしていたようで、彼はお菊の姿を見るなり傘をバサバサと開閉させながらウキウキと
「お菊ちゃん、お散歩いこ~」
「うん。でもその前に、わたしのワンピース、かえしてもらえる?」
「わんぴ~す~?」
「ほら、白いお洋服、助ちゃんに汚してもらうためにあずけたでしょ?」
「ああ・・・あれなら、ももちゃんの近くの木にぶらさげてあるよ~」
「・・・木に?」
「だってさ~、いっぱい踏むのつかれるし、カラスさんたちにつついてもらったほうが穴とかあいてボロボロになって、着たくなくなるくらい汚れると思ってさ~。あの服、着たくなかったんでしょ~? だから汚してほしかったんでしょ~?」
「ちがうちがう! 着たくないわけじゃないの!」
助六にちゃんと理由を説明しなかった自分の
「早く案内して」
「ももちゃんのとこ~?」
「白いワンピースのとこ!」
カラスが活動をはじめる夜明けまでに、なんとしてでもワンピースを回収したいお菊はあせっていた。
だが、お菊におされて体が勝手に前へ進んでいる助六は
「わ~、らっくち~ん」
助六をおしながら皿屋敷の入口にさしかかると、柱にかけられていた白い
「おや、ご
「ごめんなさい、
かまっている余裕がなかったお菊は提灯お化けの
「いいかげん、自分で歩いてよぉ」
「ちぇ、らくちんだったのにな~」
助六がスニーカーを
「どっち?」
「こっち~」
陽気に跳ねる助六のあとをおってお菊がたどり着いた先は、遊園地の事務所ビルの近くだった。
お菊が求める白のワンピースは、立ちならぶ木々のうちの一本の、五メートルほどの高さで横へ大きくはりだした枝に、まるで風に飛ばされてひっかかったかのような乱雑さでぶらさがっていた。夜のそよ風にヒラヒラとゆれていて、カラスにつつかれる前に枝によって破られそうな
「どうやってあんなところに干したの?」
成人男性が用いる傘と大差ない背丈の
「んとね、ブンブンふりまわしたあと、ひょいと投げたら、一発であそこにひっかかってくれた~。ぼくって天才!」
「・・・・・・」
どうやってふりまわしたのかは聞くまでもなかった。手のない助六が手のかわりに用いるのは長い舌しかないからだ。結局、ワンピースに舌を使われてしまったようである。
だが、今はそんなことよりも、枝に破られそうなワンピースを一刻も早くとりもどすことが先決だった。
お菊は、枝を見あげていた視線を助六にもどし、手をあわせてたのんだ。
「助ちゃん、アヤメさんを呼んできてくれる?」
「え~、なんでぼくが~?」
「高すぎてわたしたちじゃ届かないけど、首を伸ばせるアヤメさんなら、なんとかしてくれると思うの」
「じゃあ、お菊ちゃんが呼びにいきなよ~」
不服そうに答える助六を、お菊は腰に両手をあててムッと
「ワンピースがあんなところにあるのは、だれのせい?」
すると助六は大きな丸い目をおずおずとそらし、知らんぷりをアピールしてきた。
「あ、そ。じゃあ、もう助ちゃんには三時のおやつにグミあげないから」
お菊もプイと横をむいて対抗すると、グミが大好きな唐傘小僧はあっさりと折れ、口を
「ブ~。わかったよ~」
皿屋敷のあるほうへ一本足でぴょんぴょんと遠ざかっていく助六の
やがて、助六の口から流れる「からん、ころん」という
そこにいたのは、いつもの
足首まで全身をおおっているローブは真っ黒で、唯一、首から肩にかけた部分にだけ真っ白な布があてられていた。その白い布の下には、はちきれんばかりにふくらんだ豊かな胸があり、アヤメがしゃなりしゃなりと歩くたびに大きくゆれていた。
ただし日本髪だけはあいかわらずで、その上に黒いフードのようなものをかぶっているものだから頭部のシルエットが
どうやらアヤメが演じる予定の、悪魔に
こんな姿をしていても
「いったいなんなんだい? 助六の話はさっぱり
「ごめんなさい、アヤメさん。実は、あれをとってほしくて・・・」
申しわけない気もちから
お菊の指先をおったアヤメが目を丸める。
「ありゃま・・・あれって、ジーナが買ってきたキットクル子の衣装かい?」
「そうなんです・・・」
「なんでまたあんなところに・・・って思ったけど、どうやら助六が一枚かんでるようだね?」
ジロリと助六を見おろすアヤメに対して、助六はまたしてもそっぽをむいてシラを切った。
「ぼく、わるくないも~ん」
「もとはと言えば、わたしが助ちゃんにたのんだことが原因で・・・」
お菊がそう言って助六をかばうと、アヤメは「やれやれ」とつぶやきながら、もう一度、白いワンピースを見あげて距離をはかるような目つきをした。
「ん~・・・あのくらいの高さなら、首を伸ばせばあたいの頭が届きそうだけど、届いたところで、どうすりゃいいんだい?」
伸ばせるのは首だけで、手まで伸ばせるわけではない。どうやってとれというのか、とアヤメは
「そう、ですよね・・・」
言われてみればそのとおりで、勝手に期待した自分が悪いとはいえ、お菊は
うなだれるお菊の頭上で、アヤメの舌打ちが聞こえた。
「ったく、しょうのない子たちだねえ。助六、その靴をお脱ぎ」
「え~、なんで~?」
「あたいの頭であそこまで運んでやるから、服はあんたの舌でとりな」
「え~、ぼくが~?」
「あたいの頭の上に、その
「くさくないもん!」
「
「くさくないもん!」
「わかったから早くおし。まだ警備員が園内を
「お願い、助ちゃん」
「ブ~、くさくないのに~」
お菊が
唐傘小僧を頭の上に乗せて立ちあがった日本髪のシスターが、こわいほど真剣な
「いいかい、お菊。あたいが首を伸ばしてる間、もし警備員の
「は、はい!」
お菊は緊張してきた。
首を伸ばしている
そうならないためにも、接近してくる警備員の明かりをすみやかに発見し、アヤメに知らせるお菊の役目は重大だった。
そんな
「よろしくお願いします、アヤメさん!」
「まかしときな。さあ、いくよ、助六。しっかりバランスとるんだよ?」
アヤメが、目標である白のワンピースをジッと見あげながら首をゆっくりと伸ばしはじめた。もともと
心配なのは、一本足でバランスをとりつつ
が、
「わ~お、たかいたか~い」
「しッ。声が高いよ、助六」
お菊の頭上でアヤメが小声でしかっているのが聞こえ、つづいて助六のあっけらかんとした返事が聞こえた。
「高いのはアヤメさんの頭だよ~」
「そういう意味じゃないよッ。声が大きいっつってんだよッ。近くに警備員がいたらきこえちまうだろッ」
「アヤメさんの声のほうが大きいよ~」
「くッ・・・この子ったらッ・・・だれのせいで大きくなってると思ってんだい!」
「アヤメさん、こらえてください。今は助ちゃんにつきあっちゃダメです」
お菊は口の左右に手をあてて小声で叫び、アヤメの理性を呼びもどそうと試みた。
助六の子供っぽい言動に何度もふりまわされてきた経験をもつお菊は、重要な場面では助六の相手をまともにしないことが一番だと学んでいた。
お菊の助言はうまく伝わったらしく、アヤメは
「ったく・・・ほら、ここならもう届くだろ? あんたの舌を伸ばして、さっさと服をおとり」
「ほ~い。ぺろんちょ」
この事態をひきおこした張本人は緊張感のかけらもなく呑気に舌をだし、だした舌を器用にあやつって枝にからまっているワンピースをつかんだ。
お菊にとってはあまり見たくない光景だったが、この際はやむを得ず、
だがこの時、視界の
「アヤメさんッ」
危機感に
パァァァァン──。
「
お菊のはるか頭上でアヤメの
「わっ、わっ、おちちゃう、おちちゃうよ~」
ぐらぐらとゆれだしたアヤメの頭上でバランスをとるのがむずかしくなった助六も、さすがに陽気と呑気をかなぐりすててあわてだす。
「助ちゃんッ」
警備員が近づきつつあるこの状況で、叫びたくても叫べないお菊は、とっさに口をおさえた両手のなかで悲鳴をあげた。
助六をおとすまいと、アヤメも必死の
アヤメの頭が上下左右に激しくゆれ、助六が空中へと放りだされる。
「あッ」と、お菊が叫んだ直後、助六はみずからの傘をバサッとひろげた。
朱色の
「見た? 見た? 今のぼく、見た?」
助六が声を
「よかったァ・・・」
お菊がホッと胸をなでおろしたのも
アヤメはまだ首を伸ばした状態で尻もちをついたままだ。
助六も我が身におこった奇跡に興奮して大きな目を
そんなふたりが、ついに警備員のもつ懐中電灯に照らしだされてしまったのである。
アヤメと助六は固まってしまっている。
お菊も全身をガチガチに緊張させていて、恐怖と絶望のあまりに警備員が立っているであろう背後をふりかえることができなかった。
この場をつつみこんだ
そんな沈黙を、穏やかな口調で語る女の子の声がやぶった。
「あたしのいないとこで、なに楽しそうなことしてるの?」
「・・・へ?」
聞きおぼえのある声で
そこに立っていたのは、白い牡丹提灯を左手にかかげた、
「・・・ジーナさん?」
ジーナは
「な、なんだい、ジーナなのかい?」
アヤメがまぶしそうに目を
「そうだけど?」
「ったく! おどかすんじゃないよ!
懐中電灯をもった警備員の正体は、提灯お化けの新三郎を手にもったジーナだった。
「アヤメどのまでがでていかれたので、なにごとかと
新三郎が申しわけなさそうな声で弁明した。
ホッと
「よかったね~、お菊ちゃん」
ワンピースが回収でき、警備員でもなかったという二重の意味がともなった助六の言葉に、お菊はワンピースをかぶったまま目に浮かんだ涙を払いつつ何度もうなずいた。
「やれやれ・・・こんなことは二度とごめんだよ」
首をもとの長さにもどしたアヤメが立ちあがり、自分の肩をもみほぐしながら
「あ! そうだ~」
スニーカーを履きなおした助六が、なにかを思いだした様子で、ウキウキと楽しげに告げる。
「みんな集まってるし、ちょうどいいから、ももちゃんを紹介するね~」
「ももちゃんって・・・助六が世話してる犬か猫のことだっけ?」
ジーナの
「ちがうよ、ちがうよ~。紹介するから、こっちきて~」
白いワンピースを胸に抱きしめて立ちあがったお菊は、アヤメやジーナ、新三郎と顔を見かわした。
「犬猫じゃないのかい?」
「わたし、てっきりそうだと思ってました」
「じゃあ、人間?」
「まさか、それはありますまい」
四者でヒソヒソと話していると、少し離れたところまでぴょんぴょんと跳ねて先行していた助六がふりかえった。
「はやく、はやく~。こっち、こっち~」
「あそこ、あそこ~。あれが、ももちゃんだよ~」
長い舌をだして助六が
「助ちゃん・・・ももちゃんはどこにいるの?」
「あそこだよ、あそこ~」
力強く舌を伸ばしながら、助六が大きなひとつ目を細めて少し
そう言われても、三階のバルコニーを見あげるお菊の目には、外にむかって逆さに干されたピンク色のビニール傘しか見あたらないのである。そのビニール傘は事務所の人間が干したまま回収するのをわすれたものと思われた。
アヤメがこわごわとお菊に耳打ちしてくる。
「ひょっとして、あのピンクのビニール傘のことじゃあるまいね?」
「まさかぁ。さすがに助ちゃんでも、そんなことはありま──」
「ももちゃんってさ~、ちょっぴりエッチなんだよね~。だって、すけすけで骨組みがちょっと見えちゃってるんだも~ん。まいっちゃうよね~、えへへへへ~」
この場にいる、助六以外の全員に
どうやら、いや、まちがいなく、助六は三階のバルコニーに干されているピンク色のビニール傘を
透明のビニールをすけすけの服と解釈し、骨組みが
犬や猫に愛情をそそいで熱心に世話をする助六なら
だが、ビニール傘に名前をつけて性的な興奮までおぼえてしまっているとなると、これは仲間として心配せざるを得なかった。
「いよいよヤバいんじゃないのかい? あの子・・・」
「病院つれてく?」
「お化けを
「おいたわしや、助六どの、おいたわしや・・・」
みんなで口々に助六の身を案じていると、
「なにをみんなでコショコショ話してるの~? ぼくにも聞かせてよ~」
お菊が「どうしたらいいの?」という顔でアヤメやジーナ、新三郎を見やると、アヤメがそわそわとシスターのフードをいじりながら背をむけた。
「お菊、あんたにまかせるよ。んじゃ、あたいらは帰ろうかね」
「えッ、ちょっと、アヤメさ──」
「助六のこと、よろしくね」
ジーナがお菊の肩にそっと手を置いたあと、アヤメにつづいて
「ジーナさんまでッ・・・新さん、わたし、どうしたら──」
「くれぐれも助六どのをいたわってやってくだされ・・・では
ジーナの左手にぶらさがっている新三郎までもが、ジーナが踵をかえすのにあわせて背をむけた。
「みんなひどいですよッ。どうしてわたしにだけ──」
「ねえねえ、お菊ちゃん」
アヤメたちを呼びとめようとしたお菊に、助六が恐ろしい提案をしてきた。
「せっかくだから、お菊ちゃんも、ももちゃんにご挨拶してよ~」
「へ?」
「ここから大きな声で、自己紹介してあげて~」
「・・・・・・」
「初対面の相手にご挨拶は基本だよね~?」
「そ、そうだけど・・・それはあくまでも──」
相手が人の言葉を理解できることが前提である。ビニール傘に
と、反論したいお菊であったが、助六の、純粋な光にきらめく
お菊はゴクリと
三階のバルコニーを見あげ、おずおずと口をひらく。
「こ、こんばんはぁ・・・もも・・・ちゃん?」
「声がちっちゃいな~。ももちゃんに聞こえたかな~? たぶん聞こえてないな~」
「・・・・・・」
お菊は両手に
「ももちゃん、こんばんは! わたしは菊と申します! 助ちゃんがいつもお世話になってます! 今後ともよろしくね!」
「なにやってんだ、あんた」
「へ?」
お菊が目をあけると、白い光がまぶしかった。
目をパチパチと
とっさに
「ひどいよ、助ちゃん・・・」
本来なら、警備員にお化けだとバレないよう、瞬時に蛇の目傘へと姿をもどした助六の
一方の警備員は、着物を着た
「ああ、お化け屋敷の人だね? こんな夜中に大声をだして、なにしてたの?」
「あ、あの、ちがうんです・・・その、ももちゃんが助ちゃんで・・・あ、いえ、そうじゃなくて、その・・・」
しどろもどろなお菊の態度を見た警備員が、目を細めてあからさまに
「なにわけのわからんことを・・・ま、とりあえず警備室まできてくれる? 見てしまった以上、あんたの事情を
「・・・はい」
これ以上の余計な疑いをもたれないためにも、おとなしく
地面に転がっている蛇の目傘を恨めしく見おろしたあと、お菊は白いワンピースを抱きしめながら警備員のあとをトボトボとついていった。
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