第10話 紹介するね~

 日鷺院那乃ひろいんなのから「勝手な宣伝活動はゆるしません!」と言い渡された翌日から、お菊たちはジーナが発動した第二の作戦、その名も「有名ホラー映画大作戦」にむけて準備を進めていた。

「キットクル子さんは、もっとこう、首や肩をカクカクさせながら歩いてたっけ・・・」

 閉園となった夜──。

 この日も客がまったく訪れなかった皿屋敷さらやしきで、お菊は自分の寝床ねどこでもある丸い井戸の周囲を歩きまわりながら、くせの強いキットクル子の挙動きょどうを身につけるための自主練じしゅれんはげんでいた。

 一歩みだすたびに左右の肩をカクカクと上下にゆさぶり、また一歩踏みだしては頭をカクカクと左右にふる。

 そんな挙動不審ふしんを一時間ほどくりかえしていると、突然、お菊の背中に笑いをこらえたような声が突き刺さった。

「いい感じにキモいわね」

 ドキッとして反射的にふりかえったお菊の顔がカッと赤くなる。

「ジ、ジーナさんッ・・・一時間、ずっと見てたんですか?」

「一時間もそんなことしてたの?」

「へ?」

「あたし、今きたばっかだけど」

「うぅ・・・」

 みずから墓穴ぼけつをほったずかしさで、お菊は左右の長い髪をひき寄せて赤らんだ顔をかくした。

「恥ずかしがることないよ、お菊」

 ジーナが微笑ほほえましそうに見つめてくる。

「キットクル子を演じる上でキモさは重要な要素でしょ?」

「そうでしょうか・・・」

 キットクル子のことを気味悪いとは微塵みじんも思っていないお菊は、ジーナの主張に納得できず、口をとがらせて不満をあらわにした。

 キットクル子は井戸をこよなく愛する純粋な女性である。彼女がめられるべきは人に危害を加えたことだけで、それですら人のほうからちょっかいをださなければおこらなかったことで、基本的にキットクル子は悪くない。それが『わっか』を最後まで視聴してだしたお菊の結論である。

 このことをお菊が熱心に語ると、ジーナがあきれたような苦笑くしょうを浮かべた。

「井戸トモとしてキットクル子に親近感をいだくのは勝手だけど、お客をこわがらせるという本来の目的はわすれないでよ? キットクル子に同情するあまりキモくならなかったら本末転倒ほんまつてんとうなんだし」

「そ、そうですね・・・」

 これには納得するしかなく、お菊はしぶしぶとうなずいた。キットクル子を演じるのは人々をこわがらせて皿屋敷を救うためなのだと、心のなかであらためて自分に言い聞かせる。

「てなわけで──」

 ジーナの声が楽しげにはずむ。

「みんなでコスプレした姿を、衣装チェックもかねて見せあわない?」

「あ、賛成です!」

 白いワンピースをまとうことで、より一層、キットクル子に近づけると思うとワクワクしてくるお菊だった。それに、アヤメのシスター姿やジーナのナキソン姿も見てみたかったので、お菊はパチリと両手をあわせて賛同した。

 ジーナがキョロキョロとあたりを見まわす。

「白のワンピは?」

「今、すけちゃんにあずけてあるんです。助ちゃんのスニーカーでいっぱい踏んでもらって汚そうと思いまして」

「あの子にまかせて大丈夫?」

「大丈夫ですよ」

 助六すけろくを信用しているお菊は心からそう言ってニコッと笑った。

 ジーナが不安そうに眉根まゆねを寄せる。

「ワンピ、めまわされてヨダレでベトベトになってたりして」

「そんなまさかぁ」

 笑顔のままそう答えたものの、ジーナの真面目くさった表情を見ているとお菊はだんだん不安になっていき、やがて笑みをこおりつかせた。大きくふくらんだ不安が、助六に対する信頼をあっけなくのみこんだのである。あの子ならやりかねない、と。

「・・・すぐとってきますッ」

 助六の姿を求めて走りだしたお菊の背中にジーナの声が重なる。

「じゃあ、アヤメの部屋に集合ね!」

「は~い!」

 ふりかえらずに返事だけを残して、お菊は助六のもとへ急いだ。

 頭によぎる、助六にペロペロと舐めまわされている白いワンピースの映像を必死にふり払いながら・・・。




 助六とは皿屋敷の廊下で会えた。

 助六のほうでもお菊をさがしていたようで、彼はお菊の姿を見るなり傘をバサバサと開閉させながらウキウキとさそってきた。

「お菊ちゃん、お散歩いこ~」

「うん。でもその前に、わたしのワンピース、かえしてもらえる?」

「わんぴ~す~?」

「ほら、白いお洋服、助ちゃんに汚してもらうためにあずけたでしょ?」

「ああ・・・あれなら、ももちゃんの近くの木にぶらさげてあるよ~」

「・・・木に?」

「だってさ~、いっぱい踏むのつかれるし、カラスさんたちにつついてもらったほうが穴とかあいてボロボロになって、着たくなくなるくらい汚れると思ってさ~。あの服、着たくなかったんでしょ~? だから汚してほしかったんでしょ~?」

「ちがうちがう! 着たくないわけじゃないの!」

 助六にちゃんと理由を説明しなかった自分の迂闊うかつさを呪いつつ、お菊は皿屋敷の入口にむかって助六をおした。

「早く案内して」

「ももちゃんのとこ~?」

「白いワンピースのとこ!」

 カラスが活動をはじめる夜明けまでに、なんとしてでもワンピースを回収したいお菊はあせっていた。

 だが、お菊におされて体が勝手に前へ進んでいる助六は呑気のんきな声をあげていた。

「わ~、らっくち~ん」

 助六をおしながら皿屋敷の入口にさしかかると、柱にかけられていた白い牡丹提灯ぼたんちょうちんしぶみのある声で挨拶あいさつしてきた。

「おや、ご両人りょうにん今宵こよいも散歩でござるか? 今日は雲が多いゆえ、月がかくれて足もとが暗くなりがちでござる。こんな夜は拙者せっしゃが必要──」

「ごめんなさい、しんさん、また今度ね」

 かまっている余裕がなかったお菊は提灯お化けの新三郎しんざぶろうにわびたあと、自力で歩くことをすっかり放棄ほうきしている助六に文句を言った。

「いいかげん、自分で歩いてよぉ」

「ちぇ、らくちんだったのにな~」

 助六がスニーカーをいた一本足でピョンピョンとねはじめ、お菊の手からようやくはなれてくれた。

「どっち?」

「こっち~」

 陽気に跳ねる助六のあとをおってお菊がたどり着いた先は、遊園地の事務所ビルの近くだった。

 無骨ぶこつな五階建てビルが来場者の視界に入って遊覧ゆうらん気分をそこねないようにと、三十メートル近くの高さがあるタブノキが目かくしとしてずらりと植えられている。

 お菊が求める白のワンピースは、立ちならぶ木々のうちの一本の、五メートルほどの高さで横へ大きくはりだした枝に、まるで風に飛ばされてひっかかったかのような乱雑さでぶらさがっていた。夜のそよ風にヒラヒラとゆれていて、カラスにつつかれる前に枝によって破られそうなあやうさである。

「どうやってあんなところに干したの?」

 成人男性が用いる傘と大差ない背丈の唐傘小僧からかさこぞうでは、とうてい届かない高さであった。

「んとね、ブンブンふりまわしたあと、ひょいと投げたら、一発であそこにひっかかってくれた~。ぼくって天才!」

「・・・・・・」

 どうやってふりまわしたのかは聞くまでもなかった。手のない助六が手のかわりに用いるのは長い舌しかないからだ。結局、ワンピースに舌を使われてしまったようである。

 だが、今はそんなことよりも、枝に破られそうなワンピースを一刻も早くとりもどすことが先決だった。

 お菊は、枝を見あげていた視線を助六にもどし、手をあわせてたのんだ。

「助ちゃん、アヤメさんを呼んできてくれる?」

「え~、なんでぼくが~?」

「高すぎてわたしたちじゃ届かないけど、首を伸ばせるアヤメさんなら、なんとかしてくれると思うの」

「じゃあ、お菊ちゃんが呼びにいきなよ~」

 不服そうに答える助六を、お菊は腰に両手をあててムッとにらみつけた。

「ワンピースがあんなところにあるのは、だれのせい?」

 すると助六は大きな丸い目をおずおずとそらし、知らんぷりをアピールしてきた。

「あ、そ。じゃあ、もう助ちゃんには三時のおやつにグミあげないから」

 お菊もプイと横をむいて対抗すると、グミが大好きな唐傘小僧はあっさりと折れ、口をとがらせながらもしぶしぶと了承りょうしょうした。

「ブ~。わかったよ~」

 皿屋敷のあるほうへ一本足でぴょんぴょんと遠ざかっていく助六の後姿うしろすがたを見おくったあと、お菊は、ワンピースが風に吹かれて飛んでいってしまってもすぐにおいかけられるよう、ハラハラしながら見守りつづけた。

 やがて、助六の口から流れる「からん、ころん」という下駄げたの音の再現と、「静かに歩けないのかい? ったく・・・」というアヤメのなげきが背後から聞こえてきたので、お菊はふりかえった。

 そこにいたのは、いつもの花魁おいらん姿ではなく、シスターと呼ばれる異国の尼僧にそう格好かっこうをしたアヤメだった。

 足首まで全身をおおっているローブは真っ黒で、唯一、首から肩にかけた部分にだけ真っ白な布があてられていた。その白い布の下には、はちきれんばかりにふくらんだ豊かな胸があり、アヤメがしゃなりしゃなりと歩くたびに大きくゆれていた。

 ただし日本髪だけはあいかわらずで、その上に黒いフードのようなものをかぶっているものだから頭部のシルエットがいびつだった。

 どうやらアヤメが演じる予定の、悪魔にかれたシスターのコスプレをしているらしい。お菊やジーナと見せあうために着がえていたようだ。

 こんな姿をしていても煙管きせるを手放さないのはさすがと言うべきか、アヤメが口から煙をふかしながらお菊を見るなり困惑した表情を浮かべた。

「いったいなんなんだい? 助六の話はさっぱり要領ようりょうを得ないし・・・とりあえず言われるがままに来たけど?」

「ごめんなさい、アヤメさん。実は、あれをとってほしくて・・・」

 申しわけない気もちから上目うわめづかいでアヤメを見つつ、お菊は枝にぶらさがっている白いワンピースを指さした。

 お菊の指先をおったアヤメが目を丸める。

「ありゃま・・・あれって、ジーナが買ってきたキットクル子の衣装かい?」

「そうなんです・・・」

「なんでまたあんなところに・・・って思ったけど、どうやら助六が一枚かんでるようだね?」

 ジロリと助六を見おろすアヤメに対して、助六はまたしてもそっぽをむいてシラを切った。

「ぼく、わるくないも~ん」

「もとはと言えば、わたしが助ちゃんにたのんだことが原因で・・・」

 お菊がそう言って助六をかばうと、アヤメは「やれやれ」とつぶやきながら、もう一度、白いワンピースを見あげて距離をはかるような目つきをした。

「ん~・・・あのくらいの高さなら、首を伸ばせばあたいの頭が届きそうだけど、届いたところで、どうすりゃいいんだい?」

 伸ばせるのは首だけで、手まで伸ばせるわけではない。どうやってとれというのか、とアヤメはあんにたずねているようだ。

「そう、ですよね・・・」

 言われてみればそのとおりで、勝手に期待した自分が悪いとはいえ、お菊は落胆らくたんをかくせずに肩を落としてしょぼくれた。

 うなだれるお菊の頭上で、アヤメの舌打ちが聞こえた。

「ったく、しょうのない子たちだねえ。助六、その靴をお脱ぎ」

「え~、なんで~?」

「あたいの頭であそこまで運んでやるから、服はあんたの舌でとりな」

「え~、ぼくが~?」

「あたいの頭の上に、そのくさい足を乗せてやるっつってんだ。さっさとおし」

「くさくないもん!」

裸足はだしでスニーカーなんか履いてりゃ、汗でムレて臭くなるのは当然だろ?」

「くさくないもん!」

「わかったから早くおし。まだ警備員が園内を巡回じゅんかいしてる時間だからね。もたもたしてっと変なところを見られちまうよ」

「お願い、助ちゃん」

「ブ~、くさくないのに~」

 お菊が懇願こんがんすると、助六はふてくされながらも長い舌を器用にあやつってひもをほどき、スニーカーを脱いで裸足はだしとなった。そして、しゃがみこんだアヤメの頭の上にぴょんと飛び乗る。

 唐傘小僧を頭の上に乗せて立ちあがった日本髪のシスターが、こわいほど真剣な眼差まなざしでお菊を見つめてきた。

「いいかい、お菊。あたいが首を伸ばしてる間、もし警備員の懐中かいちゅう電灯の明かりが見えたら、すぐあたいの体をたたいて知らせるんだよ?」

「は、はい!」

 お菊は緊張してきた。

 首を伸ばしている最中さいちゅうのろくろ首と、その頭上に乗っかっている唐傘小僧を警備員に目撃されでもしたら、一巻の終わりなのである。

 そうならないためにも、接近してくる警備員の明かりをすみやかに発見し、アヤメに知らせるお菊の役目は重大だった。

 そんな重責じゅうせきから、お菊の声に力がこもる。

「よろしくお願いします、アヤメさん!」

「まかしときな。さあ、いくよ、助六。しっかりバランスとるんだよ?」

 アヤメが、目標である白のワンピースをジッと見あげながら首をゆっくりと伸ばしはじめた。もともと強靭きょうじんな首をもつろくろ首は、傘一本程度の重さしかない唐傘小僧を頭に乗せていてもではないようだった。緊張のためかアヤメの表情は強張こわばっているが、首そのものは順調にするすると音もなく伸びていく。

 心配なのは、一本足でバランスをとりつつ高所こうしょの恐怖にもえなくてはならない助六のほうだった。

 が、とうの助六はこわがるどころか、この状況を楽しんでいるようだ。

「わ~お、たかいたか~い」

「しッ。声が高いよ、助六」

 お菊の頭上でアヤメが小声でしかっているのが聞こえ、つづいて助六のあっけらかんとした返事が聞こえた。

「高いのはアヤメさんの頭だよ~」

「そういう意味じゃないよッ。声が大きいっつってんだよッ。近くに警備員がいたらきこえちまうだろッ」

「アヤメさんの声のほうが大きいよ~」

「くッ・・・この子ったらッ・・・だれのせいで大きくなってると思ってんだい!」

「アヤメさん、こらえてください。今は助ちゃんにつきあっちゃダメです」

 お菊は口の左右に手をあてて小声で叫び、アヤメの理性を呼びもどそうと試みた。

 助六の子供っぽい言動に何度もふりまわされてきた経験をもつお菊は、重要な場面では助六の相手をまともにしないことが一番だと学んでいた。

 お菊の助言はうまく伝わったらしく、アヤメは怒鳴どなるのをやめ、白のワンピースまであと一メートルほどの高さに首を伸ばしおえると、頭上の唐傘小僧にうながした。

「ったく・・・ほら、ここならもう届くだろ? あんたの舌を伸ばして、さっさと服をおとり」

「ほ~い。ぺろんちょ」

 この事態をひきおこした張本人は緊張感のかけらもなく呑気に舌をだし、だした舌を器用にあやつって枝にからまっているワンピースをつかんだ。

 お菊にとってはあまり見たくない光景だったが、この際はやむを得ず、眉間みけんにシワを寄せて口をへの字に曲げながら、助六の舌によってからめとられた白のワンピースの無事な帰還を祈った。

 だがこの時、視界のすみでなにかがキラリと光り、お菊は反射的にそちらへ視線をふりむけた。そして、オレンジ色の光点がこちらへ近づいてきているのを知ってゾッとする。懐中電灯をもった警備員であることは疑いなかった。

「アヤメさんッ」

 危機感にられ、あせったお菊は、自分でも意識しないうちにアヤメのしりを力いっぱいひっぱたいていた。

 パァァァァン──。

いたああああァァァ!」

 お菊のはるか頭上でアヤメの絶叫ぜっきょうがあがり、両手で尻をおさえたアヤメの体がバランスをくずしてよろめきだした。

「わっ、わっ、おちちゃう、おちちゃうよ~」

 ぐらぐらとゆれだしたアヤメの頭上でバランスをとるのがむずかしくなった助六も、さすがに陽気と呑気をかなぐりすててあわてだす。

「助ちゃんッ」

 警備員が近づきつつあるこの状況で、叫びたくても叫べないお菊は、とっさに口をおさえた両手のなかで悲鳴をあげた。

 助六をおとすまいと、アヤメも必死の形相ぎょうそうで頭のバランスをたてなおそうとするが、それがかえって体のほうのバランスを崩す結果となり、ついにアヤメの体が尻もちをついてしまった。

 アヤメの頭が上下左右に激しくゆれ、助六が空中へと放りだされる。

「あッ」と、お菊が叫んだ直後、助六はみずからの傘をバサッとひろげた。

 朱色のじゃ傘が、ひらいた傘に空気をとりこんでフワリ、フワリと左右にゆれながらゆっくりとりてくる。そして、お菊の目の前で裸足の一本足をそっと着地させた。

「見た? 見た? 今のぼく、見た?」

 助六が声をはずませながら、みずからの身におこった奇跡に興奮していた。助六自身も無意識のうちにとった行動だったようだ。

「よかったァ・・・」

 お菊がホッと胸をなでおろしたのもつか、不意に、お菊たちをオレンジ色の暖かな光が照らしだす。

 アヤメはまだ首を伸ばした状態で尻もちをついたままだ。

 助六も我が身におこった奇跡に興奮して大きな目を爛々らんらんと輝かせている。

 そんなふたりが、ついに警備員のもつ懐中電灯に照らしだされてしまったのである。

 アヤメと助六は固まってしまっている。

 お菊も全身をガチガチに緊張させていて、恐怖と絶望のあまりに警備員が立っているであろう背後をふりかえることができなかった。

 この場をつつみこんだ重苦おもくるしい沈黙が、お菊にはひどく長く感じられた。

 そんな沈黙を、穏やかな口調で語る女の子の声がやぶった。

「あたしのいないとこで、なに楽しそうなことしてるの?」

「・・・へ?」

 聞きおぼえのある声で金縛かなしばりから解き放たれたお菊は、肩ごしにおそるおそる背後をふりかえった。

 そこに立っていたのは、白い牡丹提灯を左手にかかげた、癖毛くせげのショートヘアをもつ勝気かちきな目をした少女だった。

「・・・ジーナさん?」

 ジーナは深緑色ふかみどりいろのワークシャツを羽織はおり、黒色のジーンズを履き、頭には涙をこぼしたピエロの仮面を乗せ、右手にはおもちゃのなたをにぎっていた。おそらく、ジーナが演じる予定になっているナキソンのいでたちであろう。

「な、なんだい、ジーナなのかい?」

 アヤメがまぶしそうに目をしばたたかせながら光源を見やって確認すると、平然とした口調でジーナの声がかえってきた。

「そうだけど?」

「ったく! おどかすんじゃないよ! きもやしたじゃないか!」

 懐中電灯をもった警備員の正体は、提灯お化けの新三郎を手にもったジーナだった。

「アヤメどのまでがでていかれたので、なにごとかとあんじ、ジーナどのとさんじたのでござるが・・・」

 新三郎が申しわけなさそうな声で弁明した。

 ホッと安堵あんどしたお菊は全身から力がぬけてしまい、その場にヘナヘナとくずおれた。その直後、頭上からヒラリと白いワンピースが落ちてきてお菊の頭をつつみこむ。助六が我が身を守るために手放てばなしたワンピースが、今になっておちてきたようだ。

「よかったね~、お菊ちゃん」

 ワンピースが回収でき、警備員でもなかったという二重の意味がともなった助六の言葉に、お菊はワンピースをかぶったまま目に浮かんだ涙を払いつつ何度もうなずいた。

「やれやれ・・・こんなことは二度とごめんだよ」

 首をもとの長さにもどしたアヤメが立ちあがり、自分の肩をもみほぐしながら愚痴ぐちっていた。

「あ! そうだ~」

 スニーカーを履きなおした助六が、なにかを思いだした様子で、ウキウキと楽しげに告げる。

「みんな集まってるし、ちょうどいいから、ももちゃんを紹介するね~」

「ももちゃんって・・・助六が世話してる犬か猫のことだっけ?」

 ジーナのいに、助六が体を左右にふって否定した。

「ちがうよ、ちがうよ~。紹介するから、こっちきて~」

 白いワンピースを胸に抱きしめて立ちあがったお菊は、アヤメやジーナ、新三郎と顔を見かわした。

「犬猫じゃないのかい?」

「わたし、てっきりそうだと思ってました」

「じゃあ、人間?」

「まさか、それはありますまい」

 四者でヒソヒソと話していると、少し離れたところまでぴょんぴょんと跳ねて先行していた助六がふりかえった。

「はやく、はやく~。こっち、こっち~」

 さそわれるがまま、みんなで助六のあとをおうと、助六は事務所ビルの裏手で立ちどまった。

「あそこ、あそこ~。あれが、ももちゃんだよ~」

 長い舌をだして助六がしめしたのは、事務所ビルの三階にあるバルコニーだった。だが、人影はおろか、犬猫すら見あたらない。

「助ちゃん・・・ももちゃんはどこにいるの?」

「あそこだよ、あそこ~」

 力強く舌を伸ばしながら、助六が大きなひとつ目を細めて少し不機嫌ふきげんになった。なんでわからないの、と言いたげである。

 そう言われても、三階のバルコニーを見あげるお菊の目には、外にむかって逆さに干されたピンク色のビニール傘しか見あたらないのである。そのビニール傘は事務所の人間が干したまま回収するのをわすれたものと思われた。

 アヤメがこわごわとお菊に耳打ちしてくる。

「ひょっとして、あのピンクのビニール傘のことじゃあるまいね?」

「まさかぁ。さすがに助ちゃんでも、そんなことはありま──」

「ももちゃんってさ~、ちょっぴりエッチなんだよね~。だって、すけすけで骨組みがちょっと見えちゃってるんだも~ん。まいっちゃうよね~、えへへへへ~」

 この場にいる、助六以外の全員に衝撃しょうげきがはしった。

 どうやら、いや、まちがいなく、助六は三階のバルコニーに干されているピンク色のビニール傘をして「ももちゃん」と呼称しているのである。

 透明のビニールをすけすけの服と解釈し、骨組みがけて見えていることに性的な興奮をおぼえているようだ。ももちゃんを人間でたとえるなら、全身シースルーの衣服をまとってはだかが透けている痴女ちじょといったところか。

 犬や猫に愛情をそそいで熱心に世話をする助六なら微笑ほほえましく見守れる。

 だが、ビニール傘に名前をつけて性的な興奮までおぼえてしまっているとなると、これは仲間として心配せざるを得なかった。

「いよいよヤバいんじゃないのかい? あの子・・・」

「病院つれてく?」

「お化けをてくれる病院ってあるんですか?」

「おいたわしや、助六どの、おいたわしや・・・」

 みんなで口々に助六の身を案じていると、当人とうにんが不満そうな口ぶりで割ってはいってきた。

「なにをみんなでコショコショ話してるの~? ぼくにも聞かせてよ~」

 お菊が「どうしたらいいの?」という顔でアヤメやジーナ、新三郎を見やると、アヤメがそわそわとシスターのフードをいじりながら背をむけた。

「お菊、あんたにまかせるよ。んじゃ、あたいらは帰ろうかね」

「えッ、ちょっと、アヤメさ──」

「助六のこと、よろしくね」

 ジーナがお菊の肩にそっと手を置いたあと、アヤメにつづいてきびすをかえした。

「ジーナさんまでッ・・・新さん、わたし、どうしたら──」

「くれぐれも助六どのをいたわってやってくだされ・・・では御免ごめん!」

 ジーナの左手にぶらさがっている新三郎までもが、ジーナが踵をかえすのにあわせて背をむけた。

「みんなひどいですよッ。どうしてわたしにだけ──」

「ねえねえ、お菊ちゃん」

 アヤメたちを呼びとめようとしたお菊に、助六が恐ろしい提案をしてきた。

「せっかくだから、お菊ちゃんも、ももちゃんにご挨拶してよ~」

「へ?」

「ここから大きな声で、自己紹介してあげて~」

「・・・・・・」

「初対面の相手にご挨拶は基本だよね~?」

「そ、そうだけど・・・それはあくまでも──」

 相手が人の言葉を理解できることが前提である。ビニール傘に人語じんごが理解できるとはとても思えず、いや、そもそも生き物ですらないし、ただのビニール傘に挨拶するなんてバカげてるし、恥ずかしいからできない。

 と、反論したいお菊であったが、助六の、純粋な光にきらめくつぶらな瞳を見ているとそんなことは言えなくなった。

 お菊はゴクリとつばをのみくだし、覚悟を固めた。

 三階のバルコニーを見あげ、おずおずと口をひらく。

「こ、こんばんはぁ・・・もも・・・ちゃん?」

「声がちっちゃいな~。ももちゃんに聞こえたかな~? たぶん聞こえてないな~」

「・・・・・・」

 お菊は両手にこぶしをにぎりしめ、目をギュッと閉じ、やけっぱちに叫んだ。

「ももちゃん、こんばんは! わたしは菊と申します! 助ちゃんがいつもお世話になってます! 今後ともよろしくね!」

「なにやってんだ、あんた」

「へ?」

 お菊が目をあけると、白い光がまぶしかった。

 目をパチパチとまたたかせながら声のしたほうを見ると、初老しょろうの男性警備員が懐中電灯をこちらにむけて立っていた。

 とっさにとなりを見ると、唐傘小僧はただの蛇の目傘にもどっていて、地面の上で横になり狸寝入たぬきねいりをきめこんでいた。

「ひどいよ、助ちゃん・・・」

 本来なら、警備員にお化けだとバレないよう、瞬時に蛇の目傘へと姿をもどした助六の機転きてんをほめてやるべきところだが、ひとり残されて警備員に不審者ふしんしゃあつかいされている現状が、お菊にうらごとをつぶやかせた。

 一方の警備員は、着物を着た和装わそうという、時代がかった格好のお菊を見てさっしがついたような顔になる。皿屋敷の従業員が住みこみなのは、彼ら警備員にも知らされていることだった。

「ああ、お化け屋敷の人だね? こんな夜中に大声をだして、なにしてたの?」

「あ、あの、ちがうんです・・・その、ももちゃんが助ちゃんで・・・あ、いえ、そうじゃなくて、その・・・」

 しどろもどろなお菊の態度を見た警備員が、目を細めてあからさまにあやしみだす。

「なにわけのわからんことを・・・ま、とりあえず警備室まできてくれる? 見てしまった以上、あんたの事情をいて、報告書をつくらなきゃいかんからね」

「・・・はい」

 これ以上の余計な疑いをもたれないためにも、おとなしくしたがうより他になかった。

 地面に転がっている蛇の目傘を恨めしく見おろしたあと、お菊は白いワンピースを抱きしめながら警備員のあとをトボトボとついていった。

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