第44話【こぼれ話】エマ御姉様の『御姉様』・②


 もしも相手が男性なら、ご令嬢からランチを誘ったり溜め息をつきながら見つめるなど、軽い気持ちではできません。彼女たちがきゃあきゃあとエマに纏わりつくのは同性同士だからこそ許される、所詮憧れごっこのお遊びです。


 そして公爵令嬢のようなガチの恐ろしい存在でもなく、北国育ちでフランクな態度のお転婆であるエマなら、少々のお遊びも笑って許してくれる……と、あのご令嬢達に見抜かれているのでしょう。


 口の悪い領地の男達がこの状況を見たら『おう、俺達のエマお嬢ちゃんがご令嬢の火遊び相手にされてるぞ。こりゃ面白れえ!』とか何とか言いそうね……と考えて、再び眉根を寄せながら歩くエマ。

 廊下を進み十字路に差し掛かり、ふと横を見て、目に入ってきた情景に眉間が開きます。


 そこにはお仕着せを着た下働きらしき少女がバケツの横に屈んでモップを手で絞っている姿がありました。

 まだ朝方の寒さが残る廊下で懸命に水気を絞る指は真っ赤で震えています。

 絞り終わった少女が立ち上がりモップがけをすると、僅かな水分で床に帯が描かれていきました。


 北の砦でモップがけをする所などは殆どありませんが、兵士が失敗して酷く汚した時はその兵士自身が拭かなければなりません。しかし寒さと男達のガサツさ故にモップは殆ど絞られず、床がビショビショで上官が怒り狂っていたのをエマは思いだしました。


(この子はとても仕事が丁寧なのだろうけれど……学園の生徒が登校するこんな時間まで床を磨いていては、遅いと叱られてしまうのではないかしら)


 エマは彼女が少し心配になりましたが、かける言葉が見当たりません。仮にも伯爵令嬢が庶民の彼女に『手を抜け』というのも違う気がしますし、少女の今後を考えると無責任な発言です。


 エマは彼女に声をかけることは諦め、視線を戻し歩を進めます。と、廊下の向こうから二人の人影と、小さな足音がやってきました。

 その足音の持ち主が誰かわかると、エマは一瞬だけその姿を目に焼き付け、自然な動きで端に寄り道を開けます。


 こちらを見もせず横をすれ違うのは"氷漬けの赤い薔薇姫"こと、公爵令嬢ディアナ。そしてその従者、カレン。


 エマはその間目を伏せていましたが、実は脳内で先程焼き付けた美しい令嬢の立ち姿を反芻していました。


(やっぱりとっても綺麗で可愛いわ……笑ったらどうなるのかしら。嗚呼、あんな顔に生まれたかった……!!)


 ディアナの吊り上がった大きな赤く鋭い目付きを向けられた者の多くは震えてしまうでしょう。

 しかし、昔から父親……「狂戦士」とも言われたド迫力の鋭い眼光を持つ伯爵……の顔を見慣れていたエマは何とも思いません。

 可愛い女の子が好きなエマは(冷たい無表情とその中身はともかく)外見は純粋に美しい女の子……それもとびっきりで等身大の磁器人形のようなディアナの事を、実は心の中で楽しむだけなら最高の存在だと思っていました。


 自分の後ろで彼女の小さな足音がふと止んだ事に気づき、エマはつい振り向きます。ディアナは先程の十字路で、横を向き止まったままです。エマには、彼女があの下働きの少女を見ているのだとすぐわかりました。


(ああっ、あの子、公爵令嬢に叱られてしまうのでは?)


 一瞬やきもきしたエマでしたが、すぐに違うと気づきました。睨み付けているのかと思ったディアナの目、その深紅の瞳が燃え盛る炎のようにキラキラと輝いているのです。

 それは父が新しい武器や訓練方法のアイデアを思い付いた話を部下としている時の眼光にも共通したものがありました。


「―――――――???」


 この国では王家の次に威厳があると言っても良い公爵家のご令嬢が下働きの少女に目を輝かせる意味が全く理解できず、エマは今日三度目になる(しかし先程とは違う意味の)眉間にシワを寄せ、その場をそっと立ち去りました。



 ◇◆◇◆◇◆



 数ヶ月後、いつもより早く学園に登校したエマは似たような情景に出会いますが、すぐにおや、と思いました。


 あの下働きの少女が四角いバケツにモップをつけ、そのまましばらく立っているかと思ったら、屈んで少しだけモップを絞ってから床を磨き始めたのです。


(あ、やっぱり手を抜くようになったのね……ん?)


 床に描かれた帯は、以前と変わらず僅かな水分ですぐに蒸発しました。不思議に思ったエマは少女に話しかけます。


「ねえ、あなた」


「はっ、はい!?」


「このモップ、殆ど絞らなくても平気なんですの?」


 エマに話しかけられた少女は真っ赤になりドギマギしながら答えます。


「もっ、モップじゃないです。バケツが、こうすると……」


 良く見ると以前のバケツとは異なり四角いだけではなく、中に木製の段差のようなものが取り付けられていて、段差の中ほどまでに水が張られています。

 少女は段差の上にモップを圧し当て、水気を絞りました。


「これで立ったまま殆ど水気が切れるので、あとはちょっと手で絞るだけで良いんです」


「へえ~良くできてるわね。これはどこで手に入れたの?」


「あの、学園に通う生徒の父兄様から寄付されたそうで。今王都の商店でも人気で偽物が出回るくらいなんですけど、これは本物ですよ! 流行る前に貰いましたし、段差も取り外し出来ますし、何よりちゃんと刻印がここに!」


 少女は何故かえっへん! と自慢気にバケツの刻印を指差しました。エマはその刻印にどこか見覚えがあるような気がしてピンとひらめきました。


「ねえ、このバケツの使い心地、便利か聞いてきた学園の生徒が他にもいるでしょう?」


「えっ凄い……なんでわかったんですか!?」


 少女からその生徒の特徴を聞き、エマはそれがカレンと一致するとは思いましたが、地味な彼女と似たような特徴の女性は他にもいます。


(ふーん、それなら……)


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