確定の瞬間2

 家に帰り、ボクはソファで横になった。

 外からは、ひぐらしの声が聞こえてくる。


『今日はごめんなさい』


 氷室先輩から、早速チャットが送られてきた。


『男の人を勉強するわ。あなたも、ワタシの事を知って』


 文面だけ見れば、何てことない。

 でも、裏側を知っているボクからすれば、文面から漂う何とも言えなさが、非常に悩ましかった。


 普通の事を言っているようで、違う。

 何てことないのに、異常。


 女性経験のないボクは、氷室先輩に対してどう接するべきか、回答が出てこなかった。


「どうしよう。あぁ、……疲れたな」


 このまま寝ようか。

 そう考えた時だった。


 コン、コン。


 ドアをノックする音が聞こえた。

 ドアは上半分が磨りガラスになっているのだが、そこに人影が見えた。


「はい」


 てっきり、叔母さんが声を掛けてきたのかと思った。

 あまり話す間柄ではないので、待たせてはいけないと心理が働く。


 重い体を起こし、ドアのカギを開ける。


 カチャ。


 ノブを回す前に、向こうから開けてきた。


「……リクくん」

「ユ、ユイさん」


 ドアの向こうに立っていたのは、ユイさんだった。

 お風呂上りなのか、髪はしっとりと濡れていた。

 シャツとハーフパンツのラフな恰好で、ソープの香りが漂ってくる。


 ユイさんは落ち込んだ様子で、両手を前に組んでいた。

 正直、ボクは今日会うつもりはなかったけど、家にまで来られたら、邪険にするのは気が引けた。


 家は近いだろうし、帰れない距離ではないが。


「どうしたの?」

「リクくん。もしかして、怒ってる?」

「え? 何が?」


 話が見えず、聞き返した。


「だって、フレンドリスト解除しちゃうし」

「……解除」


 意味が分からなかった。


「削除、したでしょ。ユイのフレンドリストから、消えてたから」

「え⁉」


 ボクはチャットのアプリを使わないから、全く知らなかった。

 ボクの方でフレンドリストを解除すると、連動して相手のリストからも名前が消えてしまうらしい。


 それで、怒ったと思っているユイさんが、夜分に訪問してきたわけだ。


「ごめんね。ユイ、何か気に障る事しちゃったんだよね」

「え、えっとね」


 幸いにして、ボクの部屋は車庫の二階で、親戚が住む母屋は裏にある。

 つまり、母屋の玄関が陰に隠れているのだから、ユイさんが訪問してきたのは、叔母さん達に見えていない。


 何かしら言及されることはないから、その点は心配ないだろう。

 問題は、ユイさんが家に来てしまった事。


「ねえ。ころりって呼んだこと、怒ってる?」

「怒ってないよ」

「うそ! 下校だって、一緒に帰ろうと思ったのに。一人で帰っちゃうし」


 田舎のバスは、逃すと一時間先になる。

 今日は一時間遅く帰って来たから、ユイさんとは会わなかった。


「その、気になってたんだけど。ころり、ってなに?」


 ユイさんは口を尖らせ、拗ねた子供のようにして俯く。


「犬の、……名前」

「犬?」

「去年、死んじゃって。リクくん、ころりにそっくりだから。その、……呼んじゃった」


 目には涙が浮かんでいた。

 泣かれてしまうと、いよいよボクは追い返す事なんてできなくなった。


「とりあえず、入って」


 入口で話している所を見られたら、言い訳ができない。

 中に入る事を促すと、ユイさんは遠慮がちに「お邪魔します」と入った。


 マットの上で靴を脱ぎ、部屋を見回している。

 ボクはドアを閉めて、ソファに座るように言った。


「何も、ないけど」

「……そんなことないよ。良い部屋だと思う」


 ボクが座ると、ユイさんは立ち上がって、ボクの隣に腰を下ろしてきた。


「リクくん。……ユイのこと嫌い?」


 一瞬、言葉に詰まる。と、ユイさんは顎をしゃくり、大粒の涙が浮かぶ。


 慌てて、ボクは自分に嘘を吐いた。


「嫌いじゃないよ」


 ユイさんに、嫌いという感情は持っていない。

 でも、怖かった。

 平気で人に危害を加えられるのが、常軌を逸している。

 今日、堀田君を手に掛けながら、いつものように振る舞える彼女が、別の何かに見えてくるのだ。


 ユイさんは膝を抱え、鼻を啜る。


「ユイは、……リクくんのこと、好きだよ」

「……う、うん」

「大好き。嫌われたくないよ」

「……うん」


 ユイさんの言葉を聞いていると、全部がマヒしてくる。

 初めから狂っていたんだろうか。

 それとも、何かが引き金になったのか。


 ボクが黙っていると、肩に感触があった。

 手を置かれ、振り向くと――。


「ん……」


 口を塞がれた。

 柔らかくて、湿った唇が下唇を挟み込んでくる。

 何が起きたか分からなかった。


 口を離したユイさんは、また鼻を啜る。

 崩した足の上で手を握り、絞り出すように言ってしまった。


「好きです」


 告白だった。


「ユイと、……付き合ってください」


 嗚咽を押し殺し、ユイさんがハッキリと言った。


「何でも、する。リクくんのことは、一生守るから。ユイと、付き合ってください。……お願い……っ!」


 この瞬間、ボクは心臓が飛び跳ねた。

 甘酸っぱい恋心。――ではなく、色々な感情が葛藤かっとうの末、一言だけが浮かんだのだ。


 ――


 ボクに断る勇気さえあれば、はっきりと言えた。

 でも、人を傷つけるのが極端に嫌で、ボクは言葉を濁してしまう。


「ユイさんのことは、……その、……人として、……だけど」

「ほ、ほんと⁉」

「え?」


 口元を両手で隠し、ユイさんが感涙した。


「嬉しい……っ!」

「ユイさん、あの……」

「リクくん!」


 その場に押し倒されてしまい、ユイさんが覆い被さってくる。

 まるで犬を可愛がるように、両の頬を撫でてきて、柔らかい頬を擦り付けてくる。


「……ありがとう。大事にするね」

「……え? え?」


 ボクは確実に、泥にハマった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る