第33話  陰陽師

 それからも毎日ハナは滝の前で祝詞を呟き、おじいちゃんの指定した地域の神社をめぐる日々を送っている。

 良き神と悪しき神の小競合いは激化の一途で、傷だらけで転がり込む良き神たちの人数も増え続けていた。

 式神たちはハナの差配で飯を炊き塩むすびを作り続けている。

 その消費量の激しさは増すばかりで、最上のおばちゃんがいなければ、とっくに米蔵を空にしていたとハナは思った。


「ハナちゃん、米は足りているかい? 足りなくなりそうなら言うんだよ。いくらでも準備させるから」


 最上のおばちゃんが戦から戻るとハナに声を掛けた。


「最上のおばちゃんも戦に出るのね。大丈夫? 怪我してない?」


「ああ、大丈夫だよ。私たち上位神はあいつらに傷をつけられるほど弱くはない。心配なのは下位神達だ。なりたくて神になった者なんていないからね。まあ、私たちもそうだけど、生まれながらにこの立場だった者と、そうでない者にはやはり力に差があるんだ。しかしみんなとても頑張っているよ」


「そうだね、みんな頑張っているね。私だけが安全なところにいるみたいで、申し訳ないような気がするよ」


「何を言っているんだ。お前とじい様は唯一神だということを忘れるなよ? 私たちはそれぞれできることをやっている。お前もお前にできることをやるしかないんだ」


 そう言いながら座敷にドカッと座り、両手で握り飯を頬張り始める。

 ハナは慌てて味噌汁を出し、薬湯を入れた湯吞も差し出した。


「ああ、ありがとうよ。これのお陰で戦いやすい」


「ねえおばちゃん、神達の戦いってどんな感じなの? やっぱり昔の戦のように歩兵戦?」


「いや、神はそんなことはしないよ。神力の当て合いさ。川を挟んで対峙して念をぶつけ合うんだ。己にぶつかった力が自力より大きければ傷を負う」


「それって人間には見えないの?」


「見える奴もいるかもしれんが、まず無理だろうね。きっと河原に強い風が吹き荒れているくらいにしか思ってないはずさ」


「どなたが陣頭指揮をとっておられるの?」


 ふと最上のおばちゃんが悲しそうな顔をした。


「前回までは三坂がとっていた。戦と言えば鹿島神か香取神じゃが、なんせご高齢でなぁ。まあ、今はまだ前哨戦じゃ。心配には及ばぬ、本戦ともなれば御動座いただく」


「ふぅん……」


 前哨戦でこれということは、本戦ともなればこの数倍は覚悟が必要になるだろう。


「おばちゃん、怪我だけはしないでね。私も社廻り頑張るから」


 最上のおばちゃんは大きく頷いて10個目のおむすびに手を伸ばした。

 ハナがお代わりの味噌汁を注ぎに立ち上がった時、社の正面から声がかかった。

 神達は滝前の縁側から出入りするし、式神たちは裏庭から土間に入ってくるので、正式な正面玄関である『階(きざはし)』から声掛けをする者はいなかった。


「はぁ~い」


 ハナは呼びかけに応じて返事をした。


「すみません、お忙しいところ。安倍家の者でございます」


 シマがハナを手で制して出迎えに向かった。

 おじいちゃんがハナを手招きする。


「お前はお茶の準備をしなさい。薬湯ではなく煎茶でな」


 ハナは頷き厨房に立った。

 正面玄関から迎え入れたその客は、普通の着物を纏ったそこらにいる書生のようだ。

 しかしその眼力は鋭く、身の内に秘めた力が並大抵でないことがわかる。

 ハナは緊張の面持ちで、青年の前に茶を差し出した。


「ようこそいらっしゃいました。主がすぐに参りますので」


 青年はハナの顔をじっと見て口を開いた。


「恐れ入ります。私は安倍家の傍系の者で安倍一真と申します。本日は一言主神様よりお呼びがかかりまして参りました」


 ハナが返事をしようとした時、後ろからおじいちゃんが声を掛けた。


「おお! これはなかなかの霊力じゃな。お主は当主の息子か?」


 安倍一真と名乗った青年がガバッとひれ伏して口上を述べた。


「本日はお日柄も芳しく、ご尊顔を拝し奉り教悦至極にございます。私は……」


「ああもうよい。面倒じゃ。名と流れだけを申せ」


「はい、私は安倍一真と申します。母が当主の妹でございまして、父は加茂の朝臣の血を引く一族でございます」


「ほう但馬の血を持つか」


「はい、幼き頃に安倍家に養子として入りました」


「ふぅん。なるほどのう。そちは幾つじゃ?」


「明けて25になります」


「未婚か? 許嫁は?」


「侘しい独り者でございます。許嫁はおりません。義父が良き頃に良き人をと申しておりますゆえ、全て任せております」


「それは重畳。安倍から状況は聞いておるか?」


「百年に一度の大戦と聞いております。命を賭けてお仕えせよと」


「さすが安倍の当主じゃな。一騎当千の者を遣わしてくれたわ。では早速じゃが滝で身を清めてまいれ。すぐに始めようぞ」


「はい」


 何の迷いもなく淡々と指示に従う安倍一真がハナに言った。


「愛し子様、滝へはどのように行けばよろしいでしょうか」


「あっ! はい、すみません。ご案内します」


 ハナは座敷をぐるっと囲んでいる外廊下に案内した。

 大きなザルを置き、白装束と手拭いを入れて隅に置く。


「こちらをお使いください。滝へはそこの石段から降りることができます。お清めの後のお召し物はご用意しておきますので」


「ありがとうございます。愛し子様」


「どうぞハナとお呼びください」


「わかりました。ありがとうございますハナさん」


 一真はまだハナがそこにいるのも気にせず、袴の結わいを解き始めた。

 ハナは慌てて立ち上がり、厨房に駆け込んだ。

 シマが声を掛ける。


「あらあら、お顔が真っ赤な山茱萸(やまぐみ)のようですよ? ほほほほほほほ」


 ハナは何も言い返せず、慌てて柄杓で水を飲んだ。

 シマは相変わらず笑い声をたてながら、奥座敷から真新しい狩衣と袴を持って来た。


「このお色なんてどうでしょう? ねえ、ハナさん」


 その狩衣は薄い水色に若草色の笹竜胆紋が美しく、白い袴も清々しいものだった。


「素敵ね。きっとお似合いになるわ」

「ほほほほほほほほほほ」


 ハナはシマがこれほど声を出して笑うのを生まれて初めて見たような気がした。

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