第25話 椎の木の精
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申し訳ございません。
滝の前の縁側に、体を投げ出すようにして倒れているその老婆は、震えながら腕を伸ばしていた。
「おじいちゃん!」
ハナの声に返事をせず、目線で指示を出しハナを後ろに下がらせる。
「お前からは悪しき気配がするな。名を名乗れ」
老婆はゆっくりと顔を上げる。
ハナの前に立ちふさがっている神々の隙間から垣間見たその顔は、どす黒い頬で歯のほとんどない口を反日tら気にしていた。
「三坂の椎の木でございます」
「三坂? ああ、あそこか。それにしてもその姿は如何したことか」
「百度参りに来た者たちの怨嗟が纏わりつき……」
「何を言うか! それらを身の内に取り込み浄化することこそがご神木の役割であろう」
「三坂の神が堕ちました。今や参詣するのは軍人ばかり。我の身の皮を削り戦地に持っていく風習ができてしまい、もう我だけの神力ではどうにもなりませぬ」
「身の皮を? 護り形にされておるのか」
「はい。三坂の神は人が人を殺す戦の神でございます」
「そうか……三坂は堕ちたか。お前は逃げてきたのじゃな?」
「はい。もう耐えられませぬ」
「そうか……ではあの美しかった椎の木は最早抜け殻か」
「芯が抜けております。立ち枯れるは必定」
「三坂はなんと申しておるのか」
「真っ黒な霞に飲み込まれながら、我に逃げよと」
おじいちゃんがじっと考えている。
ふと懐に手を入れて半紙を小さく折って滝に流す。
どこかに式神を遣わしたようだ。
「ウメとハク。こやつを清めてやれ。残り飯でも喰らわせてやれ」
呼ばれた二人が本来の姿のまま、枯れ木のような老婆を裏庭に連れて行く。
その姿を見送った神々が縁側に集まってきた。
「どう見たのじゃ?」
真っ白な髪が輝くように美しい幼女が口を開いた。
流水柄の稚児服を纏った紅顔の美少年が返事をした。
「あれは……遣われておるやもしれんな」
「やはりか」
全員が黙って下を向いた。
おじいちゃんが難しい顔で声を出した。
「いずれにしてもかなりの良き神が取り込まれておるようじゃ。今椎の式神を遣わしたのですぐに真偽は知れよう」
別の幼子が言う。
「偽であれば消すのみじゃが、もし真であれば早まるのかもしれんな」
ハナが聞く。
「何が早まるのですか?」
「戦じゃ。新年まであと三月、年が明けるまではこちらが不利じゃからな」
不思議そうなハナにおじいちゃんが教えた。
「我らの力は信心じゃが、直接の霊力は供え物じゃと教えただろう? ハナは年が明けたら何をする?」
「え? おせち料理を作って新年参りに……ああ、そうか。国中の人が参詣するよね」
「そうじゃ。初詣は人間だけではなく我らにとっても重要なことじゃ。三が日でおおよそ1年分の力が溜まる。言い換えれば年の瀬は、我らが力が一番弱る時なのじゃ」
ハナはおじいちゃんの話に何度も頷いた。
確かに正月参りは日頃信心していない人間でもおこなうものだ。
賽銭を投げ入れ、好き勝手な願いごとを呟いていく。
その願いが叶うかどうかは知らないが、神に詣でるという行為こそが重要なのだ。
有名な神社には訪れる人も多いが、地元の小さな神社や祠にまで気を配るのは、この時期以外では考えにくい。
「なるほどね。お正月になると、確かにいつもは見ることもない小さな祠でも、誰かが必ずお供えをしているものね」
「小さければ小さいなりの霊力が宿っておる。そしてその地の者たちを守っているのじゃ。ハナも初詣に行ったら神籤を引くじゃろう?」
「うん、必ず引くよ。そしてご神木に結わえられた綱に結んで帰るよね」
「ああ、神籤は読んだらその場に置き帰るのが習わし。これは邪念をその場に置いて帰るという意味じゃ。そしてその邪念を吸い取り浄化するのが神木の役割じゃ」
「さっきのおばあちゃんは邪念を吸い過ぎたってこと?」
「それもあろうが、皮を剝がれると言うておったろう? 神木は邪念を取り込み逃がさぬように固い皮をしておる。それを剝がされたら邪念は漏れ出すし、浄化していない邪念を守り形にした人間も邪念に侵される」
「怖いね」
「恐らくは悪しき神がそうし向けたのであろう。邪念は邪気を呼ぶ。邪気は悪しき神の糧となる。年の瀬は弱き者たちの恨みつらみが膨れやすい時期じゃ。そこを狙ったのであろうが。三坂を取り込むとは考えたものよ」
「三坂って?」
「武運の神じゃよ。この国をまた戦争に向かわせようとしておるのじゃろう」
「戦争……」
ハナはそう呟いて俯いた。
「戦は勝っても負けても血が流れる。そこには恨みが生まれ憎しみが育つ」
暫しの間座敷に沈黙が流れた。
コトリという音がして、緑色の式神がひらひらと戻ってきた。
おじいちゃんがフッと息を吹きかけると、髭をたくわえた壮年の男が土間に跪いた。
「ご報告申し上げます」
おじいちゃんが頷く。
「三坂の神は不在。社には黒札が貼られておりました。神木はすでに死に体となり、中は空洞でいつ倒れてもおかしくありません。守人一家は年の瀬の金策で忙しく、ここ何日も祀りごとは為されておりませんでした」
青い髪をした幼子が掌を握りしめて言う。
「悪しき者たちを呼び込むのは結局人間ぞ。その者たちを正さねば三坂も戻れぬ」
そうじゃそうじゃと同意する神々。
おじいちゃんがひとつ頷いた。
「見極めに向かう。各々は早急に出立し、全ての社を見回ってくれ」
全員が頷いて消えていく。
コトンと戸が開く音がして、土間に先ほどの老婆が運ばれてきた。
髪と体の汚れは落ちているものの、その目に生気は無く枯れ枝のような腕が痛々しい。
おじいちゃんがウメとハクに言う。
「戻してやれ」
二人は頷くと、竈に火を入れて残っていた味噌汁を温めて汁かけ飯を作った。
木匙を渡すと、消えるように椀が空になっていく。
よほど飢えていたのだと、ハナは悲しい気持ちで老婆を見ていた。
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