第3話 滝の前
シマが嬉しそうに言う。
「はい! シマはずっと応援していますよ。式神はここまでしかお供できませんから、ここで見守っています」
「うん、ありがとう。行ってきます」
ハナは覚悟を決めて歩き出した。
「え〜っと? まずは手と口を清めるんだよね」
神社に参拝するときと同じ手順で指先を清め、口を漱ぐ。
ふと見ると池の底に何か光るものがある。
じっと目を凝らすと、何か生き物の目のようだった。
いきなり不安が襲いそのままの姿勢で振り返ると、シマが満面の笑みで手を振っていた。
「うっ……」
すっくと立ちあがり、約束通り時計回りで池の畔を滝に向かって進むハナ。
子供の頃から慣れ親しんできたこの滝も、今日は様子が違って見える。
「今日は水量が多いんだ! いつもはタラタラと岩を伝うくらいにしか流れてないのに。ん? 岩? 滝の向こうは……岩! 滝が割れても岩があるだけなんじゃないの?」
誰に話しかけているのか、心に思ったことを口に出すハナ。
相当なプレッシャーを感じているのだ。
「ええい! ままよ!」
ハナはシマに渡された榊の枝を両手で持って、ざぶざぶと池の中に入った。
深さは太ももくらいだが、流れがきつく歩きづらい。
「コケたら失格とか?」
この期に及んでもくだらないことしか思い浮かばないハナだったが、やることはきちんとやっている。
ゆっくりと進み、滝を正面に見上げる場所まで移動してきた。
「さあ、合言葉よ。落ち着いて!」
自分で自分を𠮟咤激励し、大きく息を吸った。
「悪事も一言、善事も一言、我こそは葛城の子。一言主神の愛し子なり~」
ハナはゆっくりと目を開けた。
滝は……割れていない!
「えぇ?」
ハナはものすごく焦った。
できればすぐにでも引き返し、シマにどこが悪かったのか教えて欲しい。
「ゴゴゴゴゴゴ」
大粒の雨のように頭上から降り注いでいた滝の飛沫が止まり、眼前の水のカーテンが真ん中からゆっくりと開いていく。
恐怖より好奇心が勝ったハナは、目をキラキラさせながら見守った。
「お~い、早く入ってくれ。百年ぶりだから力が……」
青年というより少年に近い声が中から聞こえた。
神というからには、胸まで伸びた真っ白な髭のおじいさんを想像していたハナはポカンと口を開けている。
「早く早く! 濡れるぞ」
もうびしょ濡れだと思ったが、入らない選択肢は無い。
「お邪魔します」
友人の家に遊びに行った時のような挨拶をして、ハナは滝の奥へと進んでいった。
「やあ! 待ってたぞ! うん、なかなかの霊力だ。さすが我が一族だな」
気軽に言葉をかけてくる目の前の人物は、どう見ても10歳くらいにしか見えない。
危うく誰なのか確かめそうになったハナは、ぐっと言葉を飲み込んだ。
大きく息を吸い、滝前で述べた口上を繰り返す。
「悪事も一言、善事も……」
「ああ、もういいよ。さっき聞いたから。それにお前の纏う霊力は間違いなく我が末裔だ。あれから百年経ったのだなぁ。なんと言うか感慨深い。それにしても、この岩戸を開くたびに、殺伐とした空気が濃くなっているような気がする。まったく人間というものは欲深いことだ」
それには答えず、ハナは慌てて少年の前に三つ指をついた。
「葛城ハナでございます」
「ああ、愛し子は全員ハナと名付ける決まりだから自己紹介は良いよ。私のことはおじいちゃんとでも呼んでくれ」
「お? おじいちゃん?」
「ああ、だってお前のご先祖だもの。間違いないだろう?」
「でもそれって……少々畏れ多くないですか?」
「別に呼び名などどうでも良い。おじいちゃんでもポチでもミケでも何でもいいさ」
「ミケって……お名前を伺っても?」
「構わんが、絶対に一度では覚えられないし、全て言い終わるまでに日が暮れるほどの時間が掛かるが良いか?」
「うっ……止めておきます」
「それが賢明だ。だからおじいちゃんで良い」
「畏まりました」
少年がニヤッと笑った。
「言ってみろ」
「へ?」
「さあ! おじいちゃんと言ってみろ!」
「お……おじい……さま?」
「お・じ・い・ちゃん・だっ!」
ハナは覚悟を決めた。
「おじいちゃん!」
少年がものすごく嬉しそうに笑った。
「うん、それでよい。お前はハナでいいな? よし! ハナ! ついて参れ」
考えていたよりずっと軽いノリの神に、なぜかハナは血のつながりを感じた。
おじいちゃんに連れてこられたのは、古めかしい作りの厨房だった。
大きな竈があり、もう朽ちているような水桶が何個も置かれていた。
「飯を炊いてくれ。酒には不自由していないが、炊き立ての飯というのも捨て難い。久しぶりに塩むすびが食したい」
「飯を炊くって……あっ! はい、畏まりました。ただいますぐにご用意いたします」
「ああ、わしは疲れたので昼寝をする。できたら起こしてくれ」
「はい」
「それと、その口調は止めよ。なんだか他人行儀でつまらん。普段通りの言葉で話せ」
「えっ……はい……うん、わかった、おじいちゃん」
ハナの言葉に大満足したのだろう。
そのまま厨房の板の間にゴロンと転がり、すぐに寝息を立て始めた。
「無邪気な寝顔ねぇ」
父親に命令され、シマの厳しい指導で身に着けた家事だったが、こうなると本当に修行だったのだと理解できる。
竈の大きさこそ違えど、薪で飯を炊くなどハナにとっては日常だ。
しかも塩むすびで良いなら簡単極まりない。
「楽勝ね」
一人ほくそ笑んだハナだったが、いきなり大きな問題に直面する。
厨房にある水屋箪笥の扉を全て開けて回ったが米が見当たらない。
竈の近くも探したが、薪も無いし炭も無い。
そもそも火種が無いのだ。
「どうしろってのよ」
おじいちゃんを起こして聞いてみるしかない。
そう思ったとき、厨房の横の作業台の上にドサッと何かが現れた。
「え? 米? それに薪も! 火打石と炊きつけの小枝もある! お~! 塩と味噌といりこと豆腐! ネギも! 絶対味噌汁作れってことじゃん!」
その声で起きたのか、おじいちゃんの声がした。
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