深淵の魔女の悠々とできない日々
蒼井美紗
第1章 深淵の魔女はのんびりしたい
第1話 魔術師団から辺境へ
「フィオレ、其方の退職願は受け取った。しかしどうにか思い留まってほしいのだ」
目の前のソファーに腰掛けて眉を下げるこのお方は、この国――ニコレーテス王国の国王陛下だ。
「陛下、そんな顔をなさらないでください。……しかし急なことで申し訳ないとは思っておりますが、わたしは退職願を撤回するつもりはございません」
「そこをなんとかお願いできないか? 何か不満があるならば改善するゆえ、なんでも言ってくれて構わない」
食い下がる陛下に少しだけ心を動かされそうになったけど、なんとか拳を握りしめて絆されることは回避した。
悪意を持ってたり、打算で近づかれたりする場合は問題なく突っぱねられるんだけど、こうストレートに頼まれると弱いんだよね……。
今まで退職を決意してはこうして絆されてきたのだから、今度こそは絶対に辞める。辞めずに後悔するのはわたしだ。
「わたしは人里離れた場所でずっと過ごしてきましたから、王宮という貴族社会の中で生きていくのは、もう耐えられません。わたしは平民ですし……」
「しかし其方は二つ名持ちの魔女、深淵の魔女だ。世界中を見回しても両手に収まるほどしかいない存在である。うるさい貴族は私がなんとか抑え込むゆえ……」
「いえ、それには及びません」
深淵の魔女なんて呼ばれても、結局貴族の方たちは『貴族』という身分が一番大切なんだ。陛下でも全ての貴族を抑えることなんてできない。
わたしの力を使いたい時だけ都合よく近づいてきて、それ以外では見下してきて、もちろんそんな人ばかりじゃないことは分かってるけど――
もう、ここにいるのは疲れた。
「本当に気持ちが変わることはないのだろうか……。其方の稀有な魔法の才は我が国にとって、そして魔術師団にとって、なくてはならないものとなっている」
「そう言っていただけるのは、とても嬉しくありがたいのですが……申し訳ございません」
陛下の表情を見ると絆されてしまいそうだったので深く頭を下げると、少しして陛下が口を開いた。
「――分かった。ではフィオレの退職を受け入れる。しかしフィオレがまた働きたいと思った時にはすぐに迎え入れるゆえ、いつでも連絡をしてくれ」
「かしこまりました。ありがとうございます」
そうしてわたしは、十二歳から五年も勤めていたニコレーテス王国の魔術師という仕事を辞めた。
陛下から了承を得たわたしは、数日で諸々の手続きや引き継ぎを済ませた。ちょうど同僚や共に仕事をしていた仲間のほとんどが仕事で出払ってたのをいいことに、皆に手紙を書いて王宮を後にする。
鞄一つに必要なものは全て詰め込み、ここからは身軽な旅だ。王宮を出たらなんだか空気が澄んで、体が軽くなった気がする。
「やっぱりわたしに、国に仕える仕事は向いてなかったね」
でも仕方なかったんだ。生まれてすぐに多すぎる魔力を持つわたしを持て余して、実の両親はわたしを真紅の魔女であるディアナさんに預けて行方知れず。
そのディアナさんは、わたしが十二歳になったその日のうちに、魔法の全てを教え終わったからもう自由だとか聞こえのいいことを言って、自分が旅に出たいからってわたしを家から追い出すし。
ずっと深い森の中に住み、世間知らずなわたしが仕事をするには得意な魔法を使うしかないから、魔術師団に入った。
「なんか……わたしって結構苦労人?」
改めて考えてみると、そんな気がする。でも魔法のおかげで食うに困ったりすることはなかったから、苦労人とは言えないのかな。
魔術師団を辞めても魔法があるし世間の常識も覚えたから、これからも生きていけるだろうし。
そんなことを考えていたら、王都で一番大きな馬車乗り場に着いた。受付には綺麗なお姉さんが一人いて、声を掛ける。
「すみません。乗合馬車の中で、一番田舎に行くのってどれですか? のんびり田舎暮らしがしたくて」
「あなた……まだ若いのにそんな老人みたいなこと言って大丈夫?」
「はい。もう都会は疲れたんです……」
わたしのその言葉に、お姉さんは同情の眼差しを向けながら、一つの馬車を示してくれた。
「この馬車、ちょうど一時間後に出るんだけど席がまだ空いてるわ。行き先はこの国の辺境の一つ、ナーヴェ辺境伯領よ。ここの主都に着くからそこで乗り換えれば、辺境の村に行けるんじゃないかしら。でも辺境は田舎だけど、危険もあるし……」
「いえ、危険は問題ありません。逆に危険があったほうがいいぐらいです」
魔物がたくさん出て危険な村とかに行けたら、戦力は歓迎されるはずだ。そこで家でも借りて、のんびり野菜でも育てて暮らせたら……
そんなことを考えていたら、受付のお姉さんの厳しい表情が視界に映った。
「どうしましたか?」
「あなた、自殺はダメよ。そんなことのために辺境に行くならチケットは売れないわ」
「え、違う、違います! 危険があったら護衛の需要があるからって話で……わたしこう見えて、魔法はかなり得意なんですよ」
慌てて伝えたけど、お姉さんはまだ疑いの色を消さなかった。
「護衛をできるほどに魔法が得意だなんて、信じられないわ。そんな一握りの存在なら、それこそ田舎じゃなくて魔術師団にでも入れば……」
いや、その魔術師団を辞めてきたんです。
そう伝えようと思ったけど、魔術師団で働いていたことを示す証拠は何も持っていないので、諦めて少し魔法を使うことにした。
一般的な人たちはコップ一杯の水を出したり火種を出したり、その程度の生活魔法しか使えないところ、見た目が派手な大規模魔法を――
わたしはまず大量の水を作り出し、それを水流のようにして自分の回りをぐるりと動かした。
それから馬車乗り場全体を巡るように水流を操り、少しずつ空へと昇っていくようにして……最後に高い位置で、水がパァッと弾けるようにしてミストを降らせた。
綺麗な虹が掛かったところで、その場にいた皆から大歓声が上がる。
「なんだ今の!」
「魔法だ!」
「あんな大規模魔法、初めて見た!」
周囲の人たちからの声を聞きながら、受付のお姉さんに視線を戻した。
「どうでしょうか」
「あ、あ、あなた、凄いのね……!」
お姉さんはさっきまでの疑いの眼差しから一転、瞳を輝かせて身を乗り出してくる。
「ありがとうございます。ということで、辺境行きの馬車を……」
「あっ、そうだったわね。すぐ用意するわ」
そうして一騒動ありつつ、ナーヴェ辺境伯領行きの乗合馬車チケットを手に入れたわたしは、無事に王都を出ることができた。
それから二週間に及ぶ馬車の旅を過ごして辺境伯領の主都に着き、そこから今度は辺境に近い街に向けて馬車で丸一日を過ごす。
さらにその街からは半日ほど、徒歩であまり整備されてない道をひたすら歩いて……ついに、わたしが目的とした村に到着した。
この村はナーヴェ辺境伯領が広く接している、ルドスの森にほど近い場所にある村だ。ルドスの森とは魔物の巣と呼ばれるほどに危険な森で、腕利きの移住者はいつでも歓迎しているらしい。
まさに、わたしにぴったりの村だ。
やっと新しい住処を得られるとワクワクしながら村の入り口に到着すると、門番として立っていた強面の男性にギロリと鋭い視線で睨まれた。
な、なんで睨んでくるの……?
魔法は近距離からの攻撃に弱いので、少し緊張しつつ男性に近づいていく。
「嬢ちゃん、何の用だ?」
「移住希望で来ました」
素直に目的を伝えると、男性の目付きがより鋭くなった。
「はぁ? 嬢ちゃんみたいな細腕じゃこの村は無理だ。田舎暮らしがしたいなら他に行ったほうがいい」
そういうことか、心配してくれてるんだね。
鋭い目つきの理由が分かったら緊張は完全に霧散して、わたしは移住のワクワク感を取り戻しながら笑顔で答えた。
「大丈夫です。わたしは魔法が得意なので」
「いやいや、そんな嘘は通用しねぇぞ? 魔物が倒せるほど魔法が得意なやつは、全員魔術師団に入るんだ」
いや、それはさすがに偏見……でもないか。事実わたしも魔術師団に入ってたんだし。
「わたしはその魔術師団を……」
辞めてきたと言おうとした瞬間に、近い距離で魔物が雄叫びを上げた。
「オォォーーンッ」
「……っっ」
その雄叫びは複数聞こえるため、魔物の群れが近くに来ているようだ。
「ちっ、ブラックドッグだ。嬢ちゃん、危ねぇから中に入ってろ!」
門番の男性がそう叫んだ瞬間、村にある物見櫓のような場所に設置された大きな鐘が、ゴーンゴーンと低い音を響かせた。
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