第19話 魔力の痕跡
「まだ学生の身で……」
悲哀にみちたフィフィーの呟きが、少年の身体に落ちる。
少年の名はキルシュ・アークロイド。
プリエール魔法学校の3年生である彼は今、保管室の冷たい床に横たわっていた。
うつろな瞳に、口の端に僅かな苦痛を残して
制服は他の生徒と同じくダブルボタンのブレザーを着ていたが、濃緑色の生地は腹部に突き立ったナイフを中心に、血で真っ黒に染まっている。
「ずいぶん
死体の傍にしゃがみこんだヴァンの言葉どおり、ナイフにはごてごてとした装飾が施されていた。
まるで本物のツタが絡んだような
「さて、と」
本来、捜査となればもっとじっくり現場検証など行うものだが。ヴァンはざっと死体を確認しただけで立ち上がると、持ってきた鞄を漁る。
取り出したのは試験管のような形状のビンだった。中には白いふわふわとしたものが入っていて、それがビンの動きに合わせ舞うように揺れている。
ヴァンは早速、
「あ、フィーさん」
「? はい」
「この試薬、使ってみます? 先月配属されたばかりですし、まだ経験ないですよね?」
そういうと、ヴァンはフィフィーに試薬と呼んだものを差し出す。
フィフィーはそれを、不慣れな手つきで受け取った。
先ほど、ライズたちに説明したことは嘘じゃない。
フィフィーは間違いなくヴァンの上司であり、階級も彼より上だ。
けどそれはあくまで役職上の話であって、エリートである彼女よりもヴァンのほうが現場経験ははるかに多い。だからこうして、現場でときどき実習のようなことを行っていた。
「……そうですね、やってみます!」
落ち着いて答えそうなイメージとはうらはらに、フィフィーは力強く答えると死体の前に立つ。
そして封をするようにコルクに貼られたラベル紙を丁寧にはがすと、栓を抜いた。
すると、ひらひら、と。
傾けたビンの口から、あの白い欠片が溢れるようにこぼれていく。
雪のようなそれを見ながらヴァンは、この捜査もそろそろ終わりだと思っていた。
この試薬を使えば、現場に残る魔法の痕跡——魔力痕を調べることができる。そしてこの魔力痕を調べれば「誰が、どの範囲に魔法を使用したか」明らかにすることができるからだ。
魔法使いが魔法を使うとき、そこには必ず魔力痕が残る。
それはどんな魔法でも例外はなく、魔力痕を消すことは誰であってもできない。だから魔法使いが関わる事件では、必ずこの魔力痕が調べられる。
3日以上前の魔力痕は調べられなかったり、どんな魔法を使ったかはわからないなどの制約もあるが、それでも問題ないのは魔法の使用者が明らかになるからだろう。
魔法執判官にとって、被害者の命を奪ったのが氷の魔法か雷の魔法かなんてことはどうでもいい。
誰がやったかさえわかれば、あとはそいつを捕まえればいいだけだ。
なんの魔法を使ったかは、後で自白させればいい。
「あの」
ヴァンが顔をあげる。
だが、声の主であるフィフィーと目が合うことはなかった。彼女は空の容器を抱くように持ったまま、じっと死体を見つめている。
「これは、彼や凶器に対して魔法が使われたわけではない、ということでしょうか」
ぽつりと、呟くようにフィフィーが言う。
試薬を振りかけた先に魔力痕があった場合、その場所には青白い光が残るようになっている。
だが死体にも、凶器やその周囲にも、青白い光が現れた様子はない。
振りかけた試薬はなんの反応も示さないまま、跡形もなく消えてしまった。
「直接刺したってこともありますからね。次は扉にやってみますか」
「わかりました」
それで今度は扉全面に試薬を振りかけてみたが、こちらもなにも出てこない。
「私、手順を間違えてるんでしょうか」
「いや、開けて振りかけるだけなんで……次、俺がやってもいいですか?」
嫌な予感がする。
今度はヴァンが死体に試薬を振りかける。
もちろんそこだけでなく、気になるところにはすべてかけた。
机も、周囲の床も、飛び道具の類を考えて棚や壁も、それこそ持ってきた試薬をすべて使い切るまで調べた。
それでも。
「こいつは……」
魔力痕は出てこなかった。
そして。
時は、死体が発見された直後。
魔法薬学保管庫に教師たちが集まった頃に
仄暗い灯りのなか、教師たちは死体を見下ろしながら疑問の渦に飲み込まれていた。
誰が殺したのか。
なぜ彼は殺されなければならなかったのか。
なかでも一番の疑問だったのは。
なぜ、この学校で殺人が起こったのかということだ。
その理由は——。
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