第64話 招待


「ルカ・ヴァルテン。久しぶりだな」

「第二王子殿下」


 ルカはさらに深く頭を垂れた。


 リュディガーと言葉をかわすのは、一年前の同じパーティーの日以来だ。


「あの時は君は悪くないと知っていながら、責めるような物言いをしてすまなかった」

「いいえ。あの時も申しましたが、王子殿下がご不快に思われるのは当然ですから」


 マティアスとナターリアの芝居がかった婚約発表。本人たちは恋愛劇のヒーローとヒロインのような気分で気分よく酔いしれていたかもしれないが、許可もなく舞台に使われた王城にはいい迷惑だ。


「君はあの日、見苦しい言い訳一つしなかった。それどころか自分を捨てた婚約者の新しい恋を、慶事だと言ってかばった。弟と婚約者に貶められるのは屈辱であっただろうに、なかなか言えるセリフではない」


 あの時のルカは、立腹するリュディガーに便乗して、自分を陥れた弟と元婚約者を罰してくれ、と訴えることもできた。時と場所もわきまえず騒ぎを起こした二人を誅してくれ、と諫言することもできた。


 だがルカは弟への非難も、婚約者への恨み言も、王家への陳情も、一言も口にしなかった。

 ただ頭を下げ、騒動が起きたことを詫び、自分を裏切った二人の前途を祝福した。


「潔い男だと思った。アレクシアもきっと君と出会って、同じように感じたのだろう」


 リュディガーはほんの少しだけ悔しそうに、ルカを見つめた。

 

 色恋沙汰に見向きもしないアレクシアを、難攻不落の城のようだと思ったことがある。地位でも、名誉でも、財産でも釣ることのできない、崩しようのない堅牢な牙城。


 そんなアレクシアが婚約者として同伴したのは、地位も、名誉も、財産も何も持たない男だった。何も持たない──真心だけしか持たない男。


 仮の婚約者だと秘密裏に聞いてはいるが、仮であろうとアレクシアがパートナーとして認めた令息は初めてだ。


(かなり画期的なことなのだが……。アレクシア自身にその自覚はなさそうだな……)

 

 祝福と寂しさが半ば入り混じったような、複雑な気持ちでリュディガーはルカを見た。


 一年前に会った時は濡れた子犬のように悄然と萎れていたルカは、今は見違えるように溌剌はつらつとして、生気にあふれた青年になっていた。


「どう? リートベルクの地は気に入った?」

「はい! 骨をうずめる覚悟です!」


 即座に答えるルカに笑みを返してから、リュディガーは小声でそっとアレクシアに耳打ちした。


「しかし、大丈夫なのか? ヴィクトル叔父上はお怒りだろう?」

「いや。ルカを気に入りすぎていて困るくらいだ」

「それは凄いな……」


 最大の関門はすでに突破しているというわけか。将を射んと欲すれば先ず馬……いやひぐまといったところか。

 リュディガーが感心した刹那だった。


 耳をつんざくような悲鳴が、きんきんと鳴り響いた。


「マティアス!」


 聞き覚えのある声に、ルカはびくっと肩をすくめる。


 忘れたくても忘れられない、ルカの鼓膜に染みついている怒鳴り声。


「マティアス! これはいったいどういうことなの!?」


 がなり立てるのはマティアスの母で、ヴァルテン男爵夫人のヘルミーネだった。となりにはルカたち二人の父であるアウグストも立っている。


「リュディガー王子殿下! いったい息子に何があったのです!?」

「大事にしないと話したばかりだが、親である君たちには伝えなくてはならないな」


 やれやれといった様子で肩をすくめて、リュディガーは長剣を指さした。


「マティアス・アウグスト・ヴァルテンは酩酊めいていして抜刀し、リートベルク辺境伯令嬢に切っ先を向けた。そこに刺さっている剣だ」

「け、剣を!?」

「言うまでもないが、その剣は王家所有のもの。勝手に持ち出すだけでも禁忌だが、さらに鞘から抜いて上位貴族に向けたとなれば処罰は免れない」


 ヘルミーネはひいっと悲鳴を上げる。

 愛してやまない息子がよりによって王宮で狼藉を働いたなどと、にわかには信じられない悪夢だった。


「だがリートベルク嬢は酒の席での不始末ゆえ、公にはしないと言っている。令嬢の慈悲に、そしてルカ・ヴァルテンが婚約者である縁に感謝するがいい」

「ルカ?」


 男爵夫妻はそこで初めて、ルカの存在に気がついたようだった。二人そろって驚愕した表情を浮かべ、信じられないといった様子でルカを注視している。


「ルカ……なのか?」

「冗談でしょう!? あなたがリートベルクの令嬢の婚約者ですって!?」

「父上、奥様……」


 ぽつりとつぶやいたルカに、アレクシアは密かに眉をひそめる。


("奥様”……?)


 ルカは男爵のことは父と呼んだが、男爵夫人のことは奥様と呼んだ。夫人はルカに母と呼ぶことを認めず、女主人として敬うように強いてきたのだと、その一言だけですぐにわかった。


「リートベルク辺境伯令嬢!」


 金切り声をあげて、ヘルミーネはアレクシアに詰め寄った。

 

「何かの間違いです! そんな子ではないのです! マティアスは本当に心優しく、見目麗しく、誰よりも優れた子で……」


 空気も読まずに息子の自慢を始めようとするヘルミーネを制して、疲れた面持ちで頭を下げたのはアウグストだった。


「リートベルク嬢。愚息が大変申し訳ありません。どうかこの非礼をお詫びさせてはいただけないでしょうか?」

「そう! そうですわ! どうぞ我が家にてお詫びとおもてなしをさせてくださいませ! ルカ、あなたからも令嬢に言ってちょうだい!」

「え……」


 ──嫌だ、と反射的にルカは思ってしまう。


 室温は変わらないはずなのに寒気が走って、胸の火傷が痛んだ。

 嫌だ。ヘルミーネと同じ空間で過ごしたくなんてない。


 しかし、アレクシアは男爵夫妻の誘いに興味を示した。


「ルカ、予定を変更してもいいか?」


 もともと今夜は王都にあるリートベルク家のタウンハウスに宿泊する予定だった。男爵家に寄る気はさらさらなかった。


 男爵家はルカにとって実家ではあるが、居心地のいい場所ではないし、歓迎されるともまったく思えなかったからだ。


「せっかくのお誘いだ。お招きにあずかろう」

「……はい」


 言われて、ルカはこみあげる不快感を押し殺した。アレクシアの意に沿おうと、動揺を封じ込めてうなずく。


 入場の時よりもさらに強くつながれた、アレクシアの手だけが温かい。


「ご招待ありがとうございます。ヴァルテン男爵、男爵夫人」


 ルカを守るように一歩進み出たアレクシアは、男爵夫妻に向けて笑んだ。


「私も一度、男爵家にごあいさつにうかがいたいと思っていました」

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