第52話 最果ての島
イディル島まで乗せてくれた漁師に礼を言い、ラティラスは辺りをざっと見回した。
灰色の空の下、小さな桟橋の周りには誰もいない。黒い岩がちな海岸は風が強く、うすら寒い。波音が余計に寒さを煽った。
遠くに暗緑色の森が見える。そこから少し離れた所に、ぼつぼつと家の屋根が見える。
「随分と寂しい所だな」
ルイドバードが呟いた。
「今は曇っていますから。晴れた日は海が輝いて、それはきれいなんですよ」
「ここがロアーディアルの国の本当の聖地ですか」
なんだか聖地というのだから、もっと花の咲き乱れるキレイな所を想像していたのだが、だいぶイメージと違うようだ。
「フィダールが住んでいたのはあの森の中です」
ファネットが遠くの森を指差した。
「自分の家には行かないのか? 自分を追い出した父親に恨み言の一つも言ってみては?」
リティシアの言葉にファネットは淋しそうに首を振った。
「いえ……会ったところでなんと言ったらいいのか分かりませんし」
「あれ、ファネットちゃん! 戻って来たの?」
花のように明るい声がして、ラティラス達は振り返った。
ファネットと同じくらいの歳の少女が、こちらに向かいながら手を振っていた。
「ラスちゃん!」
友達同士らしい二人は、半分抱き合うようにしてキャッキャと再会を喜んだ。
「ねえ、あの人達は?」
ラスがこっちに目を向けていう。
「町であった友達よ。それにしても久しぶりね! なんだか二年離れてただけなのに、もう何年も会ってなかった見たいだわ」
「ファネット、島を出てキレイになったんじゃない? そうそう、この間ね……」
無駄に続きそうな会話に、リティシアとルイドバードはイライラしているようだ。
ラティラスが「まあまあ積る話もあるでしょうし」となだめていると、「そういえばほら、あの森に男の人が住んでいたでしょう。まだいるの?」とさりげなくファネットは聞いてくれた。
「ああ、あの人? とっくにいなくなっちゃったよ! 小屋で火事をだしてね。そのまま……」
木々の間を抜けると、狭く円形状に開けた場所があった。もとは炭を焼いていたのだろう、傍にクモの巣が張った小さな窯があった。そして、その近くにインクをぶちまけたように焦げた跡が広がっている。
その中心に、焼け焦げた小屋が辛うじて建っていた。丸太で出来た壁は一部が残っているだけ、屋根も半分以上が落ちてなくなっている。
「ひどいな」
ルイドバードが風に舞う灰(はい)を嫌って、口元をハンカチで押さえる。
「おそらくは火事になって島を離れたのではなく、島を出る事にしたから火をつけたんでしょうね。秘密を守るために」
ラティラスは焼け跡をあさってみた。器が少しと、元は地球儀らしき骨組。他はほとんど黒い固まりになっていた。束ねられた紙も、ほとんど真っ黒になっていた。焼けた紙は、ラティラスが触るとボロボロと崩れていく。
「こりゃ、念入りに証拠隠滅されてますね。めぼしい物はみつかりそうに……」
そこでラティラスは手を止めた。黒い紙束の中に、白い紙が一枚だけ残っている。
それは小さな地図だった。見たこともない艶のある紙に描かれている。焼け残ったのは、この素材のおかげだろう。ただの紙が、火に耐えられるはずはない。これも、花形の武器のように神話の時代の物なのだろう。おそらくフィダールはこんな薄い紙が燃え残るとは思わなかったに違いない。
その地図には島の一部が描いてあった。そして島から少し離れた海中に×が付けられている。
「一体なんのマークですかね? まさか宝の地図っていうわけじゃないで……」
繁みが動き、ファネットをのぞく全員が剣の柄に手を伸ばした。
「そこで何をしている!」
繁みから初老の男がぬっと姿を現した。昔は端正な顔をしていたのだろうが、金色の髪は白い色がかなり混じって、顔にはシワが刻まれている。だが体つきはがっしりとしていて、力仕事で生活をしているのがよくわかる。
「父さん……どうしてここへ?」
気まずそうにファネットが呟いた。
「さっきラスから聞いたんだ。お前が島に帰ってきていると。そしてこの小屋のことをきいていったとな」
彼女の父親については、ラティラスも多少彼女から聞いていた。たしか名前はヴェインで、猟師をしているらしい。
「なぜ島へ戻って来た! 団長さんの所で世話をしてもらえと言っただろう!」
「戻って来られちゃ返金でもしなきゃいけないんですかい?」
ラティラスがあざ笑うように行った。
「ファネットさんから聞きましたけどね、その団長さんとやらは彼女のことをいかがわしい宿に売ろうとしていたそうではないですか」
目玉が飛び出るんじゃないかとラティラスが心配するほど、ヴェインは目を見開いた。
「おや、その様子じゃ、ひょっとして団長の正体には気づいてなかった? 本当に、ただの気のいい劇団員さんだと?」
「当たり前だ! せげん(せげん:女性を売る商売をする者)と知っていたら娘をあずけたりしなかった!」
ヴェインはファネットを抱き締めた。
「よかったなファネット。父上はあなたを捨てたわけではないようだ」
ルイドバードの言葉に、ヴェインは今初めてファネット以外の存在に気がついたようにラティラス達に目をむけた。
「あなた達がファネットを連れてきてくれたのか。悪いが、またファネットを島の外へ連れて行ってもらえないか。今度こそ安全な所へ」
その言葉に、リティシアが形のいい眉をしかめる。
「なぜ、そこまでファネットのことを遠ざけようとする?」
「この島が呪われているからだ」
「呪われている?」
ラティラスは思わず聞き返した。
聖地を捕まえて呪われているとは、ずいぶんな言い草だ。
「ああ。夜、海に明かりが浮かんでいたり、海岸に人影がうろついていたと思ったら急に消えたり。尋常ではない」
ヴェインは海のある方向へ視線をむけた。
「昔はそんなことはなかったんだ。すべてここ数年に始まった」
「だからファネットを島から逃がしたというわけか」
呪いを信じていないらしく、ルイドバードは少し呆れたように言った。
「でも、だったら言ってくれればよかったのに!」
捨てられたどころか、父が自分を守ろうとした事を知って、ファネットは涙をにじませている。
「それを言えば、お前は俺を残してこの島を出ようとは思わなかっただろう」
図星だったのだろう。ファネットはぐっと言葉に詰まったようだった。
「俺は妻の墓を捨て、生まれ育ったこの島から出たいとは思わん。自分の身ぐらい自分で守れるしな。しかし、お前は海の神からの授かり物だ。この異変でお前がいなくなってしまうと思った。なにか、見えざる力がお前を連れ帰ってしまうのではないかと。そんな事になるくらいなら、離れていてもお前が無事でいてくれた方がいいと思った」
「海の神の?」
ふと気になってラティラスは聞き返した。
ファネットが捨て子だったと聞いたとき、なんとなく道端に捨てられていたものと思い込んでいた。自分が町育ちだったせいだろう。
「ああ。五年前、嵐の日にまるで死人のように打ち上げられていたのがファネットだよ。ファネットは、今までの記憶をすべて忘れていた。言葉すらもだ。それを俺が育てたのだ」
(なるほど、それで『海の神からの授かり物』か)
ならばヴェインがファネットを海から離そうとしたのも分かる。ある日急にファネットが現れたのなら、急にいなくなっても不思議ではない。
「なるほど、そういうことだったのか」
ルイドバードがどこか安心したように言った。なんのかんの言って彼女の事を心配していたのだろう。
「ところで、その不知火っていうのはどこで見たんです?」
ヴェインは、海岸を指差した。
「この場所から、湾をぐるっと回った所だ」
「それってひょっとして……」
ふと思い当たる所があって、ラティラスはさっき手に入れたばかりの地図を取り出した。
「この位置だったりします?」
地図に唯一付けられたマークを指差す。
「え、ああ。その辺りだ。だが、そこは暗礁になっていて、船でもいけないぞ。もちろん潮の流れがあるから歩いても行けない」
そう言って、ヴェインは視線をファネットに移した。
「さあ、帰ろうファネット。街での話を聞かせてくれ」
そういってヴェインは娘に手を差し伸べた。
ファネットは、それをどう扱っていいか分からないというように、荒れて大きな手を見つめていた。
「ごめんなさい、お父さん」
ファネットは静かに首を振った。
「私はまだ皆さんと一緒にいます。危ないことはしませんから……」
「待て、ファネット」
口をはさんだのはルイドバードだった。
「君は父親のもとへ帰った方がいい。ここから先は危険だ」
「いいえ、私は皆さんと一緒にいます」
「まったく話が見えないのだが」
二人の会話を断ち切り、渋い表情でヴェインが言う。
「お前達は何をしようとしているのだ?」
「別に大したことじゃありませんわ」
口を開いたのはリティシアだった。
「少し、ここの島の歴史を調べているだけですの。なにせ、聖域ですからここの歴史は学問的な価値がありますわ。ここに住んでいたフィダール氏も、独自に調べていたようですが、急に消息を絶ってしまって」
うまいな、とラティラスは思った。人を騙すには、本当の事を少しだけ混ぜるといい。この島が聖域とされているのも本当なら、フィダールが独自に何事かをやっていたのも本当だ。
リティシアの言葉に、ルイドバードが何か反論しようとしているのを察知して、ラティラスは王子様の高級な靴を踏みつけた。
「!」
思惑通りルイドバードは声もなくうずくまった。
「おや、失礼」
しれっとラティラスは言う。
ヴェインはそんな二人をうさんくさげに見ている。
「さっき、そこの彼が『ここから先は危険だ』と言っていたようだが」
「ええ、島中を歩き回りますから。岩場もあるし、森には毒虫もいるでしょう」
それを聞いてヴェインは少し安心したようだった。
「ファネットはもう大人だ。岩場の歩き方も、毒虫の見分け方も心得ているよ」
そういうと、ヴェインはファネットの肩を軽く叩いた。
「必ず夜には帰ってくるのだよ」
ヴェインも、良かれと思って知人に預けたのが結果的に娘を危機にさらしてしまった、という負い目があるのだろう。それ以上なにも言わなかった。
ヴェインが去っていたのを見届けると、さっそくルイドバードがラティラスに食ってかかった。
「なぜごまかした! ファネットは父親のもとに帰るべきだ。安全な場所に!」
「私はそれを望んでいませんわ」
ファネットが穏やかに言った。
「自分だけ危険な目にあって、女だけ安全圏に避難させる、実に紳士的な発想だ」
咎(とが)めるというよりは褒めるような口調でリティシアが言った。
「でもな、女は時に惚れた男と離れるよりは、共に破滅することを望むのだよ」
「は、破滅など。フィダールが何を考えていようと、私はそいつの悪事を暴いて、トルバドの王位を継ぐぞ」
「だったら、問題ないではないか」
にやりとリティシアは笑った。
「自分の命のついでにファネットの命も守ればいいだけだ」
「うう……」
とはいっても、ルイドバードもファネットが嫌いで言っているわけではないのだろうし、むしろ一緒にいたいのはやまやまなのだろう。結局ファネットを帰すのは諦めたようだった。
気を取り直してラティラスは辺りの探索を再開した。
淡いランタンの光で、火事場泥棒めいたことをするのはなんだか気味が悪かった。やっている本人がこれなのだから、もし通りすがりの者がすすけた小屋の跡で光が揺れている所を外から見たら、さぞ不気味だろう。
「さっき、散々調べたではないか」
ルイドバードは、あちこち引っ掻き回しているラティラスを、呆れたように眺めていた。
「いえ、おかしいんですよ」
ラティラスはルイドバードが持っている手紙を視線で指差した。
「その手紙でマークされている所は、船でも徒歩でもいけないところだってヴェインさんが言っていたでしょう。もしもそこでフィダールが何かしたのなら、そこへ行っていたはずです。どういう手段かわかりませんが」
リティシアが元イスだったらしい板のかたまりを退かしながら眉をしかめる。
「手段と言ってもなあ……空を飛んでいけるわけもなし」
ラティラスが焼け残ったカーペットをめくる手を止めた。
「リティシア様、その意見は惜しいかも知れません」
床にはレンガが敷き詰められていたが、一部分だけ煤の付き方がひどい。熱に負けてヒビの入った物もある。
「たぶん、この下に空間があるんですよ。空じゃなくて、地下を行ったんです」
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