第47話 血と蒸発

 鏡を割りながら進んでいても、迷路は迷路。相変わらず、ルイドバードは出口を求めてさ迷っていた。

「いかん……完全に迷った」

 ラティラスはどうなったろう? ファネットは? 気ばかりあせるが、行き止まりや別れ道がジャマをする。

 少し暑くなってきた気がして、手の甲で額の汗を拭った。戦いでゆるんでいたのか、仮面が外れて床に落ちた。

 床は一辺が大人の肩幅ほどもあるタイルが敷かれている。別に放っておいてもいいのだが、律儀に仮面を拾おうとしたルイドバードは、並ぶタイルの一枚が他と比べて色が薄くなっているのに気がついた。

 鏡に気を取られていたらまず気がつかなかっただろう。よく見ると、そのタイルの四隅から糸のように細い煙が立ち登っていた。

「一体、これは?」

 煙に警戒しながら、ルイドバードは近付いていった。じっとタイルを観察する。

 一角の隅に、小さな穴が開いていた。一見するとタイルを作る時、自然に開いた物に見える。だがよく見るとその穴のまわりに細い物で引っ掻いたような跡があった。

「まさか」

 ルイドバードは仮面の布を裂き、形が崩れないように入れられている針金を取出した。緊張しながら穴に差し込む。

 扉を開け放ったように、タイルが下から跳ね上がった。

「隠し通路」

 現れたのは地下へ続く階段だった。ルイドバードはゆっくりとその階段をおりていく。

 質素な通路の天井には細い管がはっている。その隙間から湯気が漏れていた。これがさっきの煙の正体だろう。

「地下があったのか」

 階段を下りると後方は行き止まりで、前方は単純な一本道。この先に何があろうと、迷わずにたどり付けそうだった。 


 うっすらと錆びた鉄のような匂いがする。心なしか、歩くにつれその臭いが強くなっていくようだ。

 行き止まりに、鉄の扉があった。警戒しながら戸を開けて内を覗き込む。

 熱気と、ざわめきが一気に襲いかかってきた。

 そこは錬金術士の実験場のようだった。壁や天井、机の上にはガラスや金属の管が張り巡らされ、その間を白いローブ姿の男達が走り回っている。そのローブの胸元には、二本角の鳥マーク。壁には、パーティー会場の壁にあったような細かな幾何学模様が彫られていた。

 そして、部屋の真ん中には赤い鉄でできた炉。それは丸みを帯びた逆三角形をしていて、どこか心臓を思わせた。なぜかルイドバードにはその炉が酷く禍々しいものに見えた。

 その炉は床から木の根のように伸びた鉄の管に支えられている。炉を操作、手入れするためか、周りには木の足場を組まれていた。その上にも白衣の男が立っている。

 今までの揺れは、この炉の稼働が原因だったらしい。まるで大きな生き物の内部にいるように、炉を中心に、部屋が細かく揺れている。

 炉の近くの床には、円いガラスのような物が埋まっている。

「くそ、カゴからリティシア姫の血が来ないのはつらい!」

 白衣の男の一人が叫ぶ。錬金術士達は何やら立て込んでいるらしく、ルイドバードが実験室に入り込んだことにも気づいていない。

(カゴ? 会場になったあの鳥籠のことか?)

 内側に短いトゲの生えた籠。あの中に人を入れるとは! というか、ここにリティシア姫がいるのか?

 ローブの男達は忙しく言葉を交わしながら炉を操作したり、バルブをいじったり、メモリをメモしたりしている。

「うろたえるな! 人造血液だけでいいだろう! それだけでも十分威力は出る!」

(人造血液? なんのことだ?)

 色々な考えがルイドバードの頭の中を回った。

(つまり、この心臓のような物は血で動いていると?)

 確かに、部屋の中を走るガラス管には赤黒い血のような液体が流れている。そういえば、あの鳥籠の下には、溝が掘られていた。こいつらはあの中にリティシアを入れ、その血と人造血液と混ぜ、この炉の燃料とするつもりなのだ。でも、この炉はなんのための物だ?

「発射準備開始!」

 足場に乗った科学者達が、棒を持って天井を探る。何か仕掛けがあるらしく天井の一部がスライドして穴が空いた。上階の鏡の迷宮の天井が見える。その天井には角度をつけた鏡が貼り付けられていた。

 黒いガラスが床からせり上がり、炉の四方を足場ごと囲んだ。炉は隠され、黒い柱のようになったといった。

 炉の真横の壁にチョークで描かれた二つの図がルイドバードの目に入った。

 一つは、塔から光が柱のように立ち昇っていく様子。もう一つはその光が街に降り注いでいる様子。芸が細かいことに、光に包まれ、破壊されていく街まで描かれていた。

(つまり、そういう兵器だと……?)

 どういう理屈なのかは考える気にもならなかった。だが、ロルオンの武器とベイナーの死体を見れば、ありえないことではない、というか信じるしかなかった。

 炉の近くの床に付けられた円いガラスが紫色の光を湛える。 

「発射準備完了」

 白衣の老人が、周りの混乱と似合わない重々しさで口を開く。

「……三、二、一」

「まずい!」

 ルイドバードは部屋の中心に走り出た。

「誰だお前は!」

 侵入者に気付いた科学者が色めき立った。

「ルイドバード!」

 見覚えのない老人の科学者は、こっちを知っているらしい。苦々しくルイドバードをにらんでいる。

「止めに来たか! だがもう遅い!」

 レンズの紫光(しこう)はだんだんと強まり、黒いガラスに守られていても目を開けられないほどになった。その光は天井の穴――鏡の迷宮から見れば床の穴――を通り、迷宮の天井に取り付けられた鏡に触れた。角度を付けられた鏡に反射した光は、迷路の中に導かれていった。


 鏡の迷路の中で、光は反射を繰り返す。そして所々にある歪んだ鏡で、その光は威力を増幅していった。


 ロルオンは痛む頭を押さえ、体を起こした。

「くそ、ルイドバードの奴……」

 ルイドバードの姿はもうない。フィダールから譲られた武器はまだ床に転がっている。

「くそ、くそ!」

 生まれながらに地位も名誉も手に入れている兄。それにくらべ、自分の立場が危ういことはロルオン自身がよく知っていた。王が母親にかける寵愛などいつなくなるかわからない。そうなったら邪魔者扱いされ飼い殺しにされるだろう。ルイドバードが無事にリティシアをめとったら、それこそ地方に追いやられ、そこで腐っていく運命だ。

 下手したら後の憂いを断つために、ルイドバードの手の者に殺されるかも知れない。

 そんな未来はいやだ。それならば、この命を賭してまでも王位を狙った方がいい。

 こめかみに流れる汗をぬぐう。なんだか、妙に暑い。こうやって考えている間にも、間違いなく気温が上がっている。

(なんだ? 何が起こっている?)

 早くここを出なければ。理屈ではなく本能でそう感じた。

 鏡はほとんどルイドバードが叩き割ったらしい。ふらつく体を支えようと、むき出しになった壁に手をついた。石の表面が意外なほど温かくなっていて、熱さというより驚きで手を引っ込める。

 夜が明けるように、どこからか光が差し込んできた。しかし、その光の色は清浄な白ではなく、毒々しい紫色だ。その光は、目を開けていられないほどに強さを増していく。閉じた瞼(まぶた)に通う血が真っ赤に視界を染め上げる。

 鉄板の上に立ったように、靴底から熱が伝わってきた。空気で焼ける喉を押さえる。自分のどの部分が焼けているのか、焦げた臭いがした。全身の皮膚がしびれ、今感じているのが痛みなのか、熱さなのか、冷たさなのかすら分からなくなる。

 悲鳴をあげ、ロルオンは紫色の光の中に溶けていった。

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