第44話 戦いには向かない迷宮
正面に立つ弟を、ルイドバードは睨みつけた。
「ロルオン! トルバド王国の王子ともあろうものが、番人になるとは落ちぶれた物だな。しかもなんだそのふざけた格好は!」
「たまには下々(しもじも)の仕事をするのもおもしろいと思ってね。それにこの格好も似合うでしょ? それにしても、あの毒で生きてるなんて。ゴキブリの血でも引いてるんじゃないの?」
「ルイドバード様の毒は、私が解毒してさしあげましたわ」
得意気にファネットが言う。
「へえ、あの毒を知っているという事は、あなたはイディルの島に行ったことが?」
向けられたロルオンの視線に怯えるように、ファネットはあとずさった。
「それにしても、リティシアと結婚する前にもう浮気してるんだ?」
ロルオンは冗談みたいにド派手な杖をかまえる。杖の真ん中に付けられた石が赤く輝いた。ルイドバードはそこで初めてその宝石が黒ではなく、黒に見えるほど濃い赤をしていることに気がついた。
ルイドバードも剣を抜いた。パーティーに武器の類の持ち込みは禁止されていたが、刃を銀色に塗った薄い板ではさみ、作り物に見せ掛け持ち込んでいた物だ。板がついたまま、ルイドバードは剣を構える。
ロルオンとの距離は十分ある。杖で殴りかかられても、避けられるだろう。こいつと剣を交えたことはないが、手合せしている所を見たことはある。謙遜ではなく、自分の方が強いはずだ。
小さな唸り声のような物が杖から聞こえてきた。先端の花から、花びらが一枚一枚意志を持つように杖を離れ、宙に浮かんだ。
「何?」
敵と向き合っているのも忘れ、ルイドバードはどんな仕掛けかと、浮かぶ白い金属片を見つめてしまう。
「ルイドバード様!」
ファネットに叫ばれ、ルイドバードは我に返った。とっさ体を転がした。
ついさっきまでルイドバードの背中があった場所を花びらが通過する。目標を急に見失った花びらが、勢い余って壁に食い込んだのを見て、ルイドバードは背筋を寒くした。ファネットがいなかったら、胴体が真っ二つになっていただろう。
無残なベイナーの死体が頭に浮かんだ。この花びらと種類は違うが、こういった常識はずれの兵器でやられたというわけか。
「ファネット、逃げろ」
体を起こし、襲いかかってきた花びらを剣で受けとめる。カモフラージュの板が砕け散った。
叩き落とそうと思ったのに、方向をそらすのがやっとだ。
白い花びらには板に塗った銀色の塗料がついただけで、壊れる気配もない。
小さな足音がして、ファネットの逃げて行く背中が視界の隅に見えた。賢明な女性だ。自分に今できることは何も無く、立ちすくんだり、ギャーギャー騒いだりすれば逆にルイドバードの足枷(あしかせ)になることをちゃんと分かっている。
ロルオンの性格から、こっちの息の根を止めることに夢中になり、ファネットは無視されるだろう。その点では安心できる。
右足首に花びらが迫り、慌てて右足をあげる。靴底が切り取られてどこかへ飛ばされていった。
急に右足を上げたせいでバランスを崩し、ルイドバードはつんのめって腰をくの字に曲げた姿勢で走る。そのすぐ上で風を斬る音が通り過ぎる。
布の壁が、床に断ち落とされる。
「くっ!」
このままではバラバラ死体にされてしまう。なんとかして体勢を整えなければ
(こいつにいったん背を向けないといけないのは悔しいが……)
「へえ」
逃げ出したルイドバードの後から、少し感心したようなロルオンの声が聞こえてきた。
「むちゃくちゃに立ち向かってくると思ったのに、引くことを覚えたんだ。一緒にいる変な道化師のおかげかな」
(ああ、それはあるかもな)
走りながらルイドバードは思った。
(あのなりふり構わない所は見習ってもいいと思っている)
布の壁をいくつもくぐり抜け、ルイドバードは気付くと一階の隅に向かって走っていた。無人の市を抜けると、細い通路に続く入り口が、トンネルのように壁に開いていた。なんのための通路なのか、考えているヒマはない。ルイドバードはそこに駆け込んだ。
細い通路の先には立ち入り禁止を示す絹のロープが張ってあり、見張りが一人立っていた。
「お、おい」
見張りが恐怖の表情を浮かべた。その首に白い花びらが迫る。
ルイドバードは見張りに体当たりを喰らわせた。
見張りは壁に叩きつけられるハメになったが、首をはねられるよりはマシだろう。
「仲間ではないのか、殺そうとするなんて!」
ルイドバードは思わず叫んだ。
「せっかく二人だけで遊べるのに、騒がれてジャマが入ったら嫌だからね」
再び白い花びらが襲ってきた。
ロープを巻き添えに、床を転がる。その先の床に、地下へ続く階段が見えた。どうやら吹き抜けから以外も下に降りる道があるらしい。
ルイドバードを三枚に開こうとするように、床すれすれの高さを水平に花びらが飛んできた。
頭を腕でかばい、階段を転がり落ちる。
床に沿って飛んだ刃が頭上を通り過ぎていく。
段に押しつけられた体が痛んだ。ルイドバードの体は、数段転がって止まった。腕に絡み付いた立入禁止のロープを振りほどきながら立ち上がり、そのまま階段を駆け下りる。
地下一階に着くと、手近な扉を開ける。その先に自分自身が立っていて、ルイドバードは少し驚いた。そういえば、この階は鏡の迷路になっていると聞いた。
背後に近付くロルオンの足音が聞える。ためらっている時間などなく、ルイドバードは迷宮に飛び込んだ。
すぐに無数の自分に取り囲まれる。鏡同士が映し合い、反射しあって、異次元にまで続いていそうな無限回廊をいくつも作り出している。どこまでが虚像で、どこまでが現実なのかはっきりとしない。
とりあえず道に見える所に突き進み、強(したた)かに頭をぶつけた。
「くっ!」
ついここに逃げ込んでしまったが、失敗だったかも知れない。ルイドバードは早くも後悔し始めた。
「鏡の中で鬼ごっこなんて、小さい時だったらもっとおもしろかったかも知れないね」
どこからか、ロルオンの言葉がする。気配からして、奴はどこかで追って来るのを止めたらしい。向こうは飛び道具なので、わざわざ迷路の奥深く入り込む必要はないということか。
嫌な汗が流れる背中を、鏡の一つに押しつける。これで前方と左右だけ警戒すればいい。
「ふん、鬼ごっこするほど仲がよくなかっただろうに。そもそも、初めて会った時はもうそんなことする歳でもなかっただろうが」
一体どこからこちらを見ているのか、右に、左に花びらが現われた。
「それにしてもお前のプライドがここまで低いとは思わなかったぞ、ロルオン」
襲いかかってきた花びらを防御しながら、ルイドバードはどこかにいる腹違いの弟に話し掛けた。剣で花びらを払い除けるたびに耳障りな金属音が響く。
「一国の王子ともあろうものが、わけのわからん組織の下僕(しもべ)に成り下がるとはな」
切れる息の間から、できるかぎり余裕たっぷりに見えるように声を張り上げる。
勢いのある花びらをいなしているせいで、手がしびれてきた。
「ケラス・オルニスなんて踏み台にすぎないよ」
相変わらずロルオンは姿をみせない。
「『武器』の秘密を探ったらケラス・オルニスを出し抜いてやる」
できるならここを離れ、ロルオンの姿を捉えたい。だが、歩くのもままならないこの迷宮で、花びらに襲われながらロルオンを探しに行くのは現実的とは思えなかった。
かと言ってこのままここにいても、体力を削られ、防ぎ切れなくなって死ぬだけだ。鏡に映った自分の姿は髪を乱し、あちこちに血のシミを作り、こめかみから首を汗に濡らし、ひどい有様だった。
……だったら、挑発してこっちに呼び寄せるか。
なんだか本当に、道化(ラティラス)の戦い方が伝染(うつ)ったようだと苦笑する。
「ぬくぬくと宿主に飼われておきながら、あとで脳を乗っ取ると?」
純白の花びらが鏡の虚像で数を増やし、乱舞して見えた。命の危機にさらされているというのに、美しい、と思う。
花びらが肩を掠める。飛び散った血が、鏡と花びらにマダラ模様を作る。
「まるで寄生虫のようだな」
「なに、それで僕を怒らせるつもりなの?」
ロルオンの言葉には笑みが含まれていた。
「それで僕をおびきだそうって? 無駄だよ」
品位を保つために口には出さなかったが、ルイドバードは心の中で毒づいた。こっちの計略には気付いているようだ。
何度目か数える気にもならないが、ルイドバードは花びらを弾いた。こっちの剣は刃が欠け始めたというのに、花びらは白いままだ。
(白いまま?)
ルイドバードは眉をしかめる。
ついさっき、花びらの一つに自分の血がついたはずだ。だが、周囲を飛んでいる花びらに赤いマダラ模様の物はない。
どこへ行った?
代わりにさっき見とれた時には無かったはずの、銀色の塗料のついた花びらが飛んでいた。階上でカモフラージュをつけたまま斬り掛かった時についた物だ。
ロルオンが持っていた杖が頭に浮かぶ。その杖についていた花びらは、明らかに今襲ってきている物より数が多かった。おそらく、この花びらは本体である杖から飛び立ち、敵を襲い、そして一度また杖に戻るのだろう。花びら全部で襲いかかるのではなく、待機している物があるのだ。なぜかは分からないが、休憩というか、力を回復しているのかも知れない。
まあ、理由がなんにせよ、それだけ分かれば十分だ。
ルイドバードはマントを外すと、花びらに引っ掛けた。ナイフに布をひっかけて振り回しても布は切れないように、押さえる物のないマントが切り裂かれることはない。着ている者もいないのに、マントだけが宙に浮いているのは少し滑稽だった。
上着だけを見据えてただひたすら追い掛ける。
「くそ、速い!」
道案内がある分、鏡の虚像に惑わされることなく進めるかと思ったが、その間にも他の花びらの攻撃は止むことはない。足元を狙う花びらを飛び越え、首を狙う花びらを避けている間に、目印であるマントを見失ってしまった。
「僕はあなたに何かあったときのスペアにすぎないんだ」
ロルオンの声が多少近くなったような気がするが、それはそうあってほしいという願望
がそう錯覚させているのかも知れない。
「だったら、母が王の寵愛を受けているのを利用させてもらうさ。あんたがここで死んで、リティシア姫を助けられなければ、父の命により、王位は僕の物だ。付け入るスキがあるなら付け入らないと。もちろん、ケラス・オルニスが全世界を統一できるとは思っていないよ。でも、トルバドくらいは自分の物にできるかも知れないだろ?」
「……なるほど」
スペア。
同じ父から産まれても、片方は王になるように定められ、片方は日陰者になるよう定められている。それがロルオンには耐えられなかったのだろう。さほど能力も変わらない、同じ人間なのに、とそう思っていたのか。
忌まわしい魔物のように思っていた腹違いの弟を、ルイドバードは初めて少し理解できたような気がした。かといって、許すことも、決着をつけずに済ますこともできないが。
「ん? なんだこのマントは」
布のひるがえる音がする。どうやら目印は捨てられたようだった。
「お前の言い分は分かった、ロルオン」
通路に茶色い砂のような物が散っているのを見付け、ルイドバードはほくそ笑んだ。
「だが、王になるべく育てられたこっちの気持ちも分からないだろう。その運命を今さらお前に譲れんよ」
ルイドバードは確かな足取りで走り始めた。
角を曲がった先に、驚きの表情を浮かべたロルオンが立っていた。まさか自分の居場所が突き止められるとは思わなかったのだろう。
「それに、そうやって自分だけ安全な場所で物事を進めようとする者は良い王になれんさ」
剣を持ちかえ、柄でロルオンのこめかみを殴り付ける。猫耳と猫の尻尾をつけたまま、床に崩れ落ちた。同時に、ルイドバードの後について来ていた花びらも音を立てて床に落ちる。
ルイドバードは床に落ちているマントをそっと拾い上げた。さらさらと茶色の粉がこぼれ落ちる。マントの内側にある隠しポケットに入れておいた玉子が割れ、コショウがこぼれだしていた。
「まさかこいつが道標になるなんて」
花びらが通った通りに、茶色いコショウ粒が床に線を描いていた。多少飛び散っても、キレイに磨かれた床にコショウ粒はよく目立つ。
「マントはあきらめた方がいいだろうな。洗濯もせず身につけたらくしゃみが止まらなくなる」
再びマントを床に投げ捨て、ルイドバードはもう一度気を失っているロルオンに目をやった。
よく考えればこいつもかわいそうな奴なのかも知れない。
とにかく、この鏡の迷宮から脱出しなければ。ファネットはどこへ行っただろう。
微笑むファネットの姿を思い出せば、なんだか落ち着かない気分になった。ちゃんと逃げ出しただろうか。
とりあえず、もと来た道を引き返す。そしてまた道標(みちしるべ)が尽きたところで鏡に額をぶつけてしまった。
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