第26話 神の家侵す者は

修道士ロエリドは、大きく体を震わせた。隣を歩くフナークも、持っているランタンに左手をかざして温めていた。

 ソリオン修道院の敷地内は、いつも通り平穏無事に見えた。

 二人は土の上に一部分だけ敷かれた舗装を通り、決められた見回りのルートを歩いていた。

 広い土地の所々に、切り絵のように真っ黒い影になった木が生え、時折風に吹かれてさざ波のような音を立てる。修道士達の宿舎も、食堂も、明かりのついている窓はない。           

ロエリドがついたため息は白くなって空へ立ち昇って行く。

「寒くなってきたな」

 ロエリドのその言葉に、フナークが応える。

「ああ、だんだんと夜の見回りがきつくなってきたよ。私も歳かな」

 ソリオン修道院では、夜中に一回係の者が院内の外を見回ることになっていた。

善(よ)からぬ者が入り込んだり、逆にまだ俗世を捨てられない者が夜遊びに出ていったりしていないかを見張る目的ではあるが、ここ数年、静かな夜を乱すものはなかった。

「そう言うな。それにしても見回りって言ったって、この修道院に誰が忍び込むっていうんだろうな? 確かに記録書館には本があるが、街じゃ字が読めねえ奴の方が多いんだ。ここに納められている本を盗むより、もみ殻でも盗んだ方がまだ使い道があるってもんだ」

 二人は庭を横切った。木々の間から、問題の記録書館が見える。

 小さな箱型をした記録書館は、昼ならば白い壁に施された美しいレリーフが見えるのだが、今は闇に沈んでいる、はずだった。

「あれ……なんだ」

 フナークに言われるまでもなく、ロエリドも異変に気付いていた。記録書館の側面につけられた窓から明かりが漏れている。

「まだ誰かが本を読んでいるのかな?」

 フナークの言葉には答えず、ロエリドは眉をしかめた。

「何か、変な臭いがしないか?」

 二人は自然と早足になった。確かにロエリドの言う通り、建物に近付くに連れ、焦げ臭い匂いが風に混じる。

 二人は窓のある記録書館の横にまわった。

「あっ!」

 壁の高い位置につけられた、横長の細い窓から炎が噴き出していた。壁に彫られた書物と鳥のレリーフが照らしだされ、不気味な陰影を作り出している。漆喰の割れる硬い音が爆ぜた。

「火事だ!」

 二人の声がぴったりと重なった。

「と、とにかく火を消さなければ!」

 ロエリドは同意を求めるようにフナークの肩をゆさぶる。

「フナーク、ここにある書物や記録はすべて国からの預かりものだ! 火で全滅なんてことになったらどんな罰を受ける事になるか!」

「け、消すには扉を開けないと!」

「エサマル師父とレヴォル師父が鍵を持っているはずだ! 私は二人を呼んで来る」

「わ、わ、わ、分かった! なら、私はみ、皆を起こして来る。火を消すのに人手が必要だろう!」


 鍵係のエサマルとレヴォルが寝巻のまま記録書館に駆けつけた時も、炎は勢いを弱めてはいなかった。 

「まさか火事とは……!」

 エサマルがぼんやりと窓から噴き出る炎を見上げている。

「なに、長く生きていればこんな事もあるさ」

 レヴォルは曲がった腰をさすりながらノンキに言った。

 周りまで消火用の砂の入った桶を抱えた修道士がぞろぞろと集まって来ている。砂ならば水と違って紙を傷めることはないが、扉が開かなければそもそも消火活動ができない。

「お二人とも、早く鍵を! 早く扉を開けなければ!」

 ロエリドが二人を急かす。

 エサマルとレヴォルは、扉の左右に一ずつある鍵穴に、それぞれ鍵を差し込んだ。かちりと音がして、鍵が開く。

「危険ですから、こちらへ」

 若い修道士が二人を避難させると、熱せられているだろうドアノブに備えて手に布をぐるぐる巻きにした。襲ってくるはずの煙と熱波にそなえ、一度大きく息を吸い止める。そして両開きの扉を一気に押し開ける。

 覚悟していたはずの熱も煙もなく、修道士は拍子抜けした。扉の向こうの闇の中では、盗難防止に鎖で本棚に繋がれた本や、古い書類を納めた木箱があるばかり。空気は相変わらず焦げ臭いが、ヒンヤリとしている。

「お、おかしい。たしかに窓から火が噴き上がっていたのに」

「ああ、あれ!」

 館の内に入っていった修道士の一人が窓を指差した。

 壁の高い位置につけられた、横に細長い窓。熱でヒビの入ったガラスの向こう側、つまり建物の外側だけで火が燃えていた。火事などではなく、窓の縁に油が塗られ、そこに灯された火が燃えていただけ。

「なんだ! タチの悪いイタズラだ!」

 エサマルが声を上げた。

「神の家でなんという罰当たりなことを」

 「クソッ」と毒づかない辺り、レヴォルはさすが修道士だった。

 消火用の道具を持って集まってきた修道士達が口々に

「なんだ」

「イタズラ?」

といらだち混じりの安堵の声をあげる。

「誰だ、こんな事をしたのは! 我々の中の誰かか? それとも何者かが入り込んだのか?!」

 いきり立った修道士の一人を、エサマルが身振りでなだめた。

「いや、仲間を疑うのは愚かなことだ。誰かが入り込んだとしても、もう犯人はいないだろう。罰は神様に任せるとして、もう暖かい床(とこ)に戻ろう」

「じゃあ、さっさと扉を閉めてしまおう」 レヴォルもエサマルと同じ意見らしい。二人は、開けた時と同じに左右の扉に取りついた。そして鍵を回そうとする。

「ん?」

 困惑の声を上げたのはレヴォルだった。

「おかしいな。鍵が回らない」

「どれ」

 エサマルが試してみるが、結果は同じだった。

「もうだいぶ古い物だからな。壊れたのかも知れない。ロエリド、フナーク!」

 レヴォルに呼ばれた二人が進み出る。

「またおかしな奴が入り込むとまずい。朝までここで番をしているがいい」

 この騒ぎを防げなかった負い目もあったのだろう。二人はしょげた様子でおとなしく記録館の扉の前に立った。

「あとで、差し入れを持ってきてあげますね」

 トティアという若い修道士が声をかけてくれる。

「さあ、すっかり体が冷えてしまった。帰ろう、帰ろう!」

 エサマルが教会の方へ向かい歩いていく。消火に駆けつけた修道士達も、ちらほらと帰り始める。

 記録書館が静寂を取り戻すまで、さほど時間はかからなかった。

 残された二人は、誰もいなくなった記録書館の扉の前で、今日何度目か分からないため息をつく。

「ああ、もう今日はこれ以上厄介な事はおきないだろう」

 その後ろに人影が二つ、忍び寄って来ているのに、二人は気づかなかった。

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