第23話 師匠、師匠その様は一体?
襟首をなでるように、冷たい風が吹く。そのたびに、カサカサと落葉が音をたてた。まるで、闇に潜む得体の知れない生き物が地面を走り回っているように。
墓守に気付かれないよう、明かりを絞ったランプの光は、墓石や聖獣をかたどった像を中途半端に照らしだし、かえって周囲の闇を濃くしているようだった。
「こわ……」
ラティラスは思わずつぶやいた。
「しかし、指定された場所に来てみれば、墓場とは。もしも合い言葉がなかったら、タチの悪い冗談だと思う所だ」
ルイドバードが不機嫌そうに緑色の眼をしかめた。
「なにもついて来なくてよかったのに。師匠とワタシとの個人的な話かもしれないですよ?」
「リティリア姫の誘拐についての情報かも知れないだろう。それに、ベイナーがどんな奴かも興味がある」
「へえ、師匠のことをご存じですか?」
ラティラスの言葉に、ルイドバードは意外そうな顔をした。
「お前……! お前の師匠がどれほどお前の国に貢献していると」
「はあ! 師匠は裏の仕事のこと、ワタシには何も言ってくれませんからねえ。さすがにリティシア様ならご存じでしょうが」
などと無駄口をたたいていると、ラティラスは前方に自分の物ではないランプの光を前見つけた。それはこちらを待っているように、墓石の間でじっと動かない。
緊張しながらも近付いていくと、だんだんと人影が誰か分かるようになる。
「サーシャ姐(ねえ)さん!」
知った顔に、思わず笑顔になった。サーシャはやわらかく微笑んだ。
「元気そうね、ベイナーのお弟子さん。名前はなんだったかしら?」
そういえば娼館で出会ったときは、名乗るヒマさえなかった。
「これはご挨拶(あいさつ)が遅れました。ラティラスと申します。以後よろしく」
ラティラスは宮廷風のお辞儀(じぎ)をして見せる。
「連絡取るのに苦労したわ。名前も、泊まっている宿も知らないんだもの。この辺りの宿に手当たり次第例の香水の貼り紙を貼ってもらったのよ」
「知り合いか?」
ルイドバードが聞いてくる。
「彼女は師匠の恋人です。サーシャ姐さん」
「恋人だなんて、清らかな肩書きをくれたものね。嬉しいわ。そちらは?」
問われて、ルイドバードは一瞬返答に困ったようだった。確かに「トルバド国の王子をやっています」なんて軽々しくは言えないだろう。
「わ、私は……ルイド。彼の仲間です」
何か隠しているのがミエミエなルイドバードの自己紹介に、ラティラスは頭が痛くなった。
ここ数日で薄々気づいてはいたものの、この男、バカ正直で嘘が付けない類(たぐ)いの人間らしい。まあ、王子たるどうどうとしろと育てられてきたのだろうから、無理はないといえば無理はないし、悪いことでもないのだけれど。
「……そう」
もちろんその不自然さに気づかなかったわけはないだろうが、サーシャはそう言っただけで突っ込んだ質問はしないでくれた。商売がら、相手が身分を偽ることなどめずらしくもないだろうし、こういった場合しつこく聴かない方がいいと知っているのだろう。
「で、なんの用でワタシをこんな所に呼び出したんです?」
サーシャはまっすぐにラティラスを見据えた。
「ベイナーが死んだわ。殺された」
声が、ほんの少し揺らいでいた。その揺らぎはラティラスに乗り移って、全身にざわざわと広がっていく。
ルイドバードはただ黙ってサーシャの言葉の続きを待っている。
「え……死んだ? 殺された?」
「河で死体が見つかったの。これも何かの縁かしら、街の人に引き上げられるところを、私はたまたま通り掛かって……それから治安部隊がとっとと死体を引き取っていったわ」 サーシャは、ラティラス達に背を向け、近くにあった墓石に向き直った。
そこで初めてラティラスはその墓石が真新しいのに気がついた。
『ベイナー』
死者の生前を讃える言葉もなく、名前と没年を表す数字が彫られているだけの墓石。影からとはいえ、国のために尽くした者の墓にしては、あまりにもそっけない。
「治安部隊の中に知り合いがいてね。数日後、ここに葬られたって教えてくれた。葬式もなかったみたい」
「葬式も……? なぜ」
「死に方があまりにも……普通じゃなかったから」
サーシャが首を振った。ランプを持つ彼女の手に力が入り、炎が揺らめいた。
「下半身がなくなっていたの。まるで焼け焦げたようになって」
サーシャはそこでいったん唇を噛みしめた。
「彼を殺したのは、私達を襲った奴らかしらね? まあ、あの人の事だから敵は多かったでしょうけど」
「それで、師匠の娘さんは?」
「治安部隊が探したらしいんだけど、もう……」
もう一度サーシャは首を振った。
「……」
ひどくめまいがした。一言でも口を利いたら、泣くか叫ぶかしてしまいそうだった。
深い息を繰り返し、なんとか心を落ち着かせる。
「ねえ、気が狂ったと思って欲しくないんですが」
気付いたら、ラティラスはそう前置きしていた。自分の声が妙に裏返っていて、一回咳払いをして直す。
「師匠の墓を暴いてみませんか」
自分の言葉の恐ろしさに、鼓動が早くなる。
「墓を暴くなどと! 死者と神を冒涜する行為だ!」
ルイドバードの言葉はしごくもっともだった、たぶん、こっちの提案の方が狂っている。だが、引き下がるわけにはいかなかった。
「カディルが死んだ以上、情報ないんですよ。もし師匠を殺したのが賊だったら、師匠の遺体がヒントをくれるかも知れません」
「しかし!」
「いいんじゃないかしら」
静かに言ったのはサーシャだった。
「あれから、私も色々考えてみたの。ラティラス君は、リティシア姫を捜し出そうとしているのでしょう? その手がかりになるのなら、ベイナーは許してくれるわ。かわいい弟子のためですもの」
そういうと、サーシャは疲れたように微笑んだ。
「どこかで、道具を借りてくるわ」
スコップを突き立てるたび、湿った土の匂いが夜気に混じる。背中の傷はまだ痛み、ろくに力が入れられない。時折吹いてくる風に、汗で濡れた肌が冷えた。体の中だけが熱く、熱に浮かされているような、夢の中にいるような、奇妙な感じだった。ランプの光が影を揺らす。
なんかんので手伝ってくれているルイドバードが呟く祈りの言葉がとぎれとぎれに流れていた。
やがて土の中に、真新しい棺の蓋が見えた。ラティラスは、祈りの言葉を唱え、道具で蓋をこじ開ける。
焦げ臭い匂いが鼻を突いた。それから腐った水の匂い。木の底板に、男が横たわっていた。
数日とはいえ河に漬かっていたせいか、精悍だった顔はむくんだようにふくれ、筋肉質の腕もゆるんで見える。だが、ワラのような色の髪も、筋肉の下から推測できる骨格も確かにベイナーの物だ。
ベイナーの上半身は、大きな袋に首と両手を通す穴を開けただけといったような、粗末で真っ白な服が着せられていた。
おそらく治安部隊が発見した死体の持ち物を全て持ちさっていったのだろう。ベイナーの職業を考えれば、他国から持ち出した物はないか、また彼を殺した者が残した物はないか、服の折り目まで調べられるはずだ。ベイナーの死因や、殺害者の情報が知りたいのは国も同じに違いない。
そして、上着の裾から下は、何もない。ただ、板の木目が見えるだけ。
ラティラスは、震える手で服をまくりあげた。臍(へそ)の下からは、黒く焦げたぼろ布のようになった皮膚が垂れ下っている。
「なんで、こんな……」
真っ当な仕事をしていない事は薄々気づいていたが、ラティラスの中でベイナーは「優しいけれど厳しい剣の師匠」でしかなかった。だから、こんな無残な死に方をしないといけないのがひどく理不尽な気がした。
「ああ、師匠、どうしたんです?」
ラティラスは両手を広げ、大げさに暗い空を仰いでみせる。おどけた言い方をしても、声が震えているのが自分でもわかった。
「私が練習用の剣を忘れて来たときは、あんなに怒ったくせに、あなたともあろう人が、大事な下半身を忘れてくるなんて!」
空の上か草葉の陰(かげ)か、どこかで師匠が見ていてくれればいいと、ラティラスは
幼い子供のようなことを願った。
そして自分の死体の前でおどけて見せる自分を見て、苦笑してくれればいい。『相変わらずだ』と。『そうやってふざける余裕があるなら大丈夫だ』と。
「せっかくの夜だというのに、楽しめない恋人はさぞお嘆き……」
「よせ!」
ベイナーがするどく言った。そして、少し口調を和らげて言う。
「見ていて痛々しい」
ラティラスは両手を垂らし、うつむいた。ごまかしきれなくなった涙が地面に落ちてしみこんでいった。
聞こえてきたルイドバードの言葉は、硬くひび割れていた。
「一体、何をすれば人体がここまで破壊されるんだ」
ハンカチで涙をぬぐうと、ラティラスは顔をあげた。
ルイドバードが棺を覗き込んでいる。彼もさすがに顔の色をなくしていた。サーシャはただ、仮面のような無表情で愛する男の亡骸を見つめていた。その唇がかすかに震えている。
ラティラスは深く息をして、涙で乱れた呼吸を整えた。墓暴きは自分から言い出したのに、この体たらくでは仕方ない。何か手がかりになるものを探さないと、おそらく他人に、特にサーシャに見せたくないだろう姿をさらされたベイナーに申し訳ない。
ラティラスは師匠の体に視線を戻した。
確かに、剣で斬ったあとに燃やしたとしても、こんな切り口になるはずはない。
「ケラス・オルニスは、武器の開発でもしているんでしょうか。たしか……トルバドの国で姿を消したのは無宿の者やいなくなっても分からない者だったのでしょう?」
そういった者ならば、武器の効果をためすためにうってつけだろう。
でも、それならなぜリティシアをさらう必要があったのだろう。彼女は武器の開発なんて得意ではない。乗馬だったら得意だけど。
「あれ……」
ベイナーの鎖骨の下あたり、なにかひきつれたような傷があるのに気づき、ラティラスは「失礼」と襟を引き下げる。
細い刃で切ったのだろう。角が二つ生えた小鳥の絵が彫り込まれていた。傷口から、比較的新しい物だとわかる。
「なんだ、これは」
刻まれた時の痛みを想像したのか、ルイドバードは顔をしかめた。
「河から遺体が上げられたときは、一瞬見ただけだから気づかなかったわ。生きてるときはこんな傷、こんな所になかった」
「他でもないサーシャさんが言うんじゃあ間違いないでしょうね」
軽口を叩きながらも、ラティラスは腹の底に湧いた怒りを抑えつけていた。
「ロアーディアルの紋章は、一本角の小鳥ですよ。『二本角の小鳥』? 明らかにロアーディアルにケンカを売っているじゃないですか!」
角の数が多い分だけなんだかリティシア達を貶められているようで腹が立つ。
「王の右腕たる部下を殺し、その死体によく似た紋章を刻むなど、宣戦布告ではないか」
「ですね、間違いなく……」
なんだかとんでもないことに足を突っ込んでしまった。改めてそう思う。
気を取り直して、ラティラスはサーシャに向き直った。
「ねえ、サーシャ姐さん。師匠からもらった宝石、あなたにお返ししましょうか」
「……」
「あのお店から抜け出るには十分な量です。どこか、別の場所に引っ越して楽しく暮らしては?」
正直、あの資金源がなければかなり困るのだが、あれはもともとベイナーの物だ。こうなった以上、サーシャが持っているべきではないか。
「遠慮するわ。あれはベイナーがいざというときのためにとっておいたものよ。生きて目標を達成するために、一時身を隠すときのためのお金。戦うためのお金なの」
言い聞かせるようなサーシャの口調だった。
「あの人の死に様を見て、それでもまだあなたが好きな人を助けるために戦うというのなら、そのためにこそ使われるためのもの。未亡人気取った女が宝石やら香水やら買うために使っていいものじゃない」
サーシャはかすかに微笑んだ。
「それに、信じてくれないかも知れないけど、私は今の職業が気に入ってるの。同僚はいい人達だし、おかげさまで相手を選べるくらいには売れっ娘だし。あなたも落ち着いたら遊びに来てよ。そしたらきちんともてなしてあげるから」
そう言って、サーシャは一度大きく息を吸い込んだ。
「でも、今度からどれだけ待っていてもベイナーが来ないのはつらいなあ」
サーシャの両眼から、すうっと涙が流れ落ちた。
「さあ、夜が明けるまでにこの人の墓をもとに戻してしまいましょう」
涙を拭うと、サーシャはスコップを握り直した。
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