姫と道化師

三塚章

第1話 幸せの終わり

ラティラスが許しを得て部屋に入ると、リティシア姫は窓辺に置かれたイスに腰掛け、外を眺めていた。

「これはこれは、お美しい! 花嫁衣裳もよくお似合いで!」

 心の底からラティラスはそう言った。

 丘の上に建つ城の大きな窓からは、街の様子がミニチュアのようによく見下ろせる。街は、婚礼を祝う旗と飾りで彩られていた。普段は料理屋の中に収まっているテーブルやイスが道にまではみだし、その間を人々が行きかっている。きっと酒場や食堂では、とっておきの酒樽や肉が取り出され、これから開かれる祝宴の準備が進められているのだろう。窓を開ければ軽快な音楽がここまで小さく聞こえてくるかも知れない。

 その傍に座るリティシアは、今までのどんなパーティーでもないほど着飾っていた。

 体の輪郭に沿った婚礼衣裳には、基の生地の色が分からぬほど色とりどりの絹糸で花や小鳥が刺繍されていた。伝統的な衣装にふさわしく、その刺繍のどれもがこのロアーディアルの国で見られるものだった。

 朝の光に淡く輝く、燃えたつような赤い髪は細かく編みあげられ、ほっそりとした横顔から、首筋まであらわになっている。切れ長の瞳が涼やかだが、艶やかな唇がかわいらしさを添えていた。

 祝いに沸き立つ街を眺める花嫁。本来幸せそうな笑みを湛えているはずの美姫(びき)が、見るからに不機嫌そうな表情をしているのが少しだけ残念だったが、それでもその光景は、画家ならば絵の一枚、詩人なら詩の一編でも作り上げたくなるに違いないほど美しかった。

 リティシアはちらりとラティラスを見ると、気のない様子でまた視線を窓の外に戻した。

「ワタシとリティシア様は小さい時から一緒でしたからね。失礼ながら、本当の妹を嫁に出すみたいでさびしいですよ」

 ラティラスは微笑んだ。

 リティシアは黙ってラティラスにしゃべらせている。

「初めてお目にかかったのは、六歳ごろでしたっけ。今でもよく思い出しますよ。雪の舞う中、森で行き倒れていたワタシに、あなたが手を差し伸べてくれたこと。あの時王様とあなたが乗った馬車が通り掛からなかったら、ワタシはどうなっていたことやら!」

 寒さで森に行き倒れていたラティラスと、大道芸人であるその父親を、王は助けるよう家来に命じた。だが父親の息はすでになく、孤児となったラティラスだけが城に保護された。王としては、見捨てるのも忍びなく、下働きとして馬の世話でもさせるつもりだったらしい。

 だが、ラティラスも子供ながらにジャグリングや多少の芸ができたため、リティシアの雑用がかり兼遊び相手として育てられることになった。今ではすっかり城の道化師になっている。

「……。衣裳といえば、お前も今日は変わった服を着てるじゃないか。道化のお前がなんでそんな格好をしている?」

 リティシアはぼそっとつぶやいた。

「どうです? 格好いいでしょう? さっき小間使いに『背が高いから似合う』って褒められましたよ」

 ラティラスが着ているのは、騎士の礼服だった。群青の服には金糸で縁取りがされている。リティシアの紋章を縫い取った飾り布で上半身の右半分が覆われていた。腰には長剣が下がっている。

 もっとも青い髪を女のように肩まで垂らし、垂れた目尻の下に泣きぼくろがあるようなやさ男が、勇ましく見えるかどうかはわからないけど。

「実をいうとね、王の御厚意で、国境までお見送りできることになったんです。もっとも、道化が婚礼の列に加わるなんて異例ですから、こうして護衛の騎士達にまぎれてですが」

 王がわざわざ騎士の格好をしてまで見送りを許したのは、半ば兄妹(きょうだい)のように育ったラティラスに対する温情だろう。ラティラスはつくづくこの王の下に拾われてよかったと思う。

 ラティラスはイスの前に歩み寄ると、うやうやしくリティシアの前にひざまずく。

「ご結婚おめでとうございます、姫(ひい)様」

 リティシアはまだ窓の方をむいたままだった。

「今日この良き日、このラティラス、心よりお祝いを……」

 リティシアの手が、素早く動いた。スカートのフリルに隠してあったのだろう、その手に銀色の刃が握られる。ラティラスの首を目がけ、リティシアは短剣を振るった。

 ラティラスも腰の剣を抜いた。短剣と長剣が、ラティラスの耳の横でかみ合った。

「『おめでとう』だと? お前がそれを言うのか、他でもないお前が!」

 ググッと手に力を込めたまま、リティシアが呻くように言った。重なり合った刃が耳障りな音を散らす。

「『ご愁傷様』とでも言って欲しかったんで? ワタシはただの道化師ですよ? 他に何が言えると?」

 ゆらゆらとそのリティシアの紅い瞳が涙で揺らめく。やがてリティシアは無言で力を抜き、短剣を握ったまま両腕をたらした。

 そして弱々しく呟いた。

「私の気持ちは知っているくせに」


 一度だけ。一度だけラティラスはリティシアに想いを告げられたことがある。

 誰もいなくなった庭園で、バラの花の刺繍を、押しつけるように渡されたのは、五年ほど前のことだ。

女性が、自分で刺したバラの刺繍を渡すのは、この国では愛の告白の意味になる。ある女性が刺繍の腕前を見せることで、『私はこんなに縫い物が上手です。あなたが選んでくれれば、働き者の妻となるでしょう』という暗黙のメッセージを送ったのがその由来だとか。

 慣れない者が一生懸命刺したと分かる、不恰好なバラを見たとき、ラティラスは感動はしたが意外な気はしなかった。

 他人が聞いたら傲慢に聞こえるかも知れないが、リティシアの想いには気がついていた。何せ、自分は誰よりも姫のそばにいたのだから。

 ある日には、二人で深夜にこっそり厨房まで探険に行って、盗んだクッキーを空き部屋の隅で並んで食べた。

 ある日には、一面の花畑で、花冠を作って姫に捧げた。

 ある日には、リティシアが可愛がっていた犬が死んでしまい、ラティラスがお墓を作り、供に神様に祈った。

 そんな日々を重ねていけば、相手がこちらをどう思っているかは、仕草や視線で自然と伝わる物だ。

 だから、自分がどう応えなければならないか、ラティラスはちゃんと考えて行動することができた。

 渡された布を返そうと、両手にかかげリティシアに差し出した。

「おお姫(ひい)様、身に余る光栄にございます。ワタシのすべてはあなたのもの。ですが、ワタシは身の程をわきまえております」

 リティシアは何も言わず髪と同じ紅い目でラティラスを見つめていた。

「翼のない身で高嶺(たかね)の花に手を伸ばせば、あとは崖から落ちるのみ。それにワタシには、もう想う女性がおりますゆえ。おお、麗しのネリス嬢……」

「ネリスとは最近別れたと聞いたが」

 ボソリとリティシアが呟いた。

(う……)

 図星だった。ちなみにふられた原因は、『一緒にいても、あなたは私を見ていない』からだそうだ。『誰か、他の女性を見ているのでしょう』と。

 ラティラスは、それには答えず、リティシアの想いに止めを刺すことことにした。

「姫様! 姫様はワタシを殺す気ですか?」

「え……」

「もしもあなた様の想いが王様のお耳に入ったら、ワタシは首をはねられることでしょう! あなたをたぶらかした罪で!」

「バカな! 私はたぶらかされたりなど……」

 そこでリティシアは口を閉ざした。

 きっとそういうことになると気付いたのだろう。姫と道化では身分が違いすぎる。何かがあったとき、事実はどうあれ、悪者になるのはラティラスの方だ。

 あなたの想いは迷惑なのです。ワタシにとって害になるのです。遠回しに言われたこの言葉に、賢明なリティシアが気付かないはずがなかった。

 リティシアを傷つけた罪悪感か、心にもないことを言った罪悪感か、少し足が震えた。

 ラティラスは唇の前に人差し指を立てた。

「姫様、このことは誰にも話しますな。あなたには婚約者がおります。その方への裏切りにもなりましょう」

「……!」

 まだラティラスが捧げ持っていた刺繍を、リティシアはむしり取った。そして足早に庭園を出ていった。

 ラティスが暖炉の中に刺繍の灰を見つけたのは、次の日のことだった。自分が刺繍を突き返したくせに、何かの亡骸のようなその黒い塊が、しばらく頭を離れなかった。


 それから、ラティラスはリティシアとの付き合いに細心の注意を払うようになった。できるかぎり二人きりで合わないようにし、どうしても合わなければならない時は早めに切り上げた。その甲斐(かい)あって、リティシアの想いは他人に知られることはなく、ラティラスは姫のお気にいり、というレベルで収まっている。


 リティシアは短剣を鞘に納め、切り掛かるため浮かせていた腰をイスに落ち着かせた。そして短剣をスカートの隠しポケットにしまいこんだ。

「……すまない。またお前を困らせた」

「まったく、こんないたずらをなさって。短剣なんて、嫁入り道具にふさわしいとは思えませんね」

 ラティラスも剣を納める。そして気を取り直して明るく話かけた。

「相手のルイドバード王子は美形だっていいますぜ。非情な弟と違って、性格も真面目で、誠実だとか。会ってみたら案外気にいるかもしれませんよ。なんたって噂の血狂い姫をもらおうってくらい懐の広い方なんですから!」

 華奢(きゃしゃ)な外見に似合わず、リティシアの趣味は剣だった。

 もともとは、ラティラスが護身と気晴らしをかねて剣を習い始めたのを、追うように習い始め、ラティラスともどもまあその辺りのゴロツキには負けないだろう腕前にまで上達した。

もちろん女性の趣味としてはめずらしく、ついたあだ名が血狂い姫。王様は渋い顔をしていたが、それでも気晴らしになるならと黙認していた。

「懐が広かろうがせまかろうが、実際に一度も会っていない相手だぞ!」

「それなら、ワタシと逃げますか」

 立ち上がって、ラティラスは促すように両手を軽く開いてみせる。

 それから天井を見上げ、うろうろと歩きながら芝居がかった口調で言う。

「大丈夫、今ならこっそりと城を抜け出せます。いや、逃げ切ってみせましょう! そして、誰も知らない場所で、二人だけでひっそりと暮らすのです。畑を耕し、羊やヤギを飼って自由気ままに! 大丈夫、最初は苦労するでしょうが、あなた様ならすぐに慣れますよ」

 性格上、リティシアはこの提案には乗らないだろう。それでもわざわざ口に出したのは、姫にそんな事が出来るわけがない事を、逃げ道などないことを自覚させるためだった。

 残酷な事を言っているのは分かっていた。

「うう、誘惑しないでくれ、ラティラス」

 耳をふさぐようにして、リティシアはいった。

「そんなことが許されないことくらい分かっている」

 リティシアは、ラティラスの思った通りの答えを言った。

 今は貧しい小国になっている物の、神話ではリティシア達ロアーディアル家の王族は、この世界に降り立って国を起こした女神の血を引いているという。

 対して結婚相手であるルイドバードの国トルバドは、今でこそ羽振りはいいものの、基は様々な民族が寄り集まってできた歴史の浅い国。

こうしてめでたく金が欲しいこのロアーディアルと、ハクがほしいトルバドの利害が一致したというわけ。もしここで姫が逃げたとしたら、トルバドを敵にまわすだけでなく、ロアーディアルの維持もままならない。責任感の強いリティシアにそれができるはずはない。

 そもそも、仮にルイドバードとの縁談が破談になったところで、道化が姫と結婚できるわけもなく、リティシアは違う相手をあてがわれるだけ。

 避けられない運命なら、リティシアには開き直って笑って出発していって欲しかった。そして、幸せになって欲しかった。

「結婚しないと言っているわけではないんだ。私が今までこの城でぜいたくな食事をして、上等のドレスを着て、何不自由なく暮らしてきたのは、まさしくこういう時のためなのだから。飾られた生贄用の羊と同じだよ。国と民のためなら愛してもいない男に抱かれもしよう」

「だっ……! 高貴な女性がそんな事を言うモノではありませんよ」

 ラティラスの咎めをリティシアは無視し、硬く両手を握りしめる。

「ただ、なんでお前は一緒に来てくれないんだ。これからも傍にいて欲しいだけなのに」

「ちょっと、ちょっと。どこの世界に男持参で嫁ぐ花嫁がいますか。途中までついていくだけでもヨシとしてくださいな」 

 大げさに呆れた声をあげてみせる。

 確かに、好きでもない相手に嫁ぐなど、最初は辛いだろう。

 けれど、きっとリティシアは幸せになれる。そうラティラスは自分に言い聞かせていた。

ルイドバード王子は名君の器を持っているともっぱらの噂だ。それに、嫁ぎ先で戦や策略で殺されでもしない限り、今まで通りリティシアには飢えとも凍えとも無縁でいられる。それこそさっき彼女自身が言っていたように、『ぜいたくな食事をして何不自由なく暮らせる』はず。

 雨の道でねる必要もなければ、通りのやせ猫や捨てられた果物がうまそうに見えるほど飢えることもない。実際に飢え死にしかけたことのあるラティラスにとって、それはそんなにひどい環境とは思えなかった。この城で手に入る以上の宝石やドレス、香水に囲まれれば、気だって紛れるだろう。

自分にむけられた姫の想いは、子供の片想いみたいな物だ。姫とたいして歳は変わらないのに、ラティラスはそう考えていた。

 幼い妹が兄への好意を、子供が教師への好意を恋愛と勘違いすることがあるのと同じ事。時間が経てばいずれは消える……

「大丈夫ですよ、姫(ひい)様。向こうに行けば儀式やあいさつで忙しくなりますから。すぐにワタシのことなんて……」

 忘れられます、と言いたかったのだが、その言葉はどういうわけか、ノドにつまってどうしても口から出てきてくれなかった。

 鐘が鳴り響き、出発の時間が近付いているのを告げた。

「姫様、そろそろ行かなくては」

「ラティラス」

 リティシアは、しなやかな手を差し出した。

 その意図に気づき、ラティラスは再び姫の前にひざまずく。

「忠誠のキスを」

 乞われるまま、姫の手の甲に口付けをする。

 つまらない事でケンカをしたとき、風邪がなかなか治らないとき、王妃がみまかったとき。辛いときや悲しいことがあったとき、リティシアはよくこうやって忠誠のキスをねだった。こっちは騎士ではなく、ただの道化だというのに。

 ラティラスの命がリティシアの物である証のキス。ずっとそばにいて、姫を守るという誓いのキス。でも、今となってはなんの意味もない。今日別れればもう二度と、会うことはできないのだから。

 逃げようと誘ったとき、もしリティシアがうんと言ってくれたら、自分は馬鹿なことをせずにいられただろうか。ふとラティラスはそんな事を考えた。

「姫様。どうかお幸せに」

 その言葉にリティシアは一瞬体を強ばらせた。

「無理だ、お前がいなくては」

 震えた小さな声だったが、ラティラスには確かにそれが聞こえたのだった。

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