王殺しの弾丸
私は見てしまった……彼が、会社の金庫からお金を盗むところを。
立派な窃盗だ。すぐにでも警察に言うべきだった……けれど。私は彼のその行為の『証拠映像』をスマホに収めた後に、息を潜めてやり過ごした。
慌てながらも証拠隠滅は的確に。
同僚の彼はお金をカバンに詰めて、会社を去っていった。
翌日、会社でそれが問題になったものの、徹底された証拠隠滅のおかげで犯行が彼の手によるものだということは最後までばれなかった。
社員全員が疑われたが、それぞれにアリバイがある。そうなると私と彼はここで疑いが強くなるのでは? と思ったが、彼と私は一緒にいた、と彼が証言してくれた。
居酒屋にいたことになっていて――彼の知り合いの店主もそう証言してくれている。そのあたりは口裏を合わせてくれたのだろうか。
ここで、私は彼の助け船に乗ったのだ。
告発することもできたし証拠もあったけれど、なぜここで彼が私に助け船を出したのか、その真意が分からないことには、迂闊に言うことはできなかった。
……こうして社内に疑わしい者はいないとして、事件は迷宮入りすることになる……盗まれたお金も、少ないわけではないが多いわけでもない。会社としては、傾くほどではなかったのだ。
「…………」
「
それは……どういう意味で?
それだけ言って立ち去った彼に、昨日のことを聞くことはできなかった。困っている私を単純に助けたかったのかもしれない……それとも共犯者を作りたかった?
道連れが、欲しかったの……?
聞けば、藪蛇になりそうだったし、会社もこれ以上の追及はしない方針のようだった。あとのことは警察に任せて……解決しなくとも、こういう事件があった、ということは記録しておこうというつもりか。
結局、私のスマホにある証拠映像は、提出しなかった――。
手の中にあるひとつの弾丸。
私はひとつの武器を得たのだ……必殺の、凶器だ。
お金を盗むくらいだ、生活に困っていたのだろう……彼は崖っぷちだった。
であれば、この弾丸で彼を撃ったところで、転げ落ちた彼が叩きつけられる最下層の地面は、きっと一番、距離が短いだろう。だから、今ではない。
私は、そっと、手の中の弾丸を、告発という拳銃に込めたのだった。
五年が経った。
あれから彼は変わった……お金を手に入れたことでプライベートで成功でもしたのか、仕事が順調だった。
若手だった彼もあっという間に昇進し続け、今では会社の社長を任されるほどだ。
人脈もある、人徳も――多くの人から慕われている。
誰も、彼が過去に窃盗をしたことなんて知らないだろう。笑い話として話したところで冗談だと受け止められるだけだ……証拠がなければ、だけど。
「…………」
「花村くん、調子はどうかな?」
「無難ですね」
「ああそう……この調子で頼むよ」
彼の手が私の肩に触れた。経験を経て慣れた、いやらしい手つきだった。
彼の取り巻きには若い女性が集まっていて、社内にもかかわらず黄色い声が響き渡る。
その声を自分のキーボードの打鍵音でかき消したかった。
オフィスから去っていったかつては同僚――今は上司どころか社長である彼の後ろ姿を見送ってから、聞こえるように舌打ちをする。
隣の新人の男の子がびくっと怯えていたが、受け取った不快感が強くて構っている余裕もなかった。
触れられた肩を強くはたいて、私は喫煙所に向かう。
――スマホ。
五年前の証拠映像……そろそろ、いいかな。
私は弾を込めたままの告発という拳銃を、握り締めた。
私の証拠映像の提出によって、彼の信用、信頼は地に堕ちた。
社長業はもう続けられないし、彼によって会社が受けた損害も大きい。当然ながら過去のことであれ、犯罪である、証拠映像もばっちりと残っている以上、彼に言い逃れはできなかった。
「花村ァ!! お前っ、どうして……ッッ!!」
彼は私を睨みつけ、飛びかかってきそうな勢いだったが……、それを見て、私はすぐ傍にいた警察官にしがみついた。彼から脅されていた……ことを証言するように。
「は、早く、連れていってください……また、殺されるそうになる……ッッ!」
「はぁ!? お前ッ、マジでふざけ――――」
「詳しいことは署で聞くから。落ち着いて進みなさい――それと、花村さん」
「はい……」私の震える手にそっと手を添えて、安心させてくれる若い警察官さん。
彼とは違って、恐る恐ると言った慣れていない手つきは、ちょっと安心した。
「大丈夫、あの人は我々で裁きますから……」
「無責任なことを言うなよ新人。証拠があるから『はい犯人だな』とも決め付けられないわけだ……加工が当たり前の時代だ……色々と調べることもある」
「先輩っ! 被害者に向かってそういうことは……ッ!」
「答えが出るまでは片方に寄るつもりはない。少なくともオレはな……、お前は彼女の味方になっていればいいが……オレに意見をするならそれなりの理屈を持ってこい。じゃねえと話にならねえよ」
「…………」
「いえ、私のことは、いいので……」
疑われることは織り込み済みだった。
だけど映像は本物だ、加工もしていない。証拠を元に警察が本気で調べれば、彼が犯人である証拠がさらに出てくるだろう。私はそれを待っていればいい……。
「花村さん。後日、お話を聞きたいので……都合の良い日を聞いてもよろしいですか?」
崖っぷちの彼を突き落とせば、落下する距離は最も短くなってしまうだろう。だけど、王にまで登り詰めた彼を突き落とせば、その落差は倍になる。
彼の人生、最大の急転直下だろうか。これで、彼は社会人として終わった……三十代を目前にして、彼は大きなハンデを背負ったことになる……自業自得だけれどね。
後日、当時のことを詳しく聞きたいと、署に呼ばれた。相手をしてくれたのは彼を捕まえた時に顔を合わせたことがあるふたりの警察官だ……それとも刑事? なのかな。
「わざわざありがとうございます、花村さん」
「いえ…………それで、彼は有罪なんですか?」
「まあ窃盗ですからね……奪った額も大きいです。徹底した証拠隠滅とあなたへの脅迫を考えれば悪意がありますし、極めて悪質ですので……罪が軽くなることはないでしょう」
「そうですか……それは、良かった……」
詳しく聞きたいと言うので証拠に不備でもあったのかと思えば、もうほとんど彼が犯人で決定なのだそうだ。
私が詳しく話すこともないように思えたけど……すると、刑事さんが腰を下ろした。
向き合う私たち。
「問題はあなたですよ……どうして五年も前の証拠を、今、提出したのですか?」
「…………脅されていました」
「どういう風に」
「どういう……いえ、直接的なことはないですけど、言えば、痛い目に遭わせる、と言ったような雰囲気、でしょうか……。視線や態度で、そう思って……、脅されていると思い込むと、私は夜も眠れなくて食事もまともに喉も通らなくて……ッ!」
「花村さんっ、落ち着いて!」
若い方の刑事さんが私を落ち着かせてくれた。
目の前のベテラン刑事さんは、落ち着くまで、私をずっと見ていた……。
見透かされている? いや、探っているだけで、透かされてはいないはず。
「脅されていて、だから提出が遅れたと。では、どうして今提出できたのですか? 脅されているなら提出した当時も同じでしょう? 急に脅しを克服しましたか? であれば、今こうして怯えているのは、違和感ですね」
「勇気を、出して……告発したんですよ!? 脅しを克服したわけではありませんけど、刺し違えるつもりで、彼を引きずり落としたかった……それだけなんです!!」
「だとすればあなたは強かだ。脅されて提出を見送る、か弱い女性ではない」
それは偏見な気がした。
私だって、脅しに屈するか弱い女性だ。
決して、強くなんかない。
「先輩、彼女は被害者なんですから……」
「声を上げた人間が必ず被害者というわけでもない。
通報した死体の第一発見者が殺人犯だった事例などいくつもあるだろう」
「それはそうですが……」
「花村さん、私はね、なにも窃盗をした彼を庇っているわけではないんですよ。彼がしたことは犯罪だ、裁かれるべきだ。相応の罰を受けるべきだと思っていますよ……。
ただね、脅迫されていた、とすればあなたに同情しますが、それが『嘘』であった場合、あなたには彼を『陥れる悪意』があったことになる。犯罪を目撃してすぐに通報をしなかったのは、意図的な悪意があるとこっちは判断してしまうんですよ」
動揺して見なかったことにしてしまった、と言っても良かった。
だけど私は答えられなかった……この言い方、刑事さんは私の嘘を、既に見抜いた上で言っているのではないか……。
嫌な汗が流れる。
「あなたは銃に弾丸を込めた。だが、それを発射する時期を見定めていた」
「っ」
「彼が最もダメージを負う時期を待ち、その時期になった今、引き金を引いた……さて、ここに悪意がないと言えますかな? それとも脅され、精神が不安定だったから告発するまでに時間がかかったと言うのであれば、あなたは犯行当日から告発当日までまともに眠ることもできず食事も喉を通らなかった……、精神的に追い詰められていたなら話は分かりますけどねえ……。
ですが、あなたのSNSを見ると、休みの日には毎回と言っていいほどにキャンプに出かけています。美味しそうな肉を焼いて、食べていますね……。ぐっすりと寝袋に包まれて眠っている……脅されて、精神が不安定になっている人がレジャーを満喫できますか? 不思議なものですよ……」
「…………」
「彼は悪いことをした。同時に、時間差で告発したあなたにも、落ち度があるのではないか、と思うわけですが……いかがですか、花村さん」
隣を見れば、私の味方をしてくれていた若い刑事の目も変わっていた。
私を、まるで犯罪者のように見て……。
「私、は……」
「――言えない事情があるなら仕方ないが、そうでないならすぐに言え。それで困るのはあなたたちだ。手を挙げて助けてほしいと声を上げたあなたたちに後ろめたいことがあれば、我々は誰を裁き、誰を助けていいのか分からない。両者を救うか両者を裁くか……――まったく、今回は後者になりそうで、後味が悪い結末だ」
…了
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