黒い太陽
<正義は存在しない>。
フィセラは魔王だけが持つスキルによって生み出された百足を無言で見つめる。
<黒い太陽>と名付けられた昆虫型の魔蟲だ。
姿形からは特段変わったところは見られず、それ単体ならば普通の百足と思われてもおかしくない。
フィセラは虫が苦手という訳ではない。だとしても百足をまじまじ観察したいと思わない。だが、まだ1匹ならば、見ていられる。
「ここでゆっくり準備してから行こうか」
フィセラがそう言うと、言葉の意味を理解したのか<黒い太陽>が動き出す。
その場でくるくると回り周囲を確認する。
その様子を黙ってみていた男は苦手な虫から逃げようと足を動かすが、不幸にも両足はピクリともしなかった。
幸いに百足が向かったのは男とは反対方向に倒れている兵士の死体だった。
その兵士の腕に登り、外れかけた篭手の隙間から中へ入っていく。
外からはもう見えなくなってしまった。
すると突然、その兵士の腕がひとりでに動き出した。指は不規則に動き、腕は波打つように暴れまわっている。
その死体のうねりは次第に肩、胸、そして全身へと広がっていく。
もしかしたらまだ死んでいなかったのかも、百足に嚙まれでもして意識を取り戻したのかも。
そんな想像を挟む余地がないほどのおぞましい光景だった。
体感では何十秒もその光景が続いていたように思うが、実際には10秒にも満たない。
その後、さっきまでのことが嘘のように兵士は動かなくなった。
男はその姿に何かを感じと取ったのか、はたまた偶然かは分からないが、死体の顔をじっと見ていた。
閉じられたまぶた、半開きの口、生気のない青白い肌には汚れはほとんどなくきれいなままだ。
その目や口がゆっくりと開きだしたのだ。まるで何かが中からそれを押し開けているようだった。
だが大きく開かれたそれらの奥には何もなかった。眼球も舌も歯もなく、暗闇だけが広がっている。
男は目をつぶり次の瞬間に起こる光景を鮮明に頭に浮かべた。
準備を整えるのだ。黒く押し寄せる恐怖に負けないための。
そして、そんな男をあざけるように兵士の眼や口から暗闇が溢れ出る。
男の想像の10倍以上の何百という数の百足たちが飛び出したのだ。兵士の足元に転がる死体へ、右手に倒れている剣を抱いたままの死体へ、頭上にいる腕を伸ばした死体へ百足は広がっていく。
彼らの体の中に入り、骨まで食い散らかす。そうして、数を増やしていくのだ。
百倍。千倍。万倍。
地面を覆いつくし、兵士はほとんど百足の黒い絨毯の下に埋まってしまった。
これこそが<黒い太陽>。「無限の増殖」を行う「ただの百足」だ。
男はそんな光景を黙って見ている。いや、見ていられた。なぜか男の近くには百足は一匹もいなかったのだ。
まだ死んでない。まだ大丈夫だ。まだ生きている。
一呼吸するごとに、そうやって自分の命を確認していた。
もはや、男の近くに立っているフィセラが、こっち来ないでよ、と百足を足で払っている姿など目に映らなかった。
フィセラは十二分に数を増やした<黒い太陽>を見て満足気だ。
だが、人として女として、足元を這っている百足が気にならないわけではない。
――ゲームでもビジュアルやばかったけど、こっちだとリアルさ増してるな~。あんまり使わないようにしよ。
「さて、これぐらい居れば問題なく駐屯地に入れるかな」
フィセラは大量の百足を確認するために周りを見渡すと、後ろにいた男と目が合った。
――あれ?こいつ、なんでまだ生きてるの?
フィセラは、最後の一人が残っていることにようやく気付く。同時に、<黒い太陽>が男を避けるようにちょうど彼の周りだけいないことにも気づいた。
当然ながら、現実世界で使ったことなどないスキルだ。
自分の知らない特別な条件でもあるのかと周りの<黒い太陽>を観察しはじめる。
――この男が原因?生きてるとダメなのかな?こんなにきれいに丸く取り囲んで……あれ?もしかして。
男を取り囲む円の中心が微妙に男からずれてフィセラにあるように見える。
「私が邪魔だった?ハハ、私のことは……」
このままゴーサインを出したら、この百足たちはいっせいに動き出すだろう。フィセラの足元をかすめて。
――それは、さすがにな~。
フィセラはおもむろにアイテムポーチを開いた。開いてから、何を取り出そうか迷っている。
できれば飛行系の効果を持つアイテムが欲しいのだが、持っていただろうか。
どうにか記憶をたどり、アンフルでの体験を思い出した。
フィセラは、ポーチから大きな本を取り出した。
<魔封じのスクロールブック>。
本ではなく、マジックスクロールを集めたものだ。ページ数は少ないが、1枚1枚の厚さが大きいため辞書のように分厚い。何より大きい。10の魔法がそれぞれ10枚のスクロールに封印されており、飛行魔法もそこにあるはずだ。
フィセラはぺらぺらとページをめくっていき、5枚目のスクロールに目当ての魔法を見つける。
そこに描かれている魔法陣や呪文は、フィセラには到底理解できるものではないが直感的にそれが飛行魔法であると気づいたのは、転生したことで得た能力なのだろうか。
<飛行>。
フィセラの体が地面から離れ、数メートル上昇する。ヘイゲンに連れられたときとは違う感覚だ。全身が風に包まれたかのようで、自由に動くことが出来ると頭でも分かる。
「お、おい。何をしているんだ?」
男が、いきなり飛び上がったフィセラは見上げていた。
フィセラが飛んでから、百足の円がジリジリと狭まっていることに気づいた上で、そちらには目をくれず、じっとフィセラを見つめている。
フィセラは、空中でうまく体をよじって男の方へと体を向けた。
「もういいよ」
その瞳に男は映っていなかった。
ズズズズと<黒い太陽>が一斉に動き出して男の体へと飛びついていく。
男の足は動かない。逃げることもできず、体に登ってくる百足を手で払うが、両手では間に合わない。
「クソ!クソ!なんでだよ!なんでこんなことに。やめてくれ。頼む!」
<黒い太陽>は足を食い破り、手の届かない背中を登り、払おうとした手に噛みついて体内へと入っていく。
腕の中に百足が入っているというのに、男はフィセラに手を伸ばす。
同じ人間だろう。慈悲は何もないのか?心はないのか?
だが、手の先にフィセラはいなかった。彼女はとっくに空に飛び、あらぬ方向へと顔を向けていた。
男はその光景を見て、子供の頃に聞いた恐ろしい話を思い出していた。
「そうか。……これが……魔王か」
その言葉を最後に、<黒い太陽>が彼の顔を覆いつくした。
痛みに叫ぶこともない。ほんの一瞬で口や喉、すべてを食われて、今、そこにいた人間は新たな<黒い太陽>となってしまった。
「駐屯地の方角は~あっちかな?途中で監視任務中の子に聞けばいいか。……それじゃ、前進!」
駐屯地とは微妙にずれた方角へ、格好つけて指を指す。
フィセラの指示に従って、黒い太陽は数えきれないほどの群体となりながらも移動を始める。
今の状態では、せいぜい<黒い絨毯>だ。この百足の本当の名を口にするには、もう何千か生贄が必要だ。
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