怒炎

 フィセラは、村への行きと砦への帰りの計2回山で行動している。

 その記憶と眼下の風景の違いには、さすがに気づく。

 

 記憶の中では霧が立ち込めているはずの山の麓に大きな空き地が出来ている。霧自体がなくなったわけではない。

 ちょうど、砦の城門からまっすぐ山を下りた位置の霧が晴れていた。

 まるで海を割るかのように、霧が1部だけ晴れているのだ。

 何かに異常が起きたわけではない。

 フィセラの命令を受けたNPCの仕業である。

 霧の晴れた空き地の中央には大きな木が数本とその周りを歩く人影が見えた。

 砦の周辺環境を調査した際、山を囲うように霧が発生しており、しかも毒の効果を持っていると報告を受けた。その時、フィセラが思い出したのは、彼女の召喚獣<山羊座の大狼>が霧の中で毒を受けたことだ。天然の要塞として残すことも考えたが、いい思い出がないため、早急に毒霧を撤去するよう命じていた。

 

 計画では、毒の元となる植物を刈り取り代わりに樹霊をびっしりと配置するはずなのだが、上空から見る限りではあまり進んでいなさそうだ。

 樹霊。木の精霊、緑の巨人と言われる植物系のモンスターである。

 彼らの力で土をひっくり返し根こそぎ環境を変える計画だったのだが、第1陣の樹霊が毒霧を嫌がってしまい毒に耐性のあるNPCが少しずつ毒性の植物を排除していることが計画の遅延の原因だ。

 ――少ししたら様子を見に行ってあげようかな。外で仕事してるのはあの子たちぐらいだしね。

 王国の討伐軍を監視しているNPCを除けば、砦の外で命令に従事している唯一のグループだ。

 空き地が後方に流れていき、フィセラとヘイゲンは変化のない広大な森を飛んでいく。

 

 少しすると、ヘイゲンが腕を上げてある方向を指さす。

「あそこが人間の部隊と魔獣の戦闘があった場所です」

 目印もないのによくまっすぐ来られたなと感心すると同時にヘイゲンの言葉が引っかかった。

 

 ――人間の部隊って、人間種だってことを特徴に思ってるのかな?この世界は人間の方がおおそうだけどな~。

 エルドラドのNPCには純粋な人間種族はあまりいないのだが、プレイヤーであるギルドメンバーには人間種は10人もいる。アンフルでの種族割合も人間が圧倒的多数だ。それが原因となって、自分で作るNPCには変わった種族を設定することが多い。

 エルドラドも例に漏れず、多種多様なバラエティーに富んだNPC種族構成となっている。

 そうした環境を考えれば、「人間の部隊」と表すのも無理はないのかもしれない。

 

 ヘイゲンが指を指した方向に徐々に速度と高度を落としながら近づいていく。

「ほかの兵士はいないの?」

 警戒する素振りを見せずに降下していくヘイゲンを見れば、その答えは分かるのだがつい聞いてしまう。

「はい。周囲には何も居りません。それに、20名の配下を最大警戒で周りに潜伏させておりますのでご安心を」

 何もいない。魔獣も含めてということだろう。

 フィセラは配下というのがどこに潜伏しているのかきょろきょろとみている。着地直前だが、まだ自由に動けない。

 地面に足が付くという瞬間、クッションを踏んだかのようにふわりと体が軽く浮いたあと、元の重力が体にかかった。

 戦場と聞いていたが、そのような痕跡は周りにはない。

 少し離れたところに着地したのか、と思うと同時に、その戦場の方角とおおよその距離に気づく。

 風が血の匂いを運んできたのだ。

 フィセラは黙って血の匂いを辿っていく。その方角で間違っていないのだろう。ヘイゲンもフィセラの後を付いてくる。

 

 たどり着いたのは戦場ではなく、墓場だった。

 30ほどの死体が目の前に転がっている。死体と断定したのは、その欠損具合からだ。腕や足が無いもの、頭がないものもいる。ぬかるみに沈んだかのように見える死体があった。黒い血たまりの上に倒れているのだ。到底一人の出血量ではない。

 兵士たちの鎧には魔獣との戦闘の激しさを物語る傷が残されている。鉄の鎧は爪で引っ搔いたかのようにえぐれていた。

 その時、フィセラは視線を感じた。

 いくつもの死体の向こう。木に寄り掛かり座る兵士がいた。口からは赤い血が今も流れている。

 その大きく開かれた目からは感情を読み取れなかった。得体のしれない二人に驚いているのか、死の間際に現れた死神を拒んでいるのか。

 

「生きてる人いるじゃん」

 フィセラは身軽にヘイゲンに振り返る。

「討伐軍は数人の軽症者のみを連れて撤退しました。残されているのは助かる見込みのない者たちです。彼は、生命力が強いようですな」

「ふ~ん、敵は?」

「熊に似た魔獣です。ここから100メートルほど離れたで息絶えておりました」

 目を細めてヘイゲンが示した方角を見ると確かに巨大な塊がある。ぎりぎりレッドボアの方が大きいそうだ。

 引き分けか。

 フィセラは小さくつぶやいた。

「そうだ。村人は?ここに居るのは皆兵士っぽいけど」

「こちらです」

 この死体の山の中にはないようだ。

 

 ヘイゲンが先を歩く。彼の後を追う前に、先の兵士に視線を送る。

 まだ、死んでいないようだ。だが、口に付いた血のりがさっきより少し硬くなっているように見える。もう吐き出す血は残っていないのかもしれない。

 男とちょうど目が合うが、フィセラには何の感情も湧かなかった。

 少し先でヘイゲンがフィセラを待っている。待たせてはいけない。

 

 彼の元まで歩いていく。近づいていく中で、ヘイゲンの前に人が倒れているのが分かった。

 木に隠れて足先しか見えない。

 細い足だ。男ではないのか。戦場に連れてこられた村人、とは男だと考えていたが勘違いのようだ。

 さらに一歩、進むと腰まで見ることが出来る。

 戦いに巻き込まれたのだろう。土や木くず、それに内側からの赤い血が洋服を汚していた。

 さらに一歩。

 胸から大きく裂かれている。正面から魔獣の攻撃を受けたのかもしれない。どこか見覚えのある洋服だが、汚れていてよく分からない。ラガート村にいた誰かかもしれない。

 最後の一歩。

 赤毛の少女だ。それしか分からない。顔の皮膚はない。胸を裂いた攻撃と共に皮膚をはがされたのだろう。

 誰か分からない。

 名前など知るわけがない。

 なのに、ある少女の顔が浮かぶ。名前を思い出してしまう。聞こえるはずのない声が聞こえる。

 フィセラは倒れる少女を見下ろしながら、肩を震わせていた。呼吸も荒くなっている。

 泣きたかった。地面にうずくまり声にならない声で泣きたかった。

 だが、何かがそれを止めていた。

 それが何かは分からない。悲しみと同時に心の奥から湧き上がってくるものだ。

 

 人の死に感情を揺さぶられるのか?今頃?盗賊をこの手で殺した。目の前で人が死んだ。そいつらを気にしたか?心を傷めたか?いいや。何も、思わなかった。あんな奴らどうでもよかった。

 なのに、1か月やそこら関わっただけの少女の死に心を傷めるのか?

 これがそんなに悲しいのか?

 ――だって。だって、この子は……こんなに傷ついてるのに。

 違う。そうじゃない。痛いんじゃない。悲しいんじゃない。

 ――悔しいよね?憎いよね?魔獣も兵士も……人間も。

 言葉を飾るな。私の心にある感情は、もっとシンプルだ。


 ――ゴミ共がまだ生きてるのが、イラつくんだよ!

 悲しみの後ろに隠れていた怒りが、フィセラを燃やす。


 フィセラの変わりようにヘイゲンも気づいていた。この少女がフィセラにとって、無視のできない見知った人間だということにもすぐに気づいた。

 それでも、何かをしようという気は無かった。フィセラが落ち着くまで待てばいいだけだった。

 見過ごすことのできない程の何かをフィセラに感じるまでは。

「フィセラ様?どうかしましたか?」

 返事はない。

 何者かに攻撃を受けたということではないはず、主人の内面で変化が起きたことは察せられるが、それがどんな変化かは分からない。

 数秒もしないうちにフィセラが答えた。

「この子を砦に連れて帰って、教会で怪我を直させなさい」

「けが……」

「絶対に死なせないように」

 フィセラは落ち着いている。混乱しているようには見えない。

 ならば分かるはずだ。この少女はすでに死んでいることに。

 

 だが、そんなことは関係ない。

 死なすな。

 この上なく簡潔な命令だ。

 

「承知いたしました。ですが、フィセラ様をおひとりにはできません。配下をこちらに呼んでから――」

「おい」

 ヘイゲンはただ主人の身を優先しただけ、命令に背く気もないがしろにする気もなかった。

 だが、ヘイゲンの言葉を止めたフィセラの眼は、暗く冷たく殺意さえ籠っているように見えた。

「なにしてんの?」

 命令はすでに下されている。その瞬間からヘイゲンの行動は1つしか許されないのだ。

「直ちに砦へ戻ります!」

 ヘイゲンは素早く、少女の体の横に滑るようにしゃがみ杖をかざして転移を行う。

 

 この時、ヘイゲンには2つの感情があった。

 恐怖と、歓喜だ。

 もしかしたら、その2つは同じことかもしれない。

 フィセラはNPCと共に歩むことを約束してくれたが、ヘイゲンは複雑な心境であった。

 フィセラには、配下たちの「前」に立って欲しかったのだ。すべての者たちを従えて導いて欲しかったのだ。

 そして今、目にしたのだ。創造主である神々を率いた真の王の姿を。

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