32

 ワッツたちが、クエストのために街から出て少し経った頃。

 街の住宅エリアにて、人通りの少ない細い路地で、一人の人物が周囲を窺っていた。


 その者の風貌は異様で、背に八本の赤い亀裂模様が走った黒い衣を纏っている。明らかに不気味な雰囲気を漂わせながら。

 しかもフードの中には素顔ではなく、これまたのっぺらとした赤い面をつけていた。


 その者は、何かの気配に気づいたように路地の入口の方へ顔を向けると、その近くから話し声が聞こえてくる。それと同時に、黒衣の者が路地にある脇道にサッと身を隠した。


「ったく、やってられないですよね、モイズさん!」

「そうそう、こんな腹の立つ日は、さっさと家に帰って寝ちまうのがベストっすよ!」


 そこに現れたのは、少し前にワッツと一悶着を起こしたモイズたちだった。

 ワッツに気絶させられたモイズだったが、あれから意識を取り戻した後、取り巻きたちと一緒に帰宅しようとしていたのだ。


「てか、ワッツの奴、悪魔のくせして生意気ですよねぇ」

「だよな。どうせモイズさんを気絶させたのも、何かしらズルしたせいに決まってるっすよ!」


 明らかに不機嫌なまま黙しているモイズを、何とか宥めようとしてか、二人の少年が気を遣いながらいろいろ話しかけながら歩いている。


「でもよ、あの時、ワッツの奴、何したんだろうな」

「あの時?」

「ほら、消えたと思ったら、一瞬でモイズさんの後ろにいたろ?」

「あー確かにあれは凄かったな。けどあれもどうせズルじゃね?」


 二人は気づいていないが、先ほどからモイズの眉がピクピクと動いている。加えて眼光も鋭くなっていく。


「ズルって、どんな? てかズルでも凄かったよな」

「確かに……さすがは期待の『紅き新星』ってか」

「…………せぇ」

「「へ?」」


 今まで黙っていたモイズが発言したことで、取り巻きたちは足を止めた。そこはちょうど路地に入る手前だ。


「うるせぇってんだよっ! アイツの話はすんじゃねえっ!」

「「ご、ごめんなさいっ!」」

「ああクソがっ! もういいから俺を一人にしろ! 消えろ、バカどもがぁっ!」


 建物の壁を殴りながら脅し、その圧に怯えた取り巻きたちは情けない声を上げながらも、一目散にその場から去って行った。

 残されたモイズは唾を吐くと、まだ苛立っている様子で路地へと入っていく。


「クソが! クソがクソがクソが! あの野郎ぉ……この俺を舐めやがって! 絶対にぶっ殺してやる! この俺の方が上だってことを教えてやるっ!」


 怒気に満ち満ちたオーラを迸らせつつ、傍にあった樽を蹴り壊す。



「――――なるほど、なかなかの憎しみだな」



 直後、モイズの前方から声がし、「あぁ?」と彼が顔を向けると、そこには先ほど隠れていた黒衣の人物が姿を見せた。声音からして、男性なのは間違いない。


「はあ? んだよてめえ、不気味な恰好しやがってよぉ」


 怖気づくこともなく、モイズは目前に立ち塞がる人物を睨みつけた。


「そう噛みつこうとするな。どうやら貴様には、憎しみをぶつけたい相手がいるようだな。クク、これはちょうどいい……」

「あ? それが何だ? てめえに関係あるのか、こらぁ!」

「だからそう誰彼構わずに噛みつこうとするな。それだと怯えたネズミのように弱く見えるぞ?」

「ちっ、ふざけた仮面野郎だ! こっちはイライラしてんだ、てめえで発散したっていいんだぞ!」


 拳を強く握り、戦闘態勢に入るモイズに対し、今も静かに佇んでいるだけの黒衣の男。

 すると、モイズが勢いよく大地を蹴り、飛び上がり様に男に向かって拳を振るう……が、


「――んなっ!?」


 衣から現れた手で、簡単に受け止められてしまった。

 そして、そのまま捻られ、モイズの身体がくるっと反転し、地面に投げ落とされる。


「がはぁっ!?」


 背中を強打したことにより、肺の中の空気を一気に吐き出す。


「……弱いな。ああ、弱い」

「くっ……! この野郎ぉぉがぁぁぁぁっ!」


 顔を真っ赤にして立ち上がり、今度は蹴りなどを加えて攻撃を放つものの、そのすべてを軽やかにかわされ、最後に足を引っかけられて転ばされるモイズ。

 それでも負けじと、膝をつきながらも立ち上がり男を睨みつける。


「ほほう、気概だけは見事といっておこうか。それだけの〝こんの力〟があるなら、コイツを孵化させるには十分か」


 訳の分からないことを言いながら、衣の名から出した手の中には、丸くて小さなカプセルがあった。

 そのカプセルは割って開けられるようになっているようで、男がパカッと開くと、中から巨大な物体が出現する。


「なっ……んだよソレ……!? た、卵……?」


 人の頭よりも大きな、両手で持つのがやっとの大きさを持つ卵だった。


「貴様にコレをやろう」

「あ? いきなり何だ? それを俺に売りつけ、詐欺で儲けようってか? そう簡単に騙されるわけねえだろうが!」

「はぁ……言動に加えて頭も悪い、か。これは少々期待外れだったかもな」

「さっきから人を侮辱しやがってぇ!」

「俺はコレをやると言ったのだ。別に売るとは言っていない」

「……?」

「コレは貴様を強くしてくれる」

「!? ……強く、だと?」


 興味を惹かれたのか、攻撃の意思を緩め、男の言葉に耳を傾けている。


「そうだ。見たところ、貴様が憎しみを向ける相手は、それなりの強者らしい。コレを孵化させることができれば、貴様は今以上に強くなれる」

「……信じらねえな」

「ならその身で体感してみるといいだろう。コレを持ってみろ」


 差し出される卵を睨みつけるモイズ。若干の戸惑いを見せるものの、まるで本能的に求めるかのように、卵に手を伸ばしていた。

 そして、モイズは卵を両手で受け取り、その胸にピタリと触れた刹那、卵から激しい脈動が鳴る。同時に卵から赤黒い蒸気のようなものが滲み出てきた。


 さらにその蒸気が、幾本ものホース状になって、モイズの身体に突き刺さる。瞬間的に呻き声を上げて苦しそうな表情をしたモイズだったが……。


「……っ!? ク……クク……力だ…………ここには力があるっ!?」


 モイズの目がすわり、口元も大きく笑みで歪む。卵から異様な力を感じ取った様子の彼は、そのまま立ち上がり、卵を天高く掲げる。


「ククッ……ハハハハハハッ! 何だか気分が良いぞ! 今の俺だったら誰でも殺せる! ワッツでさえも! あのクソ生意気な野郎も、今の俺なら――がっ!?」


 常軌を逸したような醜悪な表情を浮かべ、感じる力に溺れていたが、直後、息が止まり身体も硬直してしまう。

 卵とモイズを繋げているホース状の蒸気が、時折膨張したり収縮したりを繰り返す。まるで、何かを吸い取っているような動きだ。


 そして、モイズの身体が急速に痩せ細っていき、ついぞ卵から手を放してしまう。だが、卵はそのまま浮いたまま、モイズは地面に横たわる。


「ぁ……かっ……ぅ……っ」


 もう言葉もロクに発せないらしく、ミイラのようになったモイズは、何かを求めるように卵に手を伸ばす。

 対して黒衣の男は、もうモイズに用がないといった感じで、卵に注視していた。


「ふむ、もう少しマシな〝魂魄〟だったら良かったのだがな。それに憎しみも薄い。もう少し濃いものを期待したが……しょせんは恵まれた環境で育ったクズか」


 辛辣な物言いだが、モイズには反論する余裕すらなかった。


「……まあいい。どうせ検証の一つに過ぎん。ここはコレで我慢しておくか。さあ、どんなのが育つかな」


 男の言葉が終わった直後、モイズと繋がっていた蒸気が、すべて卵へと戻ると、ピキピキ……ッと、ヒビが入り始めた。

 さらに大きな亀裂が卵の真ん中を切るように走り、一瞬で上部の殻が爆ぜた。


 卵の中から飛び出てきたのは、全身を真緑に染めた人型のモンスターだった。

 地面に降り立つと、その身体が徐々に巨大化していき、路地を挟んでいる建物を圧壊していく。


「ふむ、脆弱な憎しみでも、それなりには育つか。ただ、やはり飢餓状態のようだな。こうなれば、あとは見境なく暴れるだけの獣でしかない」


 その言葉を示すかのように、不気味に眼を光らせたモンスターが、その手に持っている黒い金棒を、黒衣の男に向かって振り回す。

 凄まじい音と衝撃を生みながら周囲を巻き込む攻撃に当たると一溜まりもない。しかし、黒衣の男は当たる瞬間に、消えたようにその場から移動し、気づけば少し離れた建物の屋根の上に立っていた。


 モンスターは正気を失ったように、破壊の限りを尽くし始める。そこかしこから悲鳴が飛び交う。


「とりあえずデータ収集のためにも、しばらく様子見だな」


 黒衣の男は、ただ一人、静かに観覧することを決めた。




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