終わりにしましょう


身の丈ほどある大剣を、重さなど感じていないかのようにトルバランは軽々と持ち上げる。そうして構えを取ったトルバランは、今度は先程より更に速いスピードで突進してきた。


「くっ、」


反射的に身を翻すと、すぐ真横を刃先が掠めていった。間一髪回避できたものの、少しでも反応が遅れていたら確実に斬られていただろう。


「ほら、いつまで避け続けるつもりですか。私を止めるのでしょう?」


そう言ってトルバランは、次々と斬撃を繰り出した。振り下ろされた刃を、シトラスはオレンジ・スプラッシュの打面で何とか受け止めて弾き返す。弾き返しては、また次の攻撃を仕掛けられ、それを打面や柄で受け流していく。


(どうしよう、どこかで反撃しなきゃ)


防戦一方になりつつも、どうにか隙を見つけようと試みる。しかしそう簡単にいくはずもなく、トルバランはシトラスに一切の猶予を与えない。

シトラスの力量では防ぐだけで精一杯だということを、見越した上での戦略なのだろう。


このままではいつか必ず、限界が来る。そうなれば終わりだ。


ガキィン!とトルバランの剣とシトラスのオレンジスプラッシュの柄がぶつかり合う音がひと際大きく響き渡る。今までで一番大きな衝突だったのか、シトラスは反動で大きく後退した。二人の間に距離が出来、攻防が一時的に止まる。


「はぁ、はっ……ッ」


肩で息をしながら、シトラスはトルバランを睨みつける。額から汗が流れ落ち、頬を伝い顎先からぽたりと滴り落ちた。対するトルバランは、息切れひとつ起こしていない。余裕そうな表情を浮かべながら、シトラスを見据えている。


「最終勧告です。─そろそろ諦めたらどうですか」


諭すような口調で、トルバランが言う。


「っ、やだ……、絶対諦めない……!」


シトラスは首を横に振り、力強く言い返した。

絶対に負けない。負けるわけにはいかない。ここで自分が負けたら、みんなが危ない目に遭う。だから、弱音なんか吐いていられない。


現実世界のラコルトで待っているはずの仲間の存在が、今のシトラスを何とか立ち上がらせていた。


「どこまでも強情な人ですね……ならば仕方ありません」


トルバランは杖を持っていない方の掌を広げた。すると、そこから無数の小さな炎の玉が生み出される。それらはミサイルのように真っ直ぐにシトラスの方へと飛んでいき、一定の距離に達すると同時に輝きを増しながら不自然に膨張した。


─爆発する。


「『防壁バリエ』!!」


シトラスは瞬時に防御魔法を発動し、自分の周囲に結界を張る。その刹那、轟音と共に激しい炎が巻き起こった。熱風によって周囲の小石や砂埃が舞い上がり、視界が遮られる。

しかしシトラスを覆う光の壁は、それらを一切通さなかった。


(呪文の詠唱もしないで、こんな強い魔法を次から次へと……)


いつだったか、レオンが魔法の鍛錬の時に言っていたことを思い出す。レオンは変身して魔具を持ち、呪文を唱えることで初めて魔法が使える自分たちのことを「自転車の補助輪を付けている状態」だと例えていた。今ならその意味が痛いほどわかる。


変身してやっと魔法を使えるようになった自分と違って、トルバランは魔族だ。初めから魔法が使えることが当たり前の世界で生まれ育ち、恐らく戦闘経験も豊富なのだろう。立ち回り方や攻撃に対する反応も、圧倒的に自分とは違う。シトラスは改めて相手との力量差を思い知らされていた。


「おや、考え事とは随分と余裕なのですね」


冷ややかな声が聞こえたかと思うと、次の瞬間シトラスの視界いっぱいに黒い何かが広がる。それがマントだと気付いた時にはもう遅く、トルバランはシトラスのすぐ目の前にいた。


(っ、いつの間に……)


炎の球の攻撃を防ぎ切ったことに安心して、油断していた。その一瞬のうちに距離を詰められていたのだ。

黒い手袋に包まれた右手には既に暗い色の魔力が球状に集まっていて、今にもシトラスに向かって放たれようとしている。今から逃げ避けるのは、恐らく無理だろう。


「…………っ!!『防壁バリエ』!!」


シトラスはもう一度、防御魔法を発動する為の言葉を唱えた。先程と同じ光の障壁が展開される。暗い色の魔力の塊はシトラスに命中することなく、光の壁の前で弾けて呆気なく霧散した。


「甘いですね」


「……っ!?」


先程まで数メートルほど離れた前方にいたはずのトルバランが、シトラスの真隣へと移動していた。


(あれ……フェイントだったの?!)


やけにあっさりと攻撃が弾かれた理由を理解し、シトラスは大きく目を見開く。動揺して集中力が切れてしまったからか、シトラスの張った防御バリエはほんの一瞬、不安定に明滅した。

その隙を見逃さなかったトルバランは今度こそ、高い魔力を凝縮した暗黒色の球体を至近距離でシトラスに向けて放つ。


「きゃあああぁぁっ!」


防御魔法をあっさりと突き破られ破壊のエネルギーをまともに受けたシトラスは、悲鳴を上げながら後方へと吹き飛ばされる。地面の上を何度も転がり、漸く勢いが収まった頃には─シトラスはボロ雑巾のような姿になっていた。


「うぅっ……、くっ……」


オレンジ色のボブヘアは乱れ、攻撃が直撃したドレスの右脇腹の部分には、穴が開いて素肌が覗いている。スカートも裾がズタズタで、元のふんわりとした可愛らしさの影も残っていない。とてもではないが、可憐な魔法少女の戦闘衣装とは言えない有り様である。


「今の攻撃を受けても意識を保ちましたか……私は貴方の能力を侮っていたようです」


言いながら、トルバランはゆっくりと近づいてくる。地面を這いつくばっていたシトラスは、鈍く痛む身体に鞭を打って何とか上半身を起こした。


「はぁっ、はぁっ……」


息をする度に、喉が焼け付くように痛い。擦り傷と打撲がそこかしこに出来た身体は、シトラスが動こうとする度に悲鳴を上げる。


(こんなところで、負けるわけにはいかないのに……!)


この人が黒き明日ディマイン・ノワールの魔族で、今まで人間界に魔獣を送り込んで大勢の人々を巻き込んだことが事実なのであれば、このまま好き勝手をさせるわけにはいかない。ここで止めなければ、被害は増えるばかりだ。これ以上、罪のない人たちを傷つけさせたくない。


「貴方ひとりでよくここまで頑張りましたね。ですが、それもここで終わりです」


「……ってに、」


「はい?」


「勝手に、終わらせないで……!!」


震える声でそう言い放ち、シトラスはふらつきながらも足を踏ん張らせ、立ち上がった。オレンジ・スプラッシュの柄を杖代わりにし、再び体勢を立て直す。


「……まだそんな力が残っていましたか」


トルバランは感心したように呟きながら、僅かに目を見開いた。


「しかし、そんな状態で私と戦うつもりですか?別に構いませんが、無茶はしない方が身のためかと」


トルバランの言葉を聞き流すようにして、シトラスは目の前の敵に意識を集中させる。


そしてゆっくりと呼吸を整え、覚悟を決めたようにトルバランを見据える。


確かに、今の自分の状態は決して良いとは言えない。恐らくだが、これ以上ダメージを受けたら変身を保つことすらままならないだろう。


(時間はかけられない……なら、)


今の自分に出来る全力の攻撃に、全てを賭けるしかない。


「オレンジ・スプラッシュ」


名前を呼ぶと、それに応えるようにシトラスの手の中の魔槌は眩く光る。その光に、シトラスは安堵した。ひとりだけど、独りで戦っているわけではないと。


シトラスは目を閉じる。瞼の裏に浮かんでくるのは、やはりいつだって共に戦う仲間達の姿だ。


「……お願い、力を貸してほしいの」


小さく呟き、そっと槌に口付ける。想いに応えるように、オレンジ・スプラッシュはさらに強く輝きを放った。


「……何をするつもりなのかはわかりませんが、」


トルバランの大剣が、再び禍々しい赤色の光を放つ。


「終わりにしませんか、そろそろ」


「そうだね。でも─それはこっちの台詞だよ!」


シトラスは勢いよく地面を蹴ると、オレンジ・スプラッシュを強く握りしめながら走り出す。そして、一気に間合いを詰めてトルバラン目掛けて大きく振り上げた。


「また性懲りも無く、正面からですか」


呆れたように溜息を吐きながらトルバランは大剣を振り下ろし、衝撃波を発生させる。木々がざわめき、周辺のビルの窓ガラスが割れて、小さな看板や標識などが倒れる音がする。しかし─


「なっ………?!」


シトラスは全く怯むことなく、衝撃波をオレンジ・スプラッシュで受け止めた。そのまま勢いを殺さず、逆に押し返していく。


「っ……!」


予想外の展開に、トルバランは目を瞠る。しかしすぐに冷静さを取り戻し、大剣を構え直した。


(残っているエナジーを魔具に集中させている……?それにしても、この力は……)


トルバランが思考を巡らせている間にも、シトラスはどんどん前へ前へと進んでいく。先程まで自分の攻撃を防御するだけで手一杯だった少女の変わり様に、トルバランは少なからず動揺していた。


「はああああっ!!!」


シトラスは地面を勢いよく蹴り上げ、高く跳躍する。そして上空からトルバランの姿を見下ろす形で狙いを定め─


「『陽光ソレイユ・ルミエール』!!!!」


オレンジ・スプラッシュから、太陽光のように眩く鮮烈な光が放たれる。


「くっ……!!」


トルバランは閃光から視界を守りながらも、咄嗟に大剣を召喚して受け止めた。しかし、陽光ソレイユ・ルミエールの奔流は止まらない。それどころか徐々に威力を増していき、ジリジリと足が後ろへ下がっていく。


(お願い……!勝たなきゃいけないの……!!)


シトラスは歯を食い縛り、オレンジ・スプラッシュを握る手に力を込める。トルバランは大剣で防御しているが、後ろに身体が押され始めている。このまま押し切ることが出来れば─


「はぁああぁあっ!!!」


最後の力を振り絞り、シトラスは持てる全てを注ぎ込む。陽光ソレイユ・ルミエールは勢いを増し、太陽のフレアのようにトルバランを飲み込もうとする。


「くっ……!!」


そしてついに─トルバランは耐え切れずに後方に吹き飛ばされた。防ぐものが無くなったエネルギーは、道路に次々と巨大なクレーターを生み出していく。


そうしてやがて勢いを無くし、光は完全に消え去った。


「はぁ……はあっ……」


荒い呼吸を繰り返しながら、攻撃を終えたシトラスは空中から地上に降り立つ。


トルバランが立っていた場所を中心に直径数十メートルに渡りアスファルトは砕け、地面は所々深く抉れていた。土煙が上がる中、シトラスはじっと目を凝らす。


「……や、やったの……?」


辺り一面を舞う粉塵の中、トルバランの姿を探す。


本気で、全力を尽くした攻撃だった。

それなのに、何故こんなにも不安が拭えないのだろうか。これで倒せていなかったとしたら、自分はどうすれば良いのだろうか。


嫌な想像ばかりが頭の中を駆け巡る。


その時─ザリッ、と靴底を引き摺るような音が聞こえた。



「……これほどの力を隠していたとは。流石に驚きましたよ」


薄くなった土埃の中から聞こえてきた声。

どうか決着がついていて欲しいというシトラスの願いは、あっさりと打ち砕かれた。


「っ、……なん、で」


トルバランはまるで何事も無かったかのように、こちらに向かって歩いてくる。足を引き摺る様子もなければ、腕も庇っていない。軽く服の汚れを払う仕草から見るに、ダメージは殆ど受けていないらしい。


その姿を見て、シトラスは絶句した。


「まさか貴方、今ので私を仕留められたとでも思っていたんですか?」


信じられないといった様子のシトラスに対し、トルバランが挑発するように問いかけてくる。


「………っ、そんな……」


陽光ソレイユ・ルミエール』は、現状シトラスが使える攻撃魔法の中で一番威力のある技。にも関わらず、トルバランには通用しなかったのだ。

自分はトルバランの攻撃を数回受けただけでこんなにボロボロになっているのに、全力を尽くして放った迫真の技はトルバランに傷ひとつ与えられなかった。


その事実が、シトラスの心に大きな影を落とす。


「残念ですが、貴方の負けですよ」


トルバランはそう言うと、再度大剣を構えた。シトラスが次の行動に出る前に決着をつけるつもりらしい。


シトラスは必死に頭を働かせる。


どうしたら、何をしたらこの状況を覆せるのか。『陽光ソレイユ・ルミエール』を使うために、自分に残されている力のほとんどを出し尽くしてしまった。他の魔法を繰り出すには、体力も気力も明らかに不足している。


何の対抗策も思い付かないまま、トルバランは地を蹴ってこちらへ駆け出した。


(と、とにかく何とかしないと……!)


シトラスも迎え撃つべく、残された僅かな力をかき集めて身構える。しかしダメージを全く受けていないもの同然のトルバランの方が、圧倒的に速い。


「くっ……、」


「遅い」


トルバランの大剣が容赦なくシトラスを襲う。かろうじて避けるが、完全には避けきれずにシトラスの魔装ドレスのパフスリーブ部分が切り裂かれた。


「……っ!!」


直接身体にダメージを受けたわけではないが、ほんの一瞬だけシトラスの意識がそちらに向けられる。


トルバランはその隙を見逃さず、シトラスの目の前に手のひらを翳した。


赤い魔力光を帯びた掌は紛れもなく、魔法が発動される前兆だ。


(しまっ……、)


攻撃される、と反射的に思ったシトラスだったが、次の瞬間襲い掛かってきた感覚は想像していたものとは全く違っていた。


「『眠りなさいソメイル』」


詠唱と共に、トルバランの掌から放たれた赤い光が一際大きく輝く。その光を直視した瞬間、


「………え、」


ぐらり、と視界が揺れた。それから間もなく平衡感覚が失われ、身体から力が抜けていく。瞼が重く、目を開けていられない。抗えない眠気に、シトラスは為す術がなかった。


「う、ぁ……」


シトラスの手からオレンジ・スプラッシュが滑り落ち、カランと音を立てて地面に転がる。やがて膝から崩れ落ちるようにしてその場に倒れたシトラスは、完全に意識を手放した。


「…………」


トルバランは倒れ伏したシトラスの身体を仰向けになるように動かすと、改めてその姿をじっくりと見下ろす。全身が傷とあざだらけで、露出している腕や脚には打撲痕が浮かんでいる。しかしそんな痛々しい姿とは裏腹に、本人はすうすうと安らかな寝息を立てていた。


自身のかけた催眠魔法が間違いなく効いていることを確認すると、トルバランは彼女の身体をそっと抱き上げる。



その動作に粗雑さは全く無く、壊れ物を扱うような優しさがあった。

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