それぞれの夜
キルシェの家は聖フローラ学園から徒歩10分ほど。
駅寄りの新興住宅地に建つ高層マンションの一室だった。駅に近いという利便性と、最新鋭のセキュリティを完備した防犯面の良さからか、部屋はほとんど埋まっている。
マンションに到着したキルシェはエントランスに設置されたパネルにICカードを翳し、オートロックを解除する。ピッと機械的な短い音が鳴り、エレベーターホールへと繋がるドアが自動で開いた。
ホールに入るとキルシェは迷わず目当てのエレベーターの扉前まで進み、ここでもドア横に設置されたボタンパネル下のカードリーダーにICカードを翳す。
程なくして1階まで降りてきたエレベーターに乗り込んだキルシェは、やはりエレベーター内のカードリーダーにもICカードを読み込ませた。部屋番号を認識したエレベーターは、ひとりでに止まるべき階まで上昇していく。
(すごいポメ……シトラスのアパートと全然違うポメ)
シトラスの住んでいるアパートは遠方から聖フローラ学園に通う学生向けに建てられた築20年ほどの建物で、最新の設備は備わっていない。エレベーターは無く階段だし、鍵だって金属製のシリンダー錠だ。
ただ学生用の物件であることもあってか、近隣には警察官が常在している交番がある。そのような形では防犯対策が考慮されているが、キルシェが暮らしているマンションとは雲泥の差であった。
エレベーターが目的の階に止まると、キルシェは廊下に出てずんずんと歩みを進める。
そしてひとつのドアの前で立ち止まるとやはりICカードをドアノブに翳して解錠し、ドアを開けた。
「ただいまーっ!……って、エマちゃん今日遅いんだった。ポメポメ、すぐごはん作るから適当にくつろいで待ってて!」
キルシェはそう言って靴を脱ぐなりバタバタとキッチンの方へ駆けていく。そんな彼女の後に続くように部屋の中へと入っていく。
「ポメっ…………」
キルシェの部屋に入ったポメポメは、思わず感嘆の声を漏らしてしまった。
広々としたリビングに清潔感のある白い壁紙、家具は全てシンプルかつ上品なデザインのものばかりで統一感がある。まるでモデルルームのような洗練された空間が広がっている。
「ん、どうしたの?」
リビングの入り口に突っ立ったままなかなか入ってこないポメポメを見て不思議に思ったのだろう、料理の準備をしていた手を止めると制服の上からピンクのエプロンを着たキルシェが振り返って声をかける。
「……想像してたより綺麗なお家でびっくりしたポメ」
「あはは、シトラスが初めて遊びに来た時もそう言ってたな。エマちゃんが結構凝り性でね、インテリアはこだわってるんだよ〜」
そう言いつつ、再び調理台の方に向き直りながら言葉を続ける。
「エマちゃんって誰ポメ?」
「あれ、言ってなかったっけ?あたしの叔母さん」
冷蔵庫から目的の食材を取り出しながら、キルシェが答える。
「ファッション雑誌の編集長をやってるバリッバリのキャリアウーマンでね、お母さんの妹なんだ」
言いながら取り出した野菜を切り始める彼女を見ながら、だからこんなに家がお洒落なのかと納得したところでふと疑問が浮かぶ。
「キルシェは、叔母さんと二人で住んでるポメ?」
「そうだよ。ああ、エマちゃんの前では叔母さんっていうのダメね。そう呼ばれるの好きじゃないんだって」
そう言いながら、キルシェは切り分けた野菜を手際よくボールに移してフライパンに油を引き始める。そんな姿をぼんやりと眺めつつ、ポメポメは考える。
人間界の一般的な家庭では、子どもは大抵その両親と共に暮らすものだとポメポメは認識していた。叔母と二人暮らししているキルシェのような世帯も全くないというわけではないが、なかなか見ることはない。
「……あ、もしかして『なんで両親と暮らしてないんだろう』って思った?」
「ポメッ!?」
図星を言い当てられてポメポメはギクッと肩を震わせたが、キルシェは変わらない調子で続ける。
「まあ、色々あってさ~うちはちょっと訳アリなんだよね。両親とはもう何年も会ってないし、気付いたらエマちゃんと一緒に暮らしてた。あたしにはそれが普通で、エマちゃんが実質キルシェちゃんのお母さんみたいな感じかな〜。……あ、お母さんって言っても嫌がるんだった。今のもしーっね」
人差し指を口に当てて、キルシェは悪戯っぽく笑う。
「ポメ……」
シトラスは幼少期に両親を亡くしたと話していたが、キルシェもまた複雑な家庭環境で育ったようだ。
(みんな色々事情があるポメ……)
ポメポメの知る限り、魔法少女の素質を持つ人間の少女たちには、ひとつ共通していることがある。それは全員が他者を思いやり、助けたいと願う心を持ち合わせているということだ。シトラスはもちろん、キルシェもロゼも誰かを助けたいと願った瞬間にその力を覚醒させた。
ひょっとすると彼女たちが他人に優しく思いやりを持つことが出来るのは、彼女たちもまた誰かから救われた経験してきたからなのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、あっという間にテーブルの上に出来立てのパスタやサラダ、スープが並ぶ。キルシェが今作ったものの他、作りおきされているらしい鶏肉のハーブ焼きやフライドポテトなどのおかずも皿に盛られていた。
キルシェは席につきながら「早く食べよ!」とポメポメを手招きする。
「キルシェ、いつも自分でご飯作ってるポメ?」
「ん-時々かな?エマちゃんの帰りが早い日はエマちゃんに用意してもらったり外食したりするんだけど、今雑誌の締め切りが近くて残業が続いているから、そういう時はシェフ・キルシェちゃんの出番って感じ」
キッチンの方に目をやると、 トレーの上にもう一人分ラップのかかった料理が置かれていた。あれが後から帰ってくるエマの分なのだろう、とポメポメは悟る。
「それじゃ、いただきまーす!」
「いただきますポメ」
元気よく手を合わせるキルシェに続いて、ポメポメも人型の少女の姿に変身して食卓について手を合わせる。トマトソースで味付けされたパスタをフォークに巻きつけて口に運び、ポメポメは目を見開いた。
「……!おいしいポメ!」
「でっしょ~!やっぱりごはんは美味しくなくっちゃね!」
そう言ってキルシェもパスタを口に運び、満足そうに微笑む。
「……ちょっとは、元気出た?」
不意にそんなことを訊かれたので一瞬フォークを持つ手を止めたが、ポメポメはすぐにその意味を理解する。
さっきのシトラスとのことを、キルシェは気にかけてくれたのだろう。
「うん、ありがとポメ」
ポメポメが素直に感謝の気持ちを伝えると、キルシェは照れくさそうに笑った。
「いーのいーの!あ、おかわりもあるけど食べる?」
「ポメッ!じゃあちょっとだけ……」
「ちょっとと言わずいっぱい食べなよ!おいしいものを食べて元気を出して、シトラスとどうやって仲直りするか一緒に考えよう?」
そう言ってキルシェは残りのパスタが入った鍋を持ってくると、トングを使ってポメポメの皿にこんもりと盛っていく。
「お、大盛りポメ……」
最初に盛り付けられた時よりも遥かにボリュームアップされた皿を見て唖然としていると、キルシェが言う。
「そーかな?普通だよこれくらい!ささ、お食べお食べ〜!」
(ふ、普通より絶対多い気がするポメ……)
しかし作ってくれた本人であるキルシェがニコニコしながら勧めるのを断ることも出来ず、ポメポメはひとまず特盛級のトマトソースパスタを平らげることに集中することに決めたのだった。
***
シャンプーの泡はとうに全て流されていたが、シトラスはシャワーのお湯を頭から浴びながら思考の海に沈んでいた。
(……本当に、悪い人なのかな。エリックさん)
昼間の出来事を思い出す度に、疑問が浮かぶ。
自分が思わずこぼしてしまった悩みにも、真摯に向き合って言葉をかけてくれた。
建物が崩落した時も、怪我をしながら瓦礫から守ってくれた。
しかし仮にエリックが魔族だったとして、シトラスを助けた理由とは一体何なのだろうか。
それこそ、レオンの言うように自分を騙そうとしているのであれば話は別になるが。
「…………」
キュッと蛇口を捻ると同時に、浴室が静寂に包まれた。ぽたぽたと髪先から滴る水滴の音が、やけに大きく聞こえる気がする。
(……やだなぁ、私。ひとりで考えたってしょうがないし、レオンさんやポメポメの言ってることの方が正しいかもって頭ではわかってるはずなのに)
「ひとりで考えてもいい?」なんて言ったくせに、結局ひとりでは思考がぐるぐると巡ってしまい明確な答えも出せない。そんな自分に嫌気がさす。
ポメポメは今夜キルシェの家に泊まると、先ほどキルシェ本人からメッセージアプリに連絡があった。自分があんな態度をとってしまったから、この家に帰り辛くなってしまったのだろうか。
「はぁ」
ため息と共に、肩まで湯船に浸かり直す。
ポメポメがいない夜が久しぶり過ぎて、なんだか落ち着かない。ポメポメが家に来てから、家の中でひとりになることがほとんどなかった。
高校に進学して最初の一年はこうして過ごしていたのだから、昔に戻っただけなはずなのだが。今はもう、ひとりでいることは普通のことではないのだと改めて思い知らされる。
夜は、こんなに静かだっただろうか。
(明日、ちゃんと謝らないと……)
ぶくぶくと口元を沈めながら、そんなことを思う。
明日の夕食はポメポメが好きなものにしよう。確か冷凍庫に買い置きしておいた鶏のささみがまだ残っていたはずだから、それで何か作ろう。
そんなことを考えるうちに、シトラスの思考は少しずつエリックのことから逸れていった。
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