The show must go on.
全てが終わった放課後。
ロゼの計らいで彼女の自宅─街の中でもかなり目立つ豪邸─に招待されたシトラスとキルシェ、そしてポメポメは、客間でティータイムを過ごしていた。
「そういえばポメポメ、さっきレオンさんのことを『師匠』って呼んでいたけど……」
レオンの淹れてくれた紅茶を口に運びながら、シトラスはふと思い出したようにポメポメに尋ねる。
「あー、そうそう!それあたしも気になってたんだ!」
ティーカップに角砂糖を何個も入れながらキルシェも話題に乗っかり、ポメポメに視線を向ける。すると、ポメポメは良くぞ聞いてくれたと言わんばかりにソファから立ち上がり、胸を張って話し始めた。
「ポメ!レオンハルト師匠は天界にいた時にポメポメに魔法を教えてくれたポメ!天界での師匠はとてもエラい人だったポメけど、忙しい合間を縫って雨の日も風の日もポメポメの修行を手伝ってくれ……」
「ポメリーナ」
茶菓子の用意をしていたレオンが、ポメポメの言葉を嗜めるように遮る。
「……私が教えたことは、基本的なことばかりです。それにポメリーナは物事を理解するのが非常に早かったので、私から指導すべきことはそれほど多くはありませんでした。……どちらかというと、ポメリーナが自分自身で自然に学んでいったことの方が多かったように記憶しています」
「そんなこと、」
「ありますよ。あなたはとても優秀な魔法使いです。もっと自信を持ちなさい」
表情をほとんど変えずに言うレオンだが、その目はほんの少し柔らかに細められている。ポメポメはまだ何かを言いたそうにレオンを見上げていたが、やがて何も言わずに静かに頷いてソファに座り直した。
「それにしても……ポメポメはヒトになってもネコ耳やしっぽが残っているのに、レオンさんって執事に変身してもライオンの耳とかしっぽとか全然見えないですね?」
「ポメッ!?」
キルシェがレオンの姿をまじまじと見て尋ねる。そしてその隣でポメポメは、猫耳の生えた己の頭部を手のひらでサッと隠した─しっぽを残しながら。
「聖獣族の特徴を隠すのは、慣れればそう難しいことではありません。ポメリーナも練習すれば出来るようになるでしょう」
「本当に、隠し事が上手なんだから。レオンは初等部にいた頃から面倒を見てくれていたのだけど、わたしも2年前に正体を教えてもらうまで、ずっとただの執事だと思ってたの。まさか別の世界から来た人だったなんて……あの時は本当にびっくりしたわ」
ロゼは冗談めかしくそう言いながら、ティーカップを口に運ぶ。
「……上からは、お嬢様に何事も悟られないようにと命じられていましたから」
レオンは表情を変えることなく、だけど少し居心地悪そうに答える。
「命じられたってその……天界から、ですか?」
シトラスは首を傾げながら尋ねる。
ロゼは初等部の頃からレオンと共にいたと話しているが、そうだとすれば天界は早くとも6年以上前には既にレオンを人間界に送り込んでいたことになる。
そして、ロゼがレオンの正体を知ったのは2年前─ロゼが高等部に進学した頃だろう。
魔獣が人間界で暴れ始めたのはつい最近なのに、水面下ではそんなに前から事が動いていたというのだろうか。
「ええ。天界では皆さんがまだ幼い頃から、─いいえ、それよりも更に前から、魔界が人間界に対して不穏な動きをみせていることを察知していました。
そして、魔界の軍勢からこの世界を守るために─『女神の魂』の持ち主を探し出す必要が生じた。そこで私は人間界へ派遣され、表向きはロゼお嬢様に仕えるアルページュ家の執事として働きながら、密かに『女神の魂』の持ち主を探し出す任務を仰せつかったのです」
「女神の魂?」
聞き慣れない言葉に、シトラスとキルシェは顔を見合わせる。
「人間界のどこかに、天界の女神様と同じ魂と力を宿した人がいて、その人が魔界で悪さをしている邪神を封印するための切り札になると言われてるポメ!師匠もポメポメも、女神の魂の持ち主を探すために人間界に送られたんだポメ!」
ポメポメは補足するように説明をする。
「それって……魔法少女に変身できるあたし達は関係あるの?」
ふと疑問に思ったのか、キルシェがおずおずとそう尋ねる。
「ない、とは言い切れないポメ……シトラスも、キルシェも、ロゼも、普通の人間よりも強い魔力を持っている─だから魔法少女に変身出来るポメ」
「そんなあなた達の中に持ち主がいる、という可能性も十分あり得ますが、現時点ではまだ断定することはできません。
女神の魂はその力を発揮すると、天界人である私達、そして魔法少女であるあなた達のエナジーでさえも比にならない、途方もなく強大なエネルギーを発生させます。
しかし私が人間界に降り立ってから今日まで─そのような力を持つ者の存在を感じ取れたことは、一度もありません。
憶測ではありますが─まだ女神の魂も、その持ち主自身も、真の力に目覚めていないのかもしれない」
レオンの言葉に少女たちは思いを巡らせ、言葉を見失う。
女神の魂─一体どんなものなのだろう。その持ち主は、どんな人なのだろう。
シトラスは手に持ったティーカップに視線を落とす。揺らいだオレンジ色の水面が、まるで自分の心の中を映し出しているようだった。
丁度その頃、聖フローラ学園。
大ホールの入り口には黄色と黒で視覚的に警戒を訴えるテープが、厳重に張られている。
僅か数時間前、学校行事の真っ最中に魔獣騒ぎの現場となったその場所は、一見すると何の異常も生じていないように見える。しかし、安全確認のため当面─少なくとも一週間ほどは一般生徒の立ち入りが禁止になる見通しだった。
そんな誰もいないはずの大ホールの観客席の通路に、一人の男性が静かに佇んでいた。
暗い色合いのジャケットとスラックスに、後頭部で結わえられた赤髪のポニーテール。淵の無いリムレスの眼鏡は彼の端正な顔立ちを隠すには不十分で、むしろ彼の鋭敏な眼差しと均整の取れた顔のパーツを強調していた。
男性は来客であることを示すIDカードも下げていなければ、案内する職員も同伴していない。早い話が、完全なる部外者だった。
「あのー……すみませーん」
そんな男の姿を見咎めて、大ホールの入り口に立っていた一人の警備員が小走りで歩み寄り、声をかける。
「このホールはただ今立ち入り禁止でして……入り口に案内を貼っていたんですが、見てませんでしたか?」
あまり気の強い性分ではないらしい若い男の警備員は、内心自分の落ち度で不審者を敷地内に迎え入れてしまったのだろうか、という不安と困惑を抱えていたが、極力それを表に出さないように男性の反応をじっとうかがっている。
男性は、そんな彼の様子を見てわずかに口元を緩めると、穏やかな口調で言葉を発した。
「ああ、すみません。ついうっかりして……」
穏やかで人好きのする笑みを見せる男の表情は、このお人好しな警備員の警戒心を溶かすのに充分だった。笑顔ひとつで男が危険人物ではないと判断した警備員は、客席の通路を下りながら男の元へと歩み寄る。
「お兄さん、もしうちの学園に用でしたら、別棟に職員室があるんで一旦そっちに立ち寄ってもらえませんか?良かったらそこまで案内しま………ふにゃ?」
善意から男の手の届く範囲内に近付いてしまった警備員は、抵抗する間もなく目元に手を翳される。そこから放たれた赤い光を目の当たりにした途端、警備員は抗えないほどの強烈な眠気と共にその場に崩れ落ちた。
客席の通路に倒れた彼が完全に眠りに落ちていることを確認すると、男は右手を前に差し出し、口を開く。
「……魔獣コード『P-76』の浄化を確認。エナジー回収ノルマは達成している模様。これより帰還します」
男の手のひらの上には黒い鉱物を研磨したような球型の物体が浮かび上がり、どうやらそこから誰かと話しているらしい。
『ご苦労様。魔界へのゲートは解放済みよ。さっさと戻りなさい』
お世辞にも機嫌が良いとは言えない、女の声が球体から聞こえてくる。棘のある言葉遣いや、通常時よりも低い声色は、女が彼と良好な信頼関係を築けてないことを如実に表していた。
しかし男性はそんな態度を特に気にする風でもなく、淡々と言葉を返す。
「ありがとうございます、インヴァス」
事務的な感謝を述べた次の瞬間、男の姿は一変した。
ポニーテールに結わえられていた髪は解けて広がり、背中までの艶やかな赤髪がゆらめく。それとほぼ同時に纏っていた暗い色合いのスラックスとジャケットは、中世の騎士を彷彿とさせる軍服のような出で立ちに変貌した。全体的に黒で統一されたその姿はさながら、おとぎ話に登場する悪役のようだ。
『……ところでトルバラン。魔法少女について何か情報は得られたのかしら?』
球体の向こうから、インヴァスが思い出したかのように男性に尋ねる。トルバランと呼ばれた男は一瞬眉を動かし、しかし平然とした声色で言葉を返す。
「ええ、ある程度は」
『ある程度……ね。あなた程の実力者ならもう、事の全てを粗方調べているんじゃないかしら?』
インヴァスは揶揄うように、それでいて探るようにトルバランに話しかけた。しかし彼は意に介することもなく、淡々と話し続ける。
「本気でそう考えられているのなら、私の実力を買い被り過ぎだと思いますが」
トルバランの返しに、球体の向こうでインヴァスが乾いた笑い声をあげた。
『別にあなたを評価しているわけじゃないわ。ただ、あなた自身の能力や今まで残した実績と照らし合わせて考えてみても─今回の作戦はあなたの実力にしてはやけに進捗が遅れていると思って。それだけよ』
トルバランは僅かに目を細める。
「ああ……それはご期待に沿えず申し訳ありませんでした。ですが、手間取っていることは事実ですから」
『……もういいわ、邪神様がお待ちよ』
その言葉を最後にインヴァスの声は聞こえなくなり、球体は光を収める。
通話を終えたトルバランが踵を返そうとしたとき、ふと並んだ座席の手すりの一つに文字が書かれていることに気付いた。
よく見れば、「The show must go on.」というメッセージが油性ペンのようなもので綴られている。
恐らく生徒の誰かが、悪戯半分に書いたものだろう。長い間放置されているのか、ところどころのインクが掠れていて、あと数回磨けば完全に消えてしまいそうだった。
「『幕が上がれば舞台からは降りられない』、ですか。人間界の言葉はなかなか興味深いですね」
そう独り言ちてトルバランは立ち去ろうとするが、その口元はほんのわずかに吊り上がっていた。
─幕が上がれば、舞台からは降りられない。
舞台が続く限り、演じる役にも終わりは来ない。
この戯曲のフィナーレは、果たして私に何をもたらすのだろうか。
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