紫の調べ


「ごめんなさいね、隠すつもりはなかったのだけど……あなた達がどこまで魔獣と戦えるか知りたかったの。─二人ともよく頑張ったわ」


ロゼは目を細めながら労いの言葉をかける。その言葉に、シトラスとキルシェは張り詰めていた緊張感が解けていくのを感じた。


「び、びっくりしたぁ……ロゼ様が魔法少女だったなんて!でも、嬉しい!!」


キルシェの言葉にシトラスも頷く。知り合って間もないものの、ロゼがどれほど優しく勇敢な人物であるかは先ほどまでの顛末でよくわかっている。


こんな素敵な人が先輩で、仲間だなんて。

シトラスは嬉しくて胸がいっぱいになるのを感じた。


ポメポメにも教えてあげなきゃ、と思ったところでシトラスはハッと気づく。先ほどまで魔獣に捕らえられていた場所に、ポメポメがいない。


「ポメポメ……!?どこに行っちゃったの!?」


「大丈夫よ、ほら」


ロゼが目線をやった先を見ると、白銀色のライオンのような獣が猫の姿になったポメポメを咥えてロゼ達の元まで運んできてくれていた。


「ポメポメ!」


「シトラス!キルシェ……!」


白銀の獣からポメポメを受け取ったシトラスは、ポメポメをぎゅっ、と胸に抱きしめる。


「よかった……!」


「ごめんなさいポメ……二人のこと、助けに行けなかったポメ……」


シトラスの腕の中で、ポメポメが申し訳なさそうに耳をぺたんと伏せる。


「ううん、そんなの気にしなくていいんだよ。ポメポメが無事でよかった!」


キルシェもシトラスに抱き締められているポメポメの頭を優しく撫でながら、安堵の表情を浮かべる。そうされている内にポメポメは落ち着きを取り戻したようで、ようやくシトラスの腕の温もりに身を委ねた。


『ポメリーナ、二人の傷を治してあげなさい』


若い男性の声が、ふいにポメポメに話しかける。シトラスとキルシェは誰の声なのかと辺りを見回すが、ポメポメはその言葉を聞き入れるとシトラスの腕から飛び降り、すぐさま猫の姿からヒトの姿に変身する。


「はいですポメ、師匠!『癒せ(ゲリール)』!」


シトラスとキルシェに向けて水晶玉の付いた杖をかざし、ポメポメは回復魔法の呪文を詠唱する。杖から溢れ出た白い光は二人を包み込み、あっという間に二人の身体の傷やダメージを癒やしていった。


「ありがとう、ポメポメ!ところで、あなたは……」


白銀色の獣を見上げて、シトラスは首を傾げる。

この大型犬のような生き物は一体どこから来たのだろう。


もしかしてロゼ先輩のペット?だけど犬にしては大きいし、よく見たらライオンにも似ているかも……?



『自己紹介が遅れました。私はレオンハルト・セレスティア。ポメリーナと同じ天界から来た聖獣族で、ロゼお嬢様の専属執事を務めさせて頂いています』



白銀の獣は澄んだ声で礼儀正しく一礼し、シトラス達に挨拶をする。


その声に、シトラスもキルシェも聞き覚えがあった。

この白銀色の鬣、礼儀正しい言葉遣い。


もしかして……


「れ、レオンさん!?ロゼ先輩の執事さんの!?」


「天界の人だったの?!ってかポメポメの知り合いだったの!?」


シトラスとキルシェは驚嘆の声を上げた。ロゼが魔法少女だっただけでも驚きなのに、まさか執事であるレオンにまでそんな秘密があったとは。


『はい。……お聞きしたいことはたくさんあるでしょうが、話は後にしましょうか』


レオンの視線がシトラス達から逸れる。それを追うと、ロゼの魔法で一時的に大人しくなっていたピアニストの魔獣に、異変が起こり始めていた。


4本だった腕の本数が更に増え、更にピアノ自体にも魔力を行使したのか─鍵盤が普通のピアノの倍以上の数になり、最早この世に存在しない新たな楽器の様相を呈し始めていたのだ。


「嘘でしょ……!?またあんなので演奏されたら……!!」


キルシェは先程まで浴びせられていた破壊の旋律を鮮明に思いだし、青ざめた顔で魔獣を見つめた。


「大丈夫よ、わたしにまかせて」


そう言うなりロゼは巨大な薔薇の上から飛び出し、カツン、と靴音を立ててステージの上に着地する。


「ロゼ先輩……?」


ロゼはドレスのスカートの裾を摘まんで優雅に一礼し─バイオリンを構える。まるでこれから戦うのではなく、コンサートのステージに立つかのように。


「わたしの得意分野なの」


心配そうに見つめるシトラス達に微笑み返すと、弦の上に弓をそっと置く。


「行きましょう、バイオレット・スコア─『子守唄:静謐(ベルスーズ・セレニテ)』」


まるでクラシック曲の題名のようなその言葉が、ロゼの魔法の呪文らしい。


瞬間、ロゼのバイオリン─魔弦バイオレット・スコアは透き通った美しい音色を会場に響き渡らせた。


それと共にロゼの周辺から魔力を含んだ音色が溢れだし、会場全体を澄み渡った空気が包み込む。


(これがロゼ先輩の、魔法少女の力……)


シトラスはロゼの圧倒的な力に息を吞んだ。その音色は優しくも力強く、聴く者の心を奪う。演奏されている楽曲が何なのかは分からないけれど、その調べは聴く者を虜にするだけではなく、安心感をももたらした。


そして、魔獣に変化が起こり始める。


腕や触手を構築していた五線譜の魔力は、急に統率力を失ってバラバラに解け始めた。まるで糸のほつれたマリオネットのように、五線譜の魔力は形を保てなくなって分解されていく。


魔力で形を変えられていたピアノも、不自然に付け足された鍵盤たちがどんどん地面へと落ちていく。本来ならば存在しない音を司っていたそれらは、床に叩きつけられるとそのまま霧散して消えていってしまった。


「すごい……」


シトラスの口から自然と感嘆の声が漏れる。


『ロゼお嬢様は、魔力支援と魔力妨害を得意とされる魔法少女。……あなた達の世界のゲームでいう、「バフ」「デバフ」と言えばとわかりやすいでしょうか』


「ば、ばふ……でばふ……?」


シトラスは聞き慣れない言葉にオウム返しをする。


『……人間界の若い方ならばその例えの方が理解しやすいかと思ったのですが』


「師匠、シトラスはあんまりゲームしないから、そういうのわからないポメ……」


ポメポメがこっそり耳打ちをするとレオンはしまった、と言いたげな表情を浮かべる。


「あ、あー、えっとね!バフっていうのは味方や自分の攻撃とか魔力とかをぐいーん!って上げて強くしてくれるやつで、デバフっていうのは逆に敵の攻撃とか魔力とかをガクーン!って下げて弱くしてくれるやつのこと!直接ダメージを与えたりはしないんだけど、味方を強くしたり敵を弱くしたり出来る魔法!……で、合ってますよね!」


噛み砕いて説明したキルシェが確認するように視線を送ると、レオンは頷いた。


「じゃあ……ロゼ先輩は今、あの魔獣の魔力を下げているってことですか?」


『その通りです。お嬢様の魔力妨害は強力ですから、魔獣がもう一度あの規模の魔法を使えるようになるには相当時間がかかるでしょう。─しかし、弱体化(それ)だけでは魔獣を撃退することはできません』


レオンの言葉にシトラスとキルシェが首を傾げると、ロゼが二人の方を振り返った。


「シトラスちゃん、キルシェちゃん─あなた達が、決着をつけて」


バイオリンの音色が流れ続ける中、ロゼが力強い声で叫ぶ。


シトラスとキルシェは顔を見合わせた。ピアニストの魔獣はロゼの魔力妨害で、随分と力を落としたように見える。


だが、先ほどはそうやって突破口を見つけたと思った瞬間に、窮地に追いやられたのだ。


本当に、自分たちの力でこの魔獣を倒すことができるのだろうか。


「大丈夫、二人ならきっと出来るわ」


ロゼは二人の方を向きながら、短い旋律を奏で始める。瞬間、紫色の煌めいた光がシトラスとキルシェの周りで輝き始めた。


「この光……」


「なんか、あったかい感じ……!」


その光に触れていると、不思議と力が湧いてくるような気がする。同時に、不安だった心が穏やかに落ち着いていく感覚を覚えた。ロゼが奏でる美しい旋律が耳に入り込んでくる度に、心が癒されていくのがわかる。


(不思議……今なら、何だって出来ちゃいそう!)


「─あなた達の魔法は、わたしよりも攻撃力とスピードに特化している。力を合わせれば、この魔獣を必ず浄化出来るわ」


ロゼの言葉に二人は頷く。そして、顔を見合わせると再び魔獣の方へと向き直った。


「戻ってきて、オレンジ・スプラッシュ!!」

「お願い、ピンキー・スイート!!」


シトラスとキルシェは手を伸ばし、自分の魔具の名を叫ぶ。

すると、五線譜の呪縛から解き放たれた魔槌オレンジ・スプラッシュと魔槍ピンキー・スイートは流星の如く輝きながら飛来し、それぞれの主の手の中へと収まった。


「行こう、キルシェ!」


「おっけーシトラス!ビシッと決めちゃおう!」


シトラスとキルシェは互いに頷き合うと、同時に地面を蹴った。ピアノの魔獣も再度攻撃魔法を展開しようと試みているが、ロゼの魔力妨害によってその威力をほとんど落としてしまっている。


─倒すのならば、今だ。


「シトラス、飛ぶよ!掴まって!!」


キルシェが振り返りながらそう叫び、シトラスは頷く代わりに伸ばされた右手を取る。シトラスの手を掴んだキルシェは勢いよく床を蹴り、それから座席や壁面を足場にして何度も飛び上がり、ピアニストの魔獣を狙いやすいポイントを見つけるとそこに向かって一際高くジャンプした。


空中に飛び上がった二人は、ピアニストの魔獣に向かってオレンジ・スプラッシュとピンキー・スイートを構える。


それぞれの先端からは、シトラスのオレンジ色の魔力光とキルシェのピンク色の魔力光が溢れ出していた。


「キルシェ、準備出来てる?」


「いつでもバッチ来いだよ!!」


シトラスの問いに、キルシェは力強く肯定する。

そして─二人の心の中に、紡ぐべき呪文が浮かび上がった。



「『白糖彗星(シュクレ・コメット)』!!」




詠唱と同時に、二人の魔具から放たれたオレンジとピンクの魔力はマシュマロやキャンディのような螺旋をなし、ピアニストの魔獣へと襲いかかる。


ピアニストの魔獣はなけなしの魔力で防御魔法を発動して、二人の魔法から身を守る。残された魔力を全て防御に転じたのか、二人がかりの攻撃魔法をもってしても見えない壁は中々破れない。


「っ、ロゼ先輩は今日の芸術鑑賞会のために、聞いてくれる人たちのために、がんばって練習してきた……っ!」


「シトラス……?」


「なのにそれを邪魔して、関係ない人たちまで巻き込んで、会場も滅茶苦茶にして……!!」


シトラスの感情に呼応するように、オレンジ・スプラッシュから出力される魔力はより一層輝きを増し、煌びやかな魔力がピアニストの魔獣の張ったバリアを押し始めた。


「……そうだよ!あたしだってロゼ様の演奏を聞くの楽しみにしてたんだから!なのにアンタたちはいっつもいっつも自分勝手なことばっかりしてぇ……!!」


キルシェもまた、魔力の出力を上げながら感情を曝け出す。




「「これ以上、好きにさせないんだからぁ!!!!」」




二人の激情と魔力をのせて白糖彗星(シュクレ・コメット)は、ついにピアニストの魔獣の防御魔法を打ち破った。


パリン、とガラスの割れるような軽い音と共に砕けたバリアに、魔獣は顔を上げる。その先で─





「─いっけぇぇええ!!!!」



二人の少女の正義と怒りは、既にピアニストの魔獣の眼前に差し迫っていた。もう今から逃げようとしても、間に合わないだろう。




「っ!─……ッ」




白糖彗星(シュクレ・コメット)は防御魔法を打ち破った勢いのままピアニストの魔獣を包み込み─そして、その巨躯を光の粒へと還し、消滅させた。


あとに残されたのは、元の姿を取り戻した一台のグランドピアノだけだった。



「やった……!」


「倒せた……!」


ふわりと床に降り立ちながら、思わず声を上げるシトラスとキルシェ。ロゼは満足そうに微笑みながらバイオレット・スコアを肩から下ろし、レオンも安堵したように目を細めていた。


ピアニストの魔獣が消え去り─会場に静寂が訪れる。それは決して不穏なものではなく、心地よい静けさだった。


「それじゃあ、後片づけは私が。『元に戻れ(ルトゥルネ)』」


バイオレット・スコアの弓を天に向けて、ロゼは呪文を唱える。詠唱と共に紫色の輝きがホール全体に広がり、魔獣に操られた人々が破壊した座席や備品、戦闘の中で破損したステージや壁がみるみるうちに元通りになっていった。


ひと通り全てがあるべき姿を取り戻したところでロゼは優しく微笑むと、二人に向かって話しかける。


「素晴らしい合体魔法だったわ。息もピッタリ。本当に仲良しなのね」


「あ、ありがとうございます!」


「えへへ……照れちゃうなぁ、ロゼ様に褒められるなんて」


シトラスはぺこりと頭を下げ、キルシェは嬉しそうに頭を掻く。


「キルシェちゃん、その……さっきから気になっていたのだけど……『様』というのは」


ロゼは少し戸惑った様子で。キルシェにそう尋ねた。


「あ、えっとロゼ様のファン達の間では、尊敬を込めて『ロゼ様』って呼んでるんです!……もしかして、イヤでしたか?」


不安そうに尋ねるキルシェに、ロゼは優しく微笑み首を横に振る。


「いいえ、ただ……少し仰々しいわね。私たちは同じ学園の仲間だし、私もただの一学生よ。だから、気軽に『ロゼ』と呼んでもらえないかしら」


「えーっ!そんな、呼び捨てなんて恐れ多いですよ!!」


目をぐるぐるさせながら慌てるキルシェを見かねてシトラスは声をかける。


「キルシェ。普通にロゼ先輩、でいいんじゃないかな」


「あ、そっか!じゃあロゼ先パイ!……で、大丈夫ですか?」


恐る恐る尋ねるキルシェに、ロゼは微笑みながら頷く。


「ええ、その方が嬉しいわ」


「やった!ありがとうございます、ロゼ先パイ!!」


キルシェはガッツポーズをしながら喜びの声を上げる。憧れていたロゼとまさかこんな形で接点が出来るとは思わなかったのだろう。


「ふふっ、可愛い後輩ができたわね」


そんなキルシェの様子を見て微笑むロゼの表情はとても穏やかで優しいものだった。


「─ロゼお嬢様」


笑い合う三人の元に、いつの間にか白獅子から執事の姿に変身していたレオンが歩み寄る。


「関係各者に事態の収束を報告しました。しかし、このホールは安全確認が完了するまで当面の間は使用禁止になるようです。今日ここで公演の続きを行うことは……」


「そう……」


レオンからの報告を受けたロゼは一瞬視線を下に落とし、それからゆっくりと顔を上げた。


「ごめんなさいね、せっかく楽しみにしてくれたのにこんなことになってしまって」


「そんな、ロゼ先輩のせいじゃありません!」


「そうですよ!悪いのは魔獣ですってば!」


シトラスとキルシェはロゼを励まそうと、慌ててフォローを入れる。そんな二人を見て、申し訳なさそうに眉を下げていたロゼは、少し安心したように表情を緩める。


少女たちのやり取りを無言で聞いていたレオンは、逡巡の後に再び口を開いた。


「……恐らく芸術鑑賞会は、日を改めて再開催になるかと思います。が、市外から来ている学生たちの送迎バスが到着するまで、まだ少し時間があるようです」


それを聞いて、ロゼは何か思いついたように顔を上げる。


「どのくらい?」


「30分ほどです」


「十分ね」


ロゼは腰元のブローチにそっと触れる。


瞬間、纏っていた魔装ドレスは紫色のリボンになって解けていき、髪を飾っていた葡萄の髪留めが消えてハーフアップになっていた髪が広がる。


シトラスやキルシェよりも大人びた体躯のシルエットがほんの一瞬だけ露わになり、光が止むと芸術鑑賞会のためのステージドレスに身を包んだ元の姿のロゼが立っていた。


「さ、二人も早く変身を解いて。レオン、生徒会に連絡を入れてグラウンドに校内の皆さまを集めて。負傷者や体調不良の方の確認も忘れずにね」


「かしこまりました」


「ロゼ先輩、何を始めるんですか……?」


「ふふっ、お楽しみよ。ポメちゃんも二人と一緒に待っていてね?」


ロゼは悪戯っぽく笑うと、ステージの袖へと駆けていく。

シトラスとキルシェは一瞬顔を見合わせてから変身を解き─そして、ロゼに促されるままグラウンドに向かった。

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