第11話 【秘剣ならぬ秘脚、その名は……】
その日は家族で買い物に行くことになった。
「冷蔵庫のお陰で食材は長持ちするようになったけど、やっぱり色々と不足しちゃうよね」
「……そうだな」
まぁ、主な原因はよく食べる奥さんがいることなんだけど。
「カツキちゃんもお出掛け嬉しいよね?」
「だう!」
今日も元気一杯なカツキはユツキに手を引かれて御機嫌だ。
やっぱり子供はパパよりママの方が好きになる傾向があるらしい。
そして勿論、俺の今日の役目は荷物持ちである。
ユツキは色々な店に寄ってはあれもこれもと買い込んで、その度に俺の腕には荷物が積み上げられていく。
身体強化魔術がなかったら困ったことになっていただろう。
「あぁ~、うぅ~、マァ~マ~」
「あらあら。カツキちゃんは疲れちゃったのかな?」
一方でユツキの方もカツキがフラフラしているのを見て軽く抱き上げる。
うん。ユツキも色々と便利だからという理由で練度の高い身体強化魔術を習得済みなのだ。
まぁ、基本的に重いものを持ち上げることに使われるだけなので、戦闘技能のないユツキの戦闘力はほぼゼロのままだが。
だったら買い物くらいユツキ1人で大丈夫だったんじゃないかと思われるかもしれないが、この街は比較的治安は良い方だが、日本と違って1人歩き出来るほどではない。
ユツキが出掛ける際には俺が同行することは必須条件であり、必然的にカツキを置いて行く選択肢などないので家族全員で出掛けることになる。
(まぁ、これはこれでデートみたいなもんだし)
たとえ実態が荷物持ちだったとしても、家族サービスというのは望むところだ。
「丁度良い時間だし、休憩ついでにお昼ご飯は外で食べましょうか」
「お。良いね~」
ユツキの作ってくれるご飯は美味しいが、外食も店を選べば十分に美味しいところはある。
流石に日本の飲食店と比べるのは烏滸がましいレベルだが。
ユツキの厳しいリサーチの結果、合格ラインを超えた店に入って3人で料理を注文する。
この世界にはお子様用の料理なんてないのでカツキの分は俺とユツキの分を分け与えることになるのだが――当然のようにユツキの分は山盛り仕様である。
「「いただきます」」
「いたらきま~」
その食事を前にして俺とユツキは当然のように両手を合わせて食に対する感謝の念を捧げ、それを見ていたカツキも同じように両手を合わせていた。
こういうところは俺もユツキもまだまだ日本人だなぁ~と思う。
「あむあむ」
そうして俺はカツキと分け合って食事を開始した訳だが……。
「んぅ~♪ やっぱりたまには外食も悪くないね~」
「……そうですね」
ユツキの両手が高速で動いて、次々に料理が皿の上から消えていく。
いや。ユツキはマナーを守っているし、決して下品にガツガツ食べているわけではないのだが、とんでもない速度で手が動いて口に運ばれていくのだ。
(俺って、それなりに動体視力が高い筈なんだけど……)
ユツキの食事時の手の動きは俺でさえ時々目で追えなくなり、残像を残して見失うレベルだった。
「マァマ、しゅご~」
カツキもユツキの手の動きを追いきれないのか、真似して口で《しゅばっ、しゅばっ》と言いながら手を動かして食べている。
うん。まさにそんな擬音が出てそうな動きだよね。
ぶっちゃけ、ありえないことだが、あの速度で攻撃されたら俺は避けきれないと思う。
「「ごちそうさまでした」」
「ごちさま~」
そうして食事を終えて、俺達は食後のお茶を楽しみながら談笑していたのだが――ガシャン! と大きな音が背後から響いて思わず視線を向けてしまう。
「なんだと、この野郎!」
「もういっぺん言ってみやがれ!」
そこでは数人の男達がとっ掴み合いの喧嘩をしており、彼らの足元には倒れたテーブルと床に散らばった料理の残骸が落ちていた。
「……勿体ない」
それを見てユツキは悲しそうに呟いていた。
これが、この世界の住人が呟いたのなら《駄目になる前に自分が食べたかった》という解釈になるのだろうが、元日本人の倫理観を持つ俺とユツキの場合は《食べ物を粗末にするのは悪いこと》という常識から出た言葉になる。
「むぅ~!」
カツキが奴らに怒りの視線を向けているのも、俺達の教育によって同じ価値観と倫理観を持っているからだろう。
「あぁ? 何見てやがんだ、ガキ!」
だが、意外にも奴らは視線に敏感だったのか睨むカツキに気付いて逆に睨みつけて来た。
「うぅ」
流石に2歳児のカツキに大人に睨まれて怯まない胆力があるわけもなく涙目になってしまったのだが――カッチーンと来た。
「おい。誰の娘にガンつけてやがんだ、あぁ?」
気付いた時には俺は席から立ち上がり、馬鹿に対して盛大に殺気を向けながら睨みつけていた。
「てめぇ。誰にものを言ってやが……んごぉっ!」
言葉の途中、馬鹿は空中で縦に3回転半してから頭から床に叩きつけられて昏倒した。
殺してはいないが割とマジで蹴ってしまった。
「あなた」
「……分かってる」
ユツキに注意されるまでもなく、俺は娘にパパの格好良いところを見せる気はあっても流血現場を見せる気はなかった。
だから馬鹿の頭は破裂しなかったし、血の流すような攻撃はしなかったのだ。
「こ、こいつ、なにしやが……けぺっ」
「ふざけ……るぺ?」
「お、お前ら、どうし……ぺぐっ」
そうして俺は次々と喧嘩をして騒いでいた奴らを目視出来ないレベルの速度の蹴りで意識を刈り取っていく。
例外なく間抜けな声を上げて倒れていく奴らは滑稽ですらあった。
「パパ、しゅご~!」
「おう。このくらい朝飯前だぜ」
カツキも俺の活躍を喜んでくれているし、予定通りにパパの格好良いところを見せられたようだ。
「……こいつは何事だい?」
だが少々騒ぎ過ぎたのか、気付けば1人の派手な恰好の女を中心に数人のガラの悪い男達が店の中にいて、全員が俺達と対峙する形で睨みつけていた。
「追加かよ。面倒だな」
「あたしの部下が世話になったようだね」
そう言ってくるのは派手な格好の女であり、どうやらこいつが奴らの頭のようだ。
「…………」
場の雰囲気を察したのか、ユツキが席から立ち上がってカツキを抱き寄せたのを確認して、俺は2人を背に隠すように女と対峙する。
「随分と躾のなっていない部下をお持ちのようで」
言いながら俺は床に落ちていた皿を蹴り飛ばす。
「ぐぇっ!」
結果、ソーサーのように高速回転した皿がコソコソと迂回してユツキ達の方へ迫っていた男の側頭部に命中して昏倒した。
「ちっ。意外に目敏いじゃないか」
「皿の弁償代はお前らに請求するように言っておいてやるよ」
更に数枚の皿を蹴り飛ばしていき、女の部下を次々と撃沈していく。
基本的に俺には遠距離攻撃手段はないが、こうして落ちていた物を蹴り飛ばして命中させるくらいは容易だ。
こいつらも所詮は街のチンピラみたいなので、そんなに強くなさそうだし。
「面白い。最近は手応えのない奴らばっかりで退屈していたところだよ!」
だが、その女は流石はチンピラの頭を張るだけあって、普通のチンピラではなかった。
「あたしの名はスワロゥ。冥途の土産に覚えておきな!」
そして女は店の天井付近まで飛び上がったのだった。
◇◆◇
スワロゥは街の裏側を支配する組織の1つで統領を務めている女だ。
街のチンピラを纏め上げているという意味では街の治安維持に貢献していると言えなくもなかったが、実際には住民を恫喝して金を巻き上げるなどの行為で稼いでいるので厄介者と認識されていた。
だが、その実力は高く、街で三指に入ると言われている。
実際、スワロゥは今まで負けたことがなかったし、誰が相手でも1対1の戦いなら負けない自信があった。
そんなスワロゥの戦い方は繊細な風魔術によって宙を舞う空中殺法。
人間は空を飛ばない生き物である為か頭上の大きな死角を持つ。
スワロゥは空中殺法を完成させて以降、その経験によって人間の死角に気付いて常勝の法則を編み出していた。
故に、同様の戦法でクルシェ=イェーガーにも勝てると確信して空中から攻撃を仕掛けた。
(もらった!)
クルシェ=イェーガーがどんな技を持っているかなど知らないまま。
その技は彼の二刀流の大剣豪のライバルとして創作されたと言われる天才剣士が、空を飛ぶ燕を斬る為に編み出したと言われる秘剣。
その秘剣を参考に、クルシェ=イェーガーが当時の相棒と共に完成させた対空迎撃用の技だ。
故に、その技は……。
「秘脚、
空中殺法を得意とするスワロゥにとって、まさに天敵となる技だった。
振り上げられたクルシェ=イェーガーの足はスワロゥの纏う風の流れを完璧に読み切った上で、その軌道に蹴りを的確に合わせた。
こうなれば既にスワロゥなど唯の的でしかなく、本来であれば確実にスワロゥの頭を砕く威力を持っていたのだが……。
「けぺっ!」
その時のクルシェ=イェーガーは娘の前ということで最初からスワロゥを殺す気はなく、正確に顎を撃ち抜くだけに留めた。
結果、顎を撃ち抜かれて脳震盪を起こしたスラロゥは空中で風魔術の制御を失い……。
「ぐぇっ!」
無様に床に背中から落ちて悶絶する羽目になった。
普通に見てとても格好悪い。
だが、そんなことよりもスワロゥにとって大問題だったのは……。
(こ、こいつ、あたしの空中殺法に初見で対応して来やがった)
初めて対峙した筈の相手が自分の空中殺法の迎撃技を持っていたということだ。
スワロゥは粗暴な人間ではあるが、1つの組織を纏め上げるだけって頭も悪くないし愚鈍でもなかった。
(……勝てない)
それ故に自分の空中殺法と
これからどんなに修練を積もうと、どんなに改良を施そうと、空中殺法では
空中に飛び上がった時点で無様に迎撃されて地面に叩き落される。
その場面がありありと想像出来てしまった。
結果、スワロゥは完全に戦意を喪失し、部下を連れて逃げ帰ることしか出来なかった。
◇◇◇
その日の買い物からの帰り道……。
「燕返しねぇ~。あれって架空の人物が使っていた創作技じゃなかった?」
「……参考にはなったし」
俺の活躍を見て大興奮していたカツキが疲れて眠ってしまったので背負ったユツキに何故か尋問を受けながら大荷物を持って歩いていた。
「そもそも燕返しは刀で使う技でしょ? どうして蹴り技で使おうと思ったの?」
「そ、それは、その……」
うん。微妙にユツキさんが不機嫌そうなのは、これが原因なのである。
「やっぱり副団長さんと一緒に作った技なんだね」
「と、当時は相棒だったし」
「ふぅ~ん」
確かに燕返しは俺がキリエに伝え、2人で詳細を突き詰めて完成させた技だ。
本来は物干し竿レベルの長刀で使う技だから、それを通常サイズの刀と蹴りで再現するのは大変だったのだが、それはそれで当時は楽しかった。
その代償として今嫁に睨まれているわけだが。
「言っておくけど、私は別に副団長さんと一緒に技を開発したことを怒っているわけじゃないんだよ? 私が気に入らないのは、そういうことを今まで私に秘密にしていたことなの」
「はい、すみませんでした」
どうも嫁の機嫌を考えて内緒にしていたことが問題だったようだ。
「それより、他にも色々な技を開発したり再現していたりしてない?」
「まぁ、当時は身体強化魔術で色々と出来ることが増えている最中だったから」
「まさかとは思うけど、九つの斬撃を高速で打ち込む技とか開発してないよね?」
「……古い漫画なのによく知ってるなぁ」
俺とユツキが日本にいた頃はほぼ同時期と認識合わせが済んでいるので、その漫画はかなり古い年代の筈だ。
「それで、どうなの?」
「……練習してました」
「出来るの?」
「……蹴り技に応用したから原型がないけど、一応は」
「見たい!」
「お、おう」
そういう訳で、後日に色々な技を披露することを約束させられたのだった。
◇◇◇
その日、俺は庭に作られた木製の的に向かって正面から突進して……。
「ふっ!」
右足を跳ね上げて人間でいう脳天に振り下ろし、間髪入れずに右足を鞭のようにしならせて袈裟に叩きこむ。
それから左足にシフトして逆袈裟に叩きこみ、右、左と高速で足を組み替えて――最後に強烈な蹴りを的の中心に放って粉砕した。
「おぉ~」
「パパ、しゅご~!」
それを見学していたユツキから拍手が送られ、カツキからも絶賛された。
うん。九つの斬撃を高速で撃ち出す技を蹴り技で再現して見せるというのを実演した結果がこれだった。
「凄い技だけど、これって実際に使っていたの?」
「いや。これって完成した直後は俺らもはしゃいでいたんだが、実用性がなくて直ぐに封印することになったから」
「駄目だったの?」
「……大抵の場合は脳天に蹴りを叩きこんだ時点で終わってるから」
「あぁ~……」
普通に考えて、特殊な鉄板が仕込まれた俺の蹴りを一発受けた時点で敵は即死である。
強敵と対峙して2発目か3発目まで持ちこたえることはあったが、その時点で敵は死亡しているので続く4発目~9発目までは不要になる。
そもそも傭兵として敵に囲まれた状態で1人の敵に9発も撃ち込んでいる暇がなかったのだ。
技が完成してワクワクしていた直後だっただけに、その実用性のなさに俺もキリエもガッカリしたのを覚えている。
「すっごく強い敵とかには会わなかったの?」
「そういうのは、そもそもこんな技を使わせてくれる隙を見せてくれなかった」
「だよねぇ~」
凄い技だとは思うが、現実的には使える状況が限られすぎて実用出来なかったのだ。
その後は普通にサッカーボールを使ってカツキと遊んだ。
相変わらずカツキは見事なヘディングを披露して、偶にユツキの方にもボールが飛んでいくが、しっかりと身体強化魔術を使って対処していた。
2度と顔面ブロックをしないという強い意思を感じたよ。
暫くは、そうやってカツキに向かって緩いパスを出していたのだが……。
「とぉ~っ!」
「へ? へぶぅっ!」
唐突に――本当に唐突にカツキが見事なフォームでボールを蹴って来て、今回もヘディングが来るものだと思って完全に油断していた俺は見事な顔面ブロックを披露する羽目になった。
「きゃーっ! 凄いわ、カツキ!」
ユツキは見事なキックを披露したカツキを手放しで褒めていたのだが、唐突に顔面に強烈な衝撃を受けた俺は暫く悶絶する羽目になった。
「それで、どういうこと?」
「きっと、この間にあなたが恰好良かったから真似したくなったんじゃないかな?」
「……燕返しか」
どうやら、あの時の一件はカツキの目に焼き付いており、それを真似して燕返しを実行したらしい。
というか、まだ2歳なのに不完全とはいえ燕返しを再現するとは、ウチの娘って本当に天才なんじゃなかろうか?
「カツキは将来きっと凄いサッカー選手になるわね」
「……そうだな」
問題は、この世界にはサッカー選手どころかサッカーという競技の概念がないことだけど。
流石に今からサッカーという競技を世間に広めるのは難しいし、それ以前の話として大陸の各地では未だに戦争が続いている状況だ。
地球ではプロとして仕事が成立している球技だが、極端な話をすれば娯楽でしかない訳で、そういう余裕があるとは思えない。
もしも本気でサッカーを広めるとしたら、まずは世界を平和にしなければいけない訳だ。
(ムリゲー)
いくら愛娘の為とはいえ、これは流石に俺の手に余る。
その後も俺はカツキとサッカーボールで遊んでいたのだが……。
「ん?」
庭に誰かが侵入して来た気配を感じて振り返る。
「お客様?」
「……ではなさそうだな」
俺とユツキの視線の先にいたのは人を背負った人物だった。
俺には見覚えのある人物で、例のミスリスの腕輪を預けて治療を受けていった少女を背負った少年だった。
「何か用か?」
なんとなく要件には察しがつくが、俺は敢えて尋ねてみる。
「……頼む。助けてくれ」
少年はあの日と同じように俺に助けを求めて来た。
(やつれたな)
あの日と違うのは、少年の方がやつれて目に隈が出来ているところだろう。
(身体は治せても心は別だと言っておいたんだがな)
俺は少年の事情を察して深く嘆息したのだった。
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