第56話 異国での夜

「あー姫さん? そろそろ離してほしいだがよ」


「プイッ……」


「さっきは悪かったよ。本当にちょっと話してすぐに戻ってくるつもりだったんだ。ただそれが思ってたよりも長引いちまって、それでまぁ、ほら、なぁ」


「プイッ……」


「……あの、そろそろ口ぐらい聞いてくれても?」


「プイッ、プイッ……」


 ……はぁ困った。さっきから目すら合わせてもらえない。


 戻ってすぐ、姫さんは俺に怪我はないか、なにかあったんじゃないかと過剰な位心配した後、俺が何ともないと分かると今度はひしと抱き抱えて椅子に座り、そのままかれこれ一時間近くずっとそのままだった。


 俺を抱くその手は普段よりも力強く、絶対に離さないという執念にもにた頑な意思を感じさせる。


 前にも一度こんなことがあった。あれは誘拐事件があった直ぐ後くらいだったか、やることもなかったんで姫さんになにも言わず城の中を散策していた。


 そうしていると血相を変えた衛兵がすっ飛んできてどうしたかと思えば、守護竜が行方不明になったと姫さんが酷く心配していると言う。


 一応言っておくが散策していたのはたかだか二十分程度の話しで、行方不明だなんて大袈裟もいいとこな訳だが姫さんにはそうではなかったみたいで。


 あの時も姫さんは戻った俺のことを捕まえて頑と動かなくなって、結局二時間以上俺は姫さんに抱えられっぱなしだった。


 別に叱られる訳でも無くましてや怒鳴ったりすることも無く、ムスッとした顔で何も言わない相手にいつまでも抱っこされていると言うのもそれはそれで応える。


「なぁ、姫さん」


「……私すごく心配しました、すっごく心配したんです……」


 何度目かのチャレンジでようやく返事が帰ってくる。ただ姫さんの表情は未だムスッとした不機嫌なもののまま、ここで下手をこいたら黙殺コースに逆戻りだ、選択肢は慎重に選ばなければ。


「約束しましたよね? もう勝手に何処かへ行ったりしないと。お忘れになられてしまったのですか?」


「忘れてない、忘れてない。ただあん時は姫さんも風呂に入ってたし、わざわざ声を掛けるのも悪いかと思って」


「それはあの時お風呂を頂いていた私が悪いと、そう仰りたいのですか?」


「いや、そうじゃなくて」


 こう言うときは下手に言い訳をせず、正直に話した方がいい。


「声を掛けるのを横着して勝手に行動しました、ごめんなさい、もうしません」


 余計なことを言わず素直に謝罪する。そうして数秒沈黙が続いた後、ふわりと姫さんの手が俺の頭に乗った。


「……もう勝手に居なくなってしまわれてはイヤですよ」


 そう柔らかな声で言いながら、姫さんが俺の頭を優しく撫でた。


「私こそごめんなさい意固地になってしまって」


「良いって今回は俺が悪かったんだからよ」


 良かった一時はどうなるかと思ったが、これでようやく仲直りだ。


「……所で守護竜様、結局お風呂に入られたのですか?」


「ん? ああいやそれはまだだけど」


「まぁそれはいけません! 今すぐにでもお風呂に入らないと」


「そうだな、それじゃ早速……姫さん? 離してくれないと風呂に行けないんだが」


 俺がそう聞くと姫さんがニコリと優しげな笑みを浮かべるが、俺を抱き抱える腕の力は一向に緩む気配がない。


「セリスにお願いして湯浴み着を着替えなくてはいけませんね」


「は? いや待て俺は一人で入るっていったじゃねぇか」


「守護竜様が先に約束を破られたのですから、私だって約束を破る権利があります」


「いやだから、それは悪かったけどさ! てかあんたはどうしてそこまで俺と風呂に入りたがるんだよ!」


「守護竜様と一緒にお風呂だなんていったいいつ以来でしょう。大丈夫、隅々までしっかり綺麗にして差し上げますから」


「だから聞けって! 人の話をさぁ!」


 あーれーと姫さんに風呂場へと連行されていくなか俺は精肉所へ運ばれる家畜ってこんな気分なんだろうかと、そんな事を考えていた。


           *


 夜も更け人の気配が消えた宵闇の中で、守護竜とアンヌの二人が眠る部屋、本来開かない筈のその扉が静かに開く。


 部屋へと侵入したその人物は仮面で顔を隠し、暗闇の中を迷いなく寝室で眠る二人に音もなく忍び寄る。


 侵入者は窓から覗く月の光を反射し鈍く輝く短剣を抜き、ベットに向かってその凶刃を振り下ろそうと振り上げたその時だった。


「――ルームサービスを頼んだ覚えはねぇんだがな」


 背後から掛けられたその声に振り返るよりも早く、侵入者は見えない何かにはじき飛ばされ宙を舞、壁に叩きつけられる。


「最近気が付いた事なんだが、この体になって以来どうも敵意やら殺意ってもんに対する感が前よりも強くなったみたいでな、部屋に入ってくる前からお前が来ることは分かってたぜ。にしても、なーにが警備は万全だ、ガバガバじゃねぇかあの赤狐め、後でしこたま文句を言ってやる」


 ぶつくさと文句を垂れながら月明かりで鱗を白銀に輝かせる竜が侵入者の前に立ちはだかり、その後ろには心配そうに成り行きを見守るアンヌの姿があった。


「守護竜様……」


「大丈夫だって、心配すんなよ姫さん。この程度の奴に怪我させられる程ヤワじゃねぇって……さてと」


 アンヌを安心させるために明るく朗らかだった守護竜の声と表情がスッと、険しく鋭いものへと変わる。


「テメェがどこの誰なのかは知らねぇが、うちの姫さんに手ぇ出してタダですむと思ってねぇだろうな?」


 侵入者をゆだんなく睨み守護竜がジリジリと間合いを計るが、侵入者は即座に短剣とは逆の手に握り込んだ小石の様なものをアンヌへと向かって放り即座に詠唱を唱える。


「――!」


「テメェ!」


 守護竜が咄嗟にアンヌと投擲ぶつの間に体を滑り込ませたその瞬間、小石はまばゆい閃光を放ち、その場に居るもの全ての目を眩ませた。


「ちぃっ! 忍者かよ」


 それは守護竜と言えど例外ではなくほんの一瞬ではあるが、侵入者の姿を見失いながらも後ろに下がりアンヌを背後に庇う。


 やがて炸裂した閃光は収まり、人間なんぞよりも遙かに速い速度で視力を回復させた守護竜がアンヌを振り返る。


「姫さん!」


「はい! 守護竜様のおかげで私は何も、ただ――」


 閃光の影響で目を窄めながらもアンヌが指差した先には開け放たれた窓。


 守護竜が慌てて視線を部屋中に走らすが先程までいた侵入者の気配は跡形もなく消えたていた。


 窓から外を見渡して見るがそこには侵入者の姿はない。


「だぁくそっ! 逃げられた」


 ここはホテルの高層階だ、まさか飛び降りた訳では無いだろうが手際を見る限り、何かしらの逃走手段を前もって用意していたのだろう。


 何にしてもこれで完全に侵入の姿を見失った、もう追跡する手段もない。


「ちっ、ムカつくぜクソが!」


「またそんな汚い言葉遣いをして。いけませんよ」


「こんな時に、あんたも呑気だなぁ。まっらしくて安心したけどよ……にしても」


 侵入者が脱出していったであろう窓の外へ守護竜は静かに見つめる。


「またきな臭くなって来やがったな、どうも」


 フィロールよりも明るくキラキラとしたネネイルの夜景に、何か得たいのしれないものが身を潜めているようなそんな予感を守護竜は感じていた。


           * 



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