第30話 女王と皇女の約束
デイン帝国もフィロール王国と同様、その身に聖痕を刻み生まれて直ぐに生みの親からは引き離され皇帝の後継ぎとして育てられる、アンヌのように十歳を超えてから城に迎らえることは特殊な例だ。
しかし本来育ての親となるはずだった先代の皇帝がエリザが物心つくかつかないかの頃に病に倒れ急死したという事件は、国を超えてアンヌの耳にも届いていた。
先代が病で急死したという点についてはアンヌも一緒だったが、それでも一緒に過ごす事の出来た時間があった。
先代女王が公務に追われていた間でも、後の伴侶となるロイドを初めとしたクルーゲル領の人々が側にいてくれた。
血のつながりは無く、親子の様に過ごせたのは僅かな間だったかもしれないが、それでもアンヌには家族と呼べる様な人々と過ご素事の出来た時間があったのだ。
でも今目の前にいるこの娘はどうだったのだろう? そんな人たちが彼女の近くにいたのだろうか? そう思うとアンヌの胸は切なく締まった。
これは偽善でしかないのは分かっていた。考えたところで何か出来るわけじゃない、アンヌがいくら彼女に同情したところで何かが変わることはない。
それでも何も思わずにいることなんてアンヌにはできなかった。
「エリザ皇帝陛下は普段どの様に過ごされていらっしゃるのですか?」
「うにゅ? 普段?」
頭を撫でられるエリザの声は少しうっとりとしている様だった。
「ええ。いつもあなたがどんなことをしているのか聞かせてもらえたらと思って」
「普段はお城でお兄さまのお手伝いをしたり、お兄様とお話をしたりぃ」
「お兄様?」
アンヌが思わず聞き返す。デインの皇女であるエリザに兄妹がいるなんていう話しは聞いた事が無かったからだ。
うっとりと頭を撫でられていたエリザは最初その意味をよく分かっていない様子だったが、少ししてようやく問いが頭に届いたのか遅れてハッと表情が変わる。
「あっ、えっと、今のは、その、えっとえっと――」
おたおたと慌てるエリザだったが、その視線が一瞬今も二人で何かを話している二匹の守護竜へと向けられる。
その様子でアンヌはピンときた。
「お兄様というのは、デインの守護竜様の事なのですね?」
そう聞いてみると、エリザどうして分かったのかと驚いた顔をした。
「あの、そのことはどうか内密にしてくださいまし。その呼び方は二人っきりの時しかしてはいけないと言われおりますの」
まるで悪戯がバレた子供みたいにエリザはシュンとしながらアンヌにそうお願いする様子がまた可愛らしくて、アンヌは思わず顔を綻ばせながら人差し指を形の良い唇に当てて。
「分かりました、誰にも言いません」
「本当ですの?」
「ええ、本当です」
そうアンヌが言うとエリザはホッとしたようなそれでいてちょっと照れくさそうな、ふにゃりとした笑顔を浮かべる。
「でも、守護竜様の方が後からお生まれになられてるはずですから、皇女陛下の方がお姉様なのでは無いですか?」
「生まれた順番なんて関係ありませんわ! わたくしがそうお呼びしたいからお呼びしているの。だってわたくしにとってお兄様はお兄様なのですもの!」
「ふふふ、そうですね。ねぇ、よかったらあなたのお兄様のこと私にも教えていただけないかしら?」
聞いた途端ふにゃふにゃしていたエリザはパッと身を起こし、その表情に熱が籠もる。
「お兄さまはとってもすごい方なのですわ!」
鼻息荒く若干興奮気味な様子で始まったのは、エリザのお兄様自慢だった。
お兄さまはなんでも知っていて、困っている時は助けてくれて、いつも側にいてくれる。
お兄さまがどれだけ強くて格好よくて素敵な方なのかを熱っぽく語るエリザの無邪気な瞳は、その言葉が嘘偽りの無い本心であると語っている様だった。
「エリザ皇帝陛下は本当にお兄様が大好きなのですね」
「はいっ! お兄さまはわたくしとって、とっても大切な方ですわ!」
そう言って屈託の無い笑みを浮かべるエリザを見て、アンヌは少し前まで自分が感じていた心配が杞憂な物だったことを知った。
彼女にも側で自分を支えてくれる家族と呼べるような存在がちゃんといたのだ。
それを知らずいらぬ老婆心を焼いてしまった自分をアンヌは恥じ、そして少しだけ羨ましく思った。
誘拐事件があって以来、守護竜は自惚れでなければ心を開いてくれたように思うがそれでもどこか壁の様なものをアンヌは感じていた。
ただそれは守護竜だけの問題ではなく、どちらかと言えばアンヌ自身の問題だった。
それは平民として育った自分に対するコンプレックスともう一つ、まだ守護竜に話せていない秘密がある負い目からくるものでもあった。
話さなければ行けないと思いつつも、これを話してしまったら守護竜に自分の事を軽蔑されてしまうかもしれない。そう思うと怖くて怖くてとても口に出すことが出来ない秘密。
それを話すことが出来なければ本当の意味で守護竜と心を通わすことは出来ないのではないかと、アンヌは感じていた。
口では偉そうなことを言いながら、守護竜の事を信じ切ることのできない臆病でずるい自分が嫌になる。
「私も守護竜様とそのような関係になれれば良いのですが……」
ポロリと不安が零れたその時、エリザはそう言ってたアンヌの手を取った。
「大丈夫ですわ! 絶ッ対に」
「だってアンヌ様はこんなにも綺麗で優しい方なのですもの、フィロールの守護竜様きっとアンヌ様の事が大好きにきまっていますわ!」
力強く放たれたその言葉は若干、的を得てはいなかったが、それでも一生懸命に励まそうという心根だけは痛いほど伝わった。
実のところ帝国の皇女と聞いた時、アンヌは身構えていた部分が無かったという訳じゃ無かった。
はるか昔、武力を持って他国を呑み込み勢力を広げていた帝国に対して、フィロール王国周辺の国々が守護竜の庇護を求め同盟を持ちかけたことが、今の南フィロール連合王国の始まりだった。
王国と帝国はここ数百年争いこそ無かったものの、長い時間を掛けて根付いた敵対関係はそう払拭される物では無い。
争いを好まないアンヌでさえデイン帝国の名を聞けば心穏やかにはいられない、二つの国はそんな関係だったのだ。
しかし今、敵国の皇女である目の前の少女にアンヌは警戒心を抱くことが難しくなっていた。
これほどまでに純真で優しい娘が、誰かを虐げ苦しませる事を望むはずが無い。
そんな彼女が治める国が昔のように世界へ争いを振りまく事なんてあるはずが無い、アンヌは胸の内でそう確信していた。
そう思うことは一国の主としては間違った考えなのかもしれない。
だが今は、その確信が間違いで無いとアンヌは信じたかった。
「ねぇ、エリザ様?」
アンヌはあえて皇帝陛下ではなく名前で彼女の事を読んだ。デイン帝国皇女と為てではなく一人の人間として彼女と話しがしたかったから。
そんな思いに気が付いているかは分からないが、それに対してエリザは気を悪くした様子も無く、クリリと可愛らしい瞳をアンヌへ向ける。
「どうかこれから先も、私達とお友達としてずっとずっと仲良くしていただけますか?」
脈絡の無い問いだった、でもエリザはそんなアンヌの言葉に無邪気な笑顔を向けて答えてくれる。
「ええ、もちろんでしてよ」
そう言って徐に小指を立てた左手を差し出されるが、アンヌにはその意味が分からず戸惑っていると、エリザが少しだけ得意げにその意味を教えてくれた。
「兄さまに教えていただきましたの。約束を交わすときお互いのこうして小指を絡ませ決まりの詩を詠うことが、あちらの世界での作法なのですわ」
「詩、ですか?」
「こういう詩ですわ。ゆーびきりげんまーん♪ 嘘ついたら針千本のーます、指切った♪」
「は、針を千本飲ませた上に指を切り落とすだなんて。あちらの世界には凄まじい刑罰があるのですね」
「ええ。きっと約束を反故にすればそれ相応の報いを受けることになるという戒めの詩なのですわ」
初めて聞く話しにアンヌは後で守護竜様にお聞きしてみましょうと密かに決意を固めつつ、自身の小指をエリザの小指に絡ませる。
「では、いきますわよ。せーのッ」
王国と帝国。二つの国の王が互いに指を絡ませ約束の詩を詠う。
この約束は正式な物では無く、何ら法的な強制力も無いただの口約束にしか過ぎない
ただそれでも、どうかこの約束が永久に護られる物でありますように。
アンヌはそう心の底から願わずにはいられなかった。
*
「仮にそうだと言ったら――君はどうする?」
デインの守護竜からその言葉が出た瞬間、俺は即座に身構えた。
もし自分が戦争を起こすつもりでいつとしたら、お前はどうするのかと、目の前にいるこいつは確かにそう言ったのだ。
チラリと姫さん達の方へ視線を向ける。
距離はざっと十、二~三メートルほど。大丈夫、なにかあれば今の俺でも助けに飛んでいける。
一触即発の気配に俺は身構えながら、俺はデインの守護竜を見据える。
緊張が高まり今にも何かが起きるような空気の中、俺とデインの守護竜はにらみ合いそして――。
「クッ、あっはっは」
一触即発の空気の中、突然デインの守護竜は堪えきれなくなったように突然吹き出して笑い声を上げた。
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