第4章「風の子供」

 蓮花は、伝視術で視力を高めて、エンマの姿を探し続けていた。

 蘭丸も、文句を言いながら、電光丸の知らせを待っていた。

 突然、エンマの姿が蓮花の伝視の範囲に出現した。

「エンマ!?」

 エンマのいる方向へ、蘭丸と共に鈴蘭に乗って急いだ。

「蓮花…。」

 エンマは、近付いてきた蓮花の姿を見つけた。

「エンマ!一体今までどこに行ってたの!?」

 蓮花は鈴蘭から飛び降りて、エンマのもとへ走ってきた。

「雷鬼に会ってきたんだ。」

「ええっ!?雷鬼に…??魔物に捕まってたの!?」

 蓮花はびっくりして言った。

「…無我夢中で走ってて、気付いたら、あいつの所に…。」

「それじゃあ、エンマ一人で根の国に行ったってこと?有り得ないわ!」

「でも、実際奴を見た。吐き気のするようなクズ野郎だったぜ。」

「だけど、それでよく戻ってこられたわね。」

「それは…。」

と、エンマは夜鬼のことを言おうとして、やめた。夜鬼の言葉を思い出したのだ。夜鬼は、蓮花たちにとっては、雷鬼と同じ魔物であり、敵なのだ。

「…どうにか、逃げられたんだ。」

「ふん。怪しいなあ…。」

 蘭丸が、わざとらしく大きな声で言った。

「蓮花、こいつは?」

 エンマは、蘭丸を見て言った。

「私と同じ里に住んでいる、蘭丸よ。」

「お前がエンマか。やはり思った通り、お前は魔物の仲間だな。」

「なにっ!」

「その姿、どう見ても魔物にしか見えないな。それに、今の話もおかしいじゃないか。根の国に行くには、天霊山を越えて行かなければならないんだ。何日もかけてな。それなのに、数時間足らずで行って、ここまで戻ってくるなんて、考えられないことだ。やはりお前は、魔物だろう。」

「俺は魔物なんかじゃねえし、魔物の仲間でもねえ!それに嘘だってついてねえよ!」

「信用できないな。」

「こいつ…!」

 エンマは、今にも蘭丸に殴りかかりそうな勢いだった。

「ちょっと、やめなさいよ!」

 蓮花がとめた。

「お前を里へは行かせない!」

 蘭丸は、そう言って刀を抜いた。

「!」

 エンマは、反射的に腰に手を当てたが、そこに木刀はなかった。いつの間に失くしたのか。

「蘭丸!やめて!何考えてんのよ!」

 ゴツン、と、蓮花は蘭丸を殴った。

「れ…蓮花…。」

 蘭丸はぽかんとした表情で蓮花を見た。

「お前がどう思おうが、構わねえよ。でも俺は、あのヤローに会って、今の俺には、じじいの仇をとる力もねえってことがよく分かった。雷鬼を倒すために俺は、何が何でも強くなるって決めたんだ。誰にどう思われようが、そんなことはどうでもいい。だから、蓮花。頼む、お前の里で修行させてくれ。」

 強い決意を持った眼差しで、エンマは蓮花を見た。

「私は、最初からそのつもりだったわよ。」

 蓮花はにっとエンマに向かって笑ったあと、横目で蘭丸を睨んだ。

「……。」

 刀を納めた蘭丸は、不満そうに横を向いた。それを見ると、蓮花はため息をついた。

「ちょっと、蘭丸。こっちに来て。エンマ、私は蘭丸に話があるから、少し待ってて。」

と、蓮花は、エンマから少し離れた所へ蘭丸を連れて行った。

「蘭丸。エンマに冷たくするのはやめて。本当は、あんなに言うほど、エンマが魔物の仲間だなんて思ってないくせに。」

「蓮花。あの話は本当なのか!?あいつとお前が…結婚するって。」

「な、何であんたがそのことを知ってるの!?」

 蓮花は顔を真っ赤にして言った。

「長老様が話しているのを聞いたんだ。それでいてもたってもいられなくて…。そんなこと、俺は認めないからな!」

「…それで、嫉妬したってこと?」

「別に嫉妬なんか!俺は、あいつが気に入らないだけだ!」

「エンマにあんな態度を取り続けるんなら、私、本当にエンマと…。」

「う、嘘だろ!?」

 蘭丸はうろたえて言った。

「それは冗談としても、蘭丸。あんたのことは嫌いになるかも。私は、人を見かけで判断したり、文句言ったりするような人は嫌いよ。」

 蓮花は腰に手を当てて、気の強い目で蘭丸を睨み付けた。

「蓮花…。」

「エンマは、剣なら誰にも負けないって言ってたわ。蘭丸、あんたも剣が得意でしょ。勝負するなら、口じゃなく剣で勝負しなさい。」

「…そうか。あいつも剣をね…。」

 蘭丸は下を向いて、しばらく考えていたようだったが、すっと顔を上げて、蓮花を真剣な表情で見つめた。

「蓮花。確かに俺は、長老様があの話をしているのを聞いて、あいつに嫉妬してたかもしれない。それは認めるさ。でも、剣術で負けたことのないこの俺が、あいつに負けることはないし、それに、蓮花だってあいつには渡さない。この二つは、絶対に、譲れないことだ。」

「じゃあ、蘭丸。あんたもエンマに協力してくれるわね。エンマの修行に。」

「…どうせ、蓮花があいつに霊術を教えるんだろう。それなら俺が、霊剣を教えてやるさ。いつかあいつと、対等に勝負するために。」

「良かった。蘭丸なら、そう言ってくれると思ってたわ。」

 蓮花は、にっこりと優しく微笑んだ。

 その可愛い笑顔に、蘭丸は、心の底からほっとしたのだった。

 エンマのもとへ戻り、里に向かって再び歩き始めて、少したってから、蘭丸がエンマに話しかけた。

「…エンマ。お前、剣が得意なんだって?」

「ああ。じじいにさんざん鍛えられたからな。そういやさっき、お前も…。」

「さっきのはナシだ。丸腰相手に刀を抜くとは、俺もどうかしていた。里に帰ったら、お前に霊剣を教えてやる。霊剣ってのは、普通の剣術とはまた違う。魔物を斬るための技だ。」

「それはありがてえ!その技を身に付ければ、俺も魔物を斬れるようになるんだな。」

 エンマは嬉しそうに言った。

「ふん。だが、本当にお前が剣を扱えられればの話だ。里へ帰ったら、まず、お前を試させてもらう。霊剣でない、ただの剣術でな。」

 蘭丸は不敵に笑った。

「ああ、いいぜ。」

 エンマも負けずに蘭丸を見返した。

 花霞の里まで、あと二日ばかりという所まで来た。

 朝起きて、まずは魔物たちがいないか、蓮花は高い崖の上から、伝視術で辺りの様子を確かめていた。そして、今日進む道が安全かどうかも見ていた。

 近くの川原で、エンマと蘭丸は顔を洗っていた。

 清らかな、澄み切った川の流れの中で、エンマはふと、水面にゆらゆらと映る、自分の顔を見ていた。

 その顔は次第に、憎い仇の顔に見えてくるのだった。

「…エンマ。」

「何だ。」

「お前、蓮花をどう思う?」

「…は?」

 エンマは顔を上げて、蘭丸を見た。

「蓮花のことさ。お前が蓮花をどう思ってるか聞いてる。」

「そうだな…。なんか、時々イラっとする。」

「イラっと?」

「なんかバカにされてるような気がするんだ。まあ、蓮花は賢そうな奴だからな。俺はバカだし。」

「ふーん…。そうか。そう思ってるのか…。」

「けど、あいつはじじいと同じことを言ってたから、悪い奴じゃねえと思った。俺のことを理解しようとしてるようにも見えた。だから、俺は蓮花を信じる。」

 エンマは明るく笑って言った。

「…言っとくけどな、エンマ。蓮花は…渡さないからな。」

 そう言ったかと思うと、突然蘭丸はどこかへ走り去った。

「へ?」

 エンマは、ぽかんとしていた。

「なんなんだよ、あいつは…。」

 ふと川の向こうを見たエンマは、そこに、こちらを見ている子供の姿を見つけた。

「おいっ!」

 エンマが子供に声を掛けると、子供は、怯えたようにして逃げていった。

「おい!待てって!そっちは魔物がいるかもしれねえぞ!こんな所に一人じゃ危ねえだろ!」

 子供が逃げていった林の中へ、エンマは追いかけていった。

「俺の姿を見て逃げたのかな…。」

 しかし、子供を放ってはおけなかった。

 辺りには、蓮花たち以外は誰もおらず、人の住んでいるような気配もないのだ。

 林の中をどんどん分け入っていくと、子供がうずくまって震えていた。

「俺は魔物じゃねえよ。一体、どっから来たんだ。ここは危険だぜ。」

「ううっ…。」

 子供は、頭を抱えていた。

「どうした?大丈夫か?」

 急に、嫌な気配がしてエンマは後ろを振り返った。

 背後には、草吉を殺したあの黒い魔物と同じような姿の魔物が一匹立っていた。

「てめー!」

 また反射的にエンマは、木刀を取り出そうと腰に手をかけたが、着物の帯には何も差さっていない。

「くそっ!」

 エンマは、子供の腕を掴んで駆け出した。

 魔物はげらげらと笑いながら後を追いかけてきた。

 このまま逃げ続ければ、また蓮花たちとはぐれてしまう。

 しかし、子供を置き去りには出来ない。

 どうしたものかと思って背後を振り返ると、追いかけてきていた魔物の体が、鋭い一閃と共に横に真っ二つに斬り裂かれた。

 エンマが驚いて見ていると、魔物の体は、斬り裂かれた所から、星屑のように煌めきながら、砂のように崩れて灰となっていった。

「すげえ…。」

 そこには、蘭丸が立っていた。

 蘭丸は何でもないといった表情で、刀を鞘に収めた。

「全く、あれほど一人になるなと言ったのに。」

「てめーがどっかに行っちまったんだろ。」

「う…。」

「ま、とにかくおめーのおかげで助かったぜ。…おい、大丈夫か。」

 エンマは傍らの子供を見た。

 子供は、エンマの腕にしがみつきながらも、怯えた目でエンマを見ていた。

「俺のなりを見て魔物だと思ったのか?心配すんな。俺は魔物じゃねえよ。俺はエンマってんだ。おめーの名前は?」

「お…おいら…フータ。」

「フータ…。」

 エンマは、数日前、草吉と家を失う前に、道端に倒れていた鳥を助け、その鳥に「風太」と名付けていたことを思い出した。あの鳥はどうなっただろう。あの火事で焼け死んでしまっただろうか。それとも、どうにか逃げることが出来ただろうか…。

「よし、フータ。おめー一人じゃまた魔物に襲われるかもしれねえ。おめーの家まで連れてってやるよ。いいよな、蘭丸。」

「うーん…。仕方ないな…。」

「フータ、おめーの家はどこなんだ?」

「…分かんねえ。おいら、フータって名前以外、何にも覚えてねえ。」

 フータは、頭を抱えながら言った。

「何だって?…困ったな。」

 蘭丸は複雑そうな顔をした。

「そっか。んじゃ、俺たちと一緒に行くか?」

 エンマはぽんとフータの頭に手を置いた。

「え?」

 頭を抱えていたフータは、顔を上げてエンマを見た。

「俺たちは、花霞の里って所に向かってんだ。おめーも行く所がねえなら、一緒に行こうぜ。」

「エンマ!何勝手なことを言ってんだ。」

 蘭丸が困惑したように言った。

「だってよ。何にも覚えてねえってんだぜ。帰る家がなきゃ、かわいそうだろうが。別にこいつ一人増えるくらいいいだろ。」

「うーん…。」

 蘭丸は腕を組んで、何か考えるように顔をしかめていた。

「いいのか?一緒に行っても?」

 ぱあっと、嬉しそうな顔をして、フータはエンマを見ていた。

「ああ。俺が連れて行ってやるよ。」

「ありがとう!えーと…、エンマの兄貴。」

 フータは頭をかきながら、はにかんだように笑った。

「兄貴?ははっ、フータ、おめー、俺の弟分になるってのか。」

「へへっ。おいらを助けてくれたから。」

「…しょうがないな…。」

 蘭丸はため息をついた。

 林を出て、川原に戻ると、蓮花が待っていた。

「ルート確認はばっちりよ。あら、その子は…?」

「魔物に襲われていたのを助けたんだ。」

 エンマが言った。

「おいら、フータ!エンマの兄貴の弟分になったんだ。」

 フータはすっかり元気になって、蓮花に挨拶した。

「へえ、そうなの。私は蓮花よ。フータは、どうしてエンマの弟分に?」

 蓮花は、微笑んで言った。

「助けてもらったし、行く所がなくて困ってたおいらを、一緒に連れて行くって言ってくれたから。」

「まあ…。エンマにも、優しい所があるのね。」

 蓮花にそう言われて、エンマは照れたようにぷいと横を向いた。

「…でも、蓮花。この子を里に連れて行くのは…。」

 蘭丸は、フータに聞こえないように、小声で蓮花に言った。

「里の掟は分かってるわ。だけど、こんな所に放ってはおけないでしょ。こんな小さな子を。」

「それはそうだが…。」

「フータは、名前以外何にも覚えてねえんだ。そんな奴を放っておくなんて出来ねえだろ。頼む、蓮花、蘭丸。フータも一緒に連れて行ってくれ。」

「勿論よ。エンマに頼まれなくてもそうするわ。」

 そうは言ったものの、内心、蓮花も、里の掟のことを考えていた。

 花霞の里に住む者は皆霊力を持ち、魔物から人間を守るために、霊術の修行を積み、魔物と戦う。花霞の里が天霊山の麓にあり、人間世界の中で最も魔物の棲む世界に近いため、彼らが砦となって、魔物の侵入を防がなければならないのだ。

 そのために、霊力を持たない、魔物と戦う術もない人間を、里に入れることは出来ない。それが掟であった。里の者全員が、魔物と戦う力を持っていなければならない。例え子供だろうと、年寄りだろうと、花霞の里に住む者は皆、魔物と戦うことが出来るのだ。

 しかし、魔物から人間を守るのが一番大事なことだ。ここでフータを置き去りにした所で、魔物にやられるのは明白だ。とりあえず、安全な里へ連れて行き、それから今後のことを考えればよいだろう。

 蓮花は瞬時にそう判断して、フータを連れて行くことにしたのだった。

 フータは、何も知らずに無邪気に跳ね回っている。

 花霞の里の方角から、柔らかな風が吹いてきた。

 フータは、その中で、鳥のように着物の袖を振って、羽ばたくような動作をしていた。

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