第12話 それは嫌だ

 ユキと恋人になってから、時折思うことなのだけれど、なんだかこのままでいいのだろうか。それはよくある強烈な不安というよりは、漠然とした形ともならない、なんというかふわふわとした疑問なのだけれど。


 世の中の恋人関係にある人がどのようなこと成すのかは知らないけれど、私と彼女は随分とあっさりとした関係すぎるような気がする。と思う時もある。いや、たしかに同じ屋根の下で同じ飯を食べて、そして一緒に寝ているけれど……そんな生活を続けて、半年程度だけれど、でも、それにしては抱擁以上のことは何もしていない。何もしてこない。


 思えば恋人っぽい行動なら、たくさんしてきたけれど、大抵はどこかへ出かけるとか、お話するとかばかりで踏み込んだことはあまりしてこなかったように思う。大抵の人は、恋人と半年も同棲すれば、えっちなことも1つや2つはするのが普通なのではないだろうか。まぁ、別に普通である必要などないのだけれど。でも、そういうものなのではないだろうか。

 でも、私達の間にそんなことはなく、ただ時折私が泣いて、彼女が私を抱きしめてくれる程度で、それ以上のことはない。私としてはそれにわざわざそんなことをする必要性もあまり感じない。まず私は、彼女とそんなことがしたいわけじゃない……と思う。なら、彼女はどうなのだろう。


 ユキは、私を好きだと言ってくれたけれど。けれど、それはそのまま私の肉体目当てだったということになるのだろうか。そういうわけではない、はずだ。そういうわけなら、手をだしてきているはずだし……でも、そういうことに興味がないような感じでもない。例えば、出掛けた時に手を繋いだ時、部屋で抱き合う時、横になって首筋に触れた時、そういう時に彼女は軽くだけれど顔を赤くしている。ああいうのは、端的に言えば興奮しているから、ということになるのだろうか。


 いや、まぁそれが全てだとは思っていないけれど……全てなら、あまり気分は良くないし。私としては、彼女との触れ合いは大きく安心する行為で、それをしなくなれば、大きく不安定になるのは目に見えているのだけれど、彼女も同じように心の平穏を掴んでいる、はずだ。そうだと、いいな。


 それとももっと単純に、私に魅力がないからだろうか。たしかに彼女の容姿からすれば、私など塵以下かもしれない。なら、確かに何も要求してこないのはわかる。でも、何も感じないのだろうか。あんなに私を好きだと言ってくれるのに、何にも思っていないなんてことがあるだろうか。それはない……と信じたいところではある。あるけれど。でも。


 ……いや、よく考えてみれば、魅力があるからといって、触れたいと思うかはまた別の話か。実際、彼女の身体というのは、魅力的であると思うけれど、かといって彼女とえっちなことがしたいのかと聞かれれば、疑問符ではある。


 疑問符。疑問符か……疑問符なのか。

 もしかして、私は彼女とそういうことがしたいのだろうか。


 もしも、彼女が私とえっちがしたいと言ってきたら、どう思うだろう。うーむ。難しいな。悩みはするだろうけれど……

 完全に嫌、というわけではない。と思うけれど。かといって、積極的にしたいのかと言われれば、それは違う気もする。怖いし。多分、急に言われれば私は断ってしまうだろう。でも、順序通りゆっくりと進んでくれれば、私も断ることはない、と思うのだけれど。それに彼女がそれで喜んでくれるのなら、別に構わないという気もする。


 大体、私達はいまだに口付けすらしたことないのだから、いきなりそんなことを考えても仕方ないのかもしれない。やはり、こういうことは彼女に直接聞いてみるしかないか。うん。それが早い。そういうことは長い間、関係を続けていくのなら大切なことなのだろうし。


 と思ったのだけれど。


「え。う。え。あ。え……え?」


 夜。寝床の中で、彼女にそう問いかければ、彼女は私の質問と同時に固まってしまった。壊れた魔導機械のようだ。どちらかといえば、魔力切れだろうか。


「大丈夫?」

「え、えっと、あ、いや。その、な、なんて?」

「まぁ、その。ユキは私とえっちなことしたいのかなと」


 もう少し正確に言った方が良かっただろうか。でも、そうなると嫌に生々しく聞こえるし、微妙な気もする。そんなことを考えているうちに、彼女はどんどん顔が赤くなっていて、なんだか爆発しそうになっていった。


「あっ。あの、それ。え、でも。な、なんで、そんなこと……」

「少し気になって。普通は好きになった人にはそういうことをしたくなるものらしいから。ユキはどうなのかなって」


 彼女の持つ白い髪のせいで赤くなる顔がすごく対照的で、少し面白い。けれど、大丈夫だろうか。そんなに興奮してしまって。まぁ、たしかに急に話すには、少し恥ずかしいことでもあるか。いきなり聞いてしまって悪かったかもしれない。私視点では、脈絡のない話というわけでもないのだけれど、彼女から見れば唐突だろうし。


「ごめん。急すぎたね。またでいいよ」


 そう言って、もう寝ようと目を閉じた私の腕を彼女が掴む。いつの間にか隣の寝床から、私の近くまで来ていたようだった。


「い、いや、今、今話すよ。いつかは、話さないといけないことだし……」

「でも……大丈夫? ほんとに顔赤いよ?」

「大丈夫……だと思う……」


 私も質問したからには真剣に聴くべきかと思い、私も身体を起こし、彼女と向き合う。正面から見れば、彼女の熱はとても強いものになっていて、火傷しそうなくらいだった。


「えっと。えっとね。もちろん、もちろんそういう気持ちがないわけじゃない、よ。ミリアにもっと触れてみたい。身体の隅々まで、全て触れ合いたい……よ。それはそうだよ。だって、私はミリアのこと大好きなんだから……でも! でもね……それはまだ、早いかなって……ううん、違うね。本当のことを言えば、私は拒絶されるのが怖くて……ミリアに嫌われるのが怖くて……そんなことできなかった……」


 この彼女を学校の人が見れば驚くだろう。こんなにしおらしく、弱気な彼女は誰も見たことがないはずだ。それこそ私以外は。


「したいの? えっちなこと」

「……うん。でも別に……別にできなくても構わないよ。私はそれよりもただ、ミリアと一緒に居られれば、それでいいから。私は、私にとって特別なミリアが傍にいてくれればそれで。それ以上のことは、別にしなくても……いや、機会が在れば……いや、できればしたいけれど……」


 ふーむ。たしかに、私も別にユキのことは好きだけれど、それはその肉体を好きになったわけではなくて、ユキが私を特別で愛していると言ってくれたから好きになったようなものだし、無粋なことを聞いてしまったかもしれない。


「ミリアは、ど、どう?」


 小さな反撃とばかりに彼女は問う。


「私は……」


 私のその答えに詰まってしまう。考えていたことがないわけではなかったはずなのだけれど、なんだかそれは正確な答えではない気がする。私はたっぷり数十秒悩んで、やっと声をだした。


「私はまだちょっと、怖い。そこまで人に触れられるのも、人に触れるのも……恐ろしい。でも、多分いつかは、いつの日にかは私も触れられても穏やかでいられる気がする。前までは人に触れるのも恐ろしい私だったけれど、今はユキに抱きしめられることは嬉しいことだし……それに私は、ユキが私を特別だと言ってくれるならそれで……だから、えっと……ごめん。勝手なことばかりで」


 実際、私の心とはそういうものなのだろう。自らの特別性を確認するために彼女に心の内を聞いたのも、彼女の欲求に素直に従えないのも、私は怖がっているからだろう。私は本当に嫌われるのが怖いのだろう。彼女の心が私から離れていくのが怖いのだろう。


「ううん。勇気を出して言ってくれてありがとう。こんな風に機会を作らないと、こんなこと話す機会ないもんね。でも、そうだよね。怖いよね。でも、その、いつかは期待していい、のかな……?」


 おずおずといった様子で、そう問いかける彼女に私は小さく笑って答える。


「あんまり期待はしないで。そんなに私は自分のことを信じてないから。でも、願うことはしようかな。ユキともっと多く触れ合えるようになればいいって、願うことだけは」

「そっか。うん。わかった」


 奇妙な沈黙が流れる。これに別にきまずいとは思わなくなったけれど、私はなんとなく彼女の手を握って、指を絡ませた。彼女の体温を感じたくて。


「今日は、一緒に寝てもいいかな」

「もちろん」


 私のその小さな要望は叶えられる。彼女の願いを私を叶えることはできないのに、彼女は私の願いは簡単そうに叶えてくれる。それは本当につり合っていないと感じるけれど、でも、私とユキの関係というのはそういうもので、そういうものでなければ、私はきっと誰かと隣にいることすらできない。


「でも、ちょっと安心した。私、何にも思われてないのかなと思って。ちんちくりんみたいな身体している私だから、ユキは興味ないのかなって」

「そんなことはないよ。それに、ミリアはかわいいよ。本当に」

「……それなら、嬉しいけれど」


 その言葉を素直に信じられるほど、私は単純ではいられない。たしかに嬉しいことではあるけれど、同時に私の中の怪物は疑いの目を向けずにはいられない。でも、その怪物も彼女に撫でられれば、大人しくしてくれるようで。


 そして夜は更ける。


「ユキ、どうしたの?」


 日が昇り、休日だからと家の中で2人の時間を咀嚼している間に、宅配か何かが来た。それは手紙だったようで、彼女はそれを読みながら、部屋へと戻ってきた。その時の彼女は、普段よりもおかしかった。

 私といるときも普段とは違うけれど、でもそうれとも違う。纏う雰囲気がとても冷徹に感じた。いつかに彼女が男を蹴り飛ばしたときと同じような雰囲気を感じた。


「整った。準備が」

「な、なんの?」

「研究所を潰せる。やっと。これで自由になれる」


 それは、いつか彼女の語った、彼女を魔法を使えるようにした研究所を指していることは私もわかった。そしてそれが彼女の望みの1つであることは。でも、なぜだろう。なぜ、そんなに苦悩を見せているのだろう。いや、その顔に晴れ晴れとした気分があるのは確かなのだけれど、それと同じぐらい苦悩が見えた。気がした。


「それは、よかったね。よかった、よね?」

「……うん。これで気がかりは消えてくれる。私を縛るものは消えてくれる。私の全てをミリアに捧げられる。でも、でもこれは……この計画を実行に移せば、当分ここには帰ってこれなくなる。それは、それは嫌だよ」


 それは私も嫌だった。私は、今、彼女と会えなくなることはとても辛いことだということはわかっていた。だから、引き留めようと思ったけれど、それを言う資格はないことはわかっていたから、ただ口を閉ざし俯くことしかできなかった。


「……今はやめておくよ。別にこれは今じゃなくてもできるから」


 多分それを彼女は察したのだろう。だから、彼女は昨夜のように私を撫でてくれたのだろう。けれど、そう言う彼女の言葉の中に、葛藤があったことは鈍い私でもわかる。私はまた、彼女の願いを踏みにじり、私の願いを叶えてもらってしまった。たしかに今はこうだけれど、いつまでもそれでいいと思える私ではなかった。

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