第18話 脳筋科学者と激弱格闘家

 今日の食堂は異様な雰囲気だった。

 戦闘服を着たハカセと、白衣を着た大人しいサクラ氏が本を読んでいる姿を目にするからだ。

 サクラ氏が本を読む姿なんて、二度と見ることはできないだろうから貴重な瞬間であることは間違いない。


 エディ氏が面白がって写真を撮っていたが、さすがにボス氏に怒られていた。

 そりゃそうだ。誰のせいだと思ってる?


 そういう俺、イチローも催眠術の本を買ってきた張本人なので、さっきまでボス氏に怒られていた。

 確かに買ってきたけど……まさか本当にやるとは思わないよね。

 この手のトラブルが起きると、いつも俺のせいにされている気がするんだよな……。

 

 さて、問題の二人だが……解決方法が分からないので、しばらく様子を見ることになった。

 女性同士なのでシャワーやトイレの問題が無いというのが、せめてもの救いだ。


「なんで酒がダメなのよ?いつも飲んでるだろ!ケチ!ハゲ!悪人顔!」(注:ハカセ)


 そう言ってボス氏に食ってかかっているのがハカセ。どうやら、酒を飲もうとしてボス氏に止められたようだ。

 サクラ氏は大食いなのだが……そこは本能が拒否したのか、酒だけを要求していた。

 ボス氏が酒を止めるのは当たり前なのだが、娘のようにかわいがっていたハカセが悪口を言うもんだから、今まで見たこと無いような落ち込み方をしている……。


 一方でサクラ氏は……酒も飲まず、少量の食事を礼儀正しく食べ、食堂の隅で何やら難しい本を読んでいる。

 よく見ると眼球は動いていないので、本は見ているだけで読んではいないのだろう。

 本体はサクラ氏なので、内容の理解はできないだろうし。


 食後、ハカセがカトー氏に何やら話している。


「カトー、食後の運動に付き合ってちょうだい。軽く組手でもするわよ!」(注:ハカセ)


 カトー氏の目が泳いで、必死に俺の方を探した。

 そりゃそうだ。ハカセに怪我でもさせたら何を言われるか分かったもんじゃないからね。

 

 結局、ハカセに引きずられて訓練室に向かうカトー氏。

 仕方がないので俺も見学をさせてもらうことにする。


「じゃあいくわよ!準備はできてる?」(注:ハカセ)


 そう言って裸足になり、サクラ氏と同じ構えをするハカセ。

 サクラ氏は感覚派なので、訓練のときは裸足になることが多い。


 催眠術とはいえ、なかなか細かいところまで再現できている。

 得意分野は全く違うのだが、普段からよく見ていることが伺える。


「ちょっとまった!」


 カトー氏が慌てて止めてハカセに駆け寄る。


「何なんだ!早く構えろよ!」(注:ハカセ)


「サクラ、親指は握り込んじゃだめだ……怪我をするからな。親指は外に出して……そう、そうやって握るんだ」


 カトー氏がハカセの拳を直す。

 そうか、こういう細かいことまでは知らないだろうから、再現はできないのか。


「カトー、あんたも結構細かいのね。拳がダメなら足で蹴ればいいじゃない!」(注:ハカセ)


「…………。まあいいか、準備オッケーだ」


「じゃあ、いくわよ!サクラ様の妙技を味わえ!」(注:ハカセ)


 ハカセがカトー氏に向かって突撃していく。

 そして、カトー氏に攻撃が当たるのだが……ポコンポコンとマヌケな打撃音が聞こえてくる。

 カトー氏はというと、直立不動でただ攻撃を受け続けている。


 どれだけサクラ氏になりきろうとも、やはりハカセはハカセなのだ。

 ひとしきり攻撃をして息の上がったハカセは、無表情で立ち尽くしているカトー氏に向かって衝撃の一言を放つ。


「今日はこのくらいにしておいてやる」(注:ハカセ)


 ――


 放心状態で立ち尽くすカトー氏を訓練室に放置し、俺はハカセの研究室にやってきた。

 当然のようにサクラ氏が座っており、何かの作図作業をしていた。

 

「あ、イチロー。お茶でも入れるから、そこに座って」(注:サクラ)


 慣れた手付きでお茶を入れるサクラ氏。

 その後姿は紛れもなくハカセのもので、俺は目を疑った。

 ハカセは身長140センチの小柄な体型なので、長身のサクラ氏とは30センチ以上も差がある。

 普通なら見間違えるはずがないのだが、それほど似ていたのだ。


「はい、どうぞ。ん?私の顔に何かついてる?」(注:サクラ)

 

 ハカセのように優しい笑顔でサクラ氏が微笑んでいる。

 普段は酷い毒舌なので忘れているのだが、サクラ氏は絶世の美女なのだ。

 その絶世の美女が優しく微笑むと、脳内が麻痺するような感覚に陥る。

 サクラ氏も普段からこんな笑顔ならいいのに……と思うと同時に、大人になったハカセは……すごい美女になるかもしれないと妄想してしまう。


「ハカセ、何か不自由なこと、困ったことはない?」


「え?大丈夫だよ。イチロー、いつも気にかけてくれてありがとう」(注:サクラ)


「いや、いつも俺のせいで迷惑を掛けてしまうから……今日も申し訳なく思ってるんだ」


「ううん、別にいいの。私はイチローと一緒ならそれだけで楽しいから……」(注:サクラ)

 

「そうなの?これからも迷惑掛けるかもしれないよ?」


「うん、それでも。これからもずっと一緒にいたい……私、イチローじゃなきゃダメみたい……」(注:サクラ)


 そう言って、サクラ氏は俺の肩に寄りかかってきた……。

 なんだこれは!

 冷静になれイチロー!こんなときは素数を数えるんだ!


「そっか、じゃあ早く大人になる方法を見つけなきゃね」


 そう言って、平静を装いつつ慌ててサクラ氏を引き剥がす。

 相手がサクラ氏だというのに、まだドキドキしている……。


 そうか、そうだったのか!

 俺はやっと気付いたのだ。

 

 ――

 

 俺は会議室に全員を呼び出し、こう宣言した。


「二人を元に戻す方法が分かったよ!」

 

「それは本当かい?私はあんなハカセを見ていられないんだ……早く戻してくれ!」


 ボス氏がもう限界だとばかりに訴えてきた。

 他の仲間達も大体同じ気持ちのようだ。


「じゃあ、ハカセ、サクラ氏……元に戻れ!」


 そう言って、二人の目の前で手をパチンと叩く。


「あれ?私……何やってるんだろう?」(注:ハカセ)


「私も……一体何を……。なんで白衣なんて着てるんだ……」(注:サクラ)


「戻った!イチローよくやった!」


 歓喜の声が会議室に響く。

 催眠術騒ぎは無事解決となったのだ!


 だが、俺にはまだやることが残されていた。

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