終章

1

 月子と富士見が見舞いに来るのは、既に三度目だ。他のメンバーや学校の友人も来てくれたが、彼らほど頻回な訪問者はいない。面会が認められてから三日に一度は病室を訪れた。

 騒がしくなるのは必然なので、病室を出て廊下の隅の休憩スペースで顔を突き合わせる。ベンチに並んだ佑と瑞希の正面に、丸テーブルを挟んで月子と富士見が腰掛けた。

「やー、それにしても、君たちどんな喧嘩したの? ちょっと信じられないんだけど」

「殴り合いでもしたんじゃないのか」

 二人の言葉に、佑が笑って頭をかく。

「いやあ。先輩が掴みかかってきて」

「嘘を吐くな、馬鹿」

 佑と瑞希は、橋の上で喧嘩をして、うっかり誤って川に落ちたとされていた。二人は周りにそう説明し、周囲は当然訝しんだが、他に妥当な理由も見当たらなかった。遺書はどうしたのか瑞希は佑にこっそり尋ねたが、家族はまだそれを見つけていないらしい。もともと警察が捜査をしたから見つかっていた代物なので、当然かもしれない。今更発見されたら恥ずかしいと彼は言った。

「あ、そうそう、悲しい知らせなんだけどさ」

 思い出して辛くなったのか、富士見が大仰にため息をついた。

「ひとまがいのページが消えたんだよ。せっかく最終話が更新されて、次の作品が出るかと思ってたのにさ」

「それは残念でしたねえ」

 佑がにやにやするから、富士見がその足を軽く蹴飛ばす。

「何も消さなくていいのに、ほんと何考えてんだろ」

「わからないです、私には」

「きっと、ひとまがいはいなくなったんですよ。ページと一緒に消えちゃったんだ」

「そうそう」月子が富士見の肩をぱんぱんと叩いた。「そんな落ち込むなって。あんたが第二のひとまがいになればいいじゃん!」

「無理言うなよ、つっこさん」

 二十分ほど話すと、今日もバイトだと二人は席を立った。

「じゃーね、ゆうゆう、ずっきー。みんな心配してるから、いっぱい寝て早く退院するんだよ」

「それじゃ、また来るからな」

 手を振る二人をエレベーターまで見送り、佑と瑞希は休憩スペースに戻った。三分ほどで窓から下の駐車場に月子たちの姿が見え、もう一度手を振り合った。

 橋の上から落下した二人に、奇跡的に大きな怪我はなかった。通りかかった車の運転手が落ちる姿を目撃したおかげで通報も早く、更に幸運にも二人は岸に流れ着いた。

 水に落ちる前に、瑞希は意識を失っていた。水面に叩きつけられた時の記憶はない。

 ただ不思議と、断片的な記憶がある。

「私、おばあちゃんの声を聞いたんだ」

 窓の外を見ていた佑が振り向く。

「浮月川に落ちて、気を失ってたはずなのに。水の底で、おばあちゃんの呼ぶ声が聞こえたのを覚えてるの」

「なんて言ってたんですか」

 佑が尋ねるのに、一度目を瞑る。思い出す。声だけではない、あの時、温もりも感じた気がする。優しく包み込んでくれる両腕の感触。心の底から安心できた。

「瑞希ちゃん、大丈夫だからねって。こう、ぎゅっと抱きしめてくれる感じがあった」

 両腕を宙に回し、抱きしめる形をとる。

「だから、全然怖くなかった」

 聞いていた佑は、「僕も」と頷く。

「僕も、声が聞こえました。朋の声」

 瑞希の驚いた視線に、照れたようにはにかむ。

「お兄ちゃん、ずっと一緒だよって。抱き着いてきたから、僕も抱きしめて。あれは間違いなく、朋でした」

 疑う余地はない。自分たちが助かったのは、二人が助けてくれたから。とても大事な人が、もういない人が、この世界に救いあげてくれた。

「……神様が、会わせてくれたのかな」

 浮月川の優しい神様。願う人の心に映る、大事な人に会わせてくれる神様。

 佑が大きく頷く。「きっとそうですよ。ううん、絶対」そう言って屈託なく笑う。「気づきました。朋は延山にいたんじゃない、ずっとそばにいてくれたんだって」

 病院で目を覚ましてから、佑はすっかり憑き物が落ちたようだった。四月一日までの佑と同じ笑顔で、同じ調子で、しかしどこか落ち着いた雰囲気を持っていた。これが本当の結城佑なのだ。

「今は無理してないの。よく笑ってるけど」

 瑞希が問うと、彼は不思議そうに自分の頬に触れた。「全然。びっくりするくらい自然」

 佑は本当は、こんな子どもだったのだ。笑顔が眩しくて、ちょっといたずら好きで、思慮深く優しい男の子。彼を守る殻は全て破れてしまったが、今はすっかり力を抜いて笑っている。その笑顔を、瑞希は見飽きることがない。

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