16

 やがて、軽い坂道に入った。山に続く道だ。雑木林の前で、彼は立ち止まった。

「ここって、もしかして、朋くんが……」

 瑞希の言葉に頷き、彼は雪の上に膝をついた。肩に下げていた鞄から、小さな花束を取り出す。紫、黄、そしてピンク。細い茎から、小さく細やかな花が鮮やかに咲いている。延山に花屋はないからと、江雲で買った花だ。枯れにくい花を注文した際に店員から勧められた。教えてもらった花言葉は、変わらぬ心、途絶えぬ記憶。それを聞いて、佑は即決していた。

 この雑木林は、朋の遺体が見つかった場所。雪の中からひょこひょこと草が飛び出している。静寂がしんしんと身体に染み込んでくるようだ。

 雪の上にそっと花を供えた彼の横に並んで瑞希も膝をつき、一緒に手を合わせた。さっきまでは佑を励ますのに必死だったが、申し訳なさが込み上げる。こうしてのうのうと手を合わせていいのだろうか。おまえが生き残ったせいだと、見たことのない子どもは、怒っているのではないか。呑気に手を合わせるなと泣いているのではないか。生きたかったはずだ。彼は、まだまだ生きねばならなかったのだ。知らない人間に攫われて、殺されて、こんな寂しい場所に捨てられただなんて。

 祈りの後、最後に訪れたのは、山の中にぽっかり空いた空間だった。木々が途切れ、見上げる曇り空と見下ろす地面が、同じ白色に覆われている。

「ここが、僕らの秘密基地です」

 佑がその真ん中で大きく両手を開いた。

「木登りをしたり、どんぐりを拾ったり、昼寝をしたり。僕らの大切な場所です」

 彼はおもむろに腰を下ろして座り込むと、仰向けに寝転がった。吐く息が白く立ち昇り、彼はじっと空を見上げた。

 そばに座って膝を抱え、瑞希は黙って彼を見つめ、自分たちを包む木々を見渡した。世界に自分たちしかいない錯覚を覚える空間。時間さえ止まっている気がする。

「……どうして、連れてきてくれたの」

 彼ら二人だけの秘密基地。きっと大切な思い出の場所。他人の自分が入り込むのは、いけないことだと思えた。

 深呼吸をして、佑は半身を起こした。

「先輩、どこかで朋の気配を感じました?」

 言葉に詰まり、考えた後にかぶりを振る。高宮朋が現れることを佑は願っているのか。だが残念ながら、その気配を瑞希は感じられなかった。

「きっと朋は、ここで遊んでいるんじゃないかって。だから、朋が先輩を恨んでいれば、気配ぐらい表すはずです。少なくとも、延山のどこかで、声ぐらい聞かせるはず。そう思いませんか」

 軽く曲げた膝に左手を乗せ、彼は右腕で目元を拭った。じっと木々を見つめて弟を探しても、その瞳は朋の姿を見つけられない。

「そもそも、朋は他人を恨む気持ちを知らない。素直で純粋な子だった。誰かを恨んで憎む気持ちを知る前に死んでしまった。だから先輩は、気にしなくていいんです」

 佑はこの一日で、瑞希の罪悪感が少しでも薄れるように願ったのだ。朋の軌跡を辿り、恨みごとなど存在しないのだと伝えたかった。

「でもそれなら、朋くんがあんたを恨んでることもないんでしょ」

 彼は苦笑して頷いた。

「朋が僕を恨んでいるとも思わない。これは僕の懺悔です。僕は朋と違って、恨む気持ちを知ってしまった。朋のためだといって、自分を呪っているんです」

 少しの間、視線を宙に浮かべ、彼はゆっくりと言う。

「僕は、朋になろうと思った」

「朋になろうって……」

「明るくて元気で、いつも笑っていて。自分が朋の性格だったらって想像して。あの子は僕みたいに馬鹿なことはしないけど、こうすれば、少しでも近くに感じられた。生き返ってくれる気がした」

 佑は、心の底から朋を愛している。結城佑を捨ててなり切ってしまうほどに、叶うはずのない弟の生を願っている。

「これが、僕の秘密です」

 苦しさに泣きたくなる瑞希に向かい、佑はいつもの顔で笑った。屈託のない結城佑、いや、高宮朋の笑顔で。

 二人を過去に埋めてしまうように、静かに雪が降り始めた。

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