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昨年の入学時から入部している文芸部は、今はたった三人だけの弱小部だ。三年生で部長の
今日は日比野が担任との進路面談とやらで席を外しており、空き教室には瑞希と弥生の二人きりだった。文芸部には個別の部室もなく、火曜と木曜の活動日以外は他の部も使用している教室で、机を付き合わせる。だが、このひっそりとした空間が瑞希は好きだった。二十人のサークルも気に入っているが、ごく少数の親しいものだけで過ごす時間も気が楽だ。気の合う弥生と今年は同じクラスに入れたことも、有難い。
机と椅子が数脚、あとは半分物置と化している教室は雑然としている。演劇部の小道具や、華道部の花入れ、生物部の研究冊子までが積み上がっている。高校生活がそっくり具現化したものたちに囲まれてノートにペンを走らせる瑞希の頬を、四月の穏やかな風が撫でていく。
「どお、すすんでる? 今度の短編」
「……あんまり」殴り書きした書き出しのアイデアから顔を上げ、正面の弥生に問いかける。「そっちは?」
「うーん。あんまり」
瑞希の言葉を真似る弥生は、突き出した唇にわざとらしくシャープペンシルを乗せた。
「チャンスが少ないんでしょ。弥生も早めに書き始めないと、推敲する時間できないよ」
「そうなんだけどねえ」
ロングの黒髪を持つ、一見清楚な弥生が狙う賞は少し変わっている。と瑞希は思う。なんせ高校に入って彼女と出会うまで、男性同士の恋愛作品のみを求める賞があるだなんて想像もしなかった。いわゆるBL作品の存在は知っていても読んだことはなく、弥生に勧められて目を通した作品も、正直よく分からなかった。こんな世界もあるのか、と驚いたことは覚えている。そして弥生には他校の彼氏がいることにも驚いた。彼女は、二次元と三次元で求めるものは違うのだと力説していたので、そんなものかと単純に納得することにした。
流石に、文化祭時に発行する部誌には別ジャンルの作品を載せていたが、やはり本心で書きたいのは、そっちの作品らしい。しかし多くの公募の募集要項を見ても、弥生が書くジャンルを求める賞は随分と少ない。のんびりしている姿を見るとやきもきするが、当の弥生はノートに猫の落書きなどをしている。
「瑞希、意外とモテるんだねえ」
ポップな猫のイラストを眺めていると、その視線に気付いた弥生がにやにやしながら言った。「弥生さん、安心したよ」そんなことを付け加える。
瑞希は大きくため息をついた。だから学校で佑と会うのは嫌だったのだ。
「佑くん、だっけ? あの子も小説書くんでしょ。いーじゃんいーじゃん」
「なにもよくない。ていうか、三月に知り合ったばっかだし、あいつのことなんかよく知らない」
「それなのに、あんなアタックしてくるなんて、よっぽど瑞希のことが気に入ったんじゃん。一目惚れじゃない?」
「そんなわけない」
ため息をつきながら、本当にみんなこんな話題が好きだなと呆れてしまう。誰と誰が付き合おうが別れようが自分には関係ないのに、わざわざ首を突っ込んで、何が楽しいんだろう。
「あいつ、誰にでもあんな態度だよ。サークルの人にだってすぐ馴染んだし。感性が子どもなんだ」
ペンをノートに放り出す。白の目立つページには、平凡なアイデアが二つ三つ転がっている。
「ふーん。でもさ、悪くないんならいっそ付き合っちゃえば?」
「絶対いや」
「喜ぶと思うけどなー、向こうは」
「私の気持ちはどうなるのよ」
清楚な顔の割におふざけが好きな弥生の軽口だということはわかっている。だが軽口でも、瑞希はこんな話題が苦手なのだ。
ガラガラと音を立てて引き戸を開けた部長の姿が、今の瑞希には救世主に思えた。
「おつかれー」
細身で長身の日比野が、挨拶を返す後輩のそばの席に腰を落とす。「面談どうでした?」弥生の興味が彼に移り、瑞希は内心でほっとした。
しばらくお喋りをしたりアイデアを練ったりと時間を過ごし、五時のチャイムが鳴る。そろそろ帰る支度をしなければならない。
ふと思い出し、瑞希は二人に問いかけた。
「ひとまがいって、知ってる?」
きょとんと目を向けた二人は、同時に「知ってる」と頷いた。
「俺、全部読んだよ。面白いよなあ」
「うんうん! なんだ、瑞希も読んだことあったんだ」
「いや、私は読んでないんだけど……」
途端にひとまがいについて二人は語り合う。これは読まざるを得ないな、と瑞希は再認識した。
家に帰り着いた頃には、時計は六時近くをさしていた。
瑞希の父親は、単身赴任で県外にいる。母親も働いているため、大抵は瑞希が夕飯を準備するが、部活のある日は作り置きや冷凍食品で簡単に済ませている。母親が七時に帰宅するまでにはまだ時間がある。
両親が祖父母から受け継いだ古い一軒家は静まり返っていて、ただいまの声は吸い込まれて消えてしまう。キッチンの椅子に鞄を下ろして手を洗い、瑞希はまず仏間に向かった。毎朝仏様に挨拶するよう教えられていたが、仏壇に祖母の位牌が加わってから、瑞希が手を合わせる頻度は自然と増えた。朝だけでなく夕も仏壇の前に座り、今日のことを軽く報告するのが日課となっていた。
鈴を鳴らして拝み、少ししてから瞼を開ける。こうしていると、家の中の静けさがしんしんと身体の中に染み込んでくる。瑞希と母親が二人で生活するには、やや広すぎる家だ。
軋む音を立てる廊下を歩き、台所で湯を沸かした。紅茶のパックを入れ湯を注いだカップを右手で持ち、左肩に鞄をかけ、気を付けて二階の部屋に運ぶ。
六畳の広さがある唯一の洋室が瑞希の部屋だ。ベッドと勉強机、背の低いラックと、背の高い本棚。本を捨てる習慣のない彼女の蔵書は部屋をはみ出し、一階の空き部屋にも及んでいる。
机にカップを置き、床に下ろした鞄からスマートフォンを取り出して、検索ボックスに「ひとまがい」と打ち込んだ。ベッドに腰掛け、画面のトップに躍り出たページをタップした時は、まだ半信半疑だった。有名でも、本当は大したことのない作品なんじゃないか。本屋に並ぶ書籍には劣る内容に違いない。サークルで目にしたのと同じホームページに飛び、上から順番に作品を開いていった。
喉の渇きを覚え、はっとする。卓上時計を見ると、いつの間にか三十分が経過していた。
ひとまがいのページには、短編が六本に長編が三本ある。その内の短編を一本読み終わったところだった。
面白い、というのが純粋な感想だ。発想力も表現力も、一般書籍に劣らない。もし本屋で立ち読みしていれば、迷わずレジに持っていくレベルだ。
机上のカップに目をやり、慌てて紅茶パックを取り出す。冷めた紅茶をそうっと口に含んでみたが、「にが……」と思わず声が漏れた。
すっかり苦くなった紅茶入りのカップを置き、スマートフォンを操作し、迷いつつもひとまがいのページをお気に入りに登録する。正直、ナメていた。インターネット上の作品だと侮っていた。ほんのり悔しさがあるが、続きを読みたいという欲が勝った。
同時に、ひとまがいについての興味が湧く。これを書いたのは一体どんな人物なのだろう。富士見や弥生たちによると、その素性は何一つ明らかになっていないそうだ。年齢も性別も出生地も執筆歴も、「ひとまがい」のホームページ以外の情報は微塵も公開されていない。そしてページには、九つの作品があるだけ。
お堅いタイトルから壮年の男性を想像したが、心理描写の細やかさから女性の可能性も捨てきれない。感性の豊かさからまだ年若い気もするし、豊富な知識から立派な社会人だとも思える。
「なんなんだろね、いったい」
低いラックの上の飼育ケースに近づいて、話しかけた。敷き詰めたおがくずを掘っていたゴールデンハムスターのハム
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