15
それから二日後の土曜日、私は小夏ちゃんと会った喫茶店に再び足を運んだ。四人掛けの席には既に彼女の姿があって、私は以前と同じミルクティーを手に急いで向かう。彼女の正面、壁際の席には初対面の男の子がいて、私は小夏ちゃんの隣に座り、バッグをテーブルに置いた。
白のポロシャツにジーンズ姿の彼は、ごくごく普通の男子に見える。細身で、シャツから伸びる腕も女の子みたいにほっそりしている。気まずそうに、自分の手元だの正面のコーヒーカップだのと視線を忙しなく動かしている。
「……彼が、崎本くん?」
私が口火を切ると、彼はまごついた様子で私を見た。どうも、と返事をするのに「そう、こいつ」と小夏ちゃんが声を被せた。
「崎本、全部白状しなさいよ。もうわかってるんだから」
「白状って……」
「とぼけないで!」
とぼけようとする彼をぴしゃりと一喝する。
「梓と旭くんを離れさせようとした理由は何? あたしまで使って」
小夏ちゃんは随分憤っている。味方のはずの私でさえ、下手をすれば委縮してしまいそうだ。
「最初に旭くんの事情を桜浜に流したの、あんたでしょ」
「別に、僕だとは言い切れないと思うけど」
「この画像、みんなに回したのはあんただったよね」
テーブルに置いていた自分のスマホを手にして操作し、彼の前に置いた。私からも画面がちらりと見える。数人のチャットグループの画面には、私にも結々から送られた新聞記事の切り抜きが投稿されていた。椎名紗栄子が起こした事件についての。
「噂ぐらいはあったかもしれない。でも、ここまでしたのはあんたが初めてでしょ。これから一気に話が広まった」
当然、旭と仲が良い桜浜の私は居心地が悪くなる。保身のために私が彼に会うのをやめるだろうと期待したに違いない。
「だけど梓が思い通りに旭くんと離れなくて、だからあたしをけしかけた」
「けしかけるって、別にそんなつもりじゃ……」
小夏ちゃんの視線だけで、蛇に睨まれた蛙のように、怖気づく彼の言葉は空気に消える。それだけ、今の小夏ちゃんの威圧感は圧倒的だ。小柄な女の子なのに、自分より身体の大きな男子に全く動じることなく、むしろ存在感を増している。
「梓が大地をフッてあたしが悔しがってるのを知ってる子は、桜浜にはいない。学外でツルんでる時にちょっと愚痴っただけよ。その時にあんたがいたの、ちゃんと覚えてるんだから」
「それを知ってて、小夏ちゃんの気持ちを利用したんだ」
「いや、利用って……」
私の言葉に反応した彼は、否定しつつもその目を泳がせる。「……ちょっと助言しただけだよ」
「あの時のあたしには助言に聞こえたかもね。写真を送りつけるなんていうのに、乗っかったあたしも馬鹿だった。盲目だった」
彼女がこっちを見て、私は慌ててバッグから自分のスマホを取り出した。メールを開いた画面を彼の方に突き出す。盗撮の張本人は、自分が撮った写真を見て慌てて視線を逸らす。
「あんたの予想通り、梓は動揺した。そして手を汚すのはあたし。あんたはこの三角関係を見て楽しんでたんでしょ」
私はスマホをホーム画面に戻してバッグに入れ直した。あまり長い間見ていたい写真じゃないから。
「楽しんでたわけじゃないよ」
「は? じゃあ何? 理由言いなさいよ」
「なんていうか……樹が気に入らないっていうか」
「でも、話したこともないんでしょ」
私の疑問に彼は口を閉ざす。話したことさえない相手を嫌ってここまでするなんて、ちょっと信じられない。
「それに、なんで崎本が梓のメルアド知ってんの」
小夏ちゃんの言葉に、私もうんうんと頷く。西ノ浦の生徒の知り合いは旭しかいないし、その旭も彼とは縁が薄い。崎本くんには、私のアドレスを知る機会はない、はずだ。
「その、聞いたんだよ……」
「聞いたって誰から?」
純粋に気になり、私は身を乗り出す。知らない人に私の情報を教える友だちが、思い浮かばないから。
しばらく沈黙が下りた。苛立たしげに小夏ちゃんが指先でこつこつとテーブルを叩く。そんな彼女を見られないのか、彼は自分の冷めたコーヒーカップに視線を落としている。
けれどあまりの気まずさに耐えきれなくなった彼は、重たい口を開いた。
「……メール送ったの、違う人なんだ」
一瞬理解が追い付かず、次の瞬間に私は「え?」と短い声を漏らした。隣で小夏ちゃんも目を丸くしている。
「違う人って……」
「送信者が、崎本じゃないってこと?」
彼は、微かに首を動かして肯定した。私も彼女もてっきり彼の犯行だと思っていたから、意外な事実に言葉が出なかった。
「樹と……その、七瀬さんを離せって言われたんだ」
「言われたって、誰に」
渇いた声で問いかけると、崎本くんは「サトウ」と呟いた。「でも、偽名だと思う」不穏な言葉を繋げる。
「SNSで絡んできた人で、よく知らないけど、バイトしないかって持ち掛けてきて。僕が西ノ浦在籍だってこと、プロフに書いてたからだと思う。樹旭と、桜浜の七瀬って子を離れさせろって言われて……」
「バイトって、お金貰ってこんなことしてたの?」
彼は返事をしなかったけど、その沈黙が答えだった。
呆れた吐息を零す小夏ちゃんの横で、私は質問を重ねる。「そのサトウって人が、私にメールを送った人?」
「うん、そうだと思う。僕は写真をサトウに送っただけだし。その送信先も捨てアドだろうから、きっともう繋がらないけど」
「そいつのアカウントは?」眉を顰める小夏ちゃんに、崎本くんは首を振った。「削除されてて、辿れないよ」
「その人、何でこんなことしてるの」
「教えてもらってない。一度会ったけど、それからは指示通りに動いてただけだから。他にも使えそうなやつがいたら連絡しろって言われたけど、多分動いてるのは僕だけだと思う」
「理由がわかんないのに、指図されてたわけ?」彼女は心底うんざりした顔を見せた。
いくら貰ったかは知らないけど、高校生なんて年中金欠みたいなものだ。犯罪色が見えなければ、食いついてしまうかもしれない。
だけど、私は不気味で仕方がない。
「なんで……」私の呟きに、二人がこちらを見た。「その人、何が目的なの」
「ごめん。本当にごめんなさい。ここまで怖がらせるつもりはなかった」
思い詰めた表情で、彼は私たちに深く頭を下げた。
「ちょっと興味も出て、面白そうだと思って手伝ったんだ」
「今更なによ、誤魔化そうとしたくせに」
「言い訳できない、馬鹿なことをした」
顔を強張らせる彼の肩に力が入っているのが見て取れた。
「小夏ちゃんも七瀬さんも、傷つけてごめんなさい。サトウとは手を切る。二度とこんなことはしない」
声を震わせて謝罪するのに、私たちは顔を見合わせた。強気なはずの彼女も、どうしようと表情で語っていた。
「じゃあ、二つ、お願いしてもいい?」
私が右手の指を二本立てて提案すると、彼は不安そうな顔をあげて頷いた。
「いいよ……」
「崎本くんと小夏ちゃんは、もともと友だちだよね」
今度は二人が視線を交差させる。チャットグループを作っている仲だから、それなりに親しい関係のはず。「だと、思うけど……」自信なさげに彼が言う。
「じゃあ、これからも友だちでいること。……小夏ちゃん、いい?」
彼だけでなく、彼女も驚いた顔をした。
今回のことで、私だけでなく彼女もとても嫌な思いをした。そして顔の広い彼女は学外との友人関係でも強い力を持っているに違いない。このことがきっかけで、彼がこの三年間を棒に振ってしまうのは後味が悪い。
私の思惑を察した彼女は、くすくす笑う。「お人好しだね、梓は」そして、わかったと言った。私が顔を向けると、崎本くんもおずおずと頷いた。
「あと一つは……アドレスも知らないんだったら、今はどうやってその人と繋がってるの。直接会ってるとか?」
「いや、恐らく僕を信用させるために、一回会っただけだよ。電話番号だけ知ってる。これもいつ繋がらなくなるかわからないけど」
「じゃあ、その番号教えて」
崎本くんは驚いて目を見張った。小夏ちゃんも「ちょっと」って口を挟む。
「関わるつもりなの? やめときなよ。まともなやつじゃないって」
「でも、このままじゃ気になって眠れないよ。大丈夫、危ないことはしないから」
再びバッグからスマホを取り出してメモアプリを立ち上げる。私に逆らえない崎本くんは、躊躇いながらもズボンのポケットから出した自分のスマホで、電話帳を探り始めた。
「じゃあ、言うよ」
頷いて、彼の言う番号を打ち込んでいく。
「梓、やっぱり全然弱い子じゃないじゃん」
紅茶の入ったカップを手にして苦笑する小夏ちゃんに、私も笑い返した。
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