第8話:月夜の散歩

 月だけが起きている庭をゆっくりと歩く。半年ぶりの外は、心地よい。秋特有の生ぬるい風が頬を撫でる。

「これ、何とかならないの?」

 一向に離す気配のない手を一瞥するも、隣の王子には届いていないらしい。仕方なしに諦めて、久しぶりの月光浴に徹した。夜なのに彼の白は何にも混ざらない。黒い道にポツンと佇んでいるようだった。

「ここ、いつも窓から見える場所よね?」

 隣にいる彼が一人に感じられて、何故か話しかけていた。

「よく分かったね。君と僕の部屋はあそこだよ」

 彼の細長い指を辿れば、先には小さな窓。私はあんなに小さな箱に閉じ込められていたのか。外という檻の無い世界は、私の平衡感覚を狂わせるようだった。夜風がさわりさわりと二人の間を通り抜ける。

「あっ……」

 風に乗ってほんのりと甘く懐かしい香りがした。手枷代わりの悪魔を引っ張るように走れば、彼は少しだけ目を大きくさせた。

「レイナちゃん?」

 離さないというようにしっかりと手を握り、彼も一緒になって走り出す。走りづらいけれど、どうしても見ておきたい。

「どうかした?」

「あ……。あった!」

 部屋の窓から見るよりもずっと遠くにあったリンゴの木。姫リンゴらしい小さな実が、枝をしならせていた。背伸びをして熟れた実に手を伸ばす。

 パチンッ!

 途端、赤が地面に落ちるのと同時に私の手は弾かれ、肌に痛みを感じた。

「何しているの」

 彼が私の手を叩いたらしいということに、頭が追い付かなかった。私を宝石のように扱っていた彼が初めて手を挙げた。夜風なんかよりもずっと冷たい声が私に刺さる。リンゴを採っただけで、私は手を離したわけでも逃げたわけでもない。なのにどうして? 彼は地面に落ちたリンゴを踏み潰した。ぐしゃりと爆ぜる音がして、黄の果汁が土に染みる。

「それは私のセリフよ……! 一つの果物を育てるのにどれだけの努力が」

「これ、毒リンゴだよ」

 彼は私の声を掻き消すように語りだした。

「僕の国は君の国みたく裕福な土壌を持っていない。代わりに兵器ばかり造った。そうしたら、いつしか土が汚染された。いくら王室の庭といえど安全とはいえない」

「命を奪うものを造って自国の首を絞めるなんて馬鹿げてるわ」

「そうでもしないと僕たちは生きられない。君みたいな温室育ちの姫には分からないだろうね。一人の人間を殺すのにどれだけ努力しているのかなんて」

 人を殺すための努力__自国にはない考えだ。そして、彼から感じた侮蔑。何もかもが酷く胸を締め付ける。

「私は……」

 何を言うべきか分からない。でも何か言わないと、私が姫として育てられた時間も否定されてしまう気がした。

「そろそろ帰ろう。コルテスに見つかったら面倒だしね」

 痛む手に彼はそっと手を重ねた。そして、赤い肌に口付けをした。挨拶でも、謝罪でもなく、玩具が壊れないように乞い願うようなキスだった。

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