自分の精神疾患のきっかけ

きっかけはなんだったか。


それは、差異。

人と、自分の違いを受け入れられなかったことだ。


均質化した人間を求める経済の弊害だとか、分業による大量生産と消費を目標にしているために起こることなんだ、とか、表現はあるが、それはそれとして。


今も、差異を認めないことはある。

差異があることに気づいておらず、その差異を無視していることに気づいていない、と、言ったほうがいいかもしれない。


自分と、他人は違う。そういう区切り方は、しないほうが難しいだろう。考えていることは違うし、常に誤解は生まれる。伝わらないことはしばしばある。対立することだってある。


自分の十分と思うことは、他人には十分でないことはよくあるし、なんなら、十分かどうかだってわからないものだ。逆も然り。他人から見て、十分なものも、自分にとってはそう取れるか分からない。


「いつも」とか「普通」だって、違う。コミュニティによって、まるで、通じないことだって、よくある。


人は、複雑で、多様なものだ。自分が少数派であったとしても、大丈夫だ。そういうものであると認めることは大切だ。受け入れきれないこともよくあるけど、大切だ。


僕は、人に話すことは、苦手だし、協力することも、経験不足でうまくない。なかなか心にひっかかるものだけど、今のところは、そういう自分なのだと、時に思うことにしている。


違うために、通じてないのかな、と不安になったり、違和感を持つけど、次第に慣れてくれると思う。だいぶ時間が経ったけど、慣れるにはもう少し経験が必要なのだろう。


高校生とか、大学生のノリについていけず、そこでの態度を学んだあとは、社会人らしさというやつについていけない。成功者と落伍者のギャップにもついていけない。馴染むのが大変なことがあるものだ、と思っている。


ある人に、「自分を持っていない」と言われたことがある。確かに、自分の思うことに、いちいち自信がなくて、自分を否定していた。


違っていいと思えると、とりあえず、自分の思っていることを、認めることができる。

間違いとは、その場では、間違いというだけだ。そのときは、譲ればいいし、だから話し合う。それも、経験だ。僕は慣れていないだけだ。慣れなくてもいいのかもしれない。不器用でも、人の意見を知ることを恐れなければ。

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