Episode 09 春なんか大嫌い

 恐らく、大多数の人は春という季節が好きなんだろう。まぁ花粉症に苦しんでいるという人にとっては、春は嫌いなのかもしれないけれど、穏やかな気候、始まりと出会いの季節という事で、嫌いな人は少ないはずだ。

 でもマサハルにとっては、春は嫌いな季節だったりする。特に花粉症でもないマサハルが春を嫌うのは何故なのか?理由としては、まぁ大した事ではない。単なる独りよがりだったりする。


 マサハルが勤務している会社には毎年、4月から変更される人事異動が行われる。以前は10日程度前に知らされていたのだが、引継ぎ等の準備にもう少し時間が欲しいという事で、今では、ひと月ぐらい前に発表されている。マサハルがこの職場に転勤してから、もう結構な年月が経つが、ここに転勤が決まった時には、本当にショックを感じていた。


(ここだけは決めてほしくなかった。面談でしっかり意見しておいた方がよかったのか?)

 転勤前の支店と比べて規模が大きく、当然ながら、忙しさもそれ相応のものがあった。いや忙しいのは構わないが、問題はクセのある人が多いという事だ。必要以上に突っかかって来る人ばかりで、重箱の隅をつつく様な事を言ってくる。たちの悪い事に、それは正論ばかりなので言い返す事が出来ない。


 マサハルにとっては、特に最初の1年が辛かった。ストレスばかりが溜まっていき、自分がやりたいと思っていた事も出来ないままだった。今まで通りの仕事をしていたら、細かい様な部分を一々指摘される日々。このまま仕事を続けたら、普通の人だったら精神が病むか、壊れてしまいそうな、そんな状況だった。殆ど四面楚歌とも言える中で、唯一の味方と言えたのが、以前、別の職場にいた時に、自分に仕事を教えてくれた先輩だ。とはいえ、この職場では先輩は大きな発言権もなく、ただ黙々と仕事をしているだけだった。


(これから先も本当にやっていけるのだろうか?)

 マサハルにとっては、先が見えない日々が続いていた。転勤前に比べて人数が多い分、自分の負担は少なくなると思っていたが、ストレスが重く自分にのし掛かってきた。何と言うか、ここの職場は頭が固いというか、融通が利かないというか、兎に角、自分とテンポが合わないのだ。どうでもいいような細かい部分にまで自分に口を挟んでこられると、段々とやる気が無くなってくる。何しろ、当時の部長からして融通が利かないのだからどうしようもない。だから最初の1年間は苦痛しか覚えていないくらいだ。


 風向きが変わったのが、マサハルが転勤して2年目の事。融通の利かない人が数人、転勤になったのだ。そして代わりに入って来たのが、まだ若いけれど、やる気のある女の子だった。自分の仕事は増えたけれど、以前よりは仕事に集中出来る感じとなったのは、いい傾向だった。しかしながら、一番の石頭で文句ばかり言ってくるヤツは残っているので、ストレスが無くなる事はなかったが。それでも若い子に仕事を教えると一生懸命に覚えようとしていたのは好感が持てるのだった。


 そして問題の3年目。新しく転勤してきたマサハルの上司となる人が石頭と対立。今まででやってきた人が、細かいところまで口を挟まれてきたり、自分のミスを必要以上に叱責されたりした為、精神を病んで入院してしまった。更に交通事故で長期入院の人も出てきて、真面に仕事が回らない状態に。この時は本当に苦しかった。年末は非番買い上げで対応、肉体的にも精神的にもキツい日々だったが、何とか持ちこたえた。


 そしてそれ以降、新しく入った人は、1~2年で転勤する人ばかりで、なかなか定着しない。4月になったら、また新しい人に仕事を教え、そして気が付いたら去っていたりする。マサハルにとっては憂鬱な日々であり、それが原因で、いつの間にか春が嫌いになっていた。そして今年もまた教えるのだ。いい加減、真面な人を送ってほしいと思っているのだが、今回も打たれ弱そうな人のようで、長続きするかは不安である。いや、それよりも、今回転勤してきた部長が、かなりの石頭だという話だから、そちらの方が不安だったりする。そして、一生懸命教えてあげた女の子が、自分よりも先に転勤してしまうとは。またストレスが溜まらなければいいのだけれど……。


 マサハルも、精神的には決して強い方ではない。寧ろ打たれ弱い部分もある位だ。飄々としている様に見えるけれど、実際には気が付かない部分で負担が掛かっているようで、若い頃から部分的に白髪が出ていたりもする。更に転勤や引っ越し等が重なった場合は、円形脱毛症になった事もあるし、まるで癌患者の様に脱毛が進んだこともある。流石にその時には、精神科へのカウンセリングを強制されたのだが。

 そしてその時にアドバイスをされたのが、一人で抱え込まない事。まぁ、ありきたりのアドバイスだけれど、『時には抱えた事を放り投げてしまう位の無責任さがあってもいい。それを他人に任せればいいんだ』との言葉には目から鱗だった。その時に頭に浮かんだのが、よく祖父に頼まれてレンタル屋に借りに行った、クレージーキャッツのCDや出演した映画のDVD。祖父は特に植木等さんが好きで、一緒にDVDを見るのを付き合ったものだ。『そんないい加減な感じでいいの?』って祖父に聞いても、『これだけの事をやっても、憎まれないような人間になれよ』とはぐらかされたものだ。

 そんな事を思い出してからは、時々Youtube等をチェックして、『シャボン玉ホリディ』等の当時の映像や、クレイジーキャッツの演奏を捜して見聞きしたものだった。もしかしたら、今の時代にそぐわない部分があるかもしれないけれど、やるべき事はきちんとやって、それ以外は肩の力を抜いてもいいという事を意識するようになったら、随分と気持ちが楽になったものだ。

(久しぶりにYoutubeでも検索しようかな?)

 マサハルが検索したら出てきたのが、『ラブソディ・イン・ブルー』の演奏に関するコントだった。今の世の中だと、このオチは再現出来ないなと思いつつ、クレイジーキャッツの演奏のレベルが高い事に感心するのだった。


 それ以降、白髪は治らないものの、円形脱毛症は落ち着いてきた感じがする。勿論、気の持ちようの変化だけが理由ではない。マサハル自身、自分のやっている仕事に自信がついてきたというのもあるだろう。他の人に仕事を教えるという立場から、自分自身でも勉強を怠らなかったので、自然とスキルも上がっていったのだ。まぁよい傾向ではある。

 とはいえ、この支社の融通の利かなさは何とかならないものかと思っているが、余程の事が無い限りは変わらないだろうなと思っている。例えてみれば、松平定信の目指した清廉潔白な政治みたいなものだ。マサハルとしては、例え賄賂が横行したとしても、視点を変えた大胆な改革をして活気を取り戻そうとした田沼意次を支持したいと思っていた。当然ながら、きちんとしなければならない所は変えられないが、もう少し余裕を持つことも必要ではないかと。常に神経が張り詰めていたら、いつかは倒れてしまいそうで。



 …………………………………………


 いつの間にか、桜も葉桜になっていた。寒かったと思ったら急に夏日になったりと、相変わらず天候は安定しない。今日は風も強いし、花粉だけでなく黄砂も舞っていて、本来なら外には出たくないような日だ。マサハルは一応、近所で桜が咲いている所で少々花見をしてはいる。マサハルにとっては、大勢の人が集まり、酒を飲んでバカ騒ぎをするような花見は嫌いだった。どう考えても大多数の人にとっての花見は、単なる騒ぎたいだけの理由としているにすぎないと思える。マサハルにとっては、一年のうちにほんの僅かしか咲く事がないのに、その為に一年を耐えているような、そんな儚さが好きだった。確かにその為に騒いで楽しむのもありかもしれないけれど、やはり静かに花を楽しみたいものだ。


 そんなマサハルが外に出てきたのには理由がある。つい先日、Youtubeでのお勧めに出て来た曲に『春の予感』が出てきたのだ。その昔、何気なく聴いていたラジオからこの曲が流れていたのを聴いて以来、何となく気になっていたのだ。その当時は誰が歌っていたのかはわからなかったけれど、Youtubeが気軽に聴けるようになってから検索してみたら、『17才』で有名な南沙織さんの曲だとわかった。更には、作詞作曲をしている尾崎亜美さんが初めて他人に提供した曲なのだとか。落ち着いた感じの曲で、マサハルの好みの曲だったりする。最近、特に検索をしていないのに、よく出て来たなぁと思った次第だ。


 そんなわけで、何故かCDが欲しいと思って探して見たが、収録されたオリジナルアルバムは勿論、ベストアルバムでさえ見かけなくなってしまった。色々な店を捜せば見つかるかもしれないが、マサハルには、あの店に行けば見つかるのではないかという予感があった。

 以前、偶然見つけた中古レコード店なのだが、欲しいものがあったときに、何故かそこに行きたくなる時があるのだ。そして行ってみると、お目当てのものが見つかったりする。まるで店が呼んでいるとしか思えない。本当に不思議な店だ。そして今日も引き寄せられるように店へと向かっていく。狭い店内に入ってシングルレコードのコーナーへと向かう。そして当然のように『春の予感』のシングルレコードが見つかるのだった。これは偶然だろうか?


(本当にこれは偶然なのかな?それとも必然?)

 会計を済ませ帰っていくマサハルだったが、またこの店のお世話になるのだろうなと思っていた。春なんか大嫌いと思っていたマサハルだが、こんな思い出が出来るのなら悪くないなとも感じていた。



 ○○○○


 本来なら『春の予感』の事をメインで書くつもりでしたが、いつか書きたいと思いつつも、書く機会が無いと思っていたクレイジーキャッツの事を無理やり入れたら、こちらがインパクトが強すぎたようで。決して評価は低くは無いのですが、今は話題になる事もほぼ無いですので、敢えて取り上げてみました。

 芸人とはいえ、音楽のセンスは抜群だと思います。『ラブソディ・イン・ブルー』の映像、少し長いのですが、良く残っていたと思います。1966年の映像ですから、もう60年近く前になりますね。


 https://www.youtube.com/watch?v=2G6MFAo48pQ&t=41s


 https://www.youtube.com/watch?v=TDPdjq7skHE&t=243s


 そして『シャボン玉ホリディ』での演奏。『Crazy Rhythm』はどこかで聴いたような曲だと思っていたら、『アメリカ横断ウルトラクイズ』で使われていた曲の元ネタですね。ザ・ピーナッツのコーラスも見事です。エンディングに流れていた『スターダスト』は、心に染みる名曲ですね。ジャズのスタンダードを見事に自分のものにしている感じです。


 https://www.youtube.com/watch?v=6-E5rQa-bis



 何だかオマケみたいな扱いになってしまった『春の予感』。南沙織さんって、改めて美人だなと思う様な演奏シーンです。


 https://www.youtube.com/watch?v=ZumAdIbG7Ts


 KAC用にプロトタイプを作ってみた『中古レコード店 スカイウォーカーチルドレンの日常』の原形と言えるものが、後半に出て来ています。元々、店長は登場する予定は無く、欲しいものがあるお客を、店の中にある不思議な力が呼び寄せるという設定でした。暫くは続きを書く予定は無いですが、構想が固まったら形にしていきたいと思います。

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