第73話 空の告白。ちょっといいもの

 空さんは淡々とした口調で何事もなかったかのように言う。その表情はやはり虚ろだった。僕にはそれが空恐ろしかった。


「私がびっくりしてあの人を仰向けにすると真っ白な顔をしてまるで死んでいるみたいだった。それでも口からはヒューヒューってかすかな息が漏れてきてる。私は動転してとにかく119番して救急車を呼んだ。救急車が来るまで多分15分くらいかかって、その間119番の電話口の人の指示で胸骨圧迫や人工呼吸ををした。『今救急隊が向かっていますから一緒に頑張りましょう』って電話口の声が私を励ましてくれたけれど、私は頭の中が真っ白で、言われた通りに処置をするしかなかった。私ずっとずっと死なないで死なないで死なないでごめんねごめんねごめんねって呟いてた気がする。救急車に乗せられて病院に運ばれて、ずっと処置室の前のベンチに座って震えがとまらなくて。ずっと頭の中で自分を責めてた。あの時会食に行って帰りが遅くならなければこんなことにならなかったのにって。私が自分のことばかり考えて、意地を張って会食に行きたいって言わなければ。そうすればあの人のそばにいられて、異変にいち早く気付いてすぐ病院に行けたのに。悔しかった。自分が許せなかった」


 空さんが軽く鼻をすする。


「あの人が処置室に入ってから一時間ちょっと経たっていたかな。お医者さんが出て来た。私はあの人がどうなったのか早く知りたくて駆け寄った。そうしたらそのお医者さんが『我々も力を尽くしましたが残念ながら〇時五十三分に死亡確認とさせていただきます』って言ったような気がする。耳の中でお医者さんの声がわんわん鳴って何を言ってるのかよく聞き取れなくて。でもねおかしいの。お医者さんは『残念ながら』って言ったけど全然残念そうじゃなくて。そのあと最期にお別れをする時間を貰った。頬に触れるとあの人は少し冷たくなってた。でもまるで寝てるみたいで。声をかけたら今にも起きてきそうだった。でも何度声をかけても目を開かなくて。私がぼーっとしてあの人の死を実感できないまま、あの人の顔や手に触れていると、看護師さんが『この後ですが、お体をきれいにする時間を少しいただきたいと思います。よろしいでしょうか』って言うものだから私もはっと現実にかえった」


 空さんはまだ無表情で機械のように話し続ける。


「あの人の遺体を霊安室に預けてもらうことにして私はうちに帰ってあちらとうちの実家に電話したり葬儀社を探して連絡取ったりと忙しかった。すごく疲れたけど目は冴えていて眠くはなかった。でも何か飲み物を、と思って冷蔵庫を開けると、そこに白と青の箱が収まってた。私すぐわかった。ああ、『シェ・ミーチャム』の箱だって。わたしとあの人の大好きなケーキ屋さん。箱には私一番のお気に入り、レモンのレアチーズケーキと、あの人の好きなブルーベリーのチーズケーキが入ってた。どれもちょっといいことがあった時に買ってきて二人で食べてたケーキ。これがあの人の言っていた『ちょっとだけいいもの』だったんだ。あの人は私が勝手に思い込んでいたのと違って別に怒ってもなんでもなくて、ささやかなお祝いにってこれを買ってきてくれて私の帰りをずっとずっと待っててくれたんだって判った。私はレモンのレアチーズケーキを食べながらようやく、あああの人は死んだ、本当に死んだんだ、あの時私があの場にいなかったから、私のせいで……私のせいで…… そしたらもう涙が止まらなくって……」



【次回】

第74話 空の告白。涙止まらぬ空

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