3、理系の彼女


 翌日の月曜日、2日ぶりに学校に行き2年A組の教室に入ってクラスメイトと挨拶を交わす。とはいえまだ2年生になったばかりで、教室にいる人は会話をしたことがない人がほとんどだった。


「おはよう、三宅君」


「おう水瀬、おはよう!」


A組の教室に来て僕が真っ先に声をかけたのはサッカー部の三宅創みやけはじめ。彼とは出席番号が隣同士なので、4月のこの時期の席順では僕が彼の一つ前の席になっている。


「今日の朝礼、体育館だってね」


「そういえばそうだったな。水瀬、一緒に行こうぜ」


「うん」


 僕の通う私立六花高校では毎月1回、朝礼が体育館で行われる。一応私立高校というだけあって、体育館はそこそこ広く、全校生徒が一度に集まっても余裕がある。


「真崎、おはよう!」


「おー、誰かと思ったら三宅か。相変わらず朝から元気なやつだな」


「俺のアイデンティティだからな」


「ははっ、そうかもな」


 僕らが体育館に向かう途中、三宅君はすれ違う友達に次々と声をかけていく。


 僕はそんな彼を横目に見ながら、彼はつくづく明るい人だと思う。サッカー部の三宅君はただ運動神経が良いだけでなく、前向きで明るい。おまけに顔もいいので男女関係なく皆から慕われ、友達が多い。そんな人気者の彼と、どこにでもいそうな平凡な僕が一緒にいるのは自分でも変だと思う。それでも彼はそんなこと全然気にしてないように僕に話しかけてくれる。いや、本当に何も気にしてなんかいないのだろう。


「えー、皆さんおはようございます」


 全校生徒が体育館に整列し終わるとすぐに校長先生が登壇し、挨拶を始める。


「今月から新しい学年になりましたが……」


 校長先生の話が長くて退屈なのは言わずと知れたことなので、ここでは省略しておく。校長先生の話が終わると生徒指導の先生からいくつか連絡があり、全員で校歌を歌う。そこで朝礼は終わった。


 1年生から順に退場を始め、僕たち2年生も自分たちの教室に戻るため体育館を後にした。


「にしても、今日も校長の話長かったな」


「そうだね、寝てる人たくさんいたよ」


「俺も寝てたわー。つか、あんぐらい話せる能力があったら俺も苦労しないのにな」


 三宅君はそう言って、鼻の下を指で擦る。

 彼はスポーツ万能で美形だが、勉強だけは苦手らしい。


 僕たちがそんなふうに他愛のない会話をしながらもうすぐA組の教室に辿り着く、という時だった。

 ほんのりとした甘い香りとともに前方から歩いてきた女子生徒を見て、僕ははっとした。


「あ……」

 

 どこかで見たことがある、艶のある黒髪が僕の視界の中で揺れた。

 その人は紛れもなく、昨日書店で会った女の子だった。


 彼女も僕に気づいた様子でちらりとこちらを見たが、すぐに正面に向き直りそのまま「2-D」と書かれた教室に入って行った。


「三宅君、今の女の子誰か知ってる?」


 僕は咄嗟に隣にいる彼に訊いた。

 すると彼は、心外だというふうに頓狂な声を上げて言った。


「え、お前、彼女のこと知らねーの!?」


「うん。去年同じクラスだったわけでもないし」


「いや、俺だってクラスが一緒だったわけでもねーけど、彼女かなり有名だぞ。天羽夏音っつーんだけど、主席で六花に入ったらしい。ほら、入学式の時、天羽夏音が新入生代表で挨拶してたじゃん」


「そうだったんだ」


 そういえば書店で彼女に会った時、初対面のはずなのにどこか見覚えがあるような気がしたんんだ。あの時は私服だったから気がつかなかったが、さっき見た制服姿の彼女は、確かに一度は目にしたことのある人だった。


「理系のD組で美術部らしい。文理分かれたのは今年からだけど、まあ余裕で理系トップだろうな。そうそう、彼女、容姿もいいから男子から絶大な人気を誇ってるぞ。にしても水瀬、何で彼女のこと訊いてきたんだ? もしかしてお前も彼女のこと狙ってるのか」


「いやそんなんじゃないよ。第一、名前も知らない人のこと好きになるわけないじゃん」


「だよなー。天羽さん、確かに頭が良くて可愛いけど愛想ないもんな。聞くところによると、告白してくる男子を『お断りします』の一言で一蹴してるらしいぞ。フラれた奴はさぞショックだろうな」


「はあ」


 確かに、昨日『徹底数学』を手にした時の彼女は、どこにも隙のない完璧な女の子に見えた。


「てなわけで水瀬、お前も夢見すぎんなよーって、別に彼女が好きなわけじゃないなら大丈夫か」


「当たり前だよ」


 ははは……と心の中で悲しく笑ってごまかした。

 三宅君の話を聞いた限りでは、僕には一縷の望みすらも残っていないようだ。なにせ僕は運動も勉強も平均並みで、これといって誇れるものは何もないのだから。


 そもそも、彼女とは昨日初めて会って少し話しただけの関係に過ぎない。僕がこれから過ごしていく毎日の中に彼女は登場しないし、彼女の世界にも僕はいないだろう。現実ってそんなものだ。


 僕と三宅君がA組の教室に戻る頃にはクラスメイトの大半がもう教室に帰ってきており、それからその日はいつも通りの授業が行われた。

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