第十五章 母娘ニアミス

 居酒屋では会話が弾み、結局ホテルに戻ってきたのは午前0時を越えようとしていた。

 部屋の階に上がるエレベーターの中に掲げてあった館内の案内版に、二十四時間営業の大浴場があるのをみつけた。

 シャワーより湯船に浸かった方が疲れが取れるだろう、とふたりの意見が一致したので、身に着けているものを部屋に置き、備え付けのタオルとバスタオルを持って、大浴場のある一階へ再びふたり連れ立って降りていく。

 フロントに部屋のキーを預け、それぞれ《女湯》・《男湯》の暖簾をくぐり、人の少なくなった脱衣場へと入っていった。


小一時間ほどして風呂から上がり、自販機でコーヒー牛乳を買い、扇風機の前で飲んだ。

 涼み終わってフロントでキーを受け取ろうとすると

 「すでにお連れ様が部屋に戻っておられます」

 とのこと。

降りてくる時のエレベーターの中で

 「わたし、長風呂なの。二時間くらい入ってるかもしれないから、待たずに先に部屋へお戻りになっててくださいね」

 とのことだったが、具合でも悪くなったのだろうか。

 エレベーターに乗りツインの部屋専用階の六階まで昇る。

 部屋の前に着くと少しだけドアが開いていた。下の方を見ると片方のスリッパが挟んであり、ドアが完全に閉まらないようにしている。

そっとドアを押してみるとテレビの音が聞こえる。町田さんの姿は見えない。

 「ただいまー」

 驚かせてはまずいのでとりあえず声をかけてみる。応答はない。

 奥に進んでいくと、ベッドの上で寝ている町田さんを発見。寝入り端というより熟睡モードに入っているようだ。

 多分、私が帰ってくる頃には寝入っているかも、と予測してのスリッパストッパーだったのだろう。不用心ではあるが、このホテルはセキュリティがしっかりしているようだと、昨日ふたりで話したことが頭に残っていたのかもしれない。

 物音をたてないようにしてすばやく着替え、私もベッドに滑り込んだ。

 テレビを消し照明を落として仰向けになる。

 天井を見ながら、しばらく隣りのベッドの町田さんがたてている寝息を聞くともなく聞いていた。

 予想通りとは言え、やっぱり何も起こらなかったなーと思う。

 まあ、成り行き上ではあるが、こうやってひとつ部屋の中で一晩過ごすことになっても、別段警戒されずに安心しきっている町田さんを見ると、一応、私は信頼されているのかなと考えることにしよう。

 私も今日一日の出来事を思い出しながら寝る。

 今日も含めてこんな展開になろうとは夢にも思わなかった。奇跡の三日間だ……

 奇跡の……



 朝七時、モーニング・コールで目が覚めた。町田さんも仰向けのまま、思い切り背伸びをしている。

 「おはようございます。ぐっすり眠れましたか?」

 「ふわぁ~おあよおごあいまう」

 彼女が欠伸をしながら声を発したので変な日本語になっている。

 「あーよく寝た! 夢も見ないくらい熟睡できたみたい」

 「それは良かった。長風呂っておっしゃってたけど、早く切り上げて部屋に戻られていたから身体の具合でも悪いのかと思いました」

 私の言葉を聞いてガバッと町田さんが起き上がった。

 「そうそう、居たんですあの子たちが!」

 「は?」

 「みのりと汐音ちゃんがお風呂に居たのよ」

 「汐音たちが⁉」

 「そうなの。顔がはっきり見えたわけじゃないけど、声と会話の内容でふたりって判ったわ。

 わたし、気づかれないように離れたところの湯船に浸かって、急いで頭と体を洗って上がったの。

 一瞬みのりと目が合った気がしたけど、湯気で霞んでいたし、ちょうど端と端の位置だったから気付かれていないはずよ。ふたりとも話しに夢中だったようだし」

 「えっ、そうだったんですか。危なかったですね。それじゃあのふたりはこのホテルに泊まっているということか」

 「いえ、そうじゃないみたい。

 フロントの人に訊いてみたら、大浴場は泊り客じゃなくても入浴料を払えば誰でも入れるそうです。あのふたりもそれを知って大きなお風呂を楽しみに来たのよ」

 それにしても間一髪だった。少しでも時間が早いか遅いかズレていたら、私と町田さんが一緒のところをロビーで、あるいは脱衣場で町田さんが娘たちと鉢合わせしていたかもしれない。

 「今日は汐音たちも間違いなくチェックアウトだろうから、エントランスから出たところでばったり、なんてこともあるかもしれないですね。

 早めに出発しますか、それとも少し遅らせます?」

 「うーん…… 迷いますね。みのりに電話して何時ころ帰ってくるか確認するついでに、それとなくチェックアウトの時間も探ってみましょうか」

 「それがいいかもしれない。

 これだけ近い距離で隠密行動をしているから、見つからないように行動するには確実な情報が必要ですからね。

 でもみのりちゃんは勘が良さそうだから、不自然な質問をすると不審に思われるかもしれいないので、私が汐音に電話しましょうか」

 「そうねえ。確かにみのりは読みが鋭いところがあるから、わたしの声の調子で怪しまれるかもしれないわねえ。わたし、お芝居が下手だし」

 町田さんが芝居下手なのはわかる気がする。これまでの付き合いから、彼女はうそが言えない性格のようなのだ。

 「でも、汐音ちゃんも怪しむんじゃないかしら。家に帰り着くのが何時くらいかだけ聞けば、わたしたちのチェックアウトの時間なんてどうでもいいだろうにって」

「保護者の私が言うのもなんですが、汐音はああ見えて、と言うか見たまんまのノーテンキだから変に勘繰ることはありませんよきっと。

 じゃあ八時半になったらかけてみます。それまでにある程度、準備を済ませておけば私たちは素早くチェックアウトできるでしょう」


 「もしもし、汐音ちゃん? 私ですが」

 「藤村さん? おはよう!」

 今日も元気そうだ。低血圧の私としては朝から快活全開の汐音に対し、羨ましさと違和感が綯い交ぜの思いがある。

 「おはよう。今日は帰ってくるんだろ。何時くらいになるの」

 「うーん、多分夜になると思う。九時過ぎくらいかな」

 「じゃあ晩ごはんはどうする? 食べてくるの?」

 「うん。そうする。食べられなかったらコンビニで買って帰るよ」

 「じゃあ食事の用意はしとかなくていいね。新幹線の時間までまた都内をうろつくの?」

 「東京はもう飽きたから、京都や大阪に寄り道して観光するんだよ」

 「途中下車しながら帰ってくるのか。じゃあ昼前の便に乗らないと遅くなっちゃうだろう。チェックアウトは何時?」

 自然な流れで必要な情報が聞き出せそうだ。

 「もうとっくにホテルを出て東京駅に来てるよ。今、みのりちゃんとカフェでモーニング・セット食べてる」

 「えっ! もうチェックアウトしてるの⁉ は、早いね」

 予想外の素早さにちょっと焦った。

 「そうだよ。だってあちこち行かなきゃだから。おみやげ楽しみにしててね」

 「ああ、ありがとう。じゃあ最終日も存分に楽しんできてください」

 「はい。じゃあそっちも素敵な一日をね!」


 「聞こえてました? もうチェックアウトして東京駅に行っているそうです。

 京都と大阪観光をして夜9時頃に帰ってくるとのことだから、私たちは昼過ぎののぞみに乗ればいいのか。少しゆっくりできますね」

 「そうね。ホテル前の路上で出くわす心配はないけど、あの子たちが京都あたりから乗車する時間によっては、同じ新幹線に乗る危険性があるわよね。可能性は低いとしても」

 「そうですね。でものぞみは何本もあるし、京都・大阪間ならひかりでもこだまでも、なんでも来た列車に乗ればいいからあまり危惧する必要はないでしょう」

 「そうよね。齢を取ると心配症になっちゃって。

 でもここまで見つからずに来れたんだから、最後まで気を付けましょう。ちょっときわどい場面もあったけど」

 「了解。そうと決まれば下のレストランに朝食を食べに行きませんか。軽く腹ごしらえしておきましょう」

 「藤村さん、朝食抜きじゃなかったかしら。汐音ちゃんから聞いたんだけど、藤村さんは少食だから一日一食で大丈夫って言ってたわ」

 「そうなんですが、旅に出ると生活パターンが変わって、いつもより食欲が旺盛になっているみたいです。町田さんとお話ししながら食事をするのが楽しいからかもしれません」

 「あら嬉しい! じゃあ早く降りていきましょう。オーダーストップは確か九時だったはずよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る