第十章 ロビー活動 in TOKYO

 ロビー活動当日。町田母娘、笹木さんのお母さん、そして汐音と私たちは午後一時過ぎに羽田空港到着。昼食を摂った後、会場へ向かった。

 御茶水氏とはやぶさ・みずほ兄妹、笹木さん、それに他の事業所のスタッフ達は朝一番の便で一足先に現場入りしている。

 私たち以外の家族もこれから集まってくるだろう。

 会場の会議室に入ると、Tシャツ姿で会場設営にあたる御茶水氏とはやぶさ君が目に入った。

 みずほさんと笹木さんは、テーブルの上に飲み物サーバーやお菓子を盛った皿を配置している。

 中学生か小学校高学年くらいの女の子ふたりが、作業風景を携帯電話のカメラで撮り回っていた。その子たちを見た町田さんとみのりちゃんが駆け寄って声をかけた。

 「晏那ちゃんと月那ちゃんじゃない! 着いてきちゃったの?」

 「そう。だってファイヴ・カラーズが来るんだよ! 学校行ってる場合じゃないでしょ」

 その子たちは御茶水氏の双子の娘姉妹だった。どうやら姉妹もファイヴ・カラーズ来訪の情報をどこかから聞き出して、父と兄姉に帯同してきたようだ。

 「ファイヴ・カラーズのことは秘密だったのに。どうやって知ったの?」

 「公式ホームページに載っているスケジュール表をチェックしたらすぐ解るよ。

 今日の夕方過ぎから予定がぽっかり空いているでしょ、ほら」

 と言って携帯画面に表示されているファイヴ・カラーズの今日の日程表を、町田さんとみのりちゃんに自慢げに見せた。

 「昨日の夜、これ見てね、今日のイベントに五人が絶対に来るはずってふたりで予測したの」

 「でも、予測だけじゃ東京まで来ないでしょ、ふつう」

 「だからね、みずほ姉ちゃんに聞いたの。『ファイヴ・カラーズって明日、何時頃イベントに来るのかな?』って。

 そしたらね、多分六時過ぎじゃないって教えてくれたの。それでわたしたちの予測が正しかったって証明されたの」

 と言ってひとりはウインク、もうひとりは悪戯っぽく舌を出して笑った。

 要はみずほさんにカマをかけて聞きだしたのだ。女子中生を侮るなかれ。


 控え室に荷物を置いて私たちも準備の手伝いをと思ったが、すでに作業はほとんど終わっており、あとは来場者を待つだけ。

 実際に何人の議員が来てくれるかは全くわからないし情報もない。

 御茶水氏はいつもと変わらない表情で、見たところ不安そうには見えないが、実際の今の心境はどんなだろうか。


 テレビの国会中継では淡々と質疑応答が続いている。

 いつもは白熱した議論が展開されるのだが、今日は気のせいか、どの議員も柔和な表情をしている。

 もしかすると、この後で超人気アイドルと会えるかもしれない、という情報が伝わっているのだろうか。

 ファイヴ・カラーズ来訪の件は極秘事項なのだが、十四・五歳の女の子に見破られる程度の甘いセキュリティなので、ほとんど公然の秘密と化している可能性はある。

 女性議員はともかく、男性議員にも彼らとの交流は楽しみなのだろうか。

 彼らに会って会話をし、一緒の写真をインターネットに揚げたりメディアに取り上げられれば、あるいは議員本人のPRや好感度アップに繋がるメリットがあるのかもしれない。

 そう言えば今の総理大臣が近く解散総選挙に打って出る、というウワサも囁かれている。

 少しでも名前と実績を売り込むチャンスになるのであれば、どんな機会も逃さないのは選挙に立候補する人間として当然である。



 午後四時を過ぎた頃から議員秘書が何人か様子を見にやってきた。中には明らかにシークレット・サービスと思しき屈強な男性を伴った秘書もいる。

 会場の備品や室内にいる人たちを観察し、結果を携帯電話で同僚に報告しているようだ。

 国会議員が十人も来てくれれば御の字、二十人なら大成功。アンドロイドの権利に関するなんらかの法案が議員発議されるかもしれない。

 だが、SPが警護につくようなV・I・P来訪の可能性も微かだが出てきた。副大臣クラスの人が来れば法案が政府から提出されるかもしれない。

 内閣立法・議員立法どちらでも良い。道のりは長くても法案が成立して法律となるのを目指し、一歩ずつアンドロイドが人間と同等の権利を持てるよう着実に進んで行くのが、ゆっくりではあるが現実的な道のりなのだろう。


 壁の時計が五時を指している。

 中継では予算委員長が

 「本日はこれにて散会いたします」

 と宣言した。

 言い終わらないうちに数人の女性議員が席を立ってドアに向かっている。

 「委員会、終わりましたね。何人くらい来るでしょうか」

 と私が訊ねると御茶水氏は

 「少なくともいま委員会室を出て行った女性議員たちは来てくれるでしょう」

 かなり自信ありげに彼は答えた。

 「彼女たちはファイヴ・カラーズが来ることを知っているんですか?」

 「はい。実は知り合いの議員が予算委員会の数人の議員にリークしたんです。

 情報を教えた後に『誰にも言わないように』と付け加えておけば確実に拡がるそうです」

 「へー。蛇の道は蛇ですね」

 議員ではなくても、自分の知り得た特報を誰かに教えたい衝動が押さえ難いのはよくわかる。

 「まずは国会議員にここへ来てもらうことが最優先ですからね。実際にアンドロイドと会って話をして彼ら彼女らの魅力を知ってほしい。

 そのきっかけを作ってくれる重要な役目を担っているのがファイヴ・カラーズなんです」

 「それにしてもそのファイヴ・カラーズですが、もうちょっとましなネーミングを考え付かなかったんですかね。プロデューサーは素人なんでしょう」

 「わたしのネーミングです」

 「ほ?」

 「わたしが咄嗟に付けたグループ名を今も使い続けているんですよ。

 ご存知のようにあっという間に売れちゃったもんで、後戻りできなくなってしまい……」

 「そうだったんですか。いやあ、まあ、シンプルなのも覚えやすくて万人に受け入れてもらえますからねはははは」

 まずいまずい。余計なことを言ってしまった。この件については封印。

 どのような状況で御茶水氏がグループの名付け親になったのだろう。


 「ファイヴ・カラーズの五人は、はやぶさやみずほ達と同じ、プロトタイプとして誕生したアンドロイドです。

 あの子等も有志の家庭の元にあずけられて、人間と同じ環境で生活をしています。

 去年の八月、自治会内で夏祭りのイベントがあり、催しのひとつにのど自慢があったんです。

 回覧板で事前に出場者の募集があって、それを見たメンバーのひとりが『出てみたい』と。

 ほかの子にも声をかけてみたら、四人とはやぶさが大勢の前で歌ってみようということになって応募したんです。大勢と言ってもせいぜい百人ほどでしたが。

 はやぶさはわたしたち家族とよくカラオケに行っていたので、ステージではソロで歌謡曲を歌いました。

 ファイヴ・カラーズの五人は日頃から楽器を持ち寄って、メンバーの誰かの家で演奏の練習をしていたので、そのイベントでも五人組のバンドとして登壇しました」

 こうやってデビュー以前のエピソードを聞くと、少しは美形に対する反感が薄れてくる。

 「それで結果はどうでした? なにか賞は取れたんですか」

 「はやぶさが優勝して三万円分の商品券を貰いました。

 ちっちゃな町のイベントなので、まあ多少の歌唱力があればそれほど難しいことではないと思います」

 「ファイヴ・カラーズの五人は?」

 「特別賞です。彼らの演奏が予想外に大うけで、歌唱力でははやぶさの方が上でしたが、観客を圧倒したのは五人のバンドのパフォーマンス。

 審査員のひとりだった酒屋の店主さんが、彼らに個人賞として缶ビールを一ケースずつ提供してくれました。

 彼らにとっては初めての賞だし、それよりも誰かに認められたことがとても嬉しかったようです」

 大げさに言えば、アンドロイドの彼らにとっては、自分の存在する意味が確認できたのと同じくらい大きな出来事だったのだろう。望外の喜びだったに違いない。

 「その後の彼らを運命づけるような出来事ですね。はやぶさ君は優勝だからもっと感激したことでしょう」

 「それが」

 言いかけて先が続かない御茶水氏を見ると苦笑を浮かべている。

 「そんなに嬉しくなかった?」

 「実はそうなんです。もちろん嬉しいに違いないとは思うんですが、優勝した自分よりあの五人の方が表彰式の後、女性たちにちやほやされ、はやぶさには数人の観客が声をかけてくれる程度。素直には喜べなかったのでしょう」

 その時のはやぶさ君の心中を語る御茶水氏は子を気遣う父親の顔だ。


 今の話しを聞いて思い当たる出来事がある。

 今回のロビー活動説明会の際、ファイヴ・カラーズがここに来ると聞いた時のはやぶさ君が嫌そうに顔を顰めたように見えたのだ。

 特に意識はしなかったが、実はファイヴ・カラーズに対する複雑な感情がはやぶさ君にはあり、それがあの時の表情に表れたのだろうか。

 ちょっと気まずい雰囲気になりかけたので話題を戻す。

 「それで『ファイヴ・カラーズ』となったのはいつからですか」

 「のど自慢後に彼たちの噂が拡がり始めて、他の町のイベントや温泉施設の出し物へ呼ばれるようになりました。

 アマチュア・バンドとして本格的に活動を始めたのはその頃からです。

 バンド名を付けなければならなくなり、わたしがその場の思いつきで『ファイヴ・カラーズ』としたのが始まりですね」

 そんな経緯でのネーミングなら、まあ致し方ないだろう。素人くさいなどと思い申し訳ない。

 御茶水氏の話しが続く。

 「彼らの動画がネット上にちらほらと拡散され始め、急にアンドロイド・ラボへの問い合わせ電話やメールが増加しだして、本来の業務に差しさわりが出始めたんですね。

 最早わたしの手には負えない状況となり、市内で小さな芸能事務所を営んでいる同級生にグループごと預かってもらうことにしたんです。

 それからはご存知の通り、飛ぶ鳥を落とす勢いで人気が出始め現在に至る……。

 後半は若干端折りましたが」

 「はやぶさ君は芸能関係の道に進む気はないんですか? 素晴らしい歌唱力を持っているようなのに」

 「彼はわりと現実的だから、自分にあった職業を見つけて、しっかり地に足を着けて生きていくタイプだとわたしは見ています」

 「汐音も社会で役に立つ存在になりたいとよく言ってます。そのために何か勉強をしたいとも。

 はやぶさ君や汐音たちが貢献できる世の中になるよう、そしてアンドロイドにしっかりした生活権が得られるよう、私たちも頑張らないといけませんね」

 「そうですね。わたしたちの時代は無理でも、次の世代にはなんとかなるよう道筋だけでもつけたいと思います」

 会話が途切れ、御茶水氏としばらく窓の外を眺めていると、入り口の方が騒がしくなってきた。どうやら議員の第一団が到着したらしい。



 最初に現れたのは女性議員の三人。先ほどの中継で委員会室から出てゆく姿が映っていた人物らしいが、三人とも着ていた服の色が違う。

 さっきはグレーとか黒とか薄い黄色とか、とにかく目立たない色あいの服装だったが、来る前に着替えたのかひとりがショッキング・ピンクのワンピース、もうひとりは赤いジャケットの下に黒のブラウスと革のスカート、あとのひとりが水色のロリータ・ファッションでキメている。

 三人のコーディネートを見て、会場に待機していた一同は絶句した。

 私たちがだいたい共通して持っている国会議員のイメージとは、あまりにかけ離れた艶やかさだ。

 超人気アイドルに会える機会は、たとえ議員と言えどもそうそうないことであるから、三人とも精一杯のおしゃれをしてきたのだろう。

 気を取りなおした御茶水氏が三人に声をかけた。

 「お忙しい中、よくお越しくださいました。ファイヴ・カラーズの五人も間もなく来場するので、もうしばらくお待ちください」

 三人とそれぞれの秘書が奥のテーブルに移動した。

 何人かのアンドロイドやスタッフが挨拶に行くがあまり関心を示さない。

 やはり目当ては例の五人らしい。

 徐々にほかの議員たちも集まってきたが、今のところ女性ばかり。男性議員はまだひとりもやって来ない。

 御茶水氏が側を通りかかったので懸念を伝えた。

 「ファイヴ・カラーズの威光はかなりのものですね。女性議員全員がやって来そうな勢い。

 しかし男性議員は今のところ、ひとりも姿を見せない……」

 「そうですね。でも大丈夫ですよ。男はひとりじゃ行動できないので、しばらくしたら怒涛を組んでやって来ますよ。

 実は例の知り合い議員が数人の男性議員に『美人のアンドロイドが大勢やって来る』との裏情報も流してくれているそうです」

 と御茶水氏が小声で教えてくれた。

 政治の世界はよくわからないが、根回しやちょっとした情報リークがかなりの影響力を持っているらしい。

 それにしても御茶水氏の知り合いの議員とはどんな人物なのだろうか。

 若手だとこれほどまで情報を伝播させられないだろう。予算委員会の議員たちに顔が利くようなのでベテランと思われる。

 かなりの影響力を行使できる立場にあるのかもしれない。

 そうであれば、意外ととんとん拍子で法案成立、なんてことがありうるかも。

 思いを巡らせていると御茶水氏の予言通り、男性議員たちがぞろぞろ連れ立って入ってきた。

 こちらの集団は国会が終わってそのまま移動してきたようで、ダークグレーか濃紺のスーツ姿がほとんど。

 敢えて女性のアンドロイドを見ないようにして無関心を装っているが、落ち着きのない仕草と意味のない会話を交わしていることで、逆に興味深々なのが有り有りだとわかる。

 その光景を見て心の中で苦笑するが、あの中にいれば私も同じ生態を晒していただろう。


 「みなさんは何党ですか?」

 笹木さんが男性議員の群れに近づいて、挨拶抜きで質問した。

 唐突に訊かれて議員たちは答えるのを譲り合っていたが、その中のひとりが

 「我々は超党派の議員団だよ」

 と答えた。

 「チョートーハ?」

 「そう、超党派。アンドロイドの皆さんが人間と同じ権利を得るよう、政党を越えて法案を提出しようとしている集まりです」

 「そうですか。じゃああっちでお菓子でも食べながらお話ししましょ」

 そう言って屯する男性議員たちを、汐音やみのりちゃんたちがスタンバっているテーブルへ引率していった。


 今日は女性のアンドロイドが二十人ほど来ている。

 国会議員と話すのはアンドロイドたちにとっても初体験なので、こちらも興味深々の様子。

 それぞれが議員を捕まえて質問攻めを始めている。

 議員たちにとっても、実際のアンドロイドを目の前にして交流するのは初めてなのであろう。

 恐るおそる握手をして、その手の感触が人間と変わらないことに驚く議員。

 顔をまじまじと見て、筋肉の動きに不自然さをを見つけようとするが、無駄な努力と諦める別の議員。

 ある議員がみのりちゃんに質問をしている。

 「食事はどうしているの」

 「食べていますよ」

 「どんなものを?」

 「皆さんと同じです。お酒も呑むし、好き嫌いもあります」

 「じゃあ人間と同じように、栄養分を摂ってそれをエネルギーに換えているんだ」

 「いえ、食べたものからは水分と必要な養分だけを分離して身体中に循環させています。皆さんの血液みたいに」

 「それは栄養分を水に溶かして全身に行き届かせるためかな」

 「分離した水分は体温調節をするために循環させているんです。暑い時は冷却するために、寒い日は体温を維持するために」

 「なるほど。でも身体を動かしたり脳を働かせるためのエネルギーは、どうやって補給しているの」

 「わたしたちは常に微弱電気を発生させて蓄電しています。

 皮膚で受ける光や接触による刺激を電気に変換して、身体の中にある充電装置に溜めるシステムになっているんです。

 だからただ歩いているだけでも栄養補給になります。

 陽当りのよい公園のベンチに座って本を読んでいても、お腹いっぱいになっちゃいます」

 「永久電池みたいなものか。でも万が一、蓄電量がゼロになったらどうなります?」

 「寝ちゃいます。蓄電量がゼロに近づくと冬眠みたいな状態になりますよ。体力を……電池の消費を極力抑えるために深い眠りに入ります。

 でもそうなるには光の全く入らない部屋に居て二か月くらいじっとしていないと。

 現実的には機能停止の状態に陥ることはまずありません」

 才媛と形容したくなるようなみのりちゃんの、理路整然とした淀みない受け答えにすっかり魅せられてしまった。

 それは質問していた議員や、周りでやり取りを聞いていた同僚の議員たちも同じらしい。


 汐音は何をしているのだろう。見ると向こうの方で何か騒いでいる。

 「ね、わたしに勝てるはずないよ!」

 「くっそぉ、十連敗だっ!」

 近づいてみると「あっち向いてホイ」をやっている。

 最近身につけた彼女の特技で、相手が誰であろうと汐音の全戦全勝だ。私も何度か対戦したが勝ったためしがない。

 コツを訊ねても教えてくれないので、一度よく観察してみた。

 どうやら相手が顔を動かすほんの一瞬の筋肉の動きを見て、それでどちらを向くかの判断を瞬時に下して指を動かしているらしい。動体視力がかなり良いのだろう。

 厳密に言えば後出し、と言うか後動かしだが相手にはわからない。

 対戦相手が人間なら筋肉観察説は有力だが、筋肉のないアンドロイドでは簡単に勝てないのではないか。

 しかしみのりちゃんとの対戦成績もほぼ全勝なのだそうで、彼女だけが体得しているノウハウがあるのだろう。

 汐音がホイされる場合も、相手の腕の筋肉を見て、瞬時に相手が動かす指の向きを判断しているようで、彼女が引っかかることはまずない。

 ただしジャンケンは弱い。読みが甘いのか深読みし過ぎるのか、七割の確率で負けかあいこだ。

 従って、あっち向いてホイの必勝パターンに持ち込むためには、まずジャンケンで勝てるようになることが汐音にとっての今後の課題であろう。


 妹キャラの笹木さんの周りには、主に若手の議員たちが集まっている。少数だが女性議員もいるようだ。

 キャラ通りの仕草で存分にカワイイをアピールしている。アイドルにでもなっていればカルト的人気を博したことだろう。

 リュックを背負った議員がしきりに話しかけている。

 「ほんとにマロンって言うの? ニックネームじゃなくて本名?」

 「ほんとだよ。お母さんといっしょに選んだの。って言うかわたしがこれがいいって強引にきめちゃった♡」

 「かわー。ってか神ネーミングだね!」

 「ありがとー。ね、ね、みんなで写メ撮ろうよ!」

 一部のオタク系議員にはマロンちゃんが大モテだ。

 しばらくオタクさんたちの様子を見ていたが、彼らの世界観が私には理解し難い雰囲気になってきたのでその場を離れた。


 隣りのテーブルではみずほちゃんが数人の議員となにやら議論している。

 「だからわたしが言いたいのは観測や実験で検証できない理論は空論でしかないってことなんです!」

 「そうだと言って全部否定してしまうのは如何なものかと……」

 「だっておかしいでしょ。本当にその理論が正しいと証明されたわけではないのに、断定的に自分の考えを人に押し付けることが許せないの! 

 あの理論はまだ検証しなければならないことが多いんです。

 結論を得るために微調整しなければいけない事柄が多すぎて、研究者の中には別のアプローチで理論を構築している人たちも大勢いるんですよ。

 そんな状況なのに、さもそれが正しい理論なんだと言わんとする態度が、わたしには我慢できないんですっ!」

 凄い! さすがは御茶水氏の娘さんだ。彼女の考えが正しいかどうかは別として、自分の主張を堂々と述べるところは父親の学究肌を受け継いでいるのだろう。

 そもそもなぜこんな議論になったのか、帰りの飛行機でみずほちゃんと席が隣り合わせだったので聞いてみると、彼女が宇宙に興味を持っていることを知った議員が、聞きかじりの宇宙論を語りだしたのがきっかけだったそうだ。

 最初は黙って聞いていたみずほちゃんも、相手のあまりにもいい加減な知識と断定的な物言いに堪忍袋の緒が切れて反論したらしい。

 御茶水氏によると、みずほちゃんは探求心旺盛で、父親が所蔵している学術書のほとんどを読破しているそうだ。

 生半可な知識で彼女と議論しても論破できないだろう。

 みずほちゃんにやり込められた議員に限らず、安っぽい男ほど女性に対して常に優越的態度を取ろうとする。

 件の議員はみずほちゃんにやり込められて返す言葉が見つからず、ただ苦笑するだけだ。

 そんな薄っぺらい男を完膚なきまでにやっつけたみずほちゃんを見て、私は胸のすく思いだった。


 出入り口のドアに近い場所でスタッフたちが何か準備を始めた。

 長机を壁と平行に置いて、机と壁の間に人ひとりが入れるくらいのスペースを作っている。

 スタッフのひとりが壁に向って右から《緑》《黄》《赤》《青》《紫》と書かれた紙を壁とは反対側の机の縁に、垂れ下がるように貼っていった。

 いよいよ真打の登場らしい。気づいた女性議員たちがその一角に集まり始める。

 御茶水氏の同級生で、今は人気アイドル・グループをマネジメントする新興芸能事務所の社長兼プロデューサー兼マネージャー兼雑用係の男性が、ハンドマイクを手にして長机の前に立った。

 「ご来場の皆さま、お待たせしました。それではこれより五人が登場します。

 なお本日は、メンバーが個人でこの催しに参加している建前ですので、通常の交流会ではありません。あくまで国会議員の皆さんと市民の懇親会です。

 皆さんには『①カード』と『②カード』をお渡しいたします。

 『①カード』はメンバーと握手ができる券、『②カード』は頭のホコリをポンポンと払ってもらう券です。

 どちらのカードもメンバー五人に対し、一回ずつ行使することができます。

 緑から順に進み、紫まで進んだらカードをスタッフにお返しください。

 撮影はOKですが、少なくとも三か月は絶対にSNS等には上げないようにしてください。議員間での見せ合いっこはかまいません。

 お話しできる時間はひとりにつき三十秒です。

 全員が一巡して券を二枚とも使った後でも、催しの終了時間ぎりぎりまでなら、何度でも列に並びなおすことはできますので、どうか慌てず焦らず争わず、皆さんで楽しい時間を共有していただけるようご協力をお願いいたします」

 それだけ言うとウォーキートーキーを取り出して送話口にどなった。

 「準備はいいかいっ!」

 「オッケーです」

 無線の相手の女性スタッフから応答があった。

 「それでは五人の登場です。みなさま拍手で迎えてください!」

 隣室のドアが開いて女の子が出てきた。御茶水氏の双子の娘の片方だ。五人の先導役を担っている。もうひとりもしんがりに付いて出てきた。

 そう言えばふたりともしばらく姿を見ていない。臨時のファイヴ・カラーズ世話係になっていたのだ。学校を休んでここまで来た甲斐があったね。


 スタッフが、並んでいる議員たちにチケットをすべて配り終えたようだ。

 建前では今日はファイヴ・カラーズではなく、一個人の立場として参加しているメンバーたちとの懇親会がいよいよ始まった。

 全員が一巡りして二巡目、三巡目と順調に懇親会は流れていく。

 残り三十分頃になって会場内がどよめいた。来ないと思われていたある女性議員が会場に現れたのだ。

 その議員は《なんでも反対党》と揶揄される政党の女性党首。

 ニュースや国会中継で、目を吊り上げ閣僚に噛みつく光景は、報道バラエティ番組の高視聴率獲得映像である。

 この党首だけは絶対に姿を見せないだろうと思われていただけに、まさかの来場にスタッフ、国会議員揃って驚きの声を秘かに漏らしている。

 彼女はメディアの報道もあり、お騒がせキャラの印象を持たれているので、何かひと騒動起こすのではないかとスタッフ間に緊張が走った。


 「あの……」

 スタッフのひとりに彼女が声をかけた。

 「は、はい、なんでしょう」

 「プレゼント・ボックスはどこですか」

 「プレゼント・ボックスですか? 今日はファン・イベントじゃないんで設置していないんですよ」

 「そうですか。ファンレターを書いて来たのですが、お渡ししていただけます?」

 「ち、ちょと待てくださいね。事務所の方に訊いてきます」

 なんとしおらしい態度。私の知っている戦闘的な彼女とは全くイメージが違う。

 今日は普段身につけている心の鎧を外して来ているのだろう。

 対応を聞きに行ったスタッフが戻ってくるまで、彼女は同じ場所で静かに佇んでいる。

 しばらくして先ほどのスタッフが帰ってきた。

 「中身はお手紙ですか?」

 「はい、手紙だけです。商品券や危険な物は入っていません」

 「わかりました。ではわたしがお預かりしてメンバーに必ずお渡しします」

 「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 「はい、責任をもってお届けします。お任せください!」

 手紙を預かったスタッフの声が緊張で多少上ずっている。

 思いが詰まった手紙を預けることができてホッとしたのだろう。テレビでは見たことのない笑顔を見せて、彼女もほかの議員たちと一緒にきゃぴきゃぴしながら列に加わった。

 私の彼女に対する好感度が少しアップしたのは言うまでもない。


 会場の端では御茶水氏が誰かと話している。相手はよくテレビの画面で見かける、見覚えのある顔。

 官房長官だ。内閣の要として閣僚たちを纏めている存在。

 政府のスポークスマンでもあり平日の毎日、午前と午後に定例会見を行っている。

 歴代の官房長官に比べると物腰が柔らかく、会見でも大体笑顔で受け答えしているような印象がある。

 今の内閣には数人の実力者が入閣しているが、この官房長官もその一人である。

 官房長官の進言を総理大臣は無条件に聞き入れているらしい。

 その官房長官と御茶水氏が静かに議論している。今日の長官はかなり真剣な表情だ。


 「わたしが懸念するのは、いつか人間とアンドロイドの立場が逆転して、我々が彼らの支配下に置かれるのではないかということです」

 「数の上でならアンドロイドの方が多くなる可能性は高いでしょう。しかしそれは遠い将来のことです。

 それに彼らには人間や他の生物を支配することが不可能です」

 「不可能? どうしてそう断言できるのですか」

 「それはそうプログラムされているからです。いわば本能に備わっているわたしたち人間へのフェイルセーフなんです」

 「もう少し詳しく説明してください」

 「彼らの自己管理プログラムには思考や言語、環境に適応するための制御機能が備わっています。

 そのプログラムの中には『人間、アンドロイド、その他の生物を自己防衛でやむを得ない場合を除き支配・攻撃しない』と書かれている箇所があります。

 仮にアンドロイド自身が攻撃を受けたとしても、その際の反応は防御のみで反撃は試みません。究極の専守防衛ですね。

 アンドロイドが人間と共生していく以上、人間に危害を加えないことが大前提となるので、この設定が組み込まれているのです」

 「その安全性は検証されているのですか?」

 「検証して確認しています。

 これまでアンドロイドが意図的に人間、アンドロイド、ペットはもちろん、虫などの生物に対しても危害を加えた例は一度もありません」

 「わかりました。彼らが人間と対等の権利を得たとして、共生していくことでどういったメリットがありますか」

 「計り知れない利益を生むでしょう。

 人間とは起源をまったく異にする知的生命体ですから、我々には考えの及ばない発想がアンドロイドからは提供されると期待しています」

 「具体的な例を挙げてください」

 「人間にはまだ克服できていない病気が数多くあります。

 しかし徐々にではありますが、幸いなことに不治と思われた疾病も、治療方法の発見や特効薬の開発によって病原を根絶できたものもあります。

 ただ、将来も新たに新種のウィルスが発生して、わたしたちの健康に脅威を及ぼす可能性は充分にあり得ます。

 感染を防ぐ手立てが見つからず、人間には治療が不可能な事態に遭遇するかもしれません。

 しかし病気に無縁のアンドロイドであれば、たとえ地球上全てにウィルスが蔓延して人間が活動不能に陥ったとしても、アンドロイドたちはなんら影響を受けることなく病気の治療法の研究を続けてくれるでしょう。

 不幸にも治療法が見つからず人間が全滅したとしても、わたしたちの文明をアンドロイドが引き継いでくれるはずです。

 更に言えば、人間がアンドロイドを誕生させたのと同じように、アンドロイドが遺伝子技術を用いて人間を復活させてくれるかもしれません。

 人間とアンドロイドが共生することで、人間単独の社会では到達し難い技術の革新も、短時日で実現可能となるでしょう。

 それにはアンドロイドにも人間と同等の権利と義務が必要です。

 彼らの存在意義を認めることで、いち早くアンドロイド先進国として世界に技術と規範を示すことができるのです」

 「わかりました。検討します」

 それだけ言って官房長官は御茶水氏から離れていった。

 残った秘書が御茶水氏の名刺を受け取り、その裏に何か書き込んで官房長官の後を追う。


 「最後はあっけなかったですね。期待薄かな」

 「いえ、大成功だと思いますよ」

 意外な応えだ。御茶水氏の顔を見ると会心の笑みを浮かべている。

 「しかし私には気のない返事に聞えましたが……」

 「彼が真剣に考えている時はあんな風に不愛想になるそうです。

 それに秘書がわたしの名刺にメモして帰りましたよね。あれはわたしの個人電話の番号で、後日その番号に連絡をするという予告であり、肯定的な反応を期待して良いらしいですよ」

 「そうなんですか! 法案提出がかなり現実味を帯びてきましたね」

 「わたしもそう思います。官房長官の反応もそうだし、この会場の盛況ぶりを見ても希望が確信に変わりそうです。

 お、あれは与党の幹事長…… 失礼、ちょっと彼とも話してきます。もう一押し」

 御茶水氏が次のターゲットを見つけて早足で向かって行った。


 終了時刻が近づいてきている。私も誰か捕まえてロビー活動をしなければ。

 向きを変えて歩き出そうとすると、私の周りにスーツ姿のがっしりした体格の三人の男たちが、三メートルずつ間隔をおいて立っているのが目に入った。SPだ。

 何ごとかと思い、その場に立ち尽くしていると、背後から声が聞えた。

 「あのお、ジャズ評論家の藤村さんではないですか?」

 振り返ると、やはり見覚えある顔の初老の男性がいた。テレビで見る人物だが、誰なのかは思い出せない。

 「はい、そうです」

 「やはりそうですか。以前はよく雑誌のコメントを読ませていただきました。

 小日向と申します。どうかよろしく」

 思い出した! 閣僚のひとりで、確か入閣が決まった時にはちょっとした騒ぎになった人だ。

 「存じております。無認可大臣? 無人化大臣? なんでしたっけ」

 「無任所大臣です」

 彼は総理大臣経験者であり、次の選挙には出馬せず引退すると表明していたにも拘わらず、今の総理大臣が直々にこの方の自宅を訪問して、直談判で入閣を要請したのだ。

 政府の重鎮として閣内・議会、与党野党に睨みを利かす存在である。

 「ジャズをお聴きになるんですか?」

 「もう半世紀以上聴いています。ただ政治家になって以降は年に数日の休みの日にしか聴けていませんが」

 「私の評論記事を読んでいただいていたんですね。ありがとうございます、と同時におはずかしい」

 「面白い記事を書く方だなと感心しておりました。お書きになっていることすべてに共感していたわけではないですが、それでも最後まで読ませる文書の展開が毎月楽しみでしたよ」

 「いま読み返すと恥ずかしいですよ。未熟で乱暴で一人よがりの文書。

 昔はせいぜい編集部に苦情の投書が送られて来たくらいですが、現代ならSNSで叩かれて大炎上することでしょう。そういうのが面倒くさくてアカウントは作っていません。

 もっとも以前ほど仕事がないので、拙文が流布される機会も減りましたが」

 こんな所で私の記事の読者と出くわすとは思いもしなかった。しかもその読者が現役閣僚の大物国会議員とは!

 わざわざ会場まで来てくれたのだから挨拶しておかなければ。

 「今日は会場までご足労いただいてありがとうございます」

 「いや、実は私もロビー活動をする側なんです」

 「え⁉ じゃあご家族にアンドロイドがいらっしゃるんですか?」

 「娘夫婦が五年ほど前から男の子を息子として迎えています」

 「そうだったんですか。うちも今年、娘を迎えたばかりです」

 こんな影響力のある人物がアンドロイドの家族の一員であるならとても心強い。

 「あの、もしかして御茶水さんと知り合いの議員さんとは小日向さんのことですか?

 じゃあ、こんなに多くの国会議員さんたちを集めてくれたのは小日向さんなんですね」

 「いえいえ、わたしは立場上表立って動けません。ちょっとした情報を何人かの小耳に入れてあげただけです」

 そういって小日向大臣が私にウインクしてみせた。

 身内にアンドロイドがいることや、このイベントの主催者でもある御茶水氏と面識があることなどは内密に、という意味も含めてのウインクなのだろう。

 アンドロイド・ラボでのロビー活動説明会の日、一家族だけ参加できなかったが、もしかするとそれは小日向さん一家だったのかもしれない。

 小日向さんから見ると孫にあたるアンドロイドの子は、今日この会場に来ているのだろうか。五年前に迎えたと言うことはプロトタイプのひとりなのか。

 「お孫さん、になるんですよね。今日はお見えになってますか」

 「来ていますよ。あそこに」

 そう言って見た視線の先にはあの五人がいる。

 「じゃあファイヴ・カラーズのメンバーのひとりですか?」

 「ええ。黄色の紙が貼ってある場所にいる子がそうです」

 黄色担当はたしか汐音がお気に入りと言っていた男性だ。

 「黄色は私の娘が応援している男の子だったと思います。よろしくお伝えください」

 「わかりました。しかし最近はわたしよりも忙しそうで、なかなか会う機会がないんですよ。

 人気があるのは嬉しいが、家族としては家の中で姿が見えないと寂しい」

 「そうですか……。彼のご両親も同じお気持ちなんでしょうね」

 「いやそれが、母親は可能な限り彼らのイベントに行って、一般のファンに交じって盛り上がってきていますよ。今の状況を結構楽しんでいるようです」

 「なるほど! 超売れっ子アイドルの母親だから、いわば究極のおっかけファンですね」

 「まあ、そんなところでしょう。

 わたしもそうですが、娘夫婦にとっても可愛くて仕方がない存在です。

 藤村さんの娘さんはどの方?」

 「うちのはあそこで騒いでいる娘です。元気なのと人見知りしないのが取り柄」

 「初めてのお子さんですか」

 「そうなんです。私自体まだ子供みたいな性格なので、食べたあとを散らかしたままにしていると娘から叱れます。どっちが親か子かわからない」

「明るいご家庭のようですな。生活環境ががらりと変わったことでしょう」

 「それはもう。仕事などで外出すると早く家に帰りたくなります。

 逆に娘が出かけると心配だし、家の中が空虚になって退屈で仕方がないですね。

 一人暮らしだった今までの日常が全く変化しました。環境はもちろん価値観までも」

 「わかります。父親として気を揉むこともあるでしょうが、日を重ねていくごとに絆が深まっていくはずです。娘さんもあなたのことを全力で守ってくれるでしょう」

そこまで言い終わったタイミングで、秘書らしき美人の女性が大臣に声をかけた。

 「大臣、そろそろお時間です」

 「ああ、はいはい。では私はこれで失礼させていただきます。これから支持者の息子の結婚披露宴に出なければならんので」

 「色々ご尽力していただきありがとうございました」

 軽く会釈を返して大臣がドアの方へ歩き出した。

 その後ろ姿を目で追ううち、どうしても聞いておきたい質問が浮かんできた。

 後を追い、大臣を呼び止めて小声で切り出した。

 「あの、お答えできないならノー・コメントでいいです。法案は提出されることになりそうですか?」

 「政府からか議員からになるかはわかりませんが、提出されるでしょう。

 わたしの感触では意外に早く法案が通ると思います。政治家にしても有権者が増えるのは喜ばしいことですから。

 被選挙権についてはすぐには無理でしょう。しかし十年から二十年のオーダーで実現するはずです」

 それだけ早口で言うと「ぢゃっ」と軽く手を上げて、待っていた秘書の女性と共に去って行った。

 オフレコが前提で教えてくれた情報だろうから、今の会話の内容は誰にも言えないが、日本人として当然の権利の行使や、安全な生活を送る保障が、思った以上に早く汐音たちにも適用される日が来るかもしれない。


 間もなくファイヴ・カラーズが退場する時間になる。お見送りの議員たちで混雑するだろうから、私も整理要員として待機しておかなければならない。

 ドアの方に向っていると、窓際にはやぶさ君が立っているのが目に入った。何もすることがなく手持無沙汰そうだ。

 「どうしたの? 退屈そうだね」

 「ええ。今日はずっとヒマで何もしてません」

 「ほかの男の子はどうしたの?」

 「ファイヴ・カラーズ以外で来ている男のアンドロイドはぼくだけです」

 「え、そうなの⁉ みんな忙しいのかな」

 「いえ、そうじゃなくて、ファイヴ・カラーズが来るからみんな敬遠したんです。

 あの五人が来たら出る幕がないと思って。自分も本当は来たくなかったけど……」

 「そうなんだ。色々と複雑だね。

 でもはやぶさ君はちゃんと来ているから偉いと思う」

 「そんなことないですよ。ぼくの場合は親父の顔があるから仕方なく」

 「そこが偉いんだよ。人の立場を考えているから」

 褒められて居心地が悪くなったのか、彼がうーんと唸って頭を掻いた。

 「ところで、はやぶさ君は歌が上手いって聞いたけど」

 「ああ、たまたま町内のイベントで賞が取れただけです」

 「歌うのが好きなんだ」

 「歌うのは好きです。ジャンルに拘らず気に入った曲なら、カラオケに行って何でも歌ってみます。ジャズのスタンダードも何曲か歌えますよ」

 私の職業を知っているらしい。

 「聴いてみたいな、君の歌声を」

 ふと周りを見ると、近くにファイヴ・カラーズのメンバーたちとの交流を終えた女性議員たちが、彼らを見送るために屯している。

 「もう人前で歌う気はないの?」

 「歌手になりたいかってことですか? 機会があれば沢山のお客さんの前で歌ってみたいですね。

 でも別にプロにならなくてもいいんです。老人ホームの慰問で自分の歌いたい歌を披露する方が楽しそう」

 「歌手になるのも夢のひとつということか。

 君たちは私たちよりも寿命がはるかに長いから、夢の定義を変えないといけないだろうね。

 私たちの多くは夢が夢で終わってしまうけど、君たちアンドロイドは永遠に近い時間の流れで人生設計ができるから、いつかは夢を実現できる可能性が高い。あとはチャンスを逃さず、タイミングをしっかり見極めれば栄光を掴み取ることができるよ!」

 「栄光はちょっと大げさだけど、地道にその時が来るのを待ちます」

 「今がその時だよ。ちょっとあっちへ行こう」

 と言いながら彼の二の腕を掴んで、見送り待ち議員の群れの中に連れて行った。


 「皆さん、今日は集まっていただいてありがとうございました。ファイヴ・カラーズも大変喜んでいると聞いております。

 実はここにいる青年もシンガーの卵として将来を嘱望されているアンドロイドです。

 お待ちになっている間、彼の歌声を聴いてみてください。その実力の一端が窺えます。

音響装置がないので今日はアカペラでワンコーラスだけ披露してもらいましょう。

何にする?」

 「は⁉」

 「何を歌ってくれるのかな? せっかくだからスタンダードでも聴かせてあげたら。《マイ・ファンー・ヴァレンタイン》とか」

 「聴きたいききたい! 歌ってみてー」

 議員たちの間からパフォーマンスの披露を促す声と拍手が沸き上がった。

 躊躇しているはやぶさ君の耳もとで

 「ここにいる全ての女性議員の目をハート型にしてみようよ」

 困った顔をしていたはやぶさ君だが、意を決したのかキリッと表情を引き締めて歌い始めた。

 「マアァーーーイ ファニ ヴアレンタァーィン」

 見かけのちょっと頼りなさそうな青年らしからぬ深いバリトンで、少しフェイクを交えながら朗々と歌い上げる彼。

のど自慢大会で燻っている程度のクォリティではない。ちゃんとしたプロデューサーに出会えば、実力に見合った正統な評価を受ける歌手になれるだろう。

 議員の中にもうっとりと聞き惚れている人が何人かいる。

 歌い終わり軽く礼をすると大きな拍手と歓声が起こった。状況がわからない議員やスタッフたちがこちらを見ている。

 「名前は何て言うの?」

 「握手して」

 「写真撮ろ、写真写真」

 どうやら私のはやぶさ君を売り出そうプロジェクトは成功したようだ。

彼がもみくちゃにされ

「ちょっと待って助けてーっ!」

と叫んでいるのを聞きながらその場から離れた。



 三十分後、議員たち全員が会場から出ていった。タイミングを見計らって、一度控え室に戻っていたファイヴ・カラーズのメンバーが双子姉妹に引率されて再び現れる。

 スタッフとアンドロイド全員で記念の集合写真を撮り、備品や持参品を片付けて会場を後にした。

 時間が押したため、アンドロイド・ラボ組は大急ぎで羽田に向かい、予約した便に搭乗して帰路に着く。

 どの程度の権利まで認められるかはわからないが、アンドロイドが人間にかなり近づいたのではないかとの予感を、今日の参加者全員が感じているはずだ。


 空港で解散し、帰宅して三十分後に御茶水氏の携帯電話が鳴った。官房長官の秘書官からだ。

 金曜日の委員会で、今日長官に話したことと同じ内容の説明を、参考人として委員会の議員たちにもしてほしい、とのことだった。

 御茶水氏ははやぶさ君とみずほちゃんを伴って、翌日の便で慌ただしく東京へ取って返し、ホテルの部屋に籠って委員会で話す内容や想定問答をチェックして本番に備えた。

 当日は御茶水氏が衆参それぞれの委員会に出席して答弁を、同行したはやぶさ君とみずほちゃんは面識のできた議員、初顔の議員たちに笑顔と愛嬌を振りまいて戻ってきた。

みずほちゃんに議論でコテンパンにやっつけられた議員が、先日の不遜な態度の詫びを入れにみずほちゃんの元を訪れたらしい。彼女はその謝罪を受け入れたそうだ。


 週明けの月曜日、アンドロイドを人間とほぼ同等とみなす法案はすんなり可決。衆議院、参議院ともに全会一致である。

 公布は一週間後、施行は二週間後と法案通過後のスケジュールは迅速であった。

 法案の内容はほぼ満額回答と言っていいもの。

 小日向大臣がこっそり教えてくれた通り、被選挙権に関しては十年後を目途に専門部会を立ち上げて、アンドロイドにも選挙に立候補ができる人格が備わっているかを判断することになった。


 あのロビー活動で歌手デビュー?を果たしたはやぶさ君。議員の誰かが映したはやぶさ君の動画が拡散され、それがアメリカのある大手レコード会社のプロデューサーの目に止まった。

 今度デモ・テープを送り、一次審査をパスすれば東京のスタジオでオーディションを受けることになる。

 それにも合格したらCDアルバムが制作され全米発売となるらしい。

 ファイヴ・カラーズに続くアンドロイド・スターの誕生となるか⁉


 みずほちゃんについても後日談があり、件の国会議員から秘書になってくれないかとオファーが来た。

 彼女は「前向きに検討いたします」と返答したらしい。

 彼女のいちばんの夢は「理論物理学者になってノーベル賞を受賞すること」と言っていたので、誘いを受けるかどうかはわからない。

 笹木マロンちゃんには有志のファンクラブができつつあるし、みのりちゃんは縁もゆかりもない県出身の議員から観光大使就任の要請がきて戸惑っている。

 ほかのアンドロイドたちにも様々な方面から声がかかっているらしい。

 汐音にもイベント出演の依頼があった。明るいキャラクターが幸いして、区の主催するチビッ子ハロウィン・パーティーにゲストとしてお招きを受けたのだ。

 ちょっと考えさせてくださいと答えたそうだが、百均のパーティーグッズ・コーナーに足しげく通い、帽子やマントや口裂けマスクを買ってきて自分の部屋で着けてみているので、参加の方向で前のめりになっているのは間違いない。

 汐音からコスプレの印象を訊かれたので『口裂けマスクは子供が怖がるだろうからやめたほうがいいんじゃない。マスクの下の口裂けメイクも』と言っておいた。

 こうやってアンドロイドがモテはやされるのは、今が一時的なブームになっているからなのだろうが、一般市民の中に溶け込んでいくまたとないチャンスであることには違いない。

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